このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
            
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< ブログをささやかに改装しました | main | 自分の好奇心と折り合う(2/2) 情報源のコントロール >>

自分の好奇心と折り合う(1/2) ネット利用時間のコントロール

◆ 自分の好奇心はできるだけ尊重したいが、限度もある

 

私たちのような一般人がインターネットに関わるようになってから、すでに20年以上が経過し、今では、ネットなしには生活が成り立たないほどになりました。

 

ネットが日常の暮らしに浸透するにつれ、ほとんどの人は、その新しい世界とのつき合い方を身につけたと思うのですが、私はと言えば、質的、量的にどこまで関わるのが適切なのか、自分なりの加減がよく分からず、いまだに模索を続けている状態です。

 

言うまでもなく、インターネットが与えてくれる膨大な情報の魅力に抵抗するのは非常に難しいので、そこに無防備に飛び込んでいこうものなら、好奇心がどこまでも刺激され、収拾がつかなくなってしまうでしょう。私も、いつの間にか何時間もパソコンの前に張りついてしまい、他のことがおろそかになるたびに、もっとちゃんと自己管理しなければ……と思います。

 

しかし、何度も失敗を重ねてようやく分かったのですが、そうやって自分に言い聞かせるくらいでは、まったく何の効果もないし、かといって、「ネット断食」みたいに、まる一日ネットの利用を禁じるような荒療治を試みても、そもそも、ネットを使わずに生活すること自体が今では不可能に近いので、すぐに元の木阿弥になってしまいます。
記事 「ネット断食」の試み

 

それに、今はとにかく先の見えない時代だから、世の中の方向性を少しでも把握し、早めに対応できるよう、アンテナをあちこちに張り巡らしておきたいし、それなりにハッピーに生きたいなら、自分が心から求めているものに気づき、それを追求していくことも大事だと思います。そして、ネットの世界は、それらに関して、とても有用な手段と情報を与えてくれるのです。

 

実際、そうやって自分が伸ばしたアンテナを通じて、まさに自分が求めていた情報に行き当たったりするからこそ、うれしくてつい時間を忘れてしまうわけで、そうした探索の面白さに夢中になっているときに、自分でそれをストップするのは、非常に難しいことなのではないでしょうか。

 

とはいえ、現状を放置したままでは、平穏で健康的な生活の「持続可能性」に、かなりの悪影響が出てくるのも確かです。

 

何かをもっと知りたいという欲求には、長い目で見れば有意義な人生につながっていく可能性があると思うし、だからこそ、自分の好奇心を抑圧したくはないのですが、一方で、日常生活があまり不健全にならないよう、ネットとの関わりには、ある程度の節度も必要でしょう。そのためには、欲求にただ振り回されるのではなく、自分の意思で状況を少しでもコントロールし、生活全体のバランスを維持できるようになる必要があります。

 

今回は、ネットの利用時間と情報源のコントロールという二つのテーマについて、自分なりの試行錯誤を通じて分かったことを書いてみることにします。

 


◆ 自由時間をあまり管理したくない、という思い

 

まず、第一に、ネットの利用時間のコントロールについて。

 

実を言うと、私自身は、学生時代から今に至るまで、時間管理のやり方について、本格的に学んだり身につけたりしたことがありません。もちろん、そのためにいろいろと困ることもあったはずなのですが、何となく自己流のやり方で乗り切れた(と自分では思っていた)ので、そのままずるずるとここまで来てしまいました。

 

とはいえ、タイマーを使った時間管理法など、有名な方法については、これまで何度も見聞きする機会はあったし、それこそネットで検索するだけで、詳しい手順を含め、十分すぎるほどの情報が無料ですぐに手に入ります。

 

情報の少なかった昔はともかく、今なら、そうした方法を学び、実践するかどうかは、ほとんど本人のやる気次第だと言えるのかもしれません。

 

ただ、私が、ネットの利用時間をあまり意識的に管理してこなかったのは、仕事ならともかく、自分の自由な時間を使って楽しんでいるところに、効率性優先の管理テクニックみたいなものを持ち込むことに、かなりの心理的な抵抗があった、という理由もあると思います。

 

もちろん、たとえ好きでやっていることでも、その中に、退屈だったりムダだと思う作業がないわけではないし、そういう作業を毎日のように繰り返して消耗するのもイヤですが、かといって、個人的には、日々の習慣を効率化しすぎるのもどうかという気はします。効率化を徹底しすぎても、それはそれで、生活に潤いがなくなってしまうのではないでしょうか。

 

その日の気分に応じて、たまにはバカバカしいことをしたり、脇道にそれてみたりする自由だって必要だと思います。やりたいことをそれなりに自由にやりつつも、生活に支障が出ない範囲に収めるバランス感覚さえ保てるなら、それで十分なのではないでしょうか。

 


◆ 結局、タイマーの助けを借りる

 

とはいえ、そういう理想を口にするのは簡単でも、実践するのは非常に難しいことです。

 

自分の自由時間を聖域にして、効率化の魔の手が及ばないように抵抗し続けたとしても、自分がそれにふさわしいバランス感覚をいつの間にか発揮できるようになり、理想的な時間の使い方が自然に実現するわけではありません。むしろ逆に、問題がそのまま放置され、ネット世界の魅力という魔の手に、生活が引っ掻き回されるだけでしょう。

 

結局、対案もなしにムダな抵抗を続けるのはあきらめて、タイマーの助けを借りることにしました。

 

ネット上の記事を読むときに時間を計り、自分が何にどれだけ時間をかけているかを、まずはしっかり自覚できるようにするのが目的です。

 

また、タイマーには、比較的短い時間で作業を区切っていくことで、それぞれの区切りの中で高い集中力を持続させ、効率アップを図るという狙いもあります。

 

タイマーは、とりあえずは Windows におまけでついているアプリを使うことにし、有名な「ポモドーロ・テクニック」を参考に、25分間の作業用と、5分間の休憩用を設定。
ポモドーロ・テクニック再入門ガイド lifehacker

 

最初のうちは、作業内容をきちんと記録したり、時間の削減目標を立てたりするような面倒なことはせず、とにかく、ネットを利用するときには、忘れずにタイマーを使うよう習慣づけることだけに専念しました。

 

25分という時間についても、あまりこだわらないようにして、タイマーの音で時間の経過に気がつけばそれでいいことにしました。タイマーを止めたら、そのままきりのいいところまで作業を続け、5分ほど休憩をとってリラックスしてから、まだ作業を続けたければ再びタイマーをセットして、25分単位で延長していきます。

 

そうやってしばらく試してみた結果、以前から分かっていたとはいえ、毎日かなりの長時間を、ネット上の記事を読むのに費やしていることがはっきりしました。特に、なかなか面白い記事を見つけ、その書き手やテーマに興味をもち、キーワードを頼りに、そこからさらなる探索に乗り出してしまうと、そのまま時間を忘れ、ろくに休憩もとらずに、何時間もぶっ続けであれこれ読み漁ったりしてしまいがちでした。

 

ただ、そういうことをしていると、時間が経つにつれて、作業のペースや集中力が明らかに鈍っていくことも見えてきました。

 

自分が毎日どれだけの時間をネットに費やしているか、また、時間の使い方が行き当たりばったりで、いかに非効率なやり方をしているかが明白になると、特に改善しようと意識しなくても、ネットの利用時間が少しずつ減少するようになり、また、30分くらい経つごとに、ちょっと休憩を入れたいな、という気持ちが、自然に起こるようになってきました。

 

今のところ、特に意識的に何かをガマンしなくても、ネットの利用にそれなりにブレーキがかかり、何となく状況をコントロールしやすい感じになりつつあるような気がします。

 

これまでは、全体の見通しもないままに、そのつど思いついた作業に没入するだけで、どんなことを、どんなやり方でどのくらいやっているのか、無自覚なままだったのですが、タイマーを導入することで、作業全体を冷静に見渡す視点が生まれ、自分の行動パターンとその問題点も少しずつ見えるようになってきた、ということなのだと思います。

 


◆ 自由時間が効率化の波に飲み込まれる?

 

ただ、これについては、自分の自由な時間という聖域に、効率化という、ビジネスライクな光を当てすぎたという側面も、ないわけではないのかもしれません。

 

そもそも、人間の行動のすべてを、ムダか、そうでないか、という基準で選別していけば、正直な話、絶対にムダではない、と言い切れるような立派なものは、ほとんど残らないと思います。

 

何となくボーッとしている時間とか、ヒマつぶしにゲームをしたり、テレビやネットの動画をダラダラ見ている時間はもちろん、一見有意義に見えても、私たちの人生にとっての重要度という見地から厳しく判断するなら、ほとんど価値がないと判定されそうなことは、かなり多いのではないでしょうか。

 

その意味で、効率化というのは、最初のうちこそ日常生活を大いに改善してくれるのですが、それは往々にして行き過ぎてしまい、気がつけば私たちの内面の世界に容赦なく踏み込んで厳格な評価を下し、それらを一気に色あせたものにしてしまう危険性を秘めているのかもしれません。

 

個人的に、ネット上の記事を読んだりする時間が少しずつ減ってきているのも、そういう影響がじわじわと効いてきているのではないでしょうか。

 

ただ、そうやって自分の生活を徹底的に棚卸しして、それらにどれだけの意味があるのか、人生の貴重な時間をかけてまで追い求めるに値するものなのか、ということを厳しい目で判断していっても、最後まで残るものはもちろんあるはずです。

 

そして、そうやって残るのがたとえほんのわずかだとしても、ガラクタの中からそれらをより分け、はっきりと知ることができるなら、効率化の徹底にも、それなりの意味はあるのかもしれません。

 


◆ 好奇心と日常生活のバランス

 

それはともかく、タイマーを利用したこの新しい行動パターンが、この先、習慣としてうまく定着していくのかどうかはまだ分かりません。

 

ただ、ネットに侵食されない、ゆとりある日常生活を維持したいなら、ネットの利用時間をこれ以上増やさず、できれば減らしていかなければならないし、そのためには、クリックするたびにどこまでも膨らんでいく好奇心を、やはり、ある一定の枠内に抑えておく必要があります。

 

それは別に、自分の好奇心をどこかに閉じ込めようというのではありません。残念ながら、この世界で生きているかぎり、私たちが好奇心を向けられる対象は無限ではないことを自覚し、限られた時間内で、自分がもっとハッピーになれるテーマに好奇心を絞り込むやり方を学ばなければならないだけなのです。

 

私の場合は、タガが外れて迷走する好奇心が、日常生活にどれだけの負荷をかけているのか、最近になってようやく客観視できるようになりつつあるわけですが、きっと、時間管理のやり方を、もっと前に習得しておくべきだったのでしょう。

 

実際、私たちが現状を把握し、自分の欲求と生活の持続可能性とをバランスさせるための助けとして、タイマーを使った方法にせよ、別の時間管理法にせよ、何らかのテクニックを学んで実践する意味はあると思います。

 

そしてそれは、「ネット断食」のような極端な方法である必要はなくて、むしろ、腹八分目を目指すような穏やかなもののほうが、長い目で見て効果が大きいのかもしれません。

 

もちろん、効率化が行き過ぎれば生活を不毛にしてしまうように、それらは時に、思わぬところで、別のネガティブな影響をもたらす可能性もありますが……。

 

(続く)

 

自分の好奇心と折り合う(2/2) 情報源のコントロール

 

 

JUGEMテーマ:インターネット

at 19:19, 浪人, ネットの旅

comments(0), trackbacks(0)

スポンサーサイト

at 19:19, スポンサードリンク, -

-, -

comment









trackback
url:http://ronin.jugem.jp/trackback/830