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旅行者への拒絶反応?
先日、ベネチアで、旅行者をめぐるちょっとした「事件」がありました。
観光名所の橋のたもとで、携帯用のコンロを使ってコーヒーを淹れていた二人組のバックパッカーが、条例に反したという理由で通報され、日本円で11万円にものぼる罰金を徴収された上、市外に追い出されたというものです。
ベネチアの新「迷惑防止条例」に要注意、外でコーヒーを淹れたら市外追放? ニューズウィーク日本版
この出来事がニュースとして世界中に報じられたということは、記者の人たちも、道端でお湯を沸かした程度の行為への罰として、これは重すぎなのではないか、少なくとも、読者の多くはそう感じるだろうし、そのことで大いに議論を呼ぶはずだと考えたのではないでしょうか。
私も、個人的には、バックパッカーたちにかなり同情的です。全く知らない他人のことではあるし、ニュースだけでは詳しい現場の状況が分からないので、あまり一方的に肩入れするのはまずいのでしょうが、それでも、当局の処分は行きすぎのような気がします。
ただ、街の側にも言い分は大いにあるでしょう。ベネチアや京都みたいに、世界中から観光客が押し寄せる超有名観光地は、現在、いわゆる「オーバーツーリズム」のネガティブな影響を受け続けていて、住民たちも多大な迷惑を被っています。
ウィキペディア 「観光公害」
現地は観光業で大いに儲けているのだから、そのくらいは我慢すべきだ、という意見もあるでしょうが、実際に観光産業の恩恵を直接受けているのは、ごく一部の関係者に限られるのではないでしょうか。もちろん、多くの旅行者がカネを落としていくので、現地の雇用などにもプラスの効果は出ているはずですが、結局、家賃や生活費も高騰するので、その効果は帳消しになってしまうし、街の混雑や旅行者のマナー違反など、観光公害によるさまざまな被害は、観光業の恩恵にあずからない住人にも同じように降りかかってきます。
それに、旅行者一人一人から受けるストレスが、どれほどささいなものであっても、それが毎日、朝から晩まで何回、何十回と繰り返され、そんな日々が延々と続いていくならば、いくら寛容な心を持っている人でも、心がささくれ立っていくでしょう。
今回の件にしても、観光名所でコーヒーを淹れた程度のことで、短気な住民が怒り狂った、というよりも、これまで住民側は旅行者の行為にひたすら我慢を重ねてきて、それが限界に達し、ついに先日、条例という形でかなり厳しいルールを定めたのに、それでもまだ挑発するかのようにルール違反をする者が現れたので、住民は、まるでケンカを売られた気分になって思わず通報し、当局も見過ごすことができなかった、という感じなのかもしれません。
そして、バックパッカーの側もまた、ベネチアの条例や、現地のピリピリとしたムードについて、あまりにも無知だったのでしょう。
もしかすると、道端でコーヒーを淹れる行為が、何らかのルール違反になることは薄々知っていて、これくらいなら大丈夫、と思ったのかもしれませんが、もしそうだとしても、住民や当局から、どれほど厳しい反発を受けるかを全く読めていなかったわけで、その甘すぎる見通しは、やはり、異国を旅する人間としてかなり不注意だったと言わざるを得ないのかもしれません。
それでも私は、二人のバックパッカーに同情してしまいます。
今回の彼らの不幸は、彼ら自身の落ち度によるところもあるとはいえ、もしかするとそれ以上に、世界中の人々が超有名観光地に殺到するという、地球規模の大きな人間の流れと、その動きが必然的にもたらす強烈な反作用の連鎖みたいなものに、彼らが否応なく巻き込まれてしまった、という側面があり、それに関しては、彼らもまた、時代の大きなうねりの犠牲者だと考えられるからです。
ベネチアは、今では観光客があまりにも多すぎる状態なのですが、世界中からやってくる観光客の流れを直接コントロールすることは誰にもできないので、その人間の大波をかぶり続ける住民としては、せめて自分たちにできる範囲での対症療法的な処置をとらざるを得なくなっています。しかし、対症療法なので劇的な改善効果は見込めず、それでも何かをせずにはいられない住民側としては、その処置をどんどんエスカレートさせていくしかありません。
その結果、住人たちがかなり厳しいルールを旅行者に突きつける、まるで超売り手市場のような状態になっているのでしょう。というか、実際には、超売り手市場よりもさらにバランスの崩れた状況になっていて、もはや、旅行者への拒絶反応さえ出始めているのかもしれません。
今回、処罰を受けたバックパッカーの側からすれば、本来なら、いちおうは客人であるはずの自分たちが、想像もしていなかったような激しい敵意を向けられ、住人と当局に言いがかりをつけられた挙句、大金をむしりとられて放り出された、みたいに感じられたのではないでしょうか。
それでも、ベネチアへの観光客は、今後も減るどころか、むしろしばらくは増えていくでしょう。だから、オーバーツーリズムがもたらすネガティブな流れも、きっと、当分の間は止めることができないと思います。
そうなると、住民からの要望に基づいて定められるルールは、ますます過激なものになり、当局としても、ルール違反をますます厳格に取り締まるようになるのではないでしょうか。住民の多数派が我慢の限界に達して、常にピリピリしている状況では、誰かが寛容の精神を説いたところで、「何言ってんだコイツ……」みたいな反応になるだけでしょう。
このように、一度大きな流れができてしまうと、人々の感情も、日常の行動パターンも、街のルールや行政のシステムも、その流れを前提としたものに組み替えられ、固定化されていくので、現場の当事者は、流れに抵抗することがますます難しくなっていきます。そしてやがて、流れに深く巻き込まれ、かなり偏った判断や行動をしていることにすら気づけなくなってしまいます。
もともと、オーバーツーリズムがもたらしている、かなり異常でストレスの多い状態が日常になっているので、住人側としては、その異常さを解消するために、かなり過激な対処を求めざるを得ない気分になっているだろうし、それが、生々しい現場の状況を知らず、世界のどこかで冷静にニュースを見ているだけの第三者の目にどう映るかまでは、さすがに構っていられないのではないでしょうか。
いちおう誤解のないようにつけ加えておくと、私は別に、ベネチアの住人の方々に対して、悪意とか嫌悪感をもっているわけではありません。
彼らは、観光公害で暮らしが悪影響を受けている中で、自分たちの平穏な生活を守るため、できる範囲のことを精一杯やっているだけだし、現在、旅行者に対してかなりネガティブな感情をもっているとしても、それは住人の生まれ持った性質とはほとんど関係なく、単純に、これまで彼らが体験してきた辛い出来事の数々を反映しているだけだと思うからです。
私たちを含めて、すべての人間には、個人的に努力することで前向きに変えていける部分と、生まれついた国や地域や時代状況などに大きく影響を受け、運命的にどうしようもなく動かされていく部分とがあり、後者に関しては、個人的な責任を簡単に追及できるようなものではないと思います。
それはともかく、これから先、何十年も経って、世界中の人々の価値観や行動パターンが大きく変わっていけば、やがて、ベネチアを訪れる観光客の数が、目に見えて減っていくような時代がやって来るかもしれません。
しかしそのときになっても、もしかすると、今、次々に定められている厳しいルールは、そのままになっているのではないかという気がします。ルールというものは、一度決まってしまうと、日本の中学校の意味不明な校則みたいに、長年の伝統として残り続けてしまいがちだからです。
だとすると、未来のベネチアの住民たちも、その「伝統的」なルールに基づいて、旅人を厳しく取り締まり続けることになるのかもしれません。
もちろん、ネット上では、ベネチアはなぜかよそ者には非常に厳しい街だ、という評価が固まり、多くの旅人が敬遠するようになるでしょうが、それでもごく少数の勇気ある旅人が現地を訪れてみては、やはり邪険な扱いを受けたりして、いつしか、ほとんど人が寄りつかない、伝説的な街になっていくのかもしれません。しかしそれによって、結果的に、ベネチアは昔の静けさを取り戻し、歴史的な街並みも美しいままに残される、という可能性もあります。
まあ、こういう未来の話は、すべて、私の単なる妄想に過ぎませんが……。
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