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冷静な激怒

数か月前、いわゆる「逃亡犯条例改正案」をめぐって始まった香港の大規模な抗議活動は、先日、行政長官が改正案の撤回を表明するまでに至りましたが、その後も抗議は衰えを見せていません。
ウィキペディア 「2019年逃亡犯条例改正案」

 

抗議活動が大規模かつ長期間に及んでいる大きな理由として、よく言われているように、改正案が成立したら、自分たちの身の安全が北京の当局に左右されてしまう、という恐怖感が香港市民の間にあったのだとすれば、それはつまり、彼らは以前から、香港・北京いずれの当局も、まったく信頼などしていなかったということです。

 

そして、今回、当局が条例改正を強引に進めようとしたことが、そうした不信感を人々にはっきりと自覚させ、さらに、デモ隊に対する警察の強硬な姿勢が、市民の怒りに火をつけてしまったのでしょう。

 

抗議活動は、もはや条例に反対するというレベルをすっかり超えて、今では、そうした不信や怒りそのものを、世界中に向けて、さまざまな手段で激しくアピールする形になりつつあるように見えます。

 

私は香港人ではないし、現地で暮らしたこともないので、彼らが今、どんな気持ちで日々を送っているのか、頭で想像してみることしかできません。それにもちろん、一口に香港人といっても、それぞれの政治的立場も経済状況も、ライフスタイルや考え方も多様なので、彼らをひとつの集団として単純なイメージでとらえようとすれば、現状を大いに見誤ることになるかもしれません。

 

それでも、彼らの多くは、もう何か月ものあいだ、ふだんと同じ日常の生活を送っている瞬間でさえ、心の中に、激しい怒りを抱え続けているのではないでしょうか。自分たち市民の気持ちに寄り添おうとしないどころか、何かまったく違う目的をもって動いているとしか思えない当局に対し、心の底から気味の悪さや嫌悪感を感じているのだろうと思います。

 

そして、一度それをはっきり自覚してしまうと、ニュースで香港政府に関する話題が出るたびに、いちいち腹を立てずにはいられないだろうし、その背後で様子を窺っている北京の当局にも、心からノーを突きつけたい、そういう非常に強い拒絶反応が、ひたすら繰り返されるデモ行進や、荒っぽい抗議活動さえ容認する市民の姿勢に現れている気がします。

 

とはいえ、そうした激しい怒りに基づいた抗議は、同時に、つねにギリギリのところで踏みとどまっているようにも見えます。

 

警察とデモ隊との暴力的な衝突は、もはや日常茶飯事で、これまでにケガ人も数えきれないほど出ていますが、双方とも、相手を死なせるほどの行き過ぎた暴力は抑制できるだけの、最低限の冷静さは保っているようだし、繁華街に催涙弾が転がり、火炎瓶が燃え上がる非日常の光景が広がることはあっても、街が無法地帯と化し、略奪などが頻繁に起きる、ということにはなっていないようです。

 

それに関して、先日、とても興味深い記事を読みました。著書の『八九六四』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した、中国ルポライターの安田峰俊氏による現地からのレポートです。

 

逃亡犯条例撤回 「こいつら暴徒だわ」香港デモ隊の“醜い真実”をあえて書く 文春オンライン

香港デモは「オタク戦争」? 最前線のガチ勢“覆面部隊”の意外な正体とは 文春オンライン
 

安田氏は、抗議活動に立ち上がった香港の人々には共感を覚えるとしながらも、彼らの一部が行き過ぎて、街を破壊する「暴徒」と化していることを指摘しています。

 

しかし、その一方で、警察との衝突の最前線では、その場にたまたま居合わせただけの、明確な指揮命令系統も持たない群衆が、まるで統率のとれた軍隊のように組織的な動きを見せているとも書いています。

 

また、警官隊とデモ隊との中間地帯に陣取り、すべてをカメラに収めている各国の報道関係者の存在が、当局の過剰な暴力を抑止し、デモ隊の安全をある程度保障しているだけでなく、一見すると過激なデモ隊の行動に、そうしたカメラを多分に意識したパフォーマンスの側面があることも否定できないようです。

 

安田氏によれば、事態はもはや、欧米の自由主義陣営と中国政府とが、互いにとって都合のいい映像を世界にばら撒いて印象操作を図る、熾烈なプロパガンダ戦争と化しており、香港のデモ参加者たちもまた、誰に指示されるともなく、そうした情報戦に積極的に加わり、抗議活動のポジティブな側面だけを世界中に印象づけるべく、したたかに立ち回っているというのです。

 

警察とデモ隊が互いに最後の一線を越えずに済んでいるのは、先に越えた側がプロパガンダ戦に敗北するという、はっきりとした危機感が双方にあるだけでなく、それぞれに立場は違えど、目の前にいるのは同じ香港市民であって、両者が必要以上に傷つけあう理由などないということが、しっかりと自覚されているからなのかもしれません。

 

そして、互いに最後の一線は越えないという不文律が守られている限りは、激しい衝突の現場でさえ、双方にある程度の冷静さが保たれ、世界中のカメラの前で、自分たちの正当さをアピールする余裕が生まれるのでしょう。

 

それに、少なくともデモ参加者に関しては、次に向かうべき別の抗議活動の予定とか、実行すべき新しい活動のアイデア、そして、世界中からの共感の声や仲間同士の励ましのメッセージなど、スマホ経由で絶え間なく流れ込んでくる膨大な情報をさばき、息つく間もないスケジュールをこなしていくのに精一杯で、ある意味では、健全な疲労と高揚感に常に満たされていて、鬱屈した感情を間違った方向に爆発させてしまう余地がないのかもしれません。

 

とはいえ、当局とデモ隊とのそうした不文律は、あくまで現時点では成り立っている、というだけで、同じ状況が今後もそのまま続くと約束されているわけではないと思います。

 

抗議活動が今後も盛り上がり、効果を上げれば上げるほど、それが香港や北京の当局を追い詰め、思いがけないリアクションを招くおそれがあるし、逆に、これ以上のめぼしい成果がないまま、ズルズルと抗議活動が続くようなら、一触即発の危険はなくても、観光をはじめ、経済全般にマイナスの影響が出てくるし、長い目で見れば、人やカネが香港から逃げ出していく原因にもなるでしょう。

 

それに、警察とデモ隊がたとえ最後の一線を越えなくても、実際に現場でぶつかり合いを続けているかぎり、双方の心も身体も無傷ではいられません。

 

互いに衝突を重ね、血を流し合うたびに、怒りや憎しみをかきたてるネガティブな記憶が、それぞれに植えつけられていきます。そうやって蓄積するマイナスの感情が臨界を超え、これまで何とかそれを抑え込んできた冷静さを上回ったとき、誰かが思いがけず一線を越えてしまう可能性がないとはいえません。

 

また、香港当局と市民との対立にとどまらず、政治的・経済的な利害に基づいて各国から新たなプレイヤーが介入してくれば、事態はどんどんややこしくなり、若者たちの純粋な理想だけでは到底前に進むことのできない、複雑で出口の見えない泥沼のような状況が生み出されてしまうでしょう。

 

香港の人々の怒りは、当事者ではない私でさえ十分に共感できるものですが、上記のレポートで安田氏も述べているように、何とか早めに抗議活動の落としどころを見つけてほしいです。

 

時間とともに積み重なっていく怒りや憎しみによって、多くの人々が、はっきりと自覚しないうちに心のダークサイドに堕ちてしまい、それが、やっかいな状況を生んだりしなければいいのですが。

 

 

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