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ネットの片隅で朽ちていく故人データ

現在、私たちは、Twitter や YouTube のようなネット上のサービスを通じて、自分の思ったことや表現したいことを気軽に世界中に発信するようになっていて、同時に、生活上の雑多な情報やメモや写真など、プライバシーにかかわる膨大なデータも、クラウドストレージなどのサービスを通じて、ネット上に保存するようになりつつあります。

 

ただ、もしも私たちが突然死んでしまったりしたときに、そうした大量のデータがどうなってしまうのか、という点に関しては、みんな漠然と気にはしているでしょうが、それ以上の具体的な対策となると、特に何も考えていない、という人の方が多いのではないでしょうか。

 

SNSや実名での情報発信は別にして、ネット上で誰がどんなサービスを利用しているかは他人には見えにくいし、各サービスの個人データは厳重なセキュリティで守られているので、万が一の場合、本人があらかじめ用意しておいたメモなどで詳しいことを知らされないかぎり、たとえ家族のような身近な人間であっても、どこにどんなデータが保管されているのか知りようがないし、かりにそれがわかっても、パスワードがなければアクセスできません。

 

もちろん、こうした問題に関しては、亡くなった人物や遺されたデータの社会的・経済的な重要度によって、周囲の人々の真剣度も大いに違ってくるはずです。

 

故人が運営していたサイトが大きな利益を生んでいるとか、どんなプライベートな情報でも歴史的な資料になりそうな重要人物であれば、多くの関係者が必死になって、「故人データ」を閲覧し、それを誰かに引き継ぐためのあらゆる手段がとられるでしょう。そうしたケースでは、たとえ本人が何の準備もせずに亡くなったとしても、事態は関係者の利害が一致する形で、速やかに収まっていくのだろうと思います。

 

一方で、私的なデータに経済的・歴史的価値のほとんどなさそうな、私たちのような一般庶民の場合には、関係者の熱意も盛り上がらず、なんとなくそのまま放置されたり、データの存在にすら気づかれないままになってしまうことも多いのではないでしょうか。

 

これまでに、有名人がネット上のデータをそのままにして亡くなったケースは数多くあるので、そうした事例を何度も見聞きしていれば、さすがに私たちも、自分の死後のデータの取り扱いについて、必要な準備をしておこうと考えざるを得なくなるような気がするのですが、実際には、そういう習慣が広まっている気配はありません。

 

やはり、ふつうの人間は、自分が突然死ぬかもしれないなどということを、具体的に想像したくはないのだろうし、ネットの利用者は、今でも若い世代に偏っているだろうから、みんな、目の前に広がる青春の日々を謳歌するのに忙しすぎて、死んだ後のことなんて、頭に思い浮かべるヒマさえないのかもしれません。

 

それに、ネットサービスを提供している企業の側としても、正直な話、こういう問題にはあまり関わりたくないでしょう。

 

ユーザーが事前に何の意思表示もしていなかった場合、遺族や関係者が望んでいるからといって、勝手に故人のデータを見せたり、管理の権限を誰かに引き渡してしまっていいのかという問題があるし、法的な問題にも配慮しつつ、個別のケースごとに丁寧な対応をしていたら、とにかく膨大な手間がかかります。しかも、今後、ずっとサービスが継続されれば、処理しなければならない案件は増えていく一方です。

 

だとすると、やはり一番いいのは、社会的・経済的な影響の大きい重要人物のケースは別にして、ごくごくふつうのユーザーの場合には、遺族も関係者も、故人のプライバシーを尊重するという名目で、遺されたデータにはできるだけ手をつけずにそっとしておき、実質的にそのまま放棄することで、結果的に、サービスを提供している企業の手も煩わせない、というような慣習が広がっていくことなのかもしれません。

 

とはいえ、それで関係者全員が素直に納得するとは限らないし、故人の銀行口座や資産に関するデータがどこかに紛れ込んでいるなど、金銭的な利害がからんでくれば、あまり悠長なことは言っていられないのかもしれません。

 

また、ユーザーの中には、そういうことを成り行き任せにはせず、自分の死後のデータの行く末について、きちんと計画しておきたい人もいるでしょう。

 

そういうニーズに応えるためか、一部のサービスでは、万が一の場合のアカウントの処置について、いくつかのオプションを事前に設定できるようになっています。例えば、Google のアカウントに関しては、一定期間ログインされなかった場合に、誰かにそのことを通知したり、データを自動的に削除することができるようです。

自分の死後、GmailやGoogleドライブのデータを自動削除する方法 lifehacker
 

ただ、個人的には、かりに本人が何の対策もとらず、データが放置され、やがて消滅し、結果的にそれを誰にも引き継げないとしても、それはそれでいいんじゃないか、という気がします。

 

もともと、昔から、ほとんどの人間は、遺産といえるようなものは何も遺さずに死んでいました。

 

何か遺すことができる者は、それなりの財産のある、ごくわずかな人間だけだったし、彼らが遺すものも、カネとか、土地や家、家財道具のように、受け取った人たちがそのまますぐに使えるようなものばかりだったと思います。

 

中には、日記などをコツコツと書き記した人もいたでしょうが、そんなものを遺された子孫としては、実際にはありがた迷惑だったのではないかという気がします。

 

「去る者は日々に疎し」という言葉どおり、過去の人々の記憶は、時間の経過とともに急速に薄れていきます。直接面識があった、ごく親しい人たちでさえ、死者のことを思い返す機会はどんどん少なくなっていき、十年もすると、ぼんやりとした記憶が残るだけになってしまうでしょう。そして数十年が経てば、そういう人たちもほとんど死んでしまい、やがて故人のことを直接知る人はいなくなります。

 

ご先祖様の古い日記が遺されていたとしても、遠い昔の、名前すら聞いたことのないような人物が、当時の平凡な出来事をこまごまと記しただけのものを、時間と手間をかけ、埃にまみれながら、ありがたがって読む子孫はほとんどいないでしょう。死後しばらくの間は、書き手のことを直接覚えている人たちが、興味本位で拾い読みするくらいのことはあるかもしれませんが、その後は土蔵の奥にしまい込まれたまま、古文書一式みたいな感じで、そのまま何百年も忘れ去られ、ゆっくりと虫に食われていくのがオチだっただろうと思います。

 

むしろ逆に、そういうものが山のように残っていると、それを保管する手間やコストの負担を子孫や関係者に押しつけることになります。それでも、子孫が律義な人たちばかりで、負担をかえりみず、頑張って古文書を何世紀も守り抜いてしまうと、それはやがて貴重な歴史的資料になってしまい、その内容がどうであれ、もはや誰かが勝手に処分することさえ許されなくなってしまうかもしれません。

 

しかし、今のような時代には、ごく一般的な人物の個人的なデータを歴史的資料として大事に保存しておく意味はほとんどないでしょう。そんなものは、すでにネット上に掃いて捨てるほどあるし、その一部は、すでに何らかの形で半永久的に保存されているからです。

 

かなりキツい言い方かもしれませんが、特に社会的な価値があるとは思えない膨大な私的データを子孫や関係者に引き継いでいくのは、彼らに保存や管理の手間をかけさせ、それを廃棄すべきか否か、将来の誰かを大いに悩ませてしまうという点で、有害だとさえいえるかもしれません。

 

であるなら、本人がどうしても誰かに遺したいと心から願う、厳選されたごくわずかなメッセージ(それでさえ、子孫にとってはありがた迷惑になりそうですが)は別にして、ほとんどのデータは、本人が生きている間にしか意味がないのだから、死んだらそのまま、誰かの目に触れることも、存在さえ知られることもなく、ネットの片隅でひっそりと朽ちていくのがふさわしいのではないでしょうか。

 

そして、そういうふうにキッパリ割り切ってしまえるなら、本人がいつ死ぬことになろうと、あらかじめデータを整理しておく必要も、関係者に保存先を知らせておく必要もない、ということになります。むしろ、その存在を誰にも知らせないようにしておけば、死後は、堅固なセキュリティで守られた、ネット上の「開かずの間」にデータが収まることになるので、結果的に、誰にとってもハッピーな形になるのではないかと思います。

 

そもそも、本人が誰かに遺したいと思うような写真とか、伝えたいと思うようなメッセージは、きっと、死ぬずっと前、その写真を撮った直後とか、メッセージを思いついた時点で、すでに伝えるべき人にシェアされているはずです。つまり、本人が死ぬまで非公開にしていたデータというのは、他人がわざわざ見るまでもない、生活関連の雑用メモみたいなものとか、あるいは、そのまま誰にも見せずに墓場まで持っていきたいものなのだから、むしろ、余計な詮索をしない方が、遺族や関係者の心の平安のためにもいいのかもしれません。

 

また、サービスを提供している企業にしても、データが「開かずの間」にずっと放置されたところで、わずかな維持費がかかるだけでしょう。それでさえ問題なら、20年とか30年とか少し長めの期限を決めて、その間ずっとログインされなかったデータを消去するようにルールを設定すればいいだけの話です。数年以内に消去、ということにすると、まだ故人の記憶も生々しいので、データが消されるのはあんまりだ、という声が出てくるでしょうが、20年とか30年という年月が経てば、そのころには関係者自体がいなくなっていたり、多くの人の関心はすでに他のことに移ってしまっていて、ほとんど誰も問題にしないのではないかという気がします。

 

もしかすると、データがそうやって成り行き任せで消えていくだけでは、せっかく自分が生きた証を、後の世に遺せないではないか、という人がいるかもしれませんが、そういう人は、生きているうちに、その「生きた証」を、好きなだけ世界中に発信し、誰もがアクセスできるようにしておけばいいのです。

 

言いたいことがあるなら、いつかもっとふさわしいタイミングがきたら相手に伝える、とか、もっとうまい表現を思いついたら形にする、みたいなことは考えずに、とりあえず、現時点の自分がベストだと思う内容を、SNSなどにどんどん書き込んだり、得意なジャンルで表現するなりして、オープンなネット上にコンテンツを残していけばいいのです。

 

それらは、本人が死んで何年かすれば、サービス運営上のルールに従って、ネット上から消されていくことになるかもしれません。それに、もっと長い目で見れば、企業のサービス自体が終了してしまう可能性もあるでしょう。

 

それでも、いつか誰かが、何かのきっかけでそのコンテンツにたどりつき、それを、みんながシェアすべき大切な内容だと感じたら、彼らはそれを自発的にコピーしたり、引用したりして、ネット上に少しずつ広げていくに違いありません。そして、たとえそれがささやかな動きに過ぎなくても、途切れずに続いていくかぎり、それは未来へのメッセージとして、昔の写本みたいに、時代を超えて受け継がれていくのではないでしょうか。

 

そうなれば、子孫や関係者たちが、同じようなものを、苦労して内輪でひっそりと受け継いでいく必要はありません。

 

でもまあ、そんなに都合よく展開するケースというのはほとんどなくて、実際には、この巨大なネットの大海の中で、完全に忘れ去られてしまう可能性の方がずっと高いでしょう。

 

ただ、ほとんどの発信者は、たぶんそんなことは気にしないだろうし、どんなにささいな行動であっても、生きた証を遺すために自分なりに手を尽くした、という満足感だけで、もう十分なのではないかという気がします。

 

もちろん、わざわざそんな面倒なことをしたくない、ということであれば、ネット上に余計な足跡は残さず、ただ静かに消えていく、というのでもいいと思います。

 

いずれにしても、自分が死んだあと、この世界に遺すべきものを決めるのは、私たち自身ではなく、後世の人たちなのです。

 

そして私たちは、死んだ後のことは一切コントロールできないのだから、何をどうやって遺すかをあれこれ考えるくらいなら、むしろ、絶対に遺したくないデータだけは、確実にこの世から消えるように、きちんと手配しておくべきなのかもしれません。

 

まあ、死んだ後に、何かの間違いで変なデータが人目に触れることになっても、もう、それを恥ずかしいと思う自分はいないのだから、全く問題はない、と言えなくもないですが……。

 

というか、もしもそんなものをいまだに抱え込んでいるのだとしたら、死んだときにそれを消去しようなどと考えず、今すぐそれを実行すべきだと思います。

 

死んだ後ではなく、自分が生きているうちに、それが表に出てしまう可能性はゼロではないので……。

 

 

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