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ミャンマーの日本製バス
一応バス会社の名前だけ塗りつぶしてあるのですが、自分の住んでいた町で見慣れたK交通のバスがコロニアルなヤンゴンの街を走っているのを見たときには、何かとても不思議な気分になったものです。
地方で長距離バスに乗ったときには、西武系のバス会社の名前はもちろん、塗装や車内の広告など一切がそのままの状態になっていました。「都はるみショー」とかお店の広告といった紙のポスターが広告スペースに全部残されていて、きれいに「保存」されていたのです。
お坊さんやロンジー(腰巻)を着たミャンマー人ばかりが乗っているのに、バスの車体は完全に日本仕様というシュールな状況ですが、何かよくわからないながらも日本のものを大事にしようという気持ちが感じられて、悪い気はしませんでした。
普通、日本の中古車を輸出するときに、車内の広告とかは全部撤去されると思うのですが、受け取り側がどうしても残してくれとお願いしたのか、それとも輸出側が無造作にそのまま送り出したのを、広告も車内装飾の一部と心得て、捨てずにそのまま大事に扱っているのでしょうか。
たぶん後者だと思いますが、日本で現役を退いたバスも、別の国に渡ってここまで大事にされれば本望だなと思いました。
もっともミャンマーの田舎道は悪路なので、のんびり余生を、というには程遠く、バスにとってはつらい毎日かもしれません。
『深い河』
深い河
遠藤 周作
Kindle版はこちら
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
アジアを旅していて、古本屋の店先でこの本をよく見かけました。けっこう多くのバックパッカーが読んでいるみたいで、気にはなっていたのですが、今まで読むきっかけがありませんでした。
今回、どんなことが書かれているのか知りたいという好奇心もあって、読んでみました。
生きていく中で、人には言えないそれぞれの辛さを背負った日本人が、インドへのパッケージツアーに参加し、バラナシで聖なるガンジス川に向き合うというのがこの小説の設定です。キリスト教の信仰の問題と東洋の輪廻転生思想がストーリーの背景に織り込まれ、物語に重厚さを加えています。
著者の遠藤氏のキリスト教をめぐる内的な葛藤の跡が、多様な登場人物の生き方、考え方に託す形で語られているように思いました。また、それ以上に、この物語全体が、現代の日本人の内的な葛藤を表現しているようにも見えます。
戦後の復興によって、生活に関して言えばそこそこの暮らしができるようになったものの、何か大事なものが足りないような空虚感を覚える、かといって、かつての伝統的な仏教やキリスト教の信仰には戻れず、どこに進んでよいかわからないまま、流されるように日々を送っている感じが、それぞれの登場人物の口を通して伝わってきます。
この小説の中では、残念ながら、これから我々がどこに進めばよいか、はっきりと示されているようには見えません。この小説のなかに断片的にちりばめられたいくつかのヒントを手がかりに、各自が手探りで道を求めていくしかないように思われます。
重いテーマなので、リゾート地で読んだり、気晴らしに読んだりできる本ではありません。そういう意味では、ガンジス川の岸辺やアジアの安宿で読むのにふさわしい本かもしれません。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
中国のトイレ事情
もちろん、日本や欧米並みの料金をとる一流ホテルや、一流でなくても各部屋にバス・トイレがついているような中級ホテルに泊まる限りは何の問題もなく、いつもそういった宿に泊まっている人は体験せずに済んでいるかもしれません。
しかし中国でも辺境の地を旅していると、外国人の立ち入りが許される町では、いわゆる国営の招待所しか泊まるところはなく、お金を節約しようとすれば個室ではなくドミトリーに入ることになり、当然シャワー、トイレは共同になります。
国営招待所のトイレといってもいろいろなレベルがありますが、共通して言えるのは、トイレに個室の壁がないか、あっても高さ50センチくらいしかない、ということです。当然用を足している人同士は丸見えになります。
田舎に行くと、トイレの下に大きく穴を掘ってあるだけ、という場合もありますが、やや大きな町では、トイレの「大」用のスペースに、道路の側溝を小さくしたような溝が一本走っていて、水を流せるようになっているのを多く見かけます。その溝と直角に30〜50センチくらいの高さの仕切り壁が何枚か並んでいて、一人につき幅1メートル分くらいのスペースを確保してあるのです。
用を足すときは、その溝をまたいでしゃがむわけですが、複数の人が同時に用を足すときは、乾電池を直列につなぐような感じで、溝に沿って縦一列に並ぶことになります。誰かが逆を向いてしゃがむと、用を足している間中、互いに見つめ合うことになってしまうので、みな最初の一人と同じ方向を向いてしゃがむようです。
また、「上流」から水が流されるたび、上流にしゃがんでいる人達の「大」が一緒に流れてきて、自分の下を通過していきます。これは気持ちのいいものではありません。
トイレには毎日行かなければならないし、他に選択肢がないので、慣れるしかないのですが、「大」をしている時に人が隣にいるというのは本当に落ち着かないものです。
私は経験がありませんが、トイレが混んでいる時間帯などは、自分の目の前に列をつくって人が待っていたりするわけで、そういう状況で果たして落ち着いていられるか、自信がありません。
トイレにもシャワー室にも壁がない以上、中国でドミトリーに泊まり続けるということは、24時間全くプライバシーのない生活を送るということです。
「欧米人のバックパッカーで、1ヶ月以上中国を旅行していてノイローゼになった人がいるらしい」という噂を聞きましたが、いかにもありそうな話だと思いました。そこまでいかなくても、中国の旅は欧米人にはかなりしんどいようです。
彼らは我々日本人より外見がずっと目立つので、トイレでは当然視線も集まることでしょう。個室の完備した社会で育った人達にはプライバシーゼロという世界はつらいだろうなと思います。
旅の名言 「便所で手が……」
旅の名言 「自分の中で何かが壊れ……」
記事 「チベットのトイレ事情」
内沢旬子・斉藤政喜著 『東方見便録』 の紹介記事
リキシャワラーの背中
屋根とエンジンがついて、自動車に限りなく近いオートリキシャも普及しているのですが、田舎では、街中の移動手段はリキシャしかないような町もまだまだ多いのです。
リキシャに乗る場合は、リキシャワラー(リキシャのこぎ手)と料金交渉をしなければなりません。彼らの中には、旅行者相手に観察と経験を重ねてきたなかなかのツワモノが多く、油断しているとトラブルにつながる場合もあります。
私の場合は、宿探しをするときや目的地が近そうなときは、自分の足で歩くことの方が多いのですが、例えば目的地まで2、3キロ離れていて、しかも重い荷物を背負っているようなときは、リキシャのお世話になることがあります。
料金交渉をして、たぶん相場より何割か多めの額で折り合うと、リキシャワラーはうれしそうにリキシャをこぎ出します。オートリキシャやバスと違って、自転車をこぐ、キイコキイコという音しかしないので、静かでのんびりとした雰囲気に包まれます。
しばらくの間、ゆっくりとした自転車のスピードで町を眺める楽しさを味わうことができるのですが、そのうちにどうしてもリキシャワラーの背中に目がいき、心の中にいろいろな思考が浮かんできます。
(このリキシャワラーの今日の稼ぎはどのくらいなんだろう?) (もう何年もこの仕事をしてるんだろうか?) (毎日毎日この仕事を続けるというのはどんな気持ちなんだろう?) 時折ちょっとした坂道にさしかかると、リキシャワラーは自転車の上で立ち上がって、ペダルを踏む足に力が入るのがわかります。
2、3キロといえば、オートリキシャなら5分とかからない距離ですが、リキシャの場合はスピードが遅いので乗っている時間は長くなり、その間ずっと肉体労働をするリキシャワラーの姿を見続けることになります。
日本人の私としては、痩せたリキシャワラーが踏ん張りながら自転車をこぐ後ろ姿を眺めながら、平然としていられるほどの度胸はなく、何となく心の中がざわざわとしてきます。
(これだけの仕事をしてもらっているのに、こんな金額でいいんだろうか?) (しかし余計な金を払ったり、変にチップをはずめば、地元の物価の相場を乱し、まわりまわって皆に迷惑をかけることになる) (でも感謝の気持ちとして、私一人がちょっと多めに払えば、このリキシャワラーは少なくとも今日一日はハッピーな気分でいられるのではないか)
こんな感じで、心の中で葛藤が始まります。そんな乗客の心を知ってか知らずか、リキシャワラーは相変わらずゆっくりとしたペースでキイコキイコとこぎつづけます。
ようやく目的地に着いたとき、私は合意した金額どおり、最初から握りしめていた数ルピーを渡します。チップをくれと言われることもありますが、無視してそのまま歩き去れば、リキシャワラーが後を追ってくることはありません。
心の中で葛藤しつつ、結局は最初に決めた金額以上を払うことはないのですが、いつも心には疲労感が残ります。何となくリキシャに乗るのを避けてしまうのは、この疲労感のためで、これは何度乗っても慣れるということのないものです。バックパッカーの皆様は、リキシャに乗るとき、どう感じておられるのでしょうか?
「Web 2.0」の勉強
今回、ブログをとりあえず書き始めてみながら、ネットがどういう方向に進んでいるのか、少しは勉強しておかなくてはと思い、ウェブサイト「INTERNET Watch」で連載中の、小林祐一郎氏による「Web 2.0超入門講座」を読んでみました。
これは「超入門」とあるとおり、現在ネットの世界で起こっていることを初心者向けに解説したものですが、ポイントだけを押さえているので、非常にわかりやすく、勉強になりました。
特に印象に残ったのは、「第10回 : Webというネットワークの中で「うまくやる」考え方」です。
Webはスケールフリー・ネットワーク。その中にいるということは、個人のブログやショッピングサイト、検索エンジンなど、さまざまなWebページ(サービス)が緊密に繋がりあい、影響しあうことが避けられない、ということです。
個人のブログはAmazonやGoogle AdSense広告を出した企業にトラフィックを誘導(ギブ)し、報酬を得る(テイク)。また読者に情報を届け(ギブ)、アクセス数を貰う(テイク)。あらゆるものはギブ&テイク。
従来のいわゆる「リアル世界」の情報の場合と違い、例えばブログを書くなど、何らかの情報を発信することが、ネット世界の中で即座にギブ&テイクの濃密な流れに加わっていくことになるわけです。
とにかくこの連載をざっと読むだけでも、ネット世界の進化が、ビジネスの世界と個人の生活スタイル双方に大きな変化をもたらし、それは今後数年のうちに、「リアル世界」全体をも巻き込んでいくのではという気がしてきます。
そうした大変化には、光と影の側面があります。私個人としては、新しいサービスの大きな可能性という光の側面とともに、変化によって既存の組織や個人の生活にどんな影響が出てくるか、影の側面も考慮しつつ、もう少しネット世界のことを勉強していきたいと思います。
『メッカ―聖地の素顔』
カラー版 メッカ―聖地の素顔
野町 和嘉
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
個人がその気にさえなれば、今や地球上のほとんどの場所を訪れることができるようになった現代でも、様々な理由から足を踏み入れることを許されない場所がいくつかあります。
その中でも最も有名な場所の一つが、イスラム教の聖地メッカでしょう。著者の野町氏は、イスラム教徒以外立ち入りを厳しく禁じられている聖地メッカと、預言者ムハンマドの廟墓のあるメディナを取材するために、イスラム教に入信しました。
この本は、著者が様々な障害を克服しながら何度も聖地を訪れ、聖地と巡礼の人々を写真に収めた取材の記録です。
メッカには、最大で200万の信者が一度に巡礼に訪れます。ラマダーン月(断食月)27日目のライラトル・カドル(召命の夜)の礼拝の様子をとらえた写真は圧巻で、まるで別世界の光景を見ているような気がします。
世界には現在12億人のイスラム教徒がいるといわれますが、彼らの信仰、聖地、巡礼について、今まであまりにも無知であったことに気づかされました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見』
冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見
ジム ロジャーズ, Jim Rogers, 林 康史, 望月 衛
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
この本は、本のソムリエさんのウェブサイト「読書普及研究所」で知りました。
著者のジム・ロジャーズ氏は、投資に興味のある人の間では伝説の人物らしく、私も以前TVの経済番組で見たことがあります。
彼が投資で得た巨万の富の一部で、黄色いベンツのオープンカーを特注し、新婚の妻と世界一周の旅をした記録が本書です。いかにもアメリカ人らしい派手な旅のスタイルに、貧乏旅行者の私としては、読んでいて時々カチンとくることもありました。
しかし、そういう個人的な感情を別にすれば、何はともあれ車で世界中を踏破するというのは大変な偉業であり、その経験だけでも傾聴に値すると思います。
また、著者は投資家として一定の信念に基づいて行動しており、その信念に同意するかどうかはともかく、ブレない立場から各国の経済を辛口に評する切り口は鮮やかです。
投資のプロの視点から世界を見れば、また別の姿も見えてくるということ、現在の世界とその変化を実際にその目で確かめた人物の本ということで、色々と学ぶべきものがあります。バックパッカーの皆様も読んでみてください。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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コモドドラゴンにビビる
コモドドラゴンは肉食で、「欧米人の旅行者が食われたらしい」とか、「唾液に毒があるので噛まれただけでも危ないらしい」とか、物騒な話を聞いていましたが、せっかくの機会なのでぜひこの目で実物を見てみたいと思ったのです。
島にはツーリスト向けのバンガローが一軒だけありました。島には漁村もあるのですが、岬をまわった向こう側にあるので宿からは見えません。ビーチに立ってあたりを見回しても文明の気配はなく、恐竜のような大トカゲの棲む島にふさわしい、神々しい雰囲気に満ちています。
高床式の小屋に荷を解き、昼飯を食べようと宿のカフェに向かうと、中庭に2メートル以上はありそうなコモドドラゴンが寝そべっています。あまりにも無造作にそこにいるので、宿で飼い慣らしているのかと思いましたが、後で考えると宿の周囲には柵もないので、その辺に棲んでいるコモドドラゴンが出入り自由になっているのでした。
近くにいたツアーガイドのような若者に聞いてみると、「あれはさっき豚を食ったばかりだから安全だよ」というので、恐る恐る近づいてみました。コモドドラゴンは満腹で眠いのか、全く動く気配もなく、その場に固まったままです。
写真を撮ろうと思い、どのアングルから撮ればいいかなといろいろ歩き回っていると、ヒマだったのか、さっきの若者もやってきて、ああだこうだと撮影位置を試しているうちについ調子にのり、ドラゴンの脇に回りこみました。
突然、ドラゴンが首をもたげたので、二人ともギョッとして飛び退きました。さらにドラゴンが舌をチロチロさせながら、のしのしとこちらに向かってきたので、必死で逃げました。
かなり遠くまで走ったところで振り返ってみると、ドラゴンはまたさっきのように固まっています。まだ一枚も写真を撮っていないことに気づき、遠くから撮影しました。
もしかすると、ドラゴンとしては人間にまわりをうろうろされて、うっとうしいなあという感じで、ちょっと動いてみただけなのかもしれません。しかし、こちらとしては、ドラゴンの気持ちなど知る由もなく、命がけで逃げるしかないのです。
後日、現像した写真を見ると、コモドドラゴンは米粒のように小さく、かわいらしく写っていました。
『ことばへの旅』
ことばへの旅〈上〉
森本 哲郎
評価 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
この本に出会ったのは高校生の頃です。当時本の世界に惹かれて、やたらに本を読んではいましたが、いわゆる読書家のカンのようなものがまだ身についていなかったので、無駄な回り道が多く、一体自分はどんな知識を求めているのか、そのためにどんな本を読んだらいいのか、自分でもよくわかっていませんでした。
いわば、旅に出てはみたものの、適切なガイドブックもない状態でウロウロしているような感じだったのです。
そんな中、当時角川文庫で出ていたこの本を読んですぐに気に入り、全巻読んでも飽き足らず、森本氏の文庫本は全部揃え、単行本は図書館で借りて読みました。
この本は一見、教科書的な名言集に見えますが、実際に読んでみると、古典の名句を入り口にして、その言葉が生まれた背景や状況、その言葉が指し示そうとしている本質(イデア)へと、著者が深く迫っていく探索の旅に同行しているような感じがします。
そこにあるのは、他人の言葉のコピーではなく、著者が思索という「ことばへの旅」を通して自ら体験してきたものの記録であり、膨大なことばと格闘してきた旅の先達として後輩に示す旅のガイドでもありました。
著者は世界各地を実際に旅していて、他の本では美しい旅の写真も見ることができるのですが、今思えば、森本氏のたくさんの本を読むことを通じて、自分は何を知りたいのか、そのためにどうすればいいのか、その方向が少しずつ固まっていったのではないかと思います。
文章は平易ですが、非常に奥の深い本です。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
緊迫するネパール
ギャネンドラ国王の直接統治に反対する抗議行動が続くネパールのカトマンズで20日、早期民主化を求める主要7政党の支持者ら10万人以上が外出禁止令を無視し、王宮を目指して抗議デモを強行した。
治安部隊の厳重警戒に対し、デモ隊は首都の少なくとも3か所で突入を図った。これに治安部隊が発砲し3人が死亡、200人以上が負傷した模様だ。首都で死者が出たのは今回が初めて。政府は外出禁止令を21日未明まで延長した。事態は緊迫の度合いを増してきた。
2006年4月21日 読売新聞
インターネットでざっと調べた限りでも、ここ数年の政治的混乱の背景として、ネパールが中国とインドという2つの大国の勢力圏のはざまに位置することからくる、長年にわたる複雑な事情が垣間見えます。
今後、事態がどのように推移するのかはわかりませんが、国内の各勢力の話し合いだけで問題が根本的に解決されるとも思われず、さらに事態が複雑、深刻になるのではと考えてしまいます。
2001年の王族殺害事件以来、政治の混乱と治安の悪化によって、ネパールでは観光客が激減しました。
事件の前、ネパールを旅しているとき、さまざまな人達と知り合いになったり、友達になったりしましたが、宿や食堂の主人、観光ガイドやトレッキングガイド、チベット難民キャンプでおみやげを売っているおばさん達など、みな観光関連の商売で生計を立てていました。
今、彼らはどうしているのだろうと思います。もちろん、ネパールに住むすべての人達が、この政治的混乱の犠牲者なのですが、ここ数年、観光業では生活が成り立たなくなった人も大勢いるのではないかと思います。
単純に和解と平和を訴えても、複雑な事情からそれが難しいことは承知していますが、政治的主張や理想を掲げて争い、傷ついていく多くの人がいる一方で、争いの中で身をひそめるように暮らし、日々の生計を心配し、秩序の安定を待ち望んでいるであろう圧倒的多数の人々もいることを思うと、何ともいえない気持ちになります。