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「写真が撮れない」症候群(1)

私が初めて長い旅に出た頃は、まだデジタルカメラ全盛期の前でした。

安いデジカメは出回っていなかったし、当時の私は、新しい方式のカメラの可能性をまだ実感していませんでした。無難な選択として、旅先で盗難にあってもダメージの小さそうな、フィルム式の安いコンパクト・カメラを持って旅に出ました。

時間だけはたくさんあったので、アジアの辺境に足を運びました。きっと、もう二度と訪れることもないような辺鄙な村で面白いものを見かけたりすると、やはり写真で記録しておきたいと思うものです。後で人に見せるためというより、自分の思い出として記録しておきたかったのかもしれません。

そんなわけで、旅の当初は必ずカメラを持ち歩き、何か変わったものを見たり、民族衣装を着た人々を見かけたりすると、結構マメに写真を撮っていました。

しかし、すぐにそれが負担になり始めたのです。

自分が撮った写真を見るのは旅の楽しみのひとつですが、フィルム式カメラの場合、現像するまではどんな写真が撮れたのか確認できません。ローカルバスのきつい移動に耐え、少しでもいい写真を撮るために、現場でもいろいろと苦労をしているので、一刻も早くその仕上がりを見てみたいのですが、アジアの田舎には現像できるような街はほとんどないし、仮にできるとしても、その品質に大いに問題があります。

短い旅行なら、頑張って日本までフィルムを持ち帰ればいいのですが、長い旅の場合にはその選択肢はありません。結局、何カ月分も撮りためたものを、バンコクなどの大都市でまとめて現像することになります。

その間、バックパックを担いで移動することを考えると、フィルムが重荷になるのは極力避けたいのですが、そうすると予備のフィルムはあまり持ち歩けないし、乏しいフィルムを温存するために、やたらとシャッターを切るわけにもいかなくなります。

止むを得ず、撮るべき対象を厳選するようになるのですが、そうなると、何だかケチな気分になってきて、気楽に写真を撮れないのです。心の中で敷居が高くなってしまうのか、せっかくの素晴らしい風景を前にしても、いろいろなアングルを試し撮りする余裕はないし、散歩しながら、ムダ撃ち覚悟でちょっと面白い瞬間を記録するようなこともできなくなってしまうのです。

しかも、何カ月も後になってまとめて現像すると、出来上がった写真を見ても、なぜか今一つ感激がありません。

それは、時間の経過とともに、現場での感動が薄れつつあるせいかもしれないし、写真の枚数が少なすぎてあっけないせいかもしれないし、何枚も試し撮りできないために、選びに選んだシャッターチャンスで失敗してしまう可能性が高いこともあるでしょう。

悔しいのは、失敗作だとわかっても、もう現地に戻ってやり直すことができないことでした。後で「もう一枚撮っておけばよかった」と思っても、まさに「後の祭り」なのです。

さらに、まとめてプリントした写真をどうするかという問題が出てきます。何本ものフィルムを現像すると、プリントした紙だけで結構な重さになります。これを抱えながら旅を続けるわけにはいきません。結局、その街を出る前に、日本に船便で送ることにしていたのですが、この郵便代もバカにならないのです。

見終わったプリントを現地で処分してしまい、フィルムだけ持ち帰って、日本で再度プリントしてもいいのですが、その時点でまた金がかかります。

両方のコストを考えて、日本に送る方が安いという結論になったのですが、何カ月か毎に大量にプリントしては日本に発送するという作業を繰り返していると、撮影する時点で、何百枚ものプリントを荷造りする手間のことまで頭に浮かんでしまい、さらに写真を撮るのが面倒になりました。

そんなこともあり、次の長旅に出るときには、私はカメラを持つのをあきらめました。

現在、デジカメが普及したことで、これらの問題はほとんど解消されています。写真を撮る時点でも、その直後でも、液晶画面でその出来を確かめられるし、プリントする必要もありません。メモリーカードさえ充分に用意しておけば、ほとんど荷物や重量のことは考えなくていいのです。

本当に、時代は変わったものです……。

デジカメの普及によって、コストのことを気にせずに、気楽に写真を撮り歩ける環境が整いました。このことは、むしろ辺境へ出かけていったり、長い旅に出るような人にとって、より多くの福音をもたらしたと言えます。長い旅をしても、写真に関してはいわゆるロジスティックスの心配をしなくてもよくなり、いちばん肝心のシャッターチャンスだけに専念していればよくなったのです。

しかし、改めて、旅をしていた当時の私の心境を考えてみると、仮にそのときデジカメを持っていたとしても、やはり写真が撮れなくなっていたのではないかという気がするのです。私の場合、問題の本質は、費用や手間の問題だけではないようです。

次回の記事で、その理由をもう少し考えてみたいと思います。

「写真が撮れない」症候群(2)へ

at 22:32, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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『サンタクロースの秘密』

サンタクロースの秘密
サンタクロースの秘密
クロード レヴィ=ストロース,中沢 新一

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

まだ11月で、ちょっと気の早い感じもしますが、クリスマスに関する本で、以前から気になっていた本書を読んでみました。

サンタクロースといえば、赤い服に白いヒゲを生やし、トナカイのそりに乗り、子供たちへの贈り物をもって遠い北の国からやって来るという、今では世界中ですっかりおなじみのキャラクター・イメージがあります。

しかし、これらのイメージは、実はヨーロッパの聖ニコラウスの祝日にまつわる慣習がアメリカに伝わり、そこで独自に発展したものが、第二次大戦後のアメリカの経済的繁栄と商業主義があいまって、世界中に急速に伝播したものといわれています。

フランスでも同様に、戦後、新しいサンタクロース像の急速な広がりがあったのですが、そんな中、1951年の12月23日に、フランスのディジョン大聖堂の前で、カトリック聖職者の同意のもと、サンタクロースの人形が火刑に処せられるという「事件」が起きました。

本書前半の論文「火あぶりにされたサンタクロース」は、この騒動に触発されたレヴィ=ストロース氏が、なぜカトリック教会はサンタクロースというキャラクターに敵意を抱いているのか、そして、そもそもなぜ、世の大人たちはサンタクロースという像をそれほどまでに必要としているのか、という点から、その慣習の底に潜んでいるものについて鋭い分析を加えています。

アメリカ流のサンタクロースが普及する以前から、フランスには「クリスマスおじさん(ペール・ノエル)」と呼ばれる、子供たちにおもちゃを配る役を演ずる老人のイメージがありました。

実はこれは、はるか昔であるローマ時代の、サトゥルヌス祭などにおける「偽王」の性格を受け継いでいるのだとレヴィ=ストロース氏は述べています。

これらの祭りは、その起源をさらに古い時代にまでさかのぼることができる「冬の祭り」です。当時の人々は、秋から冬にかけて弱まる太陽とともに、生者の世界に目に見えない死者たちが侵入してくると考えていました。人々はこれらの「冬の祭り」を通じて、生者をおどし、攻め立てる死者たちに対して贈り物をし、生命の復活を意味する冬至の日の到来とともに立ち去ってもらい、次の秋まで生者たちがこの世で平和に暮らせることを保証してもらおうとしたのです。

つまり、クリスマスの原型でもある「冬の祭り」の、「もっとも重要なポイントは、生者が死者の霊にたいして贈り物をする、という点にあった(中沢新一氏)」のです。

この見えない死者たちを、祭りの中で、目に見える形で体現するのは、社会集団に完全には所属していないマージナルな人々、すなわち外国人や奴隷や子供や若者たちであり、「偽王」は祭りにおける彼らの頭領となるのですが、この頭は、死者の乱暴狼藉を実際の祭りの中で体現してみせる存在であるとともに、その行き過ぎを抑える、いわば生者と死者の調停者でもありました。

後に、カトリック教会は「冬の祭り」に合わせてキリストの降誕祭を定め、異教の祭りのエネルギーをキリスト教信仰に吸収しようとし、実際にそれに成功するのですが、キリスト教の枠の中に収まり切れない異教的なものが、その後も様々に形を変えながら、クリスマス祭りの中で噴出することになります。

それにしてもなぜ、遠い昔の「偽王」が、子供たちに贈り物を配り歩く、やさしい老人の姿に変化したのでしょうか? レヴィ=ストロース氏は「現代人が、死との関係改善をはかったため」と述べていますが、中沢新一氏は、本書後半の論文「幸福の贈与」で、レヴィ=ストロース氏の論をさらに発展させていきます。

中沢氏によれば、いっさいの「外」というものを表象化し、自らの内部に組み込んでしまおうとする「近代化」によって、生者にとっての死者という「外」、大人にとっての若者・子供という「外」もまた、メビウスの輪のように閉じられたファンタジーの世界の中に取り込まれてしまったのだといいます。

 子供たちは、大人の社会の内部に、組み込まれてしまったのである。かつて、民衆の習俗の世界では、この祭りにあたって、大人の社会と子供組は、おたがいを分離しあって、対立し、そこに「贈与の霊」の大いなる動きがおこった。その子供たちが、いまやブルジョア世界というメビウスの輪の中に閉じ込められて、クリスマスの晩が来たというのに、おめおめと家の中の暖炉のそばで、足止めをくらっている。子供の世界の、全面的な没落がはじまっていたのである。


そして、家の中でおとなしくプレゼントを待ち受ける子供たちに対応するものとして、「ファンタジーの弁証法的な論理の中から、ブルジョア世界のエートスにふさわしいものとして、必然性をもって創案された」のが、現代のサンタクロースの姿だというのです。

しかし、かつてのような生者から死者への贈与が空洞化してしまった近代の社会では、「宇宙的な諸力の流動の滞り」という問題が生じてきます。中沢氏は改めて、「クリスマスの基本構造」である「贈与」に着目し、この問題を乗り越える方法を探っています。

本書では、この「贈与」については、やや漠然とした方向を示した状態で終わっていますが、数年後の中沢氏の『愛と経済のロゴス』において、この問題に関する、さらに詳細な検討が加えられています。

タマネギを剥くように次々に深層へ迫り、同時代の出来事の背後に潜む意味を、短い論文の中で鮮やかに示してみせるレヴィ=ストロース氏の文章もみごとですが、それを分かりやすく噛み砕いた上で、その趣旨を自らの見解を交えて発展させ、例によって挑発的な文章で読者を巻き込んでいく中沢氏の文章も魅力的です。

この本はページ数の割りに少々値段が高いし、いくらサンタクロースの話題といっても、誰もが楽しめるわけではないと思いますが、こういう分野に興味のある人なら、読む価値はあると思います。



本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


at 20:52, 浪人, 本の旅〜人間と社会

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『いやげ物』

いやげ物
いやげ物
みうら じゅん

 

Kindle版はこちら

評価  ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、日本各地の観光地で売られている、もらってもちっともうれしくないみやげ物、略して「いやげ物」をみうらじゅん氏が収集し、18のカテゴリーに分類して解説したものです。

小坊主が木魚にもたれて居眠りしている人形「甘えた坊主」シリーズ、ド派手で無国籍な掛け軸「ヘンジク」、城やタワーの金色プラスチック土産「金プラ」、無節操な形の栓抜き「ヘンヌキ」、ユーモアを履き違えたような湯飲み「ユノミン」、貝殻で作られた奇怪な造形物「プリ貝」、そして全国各地のみやげ物屋を席巻する謎の鉛筆立て「二穴オヤジ」……。

日本人なら誰もが一度は目にし、時には思わず買ってしまったこともある、「いやげ物」の数々が次々に登場し、その一つ一つにみうら氏のツッコミが添えられています。

しかし、この本が恐ろしいのは、笑いながらページを繰っているうちに、なぜか自分もこれらの「いやげ物」を集めたい衝動に駆られ始めるということです。

収集されたものに「金プラ」とか「ユノミン」という巧妙なカテゴリー名がつけられ、美しく並べられると、そこに何か魔力のようなものが発生するのです。どんな人間の中にもある、コレクター心理がくすぐられるのです。

「いやげ物」のはずだったのが、ズラッと並ぶことによって、観光地ごとの微妙なバリエーションや共通点が浮かび上がってきて、研究意欲が刺激されるというか、もっといろいろ見てみたいという欲求が湧いてきてしまうのです。

特に「甘えた坊主」シリーズは、仏教の伝統的なモチーフと関係があるのか、似たような造形が中国・韓国・台湾・タイにまで広がりを見せており、「集めがい」もありそうで、なかなかあなどれないものがあります。

しかし、一方で、本書の最後に出てくる「二穴オヤジ」シリーズには、何か笑ってばかりもいられない、ヒンヤリとしたものを感じます。

木片に鉛筆を立てるため(?)の二つの穴が開いたベースの上に、小さな老人の人形と、観光地名をスタンプした立て札が立っているというのがその「基本形」なのですが、これはそれぞれの「パーツ」を取り替え、地名のスタンプを替えれば無限にバリエーションが作り出せ、全国どこの観光地でも売れるという恐ろしいものです。

これをコレクションしようとすれば、みうら氏のように泥沼にハマるのは当然ですが、それと同時に、この「二穴オヤジ」が、今の日本の観光地をめぐる状況を象徴しているような気がして、暗然とした気分になってしまうのです。

観光地なら、どこへ行っても金太郎飴のような宿と食事とサービスとおみやげが用意されていて、それはそれで便利なのですが、その土地ならではの個性的なものがすっかり薄められてしまっているような気がするのです。「二穴オヤジ」は、そんな規格化された観光地の姿を映し出しているのではないでしょうか?

まあ、このあたりは私の妄想でしょう。この本の本来の趣旨は、そういう変なことを考えずに、純粋に「いやげ物」の放つトンデモ感を楽しむことだと思うので……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

 

at 19:01, 浪人, 本の旅〜日本

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旅の名言 「一年くらい旅を……」

 僕はこれまで一年とか二年とかの長い旅を行ってきたが、その長さについては、別にどうということはないと思っている。これは幾度も言ったり書いたりしてきたことだが、一年くらい旅をすることなど、暇がある人にとっては (金の問題を別にすれば) 何の問題も特別な技もないのである。日本で、一年旅してましたと言うと、ただそれだけで目を丸くして「大冒険ですね!」と驚く人もいるが、一年旅行しても十年旅行しても、ただ長く旅するだけなら、それは冒険ではなくて、ただの長い旅であるにすぎない。本当はやってみればわかることなんだけどなあ。


『旅ときどき沈没』 蔵前 仁一 講談社文庫 より
この本の紹介記事

蔵前仁一氏は現在、バックパッカー向けの雑誌『旅行人』を主宰されていて、バックパッカーにとっては「旅の先達」とも言えるような人物です。

今までに何度も長い旅に出かけ、貧乏旅行者たちの「生態」や、現地の人々との出会いを、イラスト付きの軽妙なエッセイにまとめていて、どれも読んでも楽しめます。

冒頭の引用は、蔵前氏が長い旅について語った一節で、旅の長さそのものは、実際に身をもって経験するならば、一年であろうと十年であろうと、とりたてて問題にするほどのことでもないことが分かる、というのです。

また、金の問題を別にすれば、長く旅をするために特別なテクニックはいらないし、特別に乗り越えなければならないような問題もないというのです。私もそれなりに長い旅を体験して、本当にその通りだと思っています。

旅立つ前の段階で、「これから一年旅をするぞ!」と考えるなら、何か凄いことでもするような気負いを感じるかもしれませんが、実際に旅に出てしまえば、長い旅といっても、一泊二日の旅でやっているのと同じことを何回も繰り返しているだけの話で、そこに何ら特別なものはありません。

もちろん、旅を続ける中で次第に覚えていく「旅のコツ」みたいなものはあるでしょう。しかし、それは勉強したり教わったりしなくても時間と共に自然に身につくもので、ことさら特別なものではありません。

また、長旅ならではの活動パターンのようなものもあるでしょう。何週間もハードな移動や観光を続ければ疲労が蓄積し、いずれどこかでダウンするか、居心地のいい街でしばらく「沈没」することになるかもしれません。その結果、人によっては、ONとOFFのスイッチを切り換えるように、「動」と「静」のパターンが浮かび上がってくるかもしれません。

あるいは、沢木耕太郎氏が『深夜特急』の中で書いているように、旅そのものに幼年期や青年期のような初々しい時期や、壮年期のような成熟と倦怠を覚える時期、老年期のように「旅の終わり」を意識する時期などを見い出す人もいるかもしれません。

しかし、そのために何か特別な知識やテクニックが必要になるわけではありません。常識的な判断を積み重ね、毎日の旅を続けていれば、後になって、結果として何かパターンのようなものが見えてくるというだけなのです。

長旅に問題があるとしたら、むしろ旅そのものの困難ではなく、長い旅をしていることで他の人に無用な誤解を受け、理解してもらうのに困難を覚えるということなのかもしれません。当事者にとっては当たり前のようなことでも、経験のない人には誤解の原因になってしまうのです。

蔵前氏の『旅ときどき沈没』の中には、五年間旅を続けている人が、日本人に「人生を投げてますね」と言われたというエピソードが出てきます。また、蔵前氏自身も、旅先で会った日本人女性に一年間旅していると話したら、あきれた口調で「もうヤケクソね」と言われたそうです。

蔵前氏は立腹して、「ヤケクソで長い旅なんかできはしない」と書いています。そして私もその通りだと思います。よくぞ言ってくれた、とも思います。

しかし現実的に考えてみると、「もうヤケクソね」という人の方が、たぶん日本では圧倒的な多数派だという気がします。この言葉には、長旅をする人は日本でのまっとうな生活を放棄している、つまり「ドロップ・アウト」しているのだ、というニュアンスを感じますが、旅そのものではなく、旅を終えた後のことまで考えるなら、確かにそういう一面があるかもしれません。

海外を長く旅した人が帰国した直後の逆カルチャーショックや、日本人と同じ時間を共有していなかったことによる「浦島太郎」状態はよく知られているし、日本での仕事を長く離れていた人にとって、新たに仕事を始めたり再就職することには大きな困難がつきまといます。

しかし、たとえそうであっても、長旅を終えてどうするかは、その時になってから、各自がそれぞれの道を切り開くだけの話です。通りすがりの人物から将来のことまであれこれ心配される筋合もないでしょう。

長旅に出た人は、それに伴う様々な苦労に見合うだけのものを、旅から得ているのです。無意味な危険を冒すためや、苦労を背負い込むために出かけているわけではありません。しかし、それも「やってみればわかること」で、同じような経験をしてみないと、なかなか理解しづらいものなのかもしれません……。

at 20:23, 浪人, 旅の名言〜旅の時間

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『間道―見世物とテキヤの領域』

間道―見世物とテキヤの領域
間道―見世物とテキヤの領域
坂入 尚文

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、NHKの「週間ブックレビュー」で知りました。

東京芸大の彫刻科を中退後、仕事を転々としていた坂入尚文氏は、1970年代の終わりに大学の先輩である松崎氏と出会い、見世物小屋「秘密の蝋人形館」の巡業の旅に出ます。

しかし、わずか数年で思うような興行ができなくなり、見切りをつけた坂入氏は千葉の農村に入り、無農薬農業に取り組みますが、そこも数年であきらめ、テキヤとなって再び旅暮らしを始めることになります。

最初の見世物小屋時代、農村での生活、飴細工師としての長い生活と、各地を渡り歩きながら旅に生きてきた坂入氏の半生が、主に北海道を舞台に、印象深い人々との出会いのエピソードを交えて描かれています。

私の子供時代、身のまわりに見世物小屋はすでになく、テキヤの世界も映画の「寅さん」という、ある意味で美化されたイメージしかありませんでした。それだけに、本書を通じて、見世物小屋、テキヤの仕事の舞台裏を初めて知ることができました。

これは「見世物とテキヤの領域」に飛び込み、そこで生きてきた人物による自叙伝です。本書に書かれていること以外にも、語り尽くされぬことは山ほどあるだろうし、記憶の糸をたぐっていくような、その筆の運びには何ともいえない迫力があります。

見世物小屋時代に知った旅が忘れられず、旅をしながら金を稼ぐためにテキヤを選んだと坂入氏は書いていますが、あえてそうした生き方を選んだ心の底には、戦後の高度経済成長という「暴力的に変貌する時代」の中で、忘れ去られるようにして次々に消えていくものや、日の当たるような生き方を見い出すことなく、「間道」をひたすら走り抜けるようにして生きている人々に対する深い共感があるように思います。

彼らと共に生きることは、まるで、止めようもない時代を相手に戦っているようで、そこには「敗退の歴史」しかありえず、将来への希望もないように見えます。しかし、坂入氏は「あとがき」でこのように述べています。

 見世物は底抜けの芸や見る人の胸ぐらを掴むような演出を見せて消えて行く。その人たちと会えたことは私のささやかな勝利だ。まっとうな世の中ではやってられない人たち、遥か彼方にいた異能者たちに会えた。


「遥か彼方」に行き着くことを望み、旅に生きる坂入氏ならではの名言だと思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


at 20:38, 浪人, 本の旅〜日本

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フエの「フレンドリー」なオッサン

ベトナム中部のフエに滞在していたときのことです。

両替をしようと銀行に向かって歩いていると、バイクに乗ったオッサンが英語で話しかけてきました。彼はツアーガイドだと名乗り、その場でいきなりツアーの営業を始めましたが、私はとにかく手許に金がなく、両替を急いでいたので、彼の相手をする余裕はありませんでした。

「銀行に行かなくてはならないので、話を聞く時間がない」と断ると、彼は、「俺はフレンドリーな男だ。銀行までこのバイクに乗っけてやる」と言います。

バックパッカー経験のある方ならよくご存知だと思いますが、観光地で自分のことを「フレンドリー」だと言う人間に、ロクな奴はいません。

ここでバイクに乗ってしまったら、後々面倒なことになるのは目に見えていました。しかし、今から考えると不思議なことですが、私は彼を振り切って立ち去ることはせず、彼の「厚意」に甘えることにしました。とにかく蒸し暑くて、歩くのが面倒だったのかもしれません。

銀行で両替を済ませて外に出ると、先ほどのオッサンが待っていました。「他に行きたいところはないか? 俺が送ってやる」と言います。私はどうせ後で商談になることが分かっていたので、ついでだからと本屋に寄ってもらうことにしました。

ラオスからベトナムに入ったばかりで、ベトナム語の簡単な会話帳が欲しいと思っていたのですが、最初に連れて行かれた本屋にはありませんでした。それでも「フレンドリー」なオッサンは嫌な顔もせず、何軒もの本屋を回ってくれ、やっと会話帳を手に入れることができました。

さて、という感じで、私は彼の行きつけのカフェに連れて行かれ、そこで商談が始まりました。私はフエから出発するDMZツアー(DMZとはベトナム戦争当時の非武装地帯 demilitarised zone の略、ベンハイ川沿いの激戦地の跡をめぐるツアーのこと)に参加するつもりだったので、提示される金額によってはオッサンの個人ガイドを頼んでもいいかな、と思っていました。

しかし、彼がDMZへの個人ガイド料金として提示したのは30ドルで、当時のバスツアーの相場である18ドルよりはるかに高く、とても飲めない金額でした。それに、こういうフリーの個人ガイドを頼むと、後でいろいろな「追加費用」が加算されたり、さらにややこしい状況に巻き込まれる可能性もあります。私はどうしようかと迷いつつ、もう少し考える時間を稼ぐために、オッサンの話をノラリクラリとはぐらかしていました。

彼は煮え切らない私の態度に次第にイライラし、ついにドスの効いた声で、「俺は戦争に行っていたんだ」と凄むと、「お前は俺のガイドを頼むのか? イエスかノーか、今すぐハッキリしてくれ」と迫ってきました。

最悪の事態だ、と思いました。自分から招き寄せたこととはいえ、不本意にも彼の個人ツアーに無理やり参加させられ、高い金を払わされそうな雲行きです。

しかし、ここで彼の言いなりになるのは嫌だ、という気持ちも湧いてきました。12ドル程度の金を惜しまずに、言いなりになって金を払っておけば、これ以上のトラブルは防げそうな気がしますが、それだけで済む保証もないし、第一それでは何かに「負けた」ようで、後々いつまでも後悔しそうな気がします。

私は、「申し訳ないが、今はノーだ」と返答しました。しかし、バイクで色々回ってくれた彼の「厚意」に対する義理があるので、カフェのジュース代だけは私が出すことにしたのです。

私は、彼がそれだけで納得してくれるのか、内心ヒヤヒヤしていましたが、少なくとも彼は表面的にはアッサリとあきらめたようでした。カフェを出ると彼は、「そういえば、さっき絵ハガキを買いたいと言っていただろう。売っているところまで連れていってやる。俺はフレンドリーなんだ」と言いました。

彼は商談がつぶれてイライラしているはずなのに、何とも律儀なことでした。私はそこまでして「フレンドリー」を貫くオッサンのプライドに敬意を表し、バイクに乗りました。彼は近所を走りまわり、道端で絵ハガキを売り歩いている行商のオバサンのところへ私を連れていきました。

例によって、行商のオバサンはとんでもない金額を吹っかけてきます。交渉の余地もなさそうだったので、私は買うのをあきらめ、オッサンに今までのお礼を言って別れ、歩いてホテルに戻ることにしました。

すると、行商のオバサンが追いすがってきて、2セット買うなら半額以下にする、と意外な譲歩をしてきました。相場はもっと安いとは思ったのですが、まあまあ妥当な値段だったのでそこで手を打つと、その攻防を見ていたオッサンも、私が筋金入りのドケチ・パッカーだと思ったのか、すっかりあきらめた様子で、「ホテルまで送ってやるよ。乗れ」と言いました。

結局、ジュース一杯飲んだだけで、けっこう長い時間バイクで回る羽目になったオッサンにとっては、踏んだり蹴ったりだったかもしれません。ホテルの前まで来ると、私は彼の「厚意」に重ねてお礼を言って別れました。

自分のことを「フレンドリー」と言い切る怪しいオッサンではありましたが、自分なりのプライドを持ち、きちんとスジは通しているようでした。その後、フエには数日間滞在していましたが、オッサンが再びホテルに押しかけてくることはありませんでした。

at 19:50, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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旅の名言 「やがてこの旅にも……」

 旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。 (中略)
 私の旅がいま壮年期に入っているのか、すでに老年期に入っているのかはわからない。しかし、いずれにしても、やがてこの旅にも終わりがくる。その終わりがどのようなものになるのか。果たして、ロンドンで《ワレ到着セリ》と電報を打てば終わるものなのだろうか。あるいは、期日もルートも決まっていないこのような旅においては、どのように旅を終わらせるか、その汐どきを自分で見つけなくてはならないのだろうか……。
 この時、私は初めて、旅の終わりをどのようにするかを考えるようになったといえるのかもしれなかった。


『深夜特急〈5〉トルコ・ギリシャ・地中海』 沢木 耕太郎 新潮文庫 より
この本の紹介記事

またまた『深夜特急』からの名言です。

既にバックパッカーのバイブルとなった感のある『深夜特急』ですが、この本は「旅の名言」の宝庫でもあります。

沢木耕太郎氏は、1970年代にユーラシア大陸を乗り合いバスで駆け抜けた自らの旅を振り返り、そのディテールを丹念に追いながらも、同時に、旅そのものについても思考を展開しています。

文庫版『深夜特急』の5巻目では、旅の舞台がヨーロッパに移り、旅の終わりが見えてきたせいか、内容はさらに内省的になっていきます。執筆にじっくりと時間をかけながら、旅の本質を端的に言葉で表現しようとする沢木氏の挑戦が、私たちの心に響く名言の数々を生み出したといえるのではないでしょうか。

旅を人生に例えることは昔からの「定番」で、つい先日も某サッカー・プレイヤーが「人生とは旅であり、旅とは人生である」とネット上で発言して大きな話題になりました。

沢木氏の場合、旅に出た当初は「旅を人生になぞらえるような物言いには滑稽さしか感じなかったはず」でした。言葉というものに特に敏感な人間として、伝統的に繰り返されてきた表現や定番の物言いに、何か腐臭のようなものを感じてしまうのでしょう。

しかし、自らの長い旅を通して、彼もまた、改めて先人の言葉の意味するところをしみじみと感じたのではないでしょうか。

旅と人生を結びつけるとき、共通の特徴として見えてくることの一つは、ともに初めと終わりがあり、その間の限られた時間の中で、ものごとが次第に変化し、成熟していくということです。人生と同じように、旅も壮年期・老年期を迎え、やがて終わりがやってきますが、生活のすべてを巻き込んだ長い旅の終わりは、その場の思いつきで簡単に決められるような単純なものではなくなっています。

人生における「死」がそうであるように、本当に深く自らの旅を考えるなら、旅そのものの成り行きに従いつつも、それをいつどんな形で終えるかという「汐どき」を、心の底から納得できるような形で見い出さなければならないのです。そしてそれは、旅の資金も残り少なくなった時、大変な難問となって沢木氏にのしかかってきたのでした。

彼がその難問をどう乗り越えたのか、その結末は第6巻に書かれています。もちろんそれは、彼自身の旅に対するオリジナルの解決であって、状況の異なる他の人がそのままマネできるものではないし、そうする意味もないと思います。

しかし、旅と人生を重ね合わせ、自らの心にほんとうの気持ちを尋ねながら、旅の終わりにふさわしい時と場所を真剣に探求する沢木氏の姿勢に、旅の先達として、私は尊敬の念を覚えます。

『深夜特急』を読んでいると、心の中にある冒険心をくすぐられますが、この本は子供の頃にワクワクしながら読んだ冒険物語にも似て、どこか神話的な懐かしさを漂わせています。現実の旅はもっとゴチャゴチャと混乱しているし、それほどドラマチックでもなかったりするのですが、この本は旅の一つの理想形を描いたものとして、これからも若い人々の「旅の手本」であり続けるような気がします。


『深夜特急』の名言

at 19:40, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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インターネットは「地球図書館」?

このブログを通してインターネットの世界と関わりを持つようになってから、私なりに、ネット世界について調べたり考えたりしてきました。

といっても、それは研究というほどのものではなく、自分がネット上にささやかな居場所を作り上げるために必要最小限の知識を得る、ということに過ぎません。

私は専門家ではないので、ネットの技術的な側面についてはほとんど分からないのですが、少なくとも利用者の一人として、ネットが本当の意味で役に立つものなのか、これからどういう方向に「進化」していくのか、自分なりに見通しを得たいと思ったのです。

最近改めて強く感じるのは、ネット世界は基本的に「言葉の世界」であって、本の延長、あるいは進化形なんだな、ということです。いや、むしろ厖大な量の本を集めた図書館みたいなものだ、というべきかもしれません。

もちろん、これはあくまで比喩であって、リアル世界の図書館というものと、インターネットには違うところも沢山あるのですが、ネット世界を図書館の比喩で考えると、私の頭でも何となく理解できるような気がするのです。

例えば、ヤフーなどのディレクトリは、図書館がカテゴリー別に本を分類して探しやすくするのと同じ発想から来ているし、検索エンジンというのも、図書館の蔵書データを調べるための蔵書検索システムみたいなものです。

図書館の蔵書検索システムは、今ではオンライン化されたところも多いのですが、かつては木の引き出しがズラッと並んだコーナーでした。ラベルのついた引き出しをあっちこっちと開けては、中のカードをパラパラめくって調べ物をしたことを思い出します。

そんな原始的な「引き出しコーナー」と検索エンジンは、全く見かけは異なりますが、基本的なシステムとその目的は同じです。

利用者にとって蔵書検索は、「著者の名前や書名を知っているのだが、それがこの図書館の蔵書の中にあるのかどうか、あるとすればどこにあるのか知りたい」という要求に応えるものですが、検索エンジンはネット全体に対して同じような役割を果たしています。

もちろん、違う点も多くあります。ふつう蔵書検索ができるのは本のタイトルやカテゴリーの情報までで、検索エンジンのように、文書の内容までを含めたすべてが検索対象になっているわけではありません。

また、ネット全体が絶えず新しい情報を取り込んで膨張しているのに対応して、検索エンジンもほとんどリアルタイムで、新しい情報を加味した結果を返してくれます。

しかも、検索エンジンは、利用者にとって最適な結果が得られるよう、ネット上のどの情報が最もふさわしいか、アルゴリズムによって重要度のランキングをつけてくれます。検索結果の上位を調べれば望みの結果にたどりつけるので、まるで有能な秘書が下調べをしてくれているような感じさえします。

つまり検索エンジンは、本の索引や図書館の蔵書検索と同じ発想をベースに、情報の質にまで踏み込んだランキングのシステムを加えて、さらに使い勝手をよくした、「究極の情報検索システム」であると言えるかもしれません。

そういった違いはあるのですが、本もインターネット上の情報も、人間の創造した同じ言語によって表現されたものです。テクノロジーが飛躍的に進化し、インフラの外見に違いはあっても、それは人間が作り出した「本」あるいは「図書館」という文化の延長線上にあると言えるのではないでしょうか。

しかし、本の世界になじんでいる私でも、ネット世界がそれとは全く違うもののように見えてしまうのは、たぶん、インターネットという「地球図書館」の場合、事実上いつでも誰でも新しい情報を登録することができて、基本的に誰もそれをコントロールできないという点にも原因があるのではないでしょうか。

図書館なら、国や地方自治体が責任を持って運営しているので、担当者を通じた一定のコントロールが効いていますが、インターネットにはそれに当たる権限をもった存在が今のところありません。

つまり、権威ある人や立派な人など、特定の人間がその情報の質や内容をコントロールすることは不可能なのです。イタズラ好きなやんちゃ坊主にとっては天国のような世界ですが、多くの人にとっては恐れや不安を抱く原因になっているかもしれません。

人によっては、自分が目にしたくない「汚い」情報によって、ネット世界がどんどん俗悪になったり、それによって自分が直接の被害を蒙るかもしれない、という恐怖感があるのではないでしょうか。

しかし、同じ問題はすでに何百年も前、多くの人間が文字を書けるようになった時点で存在したし、ある意味では人類が言葉をしゃべり始めた時点から始まっていたともいえます。他人が何をしゃべるか、何を書くか、完全にコントロールすることは昔から不可能でした。

そして、他にもネット時代になったことで大きな違いがあるとすれば、今はインターネットのどこでも一か所に情報を公開すれば、基本的には世界中からアクセス可能になるので、情報の送り手にとっての物理的なコストがほとんどかからないということです。

リアル図書館の時代、印刷された図書の収集と管理には莫大な費用がかかりました。また、本を収納するためには多くのスペースを必要とするので、収蔵できる本は限られ、それに値するような「立派な本」しか置かれることはありませんでした。

情報を公開するコストが限りなくゼロに近づき、ネットに公開する上での制約もほとんどない現在、通常の図書館では到底収蔵されないような、いわゆる「エログロナンセンス」レベルの情報も、インターネットの「地球図書館」には続々と収められていきます。

一方で、コントロールのないまま日に日に増殖しているネット上の情報を整理するために、ディレクトリや検索エンジンなど、情報を効率よく流通させるためのシステムも次々に整備されています。それは今も進化を続けているし、その他の便利なツールも次々に開発されていくでしょう。

莫大な情報と、それを整理するためのシステムが、互いを補い合いながら一つの大きなデータベースを作り上げつつあります。つまり、ネット世界を肯定的にとらえるか否定的にとらえるかにかかわらず、「地球図書館」としてのインフラは、もうすでにほとんど完成の域に達しつつあるように思われます。

ある意味で、残されているのは、深刻なトラブルをうまく回避しつつ、このインフラをどう使いこなしていくかという、情報の受け手・利用者側の問題だけなのかもしれません。

ただし、過去の歴史を振り返ってみればわかるように、発達したテクノロジーを使いこなすのに四苦八苦してきた人類にとって、もしかすると、それが一番やっかいな問題なのかもしれませんが……。

at 19:26, 浪人, ネットの旅

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『東方見便録―「もの出す人々」から見たアジア考現学』

東方見便録―「もの出す人々」から見たアジア考現学
東方見便録―「もの出す人々」から見たアジア考現学
内沢 旬子,斉藤 政喜

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

私たちが海外を旅するとき、実は隠れた心配事として「トイレ問題」があるのではないでしょうか? 欧米諸国へ行くならともかく、初めて開発途上国を旅する人が真っ先に心配するのが、水と食事とトイレの問題だという気がします。

高級ホテル利用のパックツアーなら、それでも何とかなるでしょうが、いわゆるバックパッカー・スタイルの旅なら、嫌でも現地スタイルのトイレを利用せざるを得ません。

それは体験した人しか知らない世界で、それを詳しく報告することも何となくはばかられてきたせいか、「異国のトイレ体験」に関する充実した情報は手に入りにくいのです。多くの人は旅立ちを前に、事前に知っておきたいけれど情報がないというジレンマを抱えているのではないでしょうか。

本書は、自転車でアジアを旅した経験のある「シェルパ斉藤」こと斉藤政喜氏と、バックパッカーでもあるイラストレーターの内澤旬子氏が、アジア各地のローカル式便所に的を絞って体験取材をしたイラスト付きルポです。

中国、サハリン(ロシア)、インドネシア、ネパール、インド、タイ、イラン、韓国と、取材対象国は多く、北から南、東から西まで、この一冊で「アジアのトイレ事情」の概要がつかめるようになっています。

中でも中国の「流しそうめん式」を始めとする「壁なしトイレ」の数々、ネパールの「ブタトイレ (尻の下でブタが待ち構えている)」は衝撃的で、実際にそれらのトイレを使ってみたという著者のお二人には敬意を表したいと思います。

内澤氏の詳細なイラストによって、実際に旅していない人もバーチャルなトイレ体験を楽しめますが、イラストで表現できない「汚れ」や「臭い」は当然省かれているので、本当の体験をしてみたい人には、やはり現地に足を運ぶことをおすすめします。

やや潔癖症な現代の日本でこの本を読んでいると、開発途上国のトイレは汚いなどと思ってしまうかもしれませんが、実際に現地にいると、そこで用を足さなければならないという切迫感があるせいか、意外と抵抗なく利用できてしまったりします。そして、一度大きな壁を乗り越えてしまえば、人間の偉大な適応力によって、二度目、三度目は次第に楽に感じるようになると思います。

もちろん、抵抗感が完全にゼロになるわけではないので、トイレを利用するたびに異国の文化と生活スタイルの違いを深く実感させられます。でも、もしかすると、そういうところこそ旅の醍醐味なのかもしれません……。


旅の名言 「便所で手が……」
旅の名言 「自分の中で何かが壊れ……」
記事 「中国のトイレ事情」
記事 「チベットのトイレ事情」


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


at 21:05, 浪人, 本の旅〜世界各国

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サンゴ礁で見たものは……

マレー半島の東海岸に浮かぶ、ペルヘンティアンという美しい島に滞在していたときのことです。

以前にこのブログの記事「ペルヘンティアン島の夕陽」に書いたように、私はペルヘンティアン・クチルの北のはずれにある、三つのプライベート・ビーチをもつ静かな宿に泊まっていました。

三つあるどのビーチでもサンゴ礁の海を楽しめたのですが、宿の目の前のビーチが最も魚影が濃くて華やかでした。ふだんはもっぱらそこで素潜りを楽しみ、気が向いたときには宿の裏手から林の中の小道を5分ほど歩いて西側にある二つのビーチに向かい、人の気配のない海を独り占めすることもできたのです。

ある日、西側のビーチの一つに行くと、ビーチには誰もいませんでしたが、沖合いに小さなボートが停まっていました。ダイビングかシュノーケリングのツアーが来ているようです。だとすると、ボートの周辺では何か面白いものが見られるかもしれません。

波打ち際からは少し遠いような気もしましたが、水泳用のゴーグルだけをつけてそこまで行ってみることにしました。フィンやシュノーケルを借りるとレンタル料がかかるので、それをケチっていつも素潜りスタイルで遊んでいたのです。

しばらく海底にはゴロゴロした石が続き、何とも殺風景だったのですが、やがてサンゴの群落のある場所に出ました。しかし水は少し濁っていて、見通しはあまりよくありません。

ボートがいるのはさらに沖合いなので、そこに向かって泳いでいた時、何の前触れもなく、何かヌメッとした巨大なものが背後からやってきて、私の真横を通り過ぎていきました。

灰色のサメでした。何メートルもありそうでした。一瞬にして全身が凍りつき、しびれたようになりました。もう、頭の中も真っ白です。

濁った水中で、しかも音もなく現れたので全く突然だったし、どう対処したらいいかも分かりませんでした。フィンをつけていないので、全力で逃げたとしてもすぐに追いつかれてしまいそうです。

パニックになりかけているとき、昔どこかで、「サメに出遭ったら、足をバタバタさせて逃げてはいけない」と聞いたことを思い出しました。とりあえず平泳ぎのように手をゆっくりと動かして、サメから離れるようにスーッと移動してみました。

サメもこちらに関心がないのか、反対側にスーッと離れていき、そのまま視界から消えていきました。水が濁っているので、サメが今どこに潜んでいるか分からないのですが、少なくとも「最大の危機」は脱したような気がしました。

私は少し冷静さを取り戻して、足を使わずに手だけをゆっくり動かして、波打ち際を目指しました。

10メートルくらい戻った頃、再びサメが姿を現しました。しかし、サメに「殺気」は感じられず、何かのんびりした動きに見えます。今度はやや冷静にサメを観察する余裕がありました。落ち着いて見てみると、サメは1メートルくらいしかなく、背びれを見ると先端が白くなっているのが見えます。

「ホワイトチップだ!」

以前ダイビングをしていた頃、ホワイトチップというおとなしいサメがいると聞いたことがありました。背びれの先端が白いのですぐに見分けることができるし、ダイバーを襲ったりはしないので、けっこう人気があるのです。

どうやら大丈夫らしいと気がついて、少しホッとしました。しかし、今見ているホワイトチップと先程のサメが本当に同じものなのか、今一つ確信が持てません。ひょっとして、この辺りには色々なサメが何匹も泳いでいるかもしれないのです。それに、おとなしいと言われていますが、あまり近づくとホワイトチップでも予想外の行動に出るかもしれません。

私はそのままゆっくりと泳ぎ続け、石だらけの水深の浅い所までたどりつくと、後は全力で泳いでようやく海から上がることができたのでした。

陸上の安全な世界に「生還」すると、常識的な判断が戻ってきました。先ほど二回も目撃したのは一匹のサメに間違いなく、最初に見たとき、サメが何メートルもありそうに見えたのは、あまりにも突然の恐怖に、頭の中のイメージが勝手に巨大化してしまったのでしょう。実際には1メートルくらいの「かわいらしい」ホワイトチップを相手に、独り相撲をしていたというのが真相のようです。

しかし、恐怖の余韻がずっと尾を引いたのか、その後そのビーチで泳ぐ気にはなれなかったし、他のビーチで泳いでいても、またサメに遭遇するのではないかという変な胸騒ぎがして、華やかなサンゴ礁の世界を心から楽しむことができませんでした。

私のサメに対する恐怖感というのは、「ジョーズ」などのパニック映画で作られたイメージによる部分が大きいと思うのですが、「それは所詮イメージに過ぎない」と冷静に割り切れるほど、私はサメを知り尽くしているわけではありません。

たとえおとなしいサメだと頭で分かっていても、やっぱり海の中でバッタリと出くわしたくはないものです……。

at 19:33, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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