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今年の一冊(2006年)
今年の4月からこのブログに記事を書き始め、その中で何冊もの本を紹介してきました。
「旅」をメインテーマにしているため、どうしても旅関係の本が多くなってしまうのですが、別に新刊書から選んでいるわけでもなく、私が個人的に興味のある本を読んで、読後にそれを紹介するというやり方なので、このブログを読んで下さった方にとっては、あまり参考にならなかったかもしれません。
しかし、今年もそろそろ終わりです。何となく「年越しモード」というか、一年のまとめをしたい気分になっていることもあって、今年初めて読んだ本の中で特に印象深かったものを、私なりに選んでみました。
一番印象的な本を一冊だけ挙げるなら、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』ということになりそうです。
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
梅田 望夫
この本の紹介記事
Kindle版はこちら
この本は、今現在この世界で生きていくうえで非常に重要な、避けて通れないテーマを扱っています。
普段からネット世界に親しんでいる人にとっては、この本の扱っている話題はそれほど目新しくないかもしれません。しかし、このように一冊の本の形に整理され、ある程度の理論的な解釈が与えられたことで、はっきりと見えてくるものもあります。この本を読んでいると、リアル世界とは全く異質なルールに基づいたネット世界の発展によって、これから数年のうちに社会全体が大きく変わっていくであろうこと、そしてそのインパクトは非常に大きいものであるということが、改めて実感されるのです。
私個人としては、その大変化を推進する側ではなく、変化に何とか適応してサバイバルしなければならない立場なのですが、この本には、社会変化の方向を予見し、自分自身がそこでどう対応していくかを考えるためのヒントに満ちています。
いくつもの新しい情報や考え方が盛り込まれた本なので、私にとっては、一読しただけでは消化不良だったのかもしれません。読了直後にはあまり高い評価をしなかったものの、2006年に読んだ全ての本を改めて振り返ってみると、やはり一番印象深い本だったと言えます。いずれまた読み返してみたいし、読み返さざるを得ない本のように思えます。
あと、2006年という年を象徴するようなものではないのですが、個人的にもう一冊だけ挙げるとすれば、高岡英夫氏の『仕事力が倍増する“ゆる体操”超基本9メソッド』かな、という気がします。
仕事力が倍増する“ゆる体操”超基本9メソッド―「身体経営術」入門
高岡 英夫
この本の紹介記事
私は、この本を通じて今年初めて「ゆる体操」を知り、かなりの効果を実感したので、今でも「寝ゆる黄金の3点セット」を実践しています。不精なので、効果があると分かった後もなかなかその先に進んでいかないのですが、逆に言えば、「寝ゆる」だけしか実行しないという究極のローコスト体制でやっているおかげで、今でも続いているのかもしれません。
来年は、どんな面白い本に出会えるのでしょうか。それを楽しみに、2007年もいろいろな本に挑戦してみたいと思います。
『天涯〈1〉鳥は舞い光は流れ』
天涯〈1〉鳥は舞い光は流れ
沢木 耕太郎
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
これは、沢木耕太郎氏による旅の写真集です。たくさんの旅のスナップ写真に、旅に関する彼の短文と、古今の文学作品からとられた旅の文章が添えられており、とてもいい雰囲気を醸し出しています。
『天涯』の第1巻は三部に分かれており、「鳥は舞い」では、夢見る旅の自由、旅立ちの不安と高揚が、「光は流れ」では、もはやこの世に存在しない、沢木氏にとっての夢の都市、誰にでもあるかもしれない特別の場所のことなどが綴られます。
「通過地点1」は、文庫版で新たに加えられたもので、この写真集の長いあとがきともいえるものです。ここでは、これまでの沢木氏と写真との関わり、この写真集が生まれたプロセス、この写真集の狙いが率直に記されています。
この写真集を一読してすぐに思うのは、沢木氏自身も認めているように、一つ一つの写真そのものは決して「完璧な一枚」ではなく、ピントも甘く、実に無造作に撮られており、プロの美しい写真を求めている人にとってはやや期待はずれだろう、ということです。
しかし、沢木氏の狙いはそのような「完璧な」写真をコレクションすることにあるわけではなく、何枚か、何ページかの写真を眺めていくうちにゆったりとした印象を与えてくれるような、演出過剰ではない写真集であり、移動としての旅を感じさせるような写真の構成でした。
それがどのくらい成功しているのか、人によって評価はさまざまでしょうが、個人的には「移動感」や旅人の繊細で孤独な心が、よく映し出されているように思います。
そして、私はこの本を、写真集としてよりはむしろ、「沢木先生」による「旅の教科書」として受け取りました。それはいわゆる旅のテクニックを解説したマニュアル本という意味ではなく、日常の世界を離れて「旅モード」に入った精神が、どんな文章に共鳴し、どんなことを考え、どんな風景に共感するのか、それがあまり演出的な手を加えられることなく率直に示されているために、「旅人の心」そのものを実感しやすくなっているという意味です。
沢木氏の表現方法に、文章に加えて、写真という視覚のチャンネルが加わったことで、「旅モード」に入っている精神そのものが、よりリアルに伝わってくるようになりました。読者は、文章を拾い読みしながら写真を何気なく眺めているうちに、沢木氏の視点を借りて旅の風景に入り込んでしまい、同時に読者の心も「旅モード」に切り換わっていくのではないでしょうか。つまり、この本は、旅の途上にある精神を感じるための、一種のシミュレーターのような役割を果たしてくれるのです。
マカオ、アトランティックシティ(アメリカ)、キッツビューエル(オーストリア)、ハバナ(キューバ)、イスタンブール(トルコ)など、写真の舞台はさまざまですが、何が画面に映っているか、ということよりも、こうした旅の断片の向こうに浮かび上がる「旅モード」の精神そのものこそ、沢木氏が伝えたかったものではないかと思いました。
『天涯〈2〉水は囁き 月は眠る』の紹介記事
『天涯〈3〉花は揺れ闇は輝き』の紹介記事
『天涯〈4〉砂は誘い塔は叫ぶ』の紹介記事
『天涯〈5〉風は踊り星は燃え』の紹介記事
『天涯〈6〉雲は急ぎ船は漂う』の紹介記事
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
ネパールの断食少年再び出現!?
【カトマンズ26日】「仏陀の化身」としてあがめられていたネパール人の少年が、同国東部のジャングル地帯で発見された。この少年は3月に、突然姿を消していた。
25日に、カトマンズの東約170キロのバラ地区で、住民が「仏陀少年」を見たという話が伝わり、警察が捜索したところ、ピルワのジャングルで少年が木の下に座っているのを発見した。
少年は16歳のラム・バハダール・ボムジャン君。伝えられるところによると、ボムジャン君は同地区で約10カ月間、食物や水を断ち、テンジクボダイジュの下で瞑想していたが、3月に突然、姿を消していた。
多くの人々が連日、瞑想する少年に対してお金や供え物をささげた。しかし、「仏陀少年」の50メートル以内に近づくことは禁止されていた。警察当局は10カ月間も断食をするのは不可能で、少年は村人からお金をだまし取るのに利用されたのではないかとみている。
ボムジャン君は発見された際、人々が集まって騒がしかったため、瞑想の場所から立ち去ったと語ったという。
(時事通信 2006年12月27日)
現時点では、これ以上の情報はないようです。
それにしても、警察当局の見方として「少年は村人からお金をだまし取るのに利用されたのではないか」とあるように、当局もマスコミも、この「事件」に関してはかなり冷ややかに見ているようです。一部には、少年を仏陀の化身と崇める熱狂的な信者もいるようですが、一般の人々は、当局やマスコミと同じように見ているのではないでしょうか。
それでも「少年発見!」の報がまたたくまに世界を駆けめぐり、こうして私も少年の消息を知っていること自体、この事件がネタとしていまだに世界の関心を呼ぶだけのパワーを持っていることを示しています。かなりうさん臭く思われてはいるものの、この不思議な少年の「謎」は、いまだにニュースとしての価値を失っていないのです。
以前このブログに書いた記事「ネパールの断食少年は今どこに?」でも触れましたが、少年は今年の3月に消息を絶つ前に「6年後に再び現れる」と語ったそうです。
この「6年」という数字は、歴史上のブッダ・ゴータマが、出家して6年の修行の末にさとりをひらいたとされているのをふまえたと考えられるのですが、どうやら「当初予定」の6年を待たず、9か月で発見されてしまったことで、歴史上のブッダになぞらえての演出(?)は失敗してしまったといえるかもしれません。
しかし不思議なのは、6年間姿を隠すため、どこかの農家にでも匿われていたという話なら、いかにもインチキだったということになるのでしょうが、少年は発見された時、やっぱりジャングルの木の下に座っていたようなのです。そうなると、本人が言うように、「人々が集まって騒がしかったため」に場所を移動しただけだという可能性も完全には捨て切れないことになります。
私は、少年が本当に断食を続けているかという問題よりも、本当に本気で「修行」しているのかという問題の方がずっと気になります。彼が見世物的にお金を集めるためではなく、本当のさとりを求めているのなら、そのための環境を破壊しないよう、周囲の人達にもっと適切な方法で伝えるべきだっただろうし、逆に周囲の人も、少年に修行のための適切なアドバイスをするべきだったと思うのです。少年と周囲の「関係者」たちは、どういうコミュニケーションをとっているのでしょう? そういうことを考えるたびに、何か腑に落ちない感じがしてならないのです。
しかし、いずれにしても、このニュースに感じるモヤモヤ感の最大の原因は、少年の存在が世界中に知られているにもかかわらず、何らかの判断を下すに足りるような具体的な情報が、ネット上を含めてほとんど伝わってこないことにあるのでしょう。うさん臭さを感じてはいても、情報があまりにも少ないために、それ以上どうにも判断のしようがないのです。
情報の少なさは、想像が膨らむ余地を与えます。そのうち、「クリスマスの12月25日に現れたということは、何か深い意味があるに違いない!」と言う人が出てくるかもしれません。私としては、余計なうわさや想像がはびこらないよう、少なくとも以前に計画されていた、本当に断食しているかどうかの科学的チェックくらいは実施してほしい気がします。
まあ、こんなニュースでごちゃごちゃと余計な心配をしているのは、私だけかもしれませんが……。
記事 「ネパールの断食少年は今どこに?」
記事 「ネパールの断食少年続報」
記事 「ネパールのお騒がせ「断食少年」再び出現」
外国人料金と値段交渉
日本では、ほとんどのモノやサービスに定価がつけられています。買物をする際に、いちいち値切ったりすることはないし、店の側でも、値切られる事を前提にして値段をつけているわけではありません。
もちろん、日本にも値切りの習慣はあるし、私も高額の家電製品を買う時などは、ちょっと頑張って、少しだけまけてもらうこともありますが、日用品や食料品を買う時は、店頭価格どおりにお金を払います。実際、モノを買うたびに値段交渉するというのは実に面倒臭いことなので、値段が決まっているのは素晴らしいことです。余計な労力をかけることなく、気楽に安心して買物ができます。また、人によって値段が違うことで不公平感を感じることもありません。
アジアの国々でも、今やスーパーやコンビニがどんどん増えていて、日本と同じような感覚で生活できる国や大都市もありますが、場所によっては外国人料金というものが存在したり、日用品や食料品でさえ値段交渉をしなければならない場合もあります。バックパッカー・スタイルの旅をしていると予算上の制約が大きいので、モノの値段をめぐる問題に関しては、嫌でも敏感にならざるを得ません。
国によっては、観光スポットへの入場料や国営の交通機関に外国人料金を設定していることがあります。これは現地の人向けの料金の数倍を払うことになるので、バックパッカーとしてはかなりの痛手になります。しかも、高い金を払ったからといって、より良いサービスが受けられるわけではありません。
特に交通機関などの場合、現地の人と同じようにスシ詰めになり、ほこりまみれ、汗まみれになっているというのに、金だけはやたらに取られるため、その理不尽さにやり場のない怒りを覚えることも多いのです。しかし、料金を徴収する係員の人々は、上の人間が決めたルールに従っているだけで、彼らに怒りをぶつけるわけにもいきません。一旅行者の身分としては、「この国を旅行させてもらっているだけでもありがたい」と考えて、耐え忍ぶしかないのです。
問題なのはむしろ、国や役所が決めている外国人料金ではなく、食堂やみやげ物屋、市場や行商の人たちが、こちらが外国人とみると吹っかけてくる、いわゆる「よそ者料金」です。国によって、あるいは街によって、その程度は様々です。
外国人でも特に分け隔てなく、現地の人と同じように買物できる国もあれば、あえてどこの国か特定するのは控えますが、外国人はまず間違いなくぼられてしまうので、食堂などでもいちいち事前に値段交渉をしなければならない国もあります。また、同じ国の中でも、有名観光地などは「外国人ズレ」しているので、「よそ者料金」を請求される可能性がかなり高くなります。
外国人向けのレストランやカフェなど、英語のメニューに初めから高い料金が書かれているような場合なら、交渉して値段が変わる余地もないし、外国人料金が嫌ならそこを利用しなければいいだけの話です。それに、そういう店は「英語が通じる」というメリットがあり、その分の料金が加算されているのだと思えばそれなりに納得もできるでしょう。
しかし、市場で日用品や果物などを買ったり、地元の人向けの食堂に入ったりして、英語も通じないのに2倍3倍の値段を吹っかけられたりすると、さすがにムッとします。地元の人と同じモノを、同じ条件で買おうとしているのに、見た目だけで判断され、「よそ者」としてひどい扱いを受けることが悔しいのです。
もちろん、英語の通じないようなところで買物をするつもりなら、やはり最低限のエチケットとして、数字のやりとりができる程度は現地の言葉を学ぶべきだと思います。電卓を持っていったり、紙に数字を書くことでも値段交渉のやり取りはできますが、やはりそれでは現地の人と同じ条件にはならず、「よそ者応対特別料金」を加算されても致し方ありません。
一所懸命に覚えたカタコトで値段を聞けば、初めから意外に安い値段を提示してくれることもあるし、現地の相場価格を正確に知っていれば即座に合意が成立することもあります。また、値切りのテクニックを駆使し、時間をかけてねばっていると、相手も根負けして、そこそこの値段で手を打ってくれることもあります。
そういう体験を繰り返していくうちに分かってきたのは、「よそ者料金」の前提となっている「よそ者」の壁というものは、意外と柔軟なのだということです。
見た目の違いで「よそ者」と「仲間」を分けるということは、たぶんすべての国の人間が無意識にやっていることです。欧米の国々や日本では、人の見た目で値段に差をつけるようなことはしないタテマエになっていますが、心の中では常に何らかの区別をしているはずです。
アジアの国々でも、「よそ者」と「仲間」を区別する点は同じです。そこでは、さらにモノの値段においても差をつけるので、その区別がハッキリと目に見える形で現れる、という点が違うだけです。
しかし、「よそ者」を区別する壁は、それほどガッチリとしたものではありません。私が現地の言葉をカタコトでも話せれば、それは少し薄くなり、もしもペラペラと話せれば、ほとんど壁はなくなってしまうでしょう。あるいは現地の友人と一緒にいたり、相手が日本人びいきであったり、相手の機嫌がたまたま良かったりするだけで、その壁が崩れることもあります。
要は、見た目がどうであれ、彼らが私のことを「仲間」だと思えば壁はなくなるし、「よそ者」だと判断すれば壁が高くそびえ、しかもその判断は状況次第なのです。そして、その壁の有無によって「よそ者」料金が適用されるかどうかが決まるのです。
逆に言えば、そういう国々では、相手が私に対してどんな値段を言ってくるかによって、彼らが私のことをどう見ているか、ある程度想像できるのです。私にとんでもない料金を吹っかけてくる人は、当然私を「よそ者」とみなしているだろうし、場合によっては日本人全体に対して敵意を抱いているかもしれません。反対に、ある程度まともな料金を提示してくる場合は、少なくとも仲間の一人としては認めてくれたと考えられるのです。
この原則(?)は、いつでも必ず当てはまるわけではないでしょうが、ある程度の目安にはなると思います。カタコトの数字を駆使しながら値段交渉をしていて、相手が笑いながら言い値を下げてくれたりした時や、相手との数字のやり取りがテンポ良く続いた時など、「ちょっとは仲間として認めてもらえたのかな」と感じることがあります。
もちろん、こうして「仲間」の端くれとして認めてもらえるレベルと、現地の人になり切り、その国の光も影も受け入れて生きるというレベルとでは、雲泥の差があります。旅行者の立場ではそこまで徹底することなど不可能だし、その必要もないでしょう。
ただ、バックパッカーとして旅を続けていると、つい値段交渉に真剣になってしまうのは、もしかすると、お金の問題というよりもむしろ、このような現地の人との「心の壁」の問題があるからではないでしょうか。
いつも単なる通りすがりの「よそ者」扱いをされ続けるのは本当につらいものです。それに耐え切れず、たまには現地の人たちの「仲間」として、その末席くらいには加えてほしい、そんな切ない気持ちが、バックパッカーたちの必死の値切りとして表れているのかもしれません。
もっとも、あまりしつこく値切り過ぎれば、「仲間」どころか、かえって嫌われるだけです。私も何度も失敗しました。その辺の「呼吸」もまた、経験を通じて知るしかないのでしょうが、何事もほどほどを知るというのは難しいものです……。
おかげさまで200記事
ブログ記事が100になるころまでは、何となく勢いで書いていたところがありますが、最近は自分のマンネリな部分も見えてきたり、かといってなかなか新しい試みや方向性が見出せなかったりして、書き続けるというのはやはりしんどいことなのだな、と実感しています。
もっとも、プロとして身を削りながら文章を書いている人達に比べれば、自分にはほとんど何の制約もなく、好きなことを好きなペースで書いていられるわけで、こんな立場でしんどいなどというと笑われてしまいそうですが……。
今後とも、このブログをどうぞよろしくお願いいたします。
『龍の文明・太陽の文明』
龍の文明・太陽の文明
安田 喜憲
Kindle版はこちら
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本は、一般にはまだあまり知られていない、中国・長江流域に存在したとされる「長江文明」を中心に、中国文明における南北の相違とその衝突の歴史を明らかにし、日本の古代史にも新たな視点をもたらすと同時に、日本がこれから進むべき方向にも示唆を与えようとする、スケールの大きな内容になっています。
安田喜憲氏の仮説によれば、龍というシンボルは中国東北部の畑作・牧畜地帯の森と草原のはざまで約七千年前には生まれていましたが、同じ頃、南の長江流域では、鳳凰の原型である、太陽を運ぶ鳥のイメージが生まれていました。龍のイメージを育んだのは畑作・牧畜民であり、鳳凰のイメージは稲作・漁撈民によって創造されたのだと安田氏は言います。
やがて、五千年前の気候の寒冷化によって龍を信仰する「龍族」が南方に拡大したため、長江流域の江漢平原において龍と太陽の信仰が融合し、城頭山遺跡にみられるような、中国最古の都市文明が形成されることになります。
しかし、三千年前の気候の寒冷化は「龍族」のさらなる南下を招き、長江文明の担い手たちは現在の雲南省・貴州省・広西省の山間部に駆逐されてしまいました。彼らの末裔が、苗族をはじめとする少数民族となるのですが、彼らの一部は対馬暖流にのって九州南部に漂着し、太陽信仰を中心とする神話体系と稲作を日本にもたらし、それが弥生時代へのきっかけとなったのではないかと安田氏は言います。
後に、紀元後百年から何度か続いた気候寒冷化によって、再び東アジアに大きな社会変動が起こり、日本においても初めての王権が誕生することになります。そこでは、北方の龍の文明を担う人々が強くかかわっていたと考えられますが、安田氏は、当時の日本の大王は、表面的な体制としては龍の文明を取り入れていても、自らのルーツとして、長江流域の人々をより強く意識していたのではないかと推測しています。
日本の天皇が龍をシンボルとしないこと。去勢や宦官などの騎馬民族の伝統的習俗を日本人は持たなかったこと。日本の天皇のルーツを語る日本神話の故郷が南九州にあること。この三つの事実は、日本国家の起源を考える上で見逃すことのできない重大なことがらである。
中国においては、龍の文明が太陽の文明を圧倒してしまい、漢民族を中心とする中華文明は、漢字・律令体制・科挙・宦官など、独特の文明システムによって周囲の少数民族を次々に同化・融合していきました。龍のイメージは、龍の文明の同化力・融合力をまさに象徴するものとなったのです。
安田氏の議論を追っていくと、かつて龍族が長江文明の人々を駆逐してしまったように、長江文明の系譜を継ぐとされる日本文明も、やがて覇権主義的な中華文明に飲み込まれてしまうのではないか、ということになりますが、私は個人的にはそうとも言えないのではないかという気がしています。
本書の中で安田氏は、北京にある中華世紀壇には、五十六民族の筆頭である漢民族のシンボルとして、龍と鳳凰が刻まれたレリーフが掲げられていることに触れています。これはむしろ漢民族が、龍の文明だけでなく、龍と鳳凰(太陽)の二つの文明が自らのルーツであること、そして、時に分裂し、相争いがちなその二つの文明原理の微妙なバランスの上にしか、中華文明は存続し得ないのだということも深く自覚していることを示しているのではないかと私は思います。
日本文明にも、龍と太陽の文明それぞれが深く影響を及ぼしており、どちらが勝つとか負けるとか、どちらが正しくどちらが間違っているという問題ではないと私は思うのです。もし今、覇権主義的な文明が世界を席巻しつつあるのだとしても、それだけで世界が成り立つものではない以上、それが永遠に続くことはありえず、いずれそれ以外の文明原理によって全体のバランスを回復せざるを得なくなります。そうした状況においては、太陽の文明の系譜をより強く受け継いでいるという日本が、むしろ何らかの重要な役割を果たすことができるのかもしれません。
そして、もしそうであるならば、それは互いに覇権を争うような形ではなく、それぞれの文明の長所を互いに生かし、協力することで新しい文明を創造し、当事国のみならず、周囲の国々も共に繁栄するようでなければならないと思うのです。
私は東洋史・日本史ともに詳しくないので、本書の安田氏の仮説にどこまで説得力があるのか、くわしいことはわからないのですが、中国に二つの異なる文明の系譜があるという議論は非常に面白いと思います。安田氏の他の著作や、いわゆる「照葉樹林文化」関連の本を、もっと読んでみたくなりました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
旅の名言 「こうして無事に帰れたことが……」
私はここにいる。望みもしなかった、あるいは想像だにしなかった、なによりも美しく、不思議な旅から、こうしてあの頂を越えて無事に戻ってきた――こうして無事に帰れたことがこんなにも悔まれるのはどうしたことか?
『雪豹』 ピーター マシーセン ハヤカワ文庫NF より
この本の紹介記事
『雪豹』は、ネパール西部の秘境、ドルポ地方を旅したピーター・マシーセン氏による紀行文学の傑作です。その本の終わり近く、ドルポへの苛酷な旅を終えてカトマンズに戻ってきたマシーセン氏は、我々の日常世界を覆う「文明的なるもの」に再び触れることになります。冒頭の引用では、その瞬間の彼の偽らざる感慨が描かれています。
彼の場合、文明社会に嫌気がさしてチベットに逃避したわけではありません。旅の表向きの目的は、ヒマラヤの山中に生息する野生動物の生態調査でした。また、資金の制約や、キャラバンで移動可能な季節の制約もあって、旅ができる期間は限られていたし、母を病気で失い、彼だけを頼りに、その帰りをアメリカで待ち続ける幼い息子の存在もありました。
彼にとっては、ヒマラヤの山々がどれほど魅力的であろうと、数カ月以内に自らの属する社会に戻らなければならないことは初めからわかっていたし、そうせざるを得ない事情もあったのです。
それでも、旅の非日常を終え、日常である文明世界に帰還したマシーセン氏は、むしろ無事に帰れたことを激しく悔やんでいます。それはまるで、仕事や愛する家族よりも大切な「何か」を失ってしまったかのようです。
これは、ヒマラヤへの旅に限らず、どんな人にも、どんな旅でも起こっていることなのだと私は思います。もちろん、旅の非日常がどれだけ強烈であったかに応じて、その終わりを実感した時のショックも異なるでしょう。しかし、どんな旅にも終わりがある以上、誰もが必ずそのショックを経験しなければならないのです。
旅に関して、旅立ちの瞬間の何ともいえない爽快感が語られることは多いし、そこに解放感や自由を感じる人も多いでしょう。旅行会社の広告も、旅立ちを誘う美しいフレーズにあふれています。しかし、旅の終わりについて語られることは、あまりないように思います。
旅が非日常の解放感を伴うものであればあるほど、旅を終えることは難しくなると私は思います。それは、地理的に遠く離れて帰国するのが難しくなるという意味ではなく、心理的に旅の終わりを受け入れることが難しくなる、ということです。
非日常の旅の日々に魅せられ、それを深く味わえば味わうほど、かつての日常世界に戻ってきたときのショックは大きいし、日常生活に再び適応するまでに長い時間を要するかもしれません。場合によっては、その衝撃をうまくやり過ごすことができず、非常に厄介な状況に落ち込んでしまうこともあるでしょう。
私個人としては、今は「旅の物語」よりも、様々な「旅の後の物語」を読んでみたいという気がします。旅という非日常を経験したあと、どのように旅の終わりを受け入れるのか、どうやって再び日常になじんでいくのかという問題は、旅立ちよりもずっと複雑で難しいし、それだけに、そこには様々な適応の物語があるはずだからです。
それに、私がこのような「旅のブログ」を書いていること自体、自分も「旅の終わり」の問題から、いまだに抜け出せずにいるということを意味しているのかもしれません……。
『一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編>』
一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編>
沢木 耕太郎
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本には、「旅」という切り口で集められた、沢木耕太郎氏の様々な文章が収められています。ボクシングやアルペン競技の観戦記、ベトナム紀行、キャパの足跡を追うパリの旅、檀一雄の足跡を追うポルトガルへの旅など、訪れる場所もテーマもバラエティに富んでいますが、通して読んでみると、そこには一つの傾向というか、大きなテーマがあることに気がつきます。
沢木氏はそれを、「その時その時の、私の「一号線」を求めての旅」であると表現していますが、『一号線を北上せよ』というタイトルからは、行く先に困難があると十分に知りつつも、そこにある「何か」未知なるものを求めて、あえてまっしぐらに突き進んでいこうとする、氏の熱い意気込みが伝わってきます。
私は、『深夜特急』の愛読者ということもあって、ポルトガル・スペイン紀行とベトナム紀行を、特に興味深く読みました。
いずれの文章においても、沢木氏は旅先での自分の行動や街の風景、食べたもの、ささいな出来事、そのつど感じたことや考えたことを克明に記しています。そこでは、何か劇的なイベントが起こるわけではないし、『深夜特急』のような長い旅と違い、明確なストーリーが浮かび上がってくるわけでもないのですが、20年前の沢木氏の旅を踏まえた上でそれを読んでいると、記された旅のディテールの一つ一つにも、それぞれ意味があることに気づき、何とも味わい深く感じられるのです。
それは、いわゆるファン心理からくるところも大きいでしょう。それは、『深夜特急』の旅の主人公の「その後」を知る楽しみであり、彼の旅の「続編」を読めるという喜びでもあります。かつての「沢木青年」は成功者となって、取材で世界各地を飛びまわるようになり、貧乏旅行の制約からも解放されて、今は経験を重ねた「沢木おじさん」として、より自由な立場で旅を楽しんでいます。
ベトナムの旅では、初めて一泊二日の現地ツアーに参加してみたり、ローカルバスではなく、ホーチミンとハノイを結ぶ旅行会社のオープン・ツアーのバスを利用したり、居心地の良さそうなリゾート・ホテルに飛び込みで宿泊したりします。またあるときは、眉間に皺を寄せるように旅している欧米の年配バックパッカーよりも、人任せでのんびりやっている日本からのグループ・ツアーの老人たちに共感を覚えたりもします。
それは、「貧乏旅行至上主義」的な立場からは「変節」と見えるかもしれませんが、私はむしろそこに、状況次第でさまざまな選択肢を柔軟に選ぶことのできる、より自由度を増した旅の豊かさを感じるのです。
そして、『深夜特急』時代から変わらぬ、沢木氏の心の若さも感じます。それは自分の心を衝き動かす「何か」に向かって、自分の限界まで突き進んでいこうとする姿勢です。旅のスタイルは柔軟になっても、現場での感覚や直感を大切にしながら、その時その時のプロセスに身を任せ、見えない「何か」を追いかけていく姿勢は変わっていません。そして、その「何か」の気配を感じとる「嗅覚」は、長年の経験でさらに磨きがかかっているようにも思えます。
この本は、『深夜特急』を読んだ後の方が、何倍も楽しめると思います。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
トムヤムクンの誘惑
タイでは普段から外食をする人が多いせいか、屋台や食堂の数が多く、店同士の競争も激しいようです。そのためか、それぞれの店では絶えず味に磨きをかけているようで、見かけはごく普通の屋台でも、さりげなく出てきた一杯のラーメンがやたらに美味かったりします。
私の場合は、苦手な人が多いといわれるパクチー(香菜、コリアンダー)も大好きだし、タイ料理と相性がいいのか、だいたいどんなものでもおいしく感じます。しかしやはり一番の大好物はトムヤムクン(甘辛酸っぱいエビのスープ)です。
ウィキペディアによれば、トムヤムクンは「世界三大スープ」の一つに数えられるのだそうです。ちなみに、残りの二つはブイヤベースとボルシチだそうで、トムヤムクンの代わりにふかひれスープを挙げる説もあるようですが、とにかく世界的にみても、トムヤムクンがかなり美味しいと認められていることは確かなようです。
私が旅していた頃は、バンコク・カオサン通り周辺のツーリスト向けのレストランでも、一杯80バーツくらいで食べられました。もっとシンプルな、屋台と大差ない食堂なら40〜50バーツでした。当時のレートなら、日本円に直すと150円以下で、世界三大スープの一つが味わえたのです。
もっとも、同じトムヤムクンでも、それなりに高級な食材やスパイスを使ったレストランの味と、安食堂のそれとでは、相当な違いがあります。当然、値段が高い方が満足度は高いのですが、私の場合はそれほど舌が肥えているわけでもないので、とりあえずトムヤムクンであればいいと考えることにして、もっぱら安食堂で食べていました。
タイ料理は「甘辛酸っぱい」とよく言われますが、トムヤムクンにはその特徴のすべてがあって、さらに濃厚な魚介類のダシも効いています。レンゲでスープをすくい、口に含むと、甘さ・辛さ・しょっぱさ・酸味・旨み・スパイスの香りが一斉に押し寄せてきて、舌がうれしい悲鳴をあげます。
安食堂で食べると、じきに怒涛の辛さが押し寄せてくるのですが、その辛さがまた何ともいえず後を引くのです。口の中は火事になっているにもかかわらず、また一口、さらに一口という感じで、食べるペースがどんどん上がり、いつの間にか食べるのに夢中になっています。周りの景色も目に入らず、食べている記憶もなく、ハッと気がつくと空っぽになったどんぶりを前に呆然としていることもあります。一気に平らげる頃には全身汗みどろになっていますが、そんな時に飲む、氷入りのビールもまた格別なのです。
私の場合、トムヤムクンを食べるのは夕飯時なので、他に白いご飯も注文します。甘辛酸っぱいスープをすすりながら、時々ご飯にも少しずつかけて食べるのですが、一見ミスマッチな白飯との組み合わせも美味しく、ご飯がすすみます。
トムヤムクンの味が病みつきになり、一時は何でも「トムヤム味」にしていた時期もありました。タイやラオスでは、ラーメン類は自分で味を整えて食べることになっているので、スープは薄味になっているのですが、テーブルに置いてある甘辛いチリソースを加え、ライムを搾れば、即席のトムヤム風味になるし、チリソースがなければ砂糖とトウガラシでもいいわけです。もちろん、具はいつもエビというわけではありませんが、ダシが出る肉類なら、どれでもトムヤム味で楽しめます。
蒸し暑いタイで食べるからなのか、甘辛酸っぱいトムヤム味は、とにかく非常に美味しく感じます。日本にいる時はそれほどトムヤムクンに飢えているわけでもないのに、タイにいるとつい何度も注文してしまうのは、値段のせいばかりでもないようです。やはり、タイの気候風土によって、知らないうちに私の味覚も変化しているのでしょう。