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旅の名言 「成長というよりは……」
うーん……。
苦難を乗り越え、自分を変えるためにオレはインドに行ったはずだ。だが、成長というよりは明らかに以前より原始的な人間になっているように感じるのは、オレの気のせいだろうか。
『インドなんて二度と行くか!ボケ!! …でもまた行きたいかも』 さくら 剛 アルファポリス より
この本の紹介記事
さくら剛氏のお笑いインド旅行記、『インドなんて二度と行くか!ボケ!! …でもまた行きたいかも』からの一節です。
自称ひきこもりのさくら氏は、自分の情けない現状を憂い、一念発起してインドへと旅立ちます。彼はバックパッカーとして北インドの観光地を巡り、旅行者に群がる「不良インド人」たちとのバトルを繰り広げ、激しいカルチャーショックを乗り越えながら、たくましく旅を続けていきます。
しかし、旅も終わりに近づいた頃、彼はふと自らの旅を振り返り、何か人間的な成長のようなものを求めてインドへと旅立ったはずが、右手を使ってメシを喰い、トイレでは左手を使い、わずかな金をめぐってインド人と怒鳴り合う暮らしにすっかりなじんでしまった自分を発見します。
これはどう見ても、人間として成長しているというより、退化なのではないか……。
言うまでもなく、ここはギャグとして笑うところなのですが、インドを旅したことのある人には、これを単なるギャグとして、笑ってそのままスルーできない人もいるかもしれません。
インドでさくら氏と全く同じような経験をし、インド人の暮らしにすっかり同化してしまった自分の姿を思い出して苦笑いしつつも、同時に、それを単なる退化だとは思えない、思いたくないという旅人もいるのではないでしょうか。
「神秘の国インド」というイメージに憧れたり、「インドに行って人生観が変わった」という旅人のみやげ話に影響されてインドを目指す旅人は多いと思います。
しかし、インドに到着した彼らを待っているのは、インドの幻想的でスピリチュアルなイメージ以前の、非常にショッキングな現実です。
快適で安全な日本の暮らしに慣れきった旅人は、目の前の貧困や不潔や差別や喧騒や混乱にたじろぎ、強烈なカルチャーショックに襲われながら、とにかくインドでのワイルドな暮らしに適応することを余儀なくされるのです。
それは、何か高尚な学びを得るというよりは、インドの放つ圧倒的なパワーに巻き込まれ、インドの人々の暮らしに同化していくだけのことで、一見したところ、人間的な成長や進歩とはほど遠いものです。
ただ、私は思うのですが、自分の育った文化とは全く異質な世界に巻き込まれ、そこで生き延びていくすべを身につけるというのは、どんな人にとっても、すばらしい学習の機会なのではないでしょうか。
そして、さまざまな生活スタイルや、ものの見方や考え方を学ぶことによって、人はより自由になり、行動の選択の幅も広がると思うのです。
例えば、右手でメシを喰うようになるということは、箸やスプーンという道具にとらわれずに食事ができるようになるということでもあります。また、食材に手でじかに触れることで、これまでにない新たな感覚の世界が開けるという面白さもあります。
同様に、トイレで左手を使うようになるということは、トイレットペーパーが手に入らないところでも生きていけるようになるということであり、旅人は、より大きな行動の自由を得ることになるわけです。
こうした行為は、現代の日本の暮らしの中では下品とか不潔という理由でタブーになってしまっていますが、所変われば何の問題もなく通用する立派な文化です。
旅という実践を通じて、私たちは、生まれ育った日本の文化を別の角度から見つめ直せるだけでなく、別の文化を通して学ぶさまざまなことが、この地球上でたくましく生きていくための知恵となるのです。
つまり、インドへの旅によって、旅人は一見「原始的」になったような気がするかもしれませんが、それは単なる退化ではなく、むしろ、自分にとって異質な文化を学ぶことによって、自らの経験と行動の幅を広げ、より大きな自由を得ていると考えることもできるのです。
しかしまあ、こんなことを言ってみても、インドの庶民の生活を自分たちと対等な文化として認めない人に対しては、こういう理屈は通じないのかもしれません。
文明の直線的な進化を信じ、「先進国」と「後進国」のランク付けをし、新しいテクノロジーや快適な生活に至上の価値を見出す人にとっては、トイレで左手が使えるようになることを「成長」とは言わないのでしょう。
そういう人々にとっては、そもそもインドへ行くことが人間的な成長につながるという発想すらあり得ないだろうし、インドの生活に慣れることはすなわち「インドぼけ」や「インド病」であって、全力で防がなければいけない災厄なのかもしれません。
もっとも、そういうステレオタイプな考え方が日本の社会に浸透しているからこそ、冒頭のさくら氏の言葉がギャグとして成立するのですが……。
旅の名言 「僕の脳は……」
旅に出る前、僕の旅には目的らしいものがあった。旅に出なくてはならないという気持ちに近い心境だった。しかしそんな旅への思いも、ひとつ、またひとつと貧しい国の空に散っていってしまった。ユーラシア大陸の東端にある島国で考えた旅など、アジアのこの太陽の下ではなにも通用しなかった。僕はそんな旅を続けてきたのかもしれなかった。日本という国で身につけた知識や僕が考えたあれこれが、薄皮をはぐように消えていき、最後に残ったのは、ありふれた旅の日常だけだった。今日のメシはうまかった。昨日の宿はひどかった。ただそれだけが残されていた。僕の脳は十歳の少年のそれに近づいていったのだろう。
旅とはそれだけのことだった。
『アジアの弟子』 下川 裕治 幻冬舎文庫 より
この本の紹介記事
旅行作家の下川裕治氏の半生記、『アジアの弟子』からの一節です。
下川氏は20代後半で新聞社を辞め、アフリカ・アジアをめぐるあてのない長い旅に出ました。
日本を出発するまでは、人に対しても、自分に対しても、何のために旅をするのかという理由めいたものを用意していた下川氏ですが、苛酷な自然のもとで、ただその日その日をシンプルに生きる圧倒的多数の人々の中を旅するうちに、頭でこしらえた理屈はその意味を失い、旅の空に消え去ってしまったのでした。
そして、消え去ったのは、旅の目的だけではありません。
日本という国で生き延びていくために、これまで必死になって身につけてきた知識や世渡りの知恵も、途上国の貧しい社会にやってくれば、そのほとんどが無用の長物でしかありません。
現地の人々の生き方に合わせるように、「先進国」で身につけてきたさまざまなものを、タマネギの皮を剥くように脱ぎ捨てていく下川氏。長い旅のプロセスを経て、最後に彼に残されたものは、「ありふれた旅の日常」だけでした。
「今日のメシはうまかった」とか、「昨日の宿はひどかった」とか、毎日の暮らしのささやかなディテールが最大の関心事で、遠い将来のこととか、抽象的で小難しい理屈とかが頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまったような感覚――。
下川氏はその感じを、十歳の少年の脳と表現しましたが、とてもうまい表現だと思います。
数カ月以上アジアの国々を旅したことのある人なら、それがどんなものなのか実感としてよく分かるだろうと思うし、その表現に深い共感も覚えるのではないでしょうか。
もちろんこれは、アジアの人々が幼稚だという意味ではありません。
むしろ、情報の洪水や将来への不安など、頭の使いすぎで窒息しそうになっている「先進国」の人間にとっては、十歳の少年の脳でも十分に生きていける世界がこの地球上に存在すること自体が、大きな救いになり得ると思うし、そういうシンプルな暮らしは、一度なじんでしまえば、とても気楽で爽快なものでもあるのです。
もっとも、そうした貧しくてシンプルな生き方にも欠点はたくさんあります。私たちのご先祖様や親の世代は、だからこそ必死になって進歩と豊かさを求めてきたのです。
私たち「先進国」の人間にとって必要なのは、きっと、みんなで十歳の少年の脳を目指すことではなく、私たちの一人ひとりが「十歳の少年」の頃に体験していたはずの、そうしたシンプルで爽快な日常の感覚を思い出し、それをうまく現在の生活と調和させる方法を見つけ出すことなのでしょう。
そういう意味で、アフリカやアジアへの旅は、その大事な感覚を思い出す、一つのきっかけになるのかもしれません……。
『ダライ・ラマに恋して』
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本は、「銀座で働くOLにして、有給休暇で世界をかける旅人」、たかのてるこ氏のチベット文化圏への旅行記です。
ラオス人男性との恋に破れ、失意のどん底にあった彼女は、ふと手にしたダライ・ラマ14世の著書に感銘を受け、立ち直りのきっかけをつかみます。
それ以来、「世界で一番有名な、ラブ&ピースなお坊さま」であるダライ・ラマに直接会ってみたい、という思いに取り憑かれた彼女は、TV番組の制作を口実に謁見を申し込むのですが、その許可はなかなか下りません。
たかの氏は、チベット文化が色濃く残り、「チベットよりもチベットらしい」といわれるインド北部のラダック地方を旅した後、アポなしでダラムサラに乗り込み、現地で直談判をすることにしたのですが……。
その結末がどうだったかは、この本のラストで楽しんで頂くとして、この本のメインはやはり、ラダックの中心地レーに滞在中、たかの氏が出会ったさまざまな人々との交流でしょう。
アットホームな宿の人々、チベットのシャーマン、祭りで踊りを披露する僧侶、チベット伝統医学の医者、難民キャンプで生まれた二世、そして前世を記憶する少女……。
次々に登場する現地の人々を通じて、たかの氏はチベット人の世界観や仏教の考え方を一つひとつ具体的に学んでいきます。「生きとし生けるものすべての幸せと、世界の平和」を常に祈っているというラダックの人々の日常には、仏教の教えがしっかりと浸透しており、彼らとの会話は、仏教をめぐる問答そのものです。
そんなラダックの旅は彼女にとって、まるで「仏教合宿のよう」な日々でした。
それにしても、TVの旅ドキュメンタリーの取材も兼ねていたとはいえ、心をオープンにして、チベット人の生活の中にどんどん入り込んでいく彼女の行動力はさすがだし、彼女の目を通して、ラダックの人々の生活の細かなリアリティが伝わってきます。
ただ、「ラダックで会う人、会う人が、あまりにも出来すぎている」せいか、今回のたかの氏の旅は実に平和で落ち着いた感じになっています。彼女のデビュー作、『ガンジス河でバタフライ』のようなドタバタ劇を期待して読む人にとっては、ちょっともの足りないかもしれません……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
バックパッカーと「自己責任」 (2)
(続き)
◆「自己責任」論の一人歩き
しかし、それならなぜ、「自己責任」という言葉がこんなにも広まってしまったのでしょうか?
そのきっかけはもちろん、2004年のイラク人質事件にあります。
あの事件については、これまでにも多くの人がさまざまに解釈をしていますが、ここでは、私の個人的な解釈だけを記してみることにします。
イラクで日本人3人が人質になっていたとき、被害者の家族とその支援団体が、犯行グループに譲歩して日本政府の政策を変えるように強硬に迫りました。
こういう事件の場合、これまでの慣例に従うなら、被害者の家族は全ての交渉を政府に任せ、事件の表舞台からは身を引くべきだったのですが、彼らはマスコミの力を利用して連日表舞台に登場し、政府の交渉内容に干渉して、事態を自らコントロールしようとしました。
それは、これまでには考えられない展開だったために、多くの日本人に衝撃と強い違和感を与えました。
一度公的な性質を帯び、政府が交渉の当事者になったはずの事件を、被害者の家族とはいえ、一部の人間が強引にコントロールしようとする動きに対しては、それを見ていた多くの人が反発や不快を感じたのではないでしょうか。
まもなく、「自己責任」を強調する声が一斉にあがりました。これは、被害者家族側の「権利」の要求を過大だと感じた人々が、それに対抗してバランスを取るために「責任」という言葉を強調した、ということなのだろうと思います。
彼らは、被害者の家族が、旅人の自己責任原則を忘れて、政府にすべての責任を押しつけているように感じたのだろうし、それはやがて、責任を自覚していない(と見受けられる)被害者とその家族に、謝罪を要求する動きへと発展していきました。
私は思うのですが、こうした流れは、イラク人質事件の被害者とその家族の言動、犯行グループの行動、政府の対応、当時の日本が置かれていた国際政治の状況、国内世論の動向など、さまざまな要素が複雑にからんで生まれてきたもので、国際的な誘拐事件すべてを同じパターンで理解することはできないはずです。
しかし、このとき生まれた「自己責任」論 ≒ 謝罪と何らかのペナルティを被害者に要求、というパターンは、一つの前例となって、その後なぜか一人歩きするようになってしまいました。
今では、似たような事件が起きるたびに、イラク人質事件の枠組みがそのまま当てはめられ、「自己責任」の名のもとに、海外での犯罪の被害者が国内でバッシングを受けるという奇妙な流れが出来上がってしまっているように思います。
一度固まってしまったこの傾向は、今後もしばらくは変わらないのかもしれません。
◆ 旅人の自己防衛策
今後、ビジネスマンやNGOのスタッフならともかく、バックパッカーが武装グループによる誘拐・拉致事件に巻き込まれれば、その背景や細かな事情がどうであれ、日本国内で「自己責任」という批判の大合唱になることは、まず間違いないでしょう。
だとすれば、旅人としては、どう自己防衛すればいいのでしょうか?
こうした事態を避けるためには、当たり前のことですが、とにかく事件に遭わないようにするしかありません。
海外安全情報のチェックは必須でしょう。また、現地でも最新情報の入手を怠らず、旅行者同士でマメに情報交換することも必要です。
「外務省 海外安全ホームページ」
こうした対策は、いったん習慣になってしまえばたいした手間ではありません。それを怠り、万が一事件に巻き込まれた場合のリスクを考えれば、情報収集のコストなど安いものです。
もちろん、いくら情報を集めたところで、100%の安全が保障されることはあり得ませんが……。
また、旅人は、ある土地に行くことで得られるメリットと、そこに行くことで起こり得るデメリットを比較し、旅の計画について事前によく考えてみる必要があるでしょう。
例えば、ユーラシア大陸横断ルートを旅しようとする人なら、パキスタンとイランを経由する南回りルートをとるかどうかについては、くれぐれも慎重に考えるべきです。
現地でトラブルに巻き込まれる危険があるのはもちろんですが、それ以上に、もしもバックパッカーが今回と同じ地域で事件に巻き込まれた場合、被害者が日本国内で受けるバッシングが、今回とは比較にならないくらい激しくなる可能性があるからです。
被害者は同情されないどころか、これまでの事件の教訓を学ばず、無茶な行動をして再び国に迷惑をかけた愚か者として、世論に吊るし上げられ、非難され続けることになりかねません。
ユーラシア大陸を陸路で旅するという「ロマン」は、果たしてそれだけのリスクと釣り合うものなのでしょうか? 私個人としては、今後少なくとも数年間は、日本人バックパッカーがこの南回りルートを通るのは危険すぎると思います。
では、万が一事件の当事者となってしまったら、どうすればいいのでしょうか?
先にも書いたように、個人旅行者はどんな事態に遭遇しようと、自らの責任で対応していくしかないのですが、政府も当事者として巻き込まれるような「特殊なケース」の場合、事態は個人が対応できるレベルを超えてしまいます。
そうしたケースでは、マスコミに報道されることをきっかけに、被害者やその家族が激しいバッシングを受けることになるかもしれません。
そうなったら、嵐の通り過ぎるのをひたすら待つしかないでしょう。
感情的な怒りのエネルギーは長続きしないものなので、バッシングが衰えるまでの間、息を潜めてじっと耐えるのです。「人の噂も七十五日」と言われるように、それは長くても数カ月で収まるはずです。
ただ、本人が長期間拘束された場合、解放されるまでの間は、家族や友人が政府・マスコミとの対応の矢面に立つことになります。
そのときには、取り乱して誰かに責任を転嫁したり、政府に何かを要求したりするようなことは絶対に避けてもらう必要があります。マスコミに取材されてもひたすら頭を下げ、感謝と謝罪だけをコメントするようにしなければなりません。
もちろん、いざという時になってからそれを頼むことはできないので、旅に出る前に、あらかじめ対策を話し合っておく必要があるかもしれません。
もっとも、そんなことを真面目に相談しようものなら、みんなに引き止められて、旅に出られなくなってしまいそうですが……。
こうした対策は、倫理とか道徳の問題というよりも、マスコミによるメディアスクラムや、世間の激しいバッシングの嵐から自分や家族・友人を守るための安全保障の問題なのです。
もちろん、海外に住んでいて、日本国内でいくら騒ぎになろうと気にならないという人や、日本国内でのバッシングをものともしないタフな精神の持ち主なら、こういうことで悩むことはないのでしょうが……。
◆ バックパッカー受難の時代?
それにしても、日本を遠く離れて辺境の地を旅するバックパッカーが、事件に巻き込まれた途端、日本のお茶の間の話題の中心に引きずり出されてしまうという構図には、いかにも現代的なものを感じます。
ただ、海外での誘拐事件の被害者が国内でバッシングされるという奇妙な状況が今後も続くようなら、旅人、特にバックパッカーの行動は萎縮してしまうでしょう。
例えば、今回の事件によって、イラン南東部への旅行は、治安状況にかかわらずタブーとなり、万が一の場合に日本国内で激しい非難を浴びる覚悟なしには旅することができなくなってしまいました。
これからも、似たような事件が起きるたびに、世界のあちこちに危険地域のレッテルが貼られ、バックパッカーが実質的に行くことを許されない場所が増えていくのではないでしょうか。
それは、旅好きの人間にとっては旅する自由を奪われることであり、とても辛いことです。
欧米の安全な国々を旅行して楽しめばいいではないか、と言われるかもしれませんが、管理がすみずみまで行き届いたそのような国は、確かに安全で快適かもしれませんが、正直なところ、バックパッカーの旅先としてあまり魅力的ではありません。
バックパッカーはむしろ、そういう安全で管理された場所から少しだけ出てみたいからこそ、旅をしているとも言えるからです。
それにしても、地球上のどこまで行っても、日本でバッシングされる可能性まで気にして行動しなければならないというのは、実に息苦しいものです。
辺境と呼ばれる地域に旅の醍醐味を見出している旅人、特に日本人バックパッカーにとって、今は受難の時代なのかもしれません……。
バックパッカーと「自己責任」 (1)
昨年10月にイラン南東部で誘拐され、その後8カ月にわたって武装グループに拘束されていた中村聡志さんが、6月14日に無事解放されました。
本人は帰国後、関西空港での記者会見に、日焼けした元気そうな姿を見せ、救出に尽力した関係者への感謝と謝罪を口にしました。
とにかく、事件が無事解決して一件落着というところですが、マスコミには彼の軽率な行動をとがめるようなコメントが出ているし、ネット上でも彼の行動を非難し、「自己責任」を問う声が飛び交っています。
そこには、「お気楽なバックパッカーが、よく調べもせずに危険なところに足を踏み入れて誘拐され、国に迷惑をかけた」というニュアンスが強く感じられます。
こうした「空気」は、2004年のイラク日本人人質事件以来おなじみのものです。
今回の事件が、イラクの人質事件のときのように、自衛隊の海外派遣といった国の政策を直接揺さぶるような性質はもっていないせいか、当時ほどの大騒ぎにはなっていませんが、私個人としては、旅人の「自己責任」を言い立てる方向へ世間の「空気」が固まっていくことについては、モヤモヤとしたものを感じます。
もちろん、彼を非難する人々の言葉にも一理あります。
事件の詳細な内容はまだ分かりませんが、彼が今回の旅にあたって充分な情報収集と安全対策を行わなかった可能性は高いし、この誘拐事件を解決するために、日本とイランを始めとする各国の関係者を煩わせたことは確かだからです。
しかし、「自己責任」の名のもとに、多くの人が同じような調子で彼個人を非難する風潮には、何か寒々としたものを感じるのです。
それは何よりもまず、私自身がバックパッカーで、いつ自分も彼と同じ立場に追い込まれるか分からないと痛切に感じているからです。
それに、こうした国際的な誘拐事件のいずれについても言えることですが、事件の経過やその報道のされ方をめぐって、個人と国や、個人とマスコミの関係を含めた、とてもややこしい問題が浮き彫りになっています。
彼一人に非難の矛先を向けたところで、問題の本質は何も変わらず、これからも同じような展開が繰り返されることになる気がします。
そこで、今回の事件についてというよりも、旅行者が海外で巻き込まれる可能性のあるこうした事件一般について、特に、「自己責任」という言葉の意味するところについて、旅人の立場から考えてみたいと思います。
◆ ユーラシア大陸横断ルートについて
ところで、今回の事件の舞台となったイラン南東部は、いわゆる「ユーラシア大陸横断ルート」、バックパッカーがインド・ヨーロッパ間を陸路で移動するための幹線ルート上に位置しています。
ベストセラーになった沢木耕太郎氏の旅行記『深夜特急』も、インド・ヨーロッパ間を陸路で移動する旅がテーマでした。
沢木氏が旅した1970年代の当時は、インド → パキスタン → アフガニスタン → イラン → トルコという陸上ルートが有名で、「ヒッピートレイル」と呼ばれていました。沢木氏も多くのバックパッカーやヒッピーたちと同様、そのルートを乗り合いバスで旅しています。
アフガニスタンが戦場になってしまった現在は、アフガニスタンを迂回し、南側のパキスタンからイランに抜ける(今回誘拐された日本人旅行者のルート)か、北側の、旧ソ連圏の中央アジア諸国を経由するルートがとられるようです。
20年前、30年前ならともかく、現在は格安の航空券が出回っているので、ユーラシア大陸を陸路で旅する合理的な必然性はありません。陸路だと時間がかかるうえに結局は空路よりもはるかに高くつき、危険や苦労のレベルもケタ違いです。
それでも、そこを陸路で旅してみたいという旅行者は大勢います。
事件当時、イラン南東部の危険情報は「渡航延期勧告」(退避勧告の手前)のレベルでしたが、その情報を知っていたかどうかにかかわらず、ある程度の危険を承知で、注意深くその地域を通過しようと試みていた個人旅行者はかなりいたはずです。
もちろんそれは日本人に限った話ではなく、欧米人のバックパッカーについても事情は同じです。実際に確認したわけではありませんが、事件後の今でも、陸路にこだわって同じルートを旅している各国のバックパッカーはかなりいるのではないかと思います。
◆ 旅人の自己責任についてシンプルに考えてみる
話を戻します。
まず、自己責任という言葉についてですが、法律論としては、それに対してさまざまな解釈があり得るようです。
ウィキペディア 「責任」の項
しかし、私は法律の専門家ではないし、こういう議論に深入りするとかえって分かりにくくなってしまいそうです。ここではあくまでも、旅人としての実感に基づくレベルで、できるだけシンプルに考えてみたいと思います。
どんな旅人にも、旅に出るにあたっては、もしものときの覚悟のようなものがあるはずです。
もちろん、それをどれだけ意識しているかは人によって違うでしょうが、それを一言でいうなら、「旅先で何が起こっても、その結果は自分自身で受け入れる」ということになるのではないかと思います。
旅人がトラブルに巻き込まれて被害を受けることはめずらしくないし、ときには生死に関わる事態に遭遇するかもしれません。しかしそんなとき、周囲に頼れるような親しい人はいないし、自分の意志で旅を始めた以上、起こったこと全てを誰かのせいにするわけにもいきません。
トラブルに遭遇したら、旅人は自分の力で問題を解決するべく最大限の努力をしなければならないし、たとえそれで不幸な結末を迎えたとしても、その結果は旅人自身が引き受けなければならないのです。
これは、本人の内面・外面におけるすべての被害について当てはまるだけでなく、家族や友人などの周囲の人々にかける迷惑や、経済的な損失などもすべて含むはずです。
そして、例えば山岳遭難者の救助の場合のように、事態収拾のために多くの人を巻き込むことになれば、それに要した莫大な費用の支払いもそこに含まれることになるでしょう。
ガイドブックには、こういう心構えについてはハッキリと書いていないので、旅行者もふだんは明確に意識していないかもしれませんが、あえて最悪のケースが起こった場合を想定して考えてみるなら、ほとんどの個人旅行者は、常識的には以上のような考え方に落ち着くのではないでしょうか。
実際、世界の各地では、旅行者が犯罪の被害者になったり、事故に遭ったり、遭難したり、行方不明になったりするケースは絶えず起きています。
こうした「通常のケース」(もちろん、当事者から見れば通常ではあり得ないのですが)のほとんどは、マスコミに報道されるまでには至りませんが、この場合、本人が保険に入っていて、それが適用できるようなケースでもない限り、第三者が救済の手を差し伸べてくれることはありません。
本人も周囲の人も、起きてしまった悲劇を自分たちだけで受け止めるしかないのです。
ただ、そうした事件がマスコミを通じて広く知られることもないので、事件の当事者をつかまえて、わざわざ「自己責任」だといって非難する人もほとんどいないはずです。
◆ 国やマスコミがかかわる「特殊なケース」
しかし、マスコミに取り上げられるような「特殊なケース」の場合には、先に述べた常識的な自己責任の考え方で簡単に割り切ることが難しくなってきます。
マスコミが関わるケースとしては、旅行者が海外の自然災害や大事故、突然の政変などに巻き込まれる場合や、旅行者が海外の武装グループに誘拐・拉致されて、政府が交渉の当事者として関わってくる場合などが考えられます。
前者の場合は、「自己責任」の議論が出てくることはまずないでしょう。自然災害や大事故、突然の政変は、基本的に予測不可能なものです。被害者が災難に遭ったことに同情する人は大勢いても、被害者がたまたま現地にいたことを非難する人はほとんどいないのではないでしょうか。
そこで、ここでは後者の場合について考えてみることにします。
イラクの人質事件にしても、今回の誘拐事件にしても、犯行グループは被害者個人から金品を奪うことを目的にしていたわけではなく、人質の存在を利用して、現地の政府や日本政府を交渉の当事者として巻き込むことが目的でした。
犯行グループはそれによって、人命と引き換えに、国家による「超法規的な措置」を引き出そうとしたのです。
政府が当事者になり、国家として何らかの対応を迫られると、事件は一気に公的な性質を帯び、マスコミにも大々的に報じられることになります。
しかしそうなった場合、事件の焦点は犯行グループと政府関係者との交渉に移り、被害者の存在は、両者の交渉を継続させるための担保に過ぎなくなってしまいます。いわば被害者は、事件の最初のきっかけとして利用されただけで、拘束されている被害者はもちろん、被害者の家族も、その後の事件のプロセスをコントロールすることはできないのです。
もしも、事件によって生じた損失や政府側の経費について、そのすべてを事件の発端となった被害者の「自己責任」とみなすなら、被害者は、政府関係者などさまざまな人々の決断・行動によって生じる結果までも含めた全責任を負わされてしまうことになります。
山岳遭難のような場合には、これまでの長い経験の積み重ねによって、遭難者サイドの経済的な負担の範囲がはっきりしています。しかしそのような自然相手の遭難事件と、国際的な誘拐事件のような、政府を巻き込んだ大がかりな事件とを同列に考えることはできないのではないでしょうか。
今回のような誘拐事件の場合、誘拐されるまでのプロセスを被害者が振り返り、自らの不注意を反省する必要はあるかもしれませんが、事件のそれ以降のプロセスについては、多数の人間の意図・決断・行動がからんでくるため、どこまでが被害者個人の責任なのか、はっきりと切り分けることができません。
そう考えると、事件を解決するために要した費用(の一部)を被害者に負担させるという議論には無理があると思うし、そもそも犯罪事件の被害者が、その解決費用を負担させられるというのは理不尽な気がします。
(続く)
記事 「バックパッカーと「自己責任」 (2)」
『マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
この本は、若くして大企業の重役に登りつめたアメリカ人が、途上国の子供たちに教育の機会を提供したいという情熱に取り憑かれ、キャリアも年収も手放してNPOを立ち上げ、それをわずか数年にして国際的なネットワークにまで成長させたというサクセスストーリーです。
マイクロソフトの重役として多忙な日々を送っていたジョン・ウッド氏は、久しぶりの長期休暇でトレッキングに訪れたネパールの山奥で、小学校の空っぽの図書室を目にして衝撃を受けます。
地元の先生たちの願いに打たれ、必ず本を持って再訪すると約束した彼は、子供向けの本の寄付を求めるメールを友人たちに送るのですが、それは予想外の反響を呼び、数千冊もの本が集まります。
一年後、仕事の合間を縫ってネパールに向かい、ロバの隊列を組んで約束の小学校まで本を届けた彼は、これまで経験したことのない大きな喜びを感じます。
これからも世界の貧しい村々に学校や図書館を建てる手助けをするために、彼は恋人と別れ、仕事も辞めて、まったく知らない世界に飛び込んでいく決意をするのでした……。
この本の前半、NPOを始めるきっかけを描いた部分は、ロマンチックでいかにもありがちな話に思えるかもしれません。実際、似たような「自分探し」の旅の果てに、ボランティア活動に生きがいを見出した人は、世界中に数え切れないほどいるはずです。
しかし、彼のユニークなところはその先です。
本気で世界を変えようという大志を抱き、厳しいビジネス界で培った考え方と方法を慈善活動の分野に持ち込み、それを強力に機能させるのです。
「NPO界のマイクロソフト」をめざすルーム・トゥ・リードは、慈善活動の新しいビジネスモデルとしても注目されている。主な方針は――?活動の成果や出費の内訳を詳細な数字で報告する。?人件費などの運営コストを抑え、実際の活動に最大限の投資をする。?地域社会も資金や労働力を提供し、住民が主役となってプロジェクトを定着させる。?地元の優秀なスタッフを集め、地元の文化に合わせたプロジェクトを育てる。
(訳者あとがき より)
人によっては、一見ビジネスライクに見えるこうしたやり方に違和感を感じるかもしれません。しかし、これまでの慈善活動が、ボランティアに対しても寄付者に対しても、宗教的で崇高な利他心を求めがちであったことを考えると、そうした心理的な敷居を取り払い、ビジネスの世界になじんだ人々が違和感なく受け入れられるようなシステムを整えたことは画期的だと思います。
ウッド氏は時代の流れをいち早くとらえ、インターネットのようにローコストで人々を結びつけるテクノロジーを巧みに利用しながら、世界を変えるために今すぐ何かをしたいと思う人々と、自らの力で立ち上がるためのささやかな支えを必要とする人々とを結びつける、グローバルな新しい仕組みを生み出したのだと思います。
この本を読んでいると、子供のようにシンプルな情熱と、それを実現させるためのしたたかな行動力が噛み合ったとき、それは確かに世界を変えていくのだという、ポジティブで力強いメッセージが伝わってきます。
ゆっくり着実に進むことが本当に重要なときもある。でも、よりよい世界をつくるためにやるべきことがあるときは、障害を気にしてばかりいてもいけない。許可を求める必要もない。とにかく飛び込むのだ。否定的な意見にやる気を奪われる前に。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
一般市民になった王様
その邸宅は、もともと王家が所有していたもので、王制廃止によって現在は国の所有となっているそうです。王宮を出ると元国王には住む家がないので、そこが当面の仮住まいとして政府に認められたのだそうです。
王様の特権を奪われて一般市民になったとはいえ、ギャネンドラ元国王は今でも相当な財産をもつ大富豪らしいので、とりあえず額に汗して働く必要はないだろうし、むしろネパールのビジネス界では、今後も相当な影響力を保ち続けるのではないでしょうか。
それに、ヒンドゥー教に基づくカースト制度の残っているネパールでは、元国王が単なる庶民として扱われることにはならないでしょう。共和制になってもしばらくの間は、見えない階級制度が人々の思考と行動に強い影響を与え続けるはずです。
それはともかく、興味深いのは、権力の座を追われた王様が、ネパールから亡命することもなく、一市民としてカトマンズで暮らすという、何だか気の抜けるような平和な決着の仕方です。
王様に限らず、普通どんな国でも、革命やクーデターによって権力を失った人物は、生命の危険を感じて国外に脱出するものです。今回のネパールのように、国民による選挙にもとづいて王制が廃止され、一市民となった元国王がそのまま近所に住むというのは非常に珍しいのではないでしょうか。
もっとも、元国王は国民的な人気とはほど遠い人物だったようだし、彼の政治的な権力は、2006年4月のいわゆる「四月革命」で既に失われ、それ以来、王制の廃止は時間の問題でした。そして、先日の選挙でも王制廃止という国民の意思が改めて示されました。
元国王が国内に暮らしていられるということは、彼が今さら何をしようと誰も政治的な脅威を感じないほど、国王という存在はすでに完全に権威を失い、無力になってしまったということなのかもしれません。
ネパール国民の関心はもう、王様のことよりも、今後の新憲法制定と政権運営をめぐる各党の駆け引きの方に移っているのでしょう。
それにしても、元国王は、これからどんな新生活を始めるのでしょうか?
一般人としての生活しか知らない私たちに、元国王の現在の胸中を知るすべはありませんが、彼には、かつての権力の思い出にふけるのではなく、ぜひ新しい生活の方にも目を向けていただきたいと思います。
一般市民のシンプルで気楽な暮らしや、ささやかな自由というものを味わったら、こんな世界もあったのかと、意外と気に入ってもらえるなんてこともあるかもしれません……。
オランウータン・トレッキング
最北端のバンダアチェからメダンまで山間部を縦断するルート上に、ブランケジェレンという小さな町があります。
そこから幹線道路を外れ、クダーという村まで行き、山裾を登ったジャングルの入口に、バックパッカー向けのバンガローがありました。
以前にこのブログに書いたとおり、当時そのバンガローの付近には、半野性のオランウータンの子どもが棲みついていて、気が向くと宿泊客とも遊んでくれたりしていました。
記事 「半野生のオランウータン」
しかし、私はせっかくの機会なので、そこでガイドを雇い、森に棲む野性のオランウータンも見に行ってみることにしたのです。
宿で毛布を借り、最低限の荷物だけをデイパックに詰めると、昼飯を食べてからガイドのH氏の案内でジャングルに分け入りました。ジャングルの中は湿っぽく、地面はぬかるんでいますが、標高が高いので、それほど蒸し暑く感じることはありません。
途中、数年前までスマトラ・タイガーが棲んでいたという「虎の穴」なども教えてもらいながら、1時間ほどの簡単な登りで、見晴らしのいい場所にある、タバコ・ハットと呼ばれる掘っ立て小屋に到着しました。
記事 「スマトラの虎の穴」
ガイド氏はさっそく湯を沸かし、お茶を淹れてくれたり、パイナップルを切って出してくれたりと、なかなかのサービスぶりです。しかし、お茶を飲んでしまうと、その日はもう、特にすることもありません。
掘っ立て小屋の床に座り、ボケーッと眼下を見下ろします。周囲には、焼畑をしてタバコや野菜を栽培する開拓農家が数軒あるようで、森を切り開いた畑がすぐ近くまで迫ってきているのが見えます。遠くの方には働く人の姿もチラホラと見えます。
そのため、完全に自然の中に分け入ったという感じはしないのですが、後ろを振り返れば、その先にはオランウータンの棲むスマトラのジャングルが広がっているばかりです。つまり、今自分たちがいるこの掘っ立て小屋が、人間の文明の最前線ということになるのです。
夕方になると、ガイド氏が食事を用意してくれました。しかしこれが、とんでもない代物でした。
インスタントラーメンに野菜と香辛料とスープの素を放り込んでグツグツと煮たものをおかずにご飯を食べるのですが、ふつうの材料しか使っていないはずなのに、これがとにかく奇想天外な味で、しかもやたらとしょっぱいのです。
ドラえもんに出てくる「ジャイアンシチュー」を思い出しました。
しかし、もはやそれを食べる以外の選択肢はありません。せっかく作ってくれた夕食に文句を言うのもはばかられ、私はご飯と水で味を薄めながら、そのスープをなんとか胃袋に流し込み、完食しました。
夕食を食べ終わり、あたりが暗くなってくると、ガイド氏はすぐに毛布にくるまって眠ってしまいました。電気はおろか、ランプもないこんな場所では、他にすることもないので、私も寝ることにしたのですが、さすがになかなか寝つけませんでした。
固い床にそのまま横になっているので、寝心地が悪かったということもあるし、蚊が次々に襲ってきたこともあります。夕食のジャイアンシチューの刺激が強すぎて、胃がビックリしてしまったという可能性もあります。
しかしもしかすると、最大の原因は、その日に虎の穴を見せられたことで、この周辺のジャングルに巨大な虎が潜んでいるという考えが、頭から離れなかったせいなのかもしれません……。
翌朝――。
事前に聞いていた話によれば、朝になると、この小屋の周囲のジャングルから、数え切れないほどのサルが鳴き交わす声が響いてくるとのことでしたが、その日は残念ながらその声を聞くことはできませんでした。
ガイド氏は、火を起こして朝食を作ってくれます。
メニューは、……昨日と全く同じ味つけのジャイアンシチューでした。
なんとか完食し、食後、ガイド氏に導かれ、小屋の右手の谷に下りて、3時間ほどジャングルの中を歩きました。
ふとガイドが立ち止まり、頭上を指差します。目をこらしてその先をよく見ると、樹上30メートルほどのところに、2匹のオランウータンが見えました。つがいのようです。
ガイド氏がオランウータンの声マネをすると、オスの方がこちらを向きました。遠くから見ても、かなり体が大きそうなのが分かります。顔つきは精悍な感じがしましたが、同時に、全体的にどことなくユーモラスでおっとりとした感じも漂わせています。
私たちもオランウータンもほとんど身動きせずに、そこでしばらくじっと見つめ合っていました。オランウータンの方は、特に人間を恐れているという風には見えませんでしたが、それにしても、人里に近いこんなところで、こんなに簡単に野性のオランウータンが見れてしまうというのは驚きでした。
とにかくこれで、このミニ・トレッキングの目的は達せられたわけです。
いったんタバコ・ハットに戻ってから、昼過ぎに山を下り、バンガローまで辿り着いたところで雨が降り出しました。運よく雨に濡れずに済んでホッとしましたが、宿の人は全員どこかに出かけてしまったらしく、部屋に入ることができません。
雨宿りしながら、しばらく外でボーッと待っていると、ガイド氏が、
「腹減ってないか? 昼飯を作ってやろうか?」
無事に宿に着いた時点で、もう彼のガイドとしての仕事は終わっていたし、私は必死に辞退したのですが、ガイド氏は特別サービスで、またジャイアンシチューを作ってくれました。
申し訳ないとは思いましたが、さすがにこのときばかりは、完食することができませんでした……。
『無境界の人』
これは、世界の「カシノ」を舞台に、自らの才覚だけを頼りに生きるギャンブラーたちの物語です。
オーストラリアを拠点に世界中の賭場を攻める主人公の「わたし」は、23年もの間「常打ち賭人」として生き延びてきた筋金入りのギャンブラーです。
ある日「わたし」は、ゴールドコーストでひとりのヤクザと出会い、以来何度もカシノで顔を合わせるようになります。二人は親しくなり、やがて「わたし」は彼に「牌九(パイガオ)」を教えることになるのですが……。
このストーリーが、森巣氏自身の体験に基づく事実なのか、それともフィクションなのかはよく分かりませんが、その辺はあまり詮索せず、純粋なエンターテインメントとして楽しめばそれでいいのかもしれません。
森巣氏は博奕のことを、暴力を介在させない「合意の略奪闘争」だといいます。そんな世界を生き抜いてきただけあって、物語の随所で語られる彼の博奕の哲学は、シンプルでウィットに富んでいながら、どこか凄みを感じさせます。
ストーリー展開の方もシンプルなのですが、ギャンブラーの心理描写、特に「チャーリー・ディックスの法則」を応用して大勝負を挑む場面の描写にはリアリティと迫力があって、ギャンブルに詳しくない私でも充分楽しめました。
ところで森巣氏は、この本の中で、日本国内で数多く流通する「日本人論」や「日本文化論」というものを、手厳しく批判しています。こうした議論の前提となっている「日本」あるいは「日本人」というものを突き詰めていくと、そのような実体はどこにも存在しないからです。
彼は、私たちが日々体験している現実そのものから目を背け、想像の中の、虚構にすぎない日本人像にしがみついているような人々を、痛烈にこき下ろすのです。
たしかに、その議論の仕方はぶっきら棒で脱線気味だし、アマゾンの書評で指摘されているように、ツッコミどころもいくつかあります。
しかし、ギャンブルの話と同様、そこには、長年にわたって世界各地を旅し、「無境界」の世界で生きてきたアウトサイダーならではの強烈なメッセージが込められているように思うのです。
1970年代に日本を飛び出し、「二十代のある一時期から、生き方の範囲を自らに限定しないことを唯一の信条として生きてきた」森巣氏にとっては、国家という、近代の産物に過ぎない枠組みに縛られて生きることが窮屈でならないのだろうし、そういう枠に進んで自らを押し込めようとする人たちが不思議でならないのでしょう。
森巣氏の生き方を真似ることはちょっと無理にしても、この本をきっかけに、日本とは何か、日本人とは何なのか、改めて考えてみるのも悪くないかもしれません……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
厚生労働省の統計によれば、いま、大学卒の新入社員のうち、3人に1人が3年以内に会社を辞めているそうです。
世間には、これをわがままで忍耐力のない若者のせいだとする見方は多いし、確かにある程度は、若者にもそうした傾向があるのかもしれません。
しかし、果たしてそれだけが理由なのでしょうか?
就職し、日本の企業の実態を始めて内側から眺めた若者は、その硬直した組織のあり方に、耐えがたい閉塞感を感じるからなのではないでしょうか。
企業の人事制度に詳しい城繁幸氏は、この本で、若者たちを覆っているこの「閉塞感の正体」を、年功序列という制度を切り口に解き明かしてくれます。
年功序列制度の本質は、「若い頃の頑張りに対する報酬を将来の出世で支払う」という点にあります。いわば先憂後楽のシステムです。若い社員は滅私奉公で会社に尽くすことを要求されるのですが、その頑張りは、中高年になってから、高い賃金や退職金、権限のあるポストという形で報われることになります。
しかし、城氏によれば、今の若者たちが身を粉にして会社に尽くしたとしても、彼らの半数以上は将来その見返りを得ることはなく、「働き損」のまま終わる可能性が高いというのです。
バブル崩壊によって年功序列制度はすでに崩壊し、現在では多くの企業が成果主義的な人事制度に移行したとよく言われますが、実際の状況はそう簡単ではありません。
現在日本で導入されている成果主義のほとんどは、実は年功序列制度を延命させるためのものなのです。それはイメージされるような欧米流の実力主義とはほど遠く、若手と中堅社員の総人件費を下げることで、中高年社員の高賃金を維持する仕組みでしかありません。
身も蓋もない言い方をすれば、年功序列制度が崩壊しているのは30代より下の若手の社員だけで、彼らはその上の逃げ切り世代の中高年を支えるために、将来報われることのない過重な労働を強いられているのです。
城氏は、年功序列制度のそんな現状を、「ねずみ講」だとまで言い切ります。
年功序列制度は、右肩上がりの経済成長が続き、組織が拡大し続けることを前提としたシステムです。それは、そうした特殊な社会的条件のもとでのみ成り立つもので、いったんその前提が崩れると、若い世代を縛りつける恐るべき重荷になってしまうのです。
もちろん、年功序列制度が、1980年代までの日本社会の繁栄に多大な貢献をしてきたことは確かです。欧米の先進国にフルスピードで追いつくという点では、実に効率的なシステムだったのでしょう。しかし、それがうまくいきすぎたことが、逆に現在の災いになっているような気がします。
日本の場合、企業に限らず、学校教育を含めた社会全体のシステムが、年功序列を前提として完璧に組織化されてしまい、それが「昭和的価値観」として人々の心にがっちりと根づいてしまったために、いざそれが機能しなくなり、大きな問題を引き起こしていても、長年そのシステムの中で生きてきた人には、どこから手をつけたらいいのか分からず、途方に暮れてしまうのではないでしょうか。
やっかいなのは、企業だけでなく、役所、組合、政党、マスメディアも同じ「昭和的価値観」にどっぷりと浸かり切っているため、若者は、自らを救うために、そうした組織をあてにはできないということです。
では、若い世代はどうすればいいのでしょうか?
この本は、日本の年功序列社会の現状を示すことが目的で、問題の解決策を示すものではないのですが、それでも城氏は若者に対して、まず年長者が押しつけてくる「昭和的価値観」から自由になり、自分たちの置かれた現状を見つめること、そして働く動機を自ら問い直し、主体的な行動を起こすように勧めています。
それにしても、若い人がこの本を読んだら愕然とするだろうし、これまで問題の解決を先送りにし、次世代に負担を押しつけてきた年長者世代に対しては怒りを感じるのではないでしょうか。
しかしもちろん、この本の趣旨は、別に世代間の闘争を煽ろうというものではないはずです。
若者がただ黙って古いやり方に従うのをやめ、声を上げるのは大事なことですが、誰かに感情的な怒りをぶつけるだけでは問題は解決しないし、限られたパイの取り分を世代間で奪い合ったとしても、かつての高度成長時代のようなバラ色の幻想がよみがえるわけではありません。
必要なのは、自分の行く末を組織や他人任せにせず、自ら真剣に考え、リスクを覚悟した上で、自分にとって最もふさわしい生き方を模索していくことなのではないでしょうか。
城繁幸著 『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか ― アウトサイダーの時代』 の紹介記事
堀井憲一郎著 『若者殺しの時代』 の紹介記事
上田紀行著 『日本型システムの終焉』 の紹介記事
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします