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バンコクの郵便局で

タイを旅していたときのことです。

たしか、バンコクのGPO(中央郵便局)に行ったときのこと、私はそこで局留めの手紙を受け取り、ついでに書き終えた絵ハガキをまとめて投函するつもりでした。

局留めなんて、古い話で恐縮ですが、Eメールやネットカフェという便利なものがまだ旅人のあいだに普及していなかった時代には、日本の家族や友人知人、あるいは旅人同士での連絡手段は、国際電話か局留めの郵便くらいしかありませんでした。

当時の国際電話は、とにかく高かったし、旅人の方から日本に向けて一方的に電話することはできても、その逆は難しく、高級ホテルに泊まっているのでもない限り、日本側から旅人へ電話をすることなど不可能でした。

しかし郵便なら、局留めという方法を使えば、その問題をカバーすることができます。

かなり面倒ではありますが、旅人が数カ月先までの行き先を決めておき、立ち寄り先の国のGPOなどに日本から局留め郵便を出してもらうようにすれば、旅先で手紙を受け取ることができるのです。

旅人は指定しておいた郵便局に出向いて、アルファベット順に仕分けされた郵便物の束の中から自分宛の手紙を探し出し、パスポート提示と、(場合によっては)若干の手数料と引き換えに手紙を受け取ります。

ただし、日本の友人知人には、あらかじめその「局留めのアドレス」を伝えておかなければならないし、数カ国を旅するなら、そのつど、局留めの場所を変えていかなければなりません。

また、郵便局が手紙を預かってくれる期間にも限度があり、たいていは数カ月程度しか保管してくれないので、あまりモタモタと旅していると、手紙を受け取りそこないます。

それに、国によっては郵便局側の管理がいいかげんで、きちんと仕分けされているはずの手紙がどこかに紛れ込んでしまったり、消えてしまうこともあり得ます。

しかしまあ、そんなこんなでいろいろと苦労をしながら、往復で何カ月もかけて手紙をやり取りするというのも、ある意味では旅の魅力の一つだったのかもしれません。

それ以外に通信の方法がなかったからこそ、みんなこの面倒なやり方に黙って従っていたというのもありますが、ひと昔前の旅人たちには、こういう国際的なお役所仕事を利用した、気の長い遊びを楽しめるだけの心の余裕みたいなものがあったのでしょう。仮に途中で手紙が紛失してしまっても、それもまたいい経験だと、文句もいわずにガマンしたものです。

Eメールの登場によって、旅人には安価で確実な通信手段が手に入りましたが、逆に、今となってはもう、日本の忙しい友人知人は、局留めのような時代遅れの悠長な遊びには乗ってくれないのではないでしょうか。

話がずいぶんと脱線してしまいました。タイの郵便局での話です。

局留めの手紙を受け取ったあと、ついでに絵ハガキを何枚か出そうと思い、郵便局のカウンターで切手を買って、その場で貼ろうとしたのですが、水をつけるスポンジが置いてありません。

といっても、こんなことはアジアの国々なら日常茶飯事です。私は別に気にすることもなく、そのまま切手の裏をペロッとなめて、切手をハガキに貼りつけました。

すると、カウンターの向こうにいた郵便局員が、黙ってスポンジ台をスッと差し出してくれました。

さすが、タイ人は気が利くなあ……。

いつにない心くばりに、私はちょっと感動してしまいました。

しかし、何か心にひっかかるものがあります。

細かいことにアバウトで、しかも公務員であるタイ人が、切手を買っただけの通りすがりの外国人にそんなに細やかに気を利かすものでしょうか? 

こんな言い方をすると、タイ人に対して失礼なのかもしれませんが、別にこれはタイに限ったことではないのです。今までの旅先での経験からいって、こういう状況で、しかもお役所で、細やかな気配りなど期待できないことは明らかでした。

そこでハッと気がつきました。

それまで何の注意も払わずにいたのですが、切手に描かれていたのは国王陛下の肖像だったのです。

郵便局員は、私への心遣いからスポンジ台を出したのではなく、私のあまりに不敬な態度にあきれて、無言でたしなめたのではないでしょうか。たぶん、他のデザインの切手だったら、いくらペロペロなめていても、スポンジ台が出てくることはなかったのでしょう。

郵便局員が何も語らなかったので、真相はわかりませんが……。

私は神妙な気持ちで残りの切手をスポンジの水に浸し、ハガキに貼って局員に手渡しました。

もちろん、タイ人といってもいろいろな人がいるので、このエピソードを勝手に一般化して、タイ人のすべてがこういうささいな行為を見とがめるとは言えないでしょう。

ただ、切手に描かれた国王の肖像をも尊重し、敏感に反応するところには、心から国王を敬愛するタイ人の気持ちがにじみ出ているような気がしたし、同時に、自分が今、異国の地にいるんだというしみじみとした実感がありました。

まあ、こういう失敗は、外国人なら誰でもすることではあるし、さすがに切手をなめたくらいで不敬罪に問われることはないと思いますが、タイにいる間は、タイ国民の国王陛下に対する敬愛の気持ちを傷つけないよう、皆様もお気をつけください……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 18:51, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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おかげさまで500記事

前回の記事で、このブログの記事数が500に達しました。

今までこのブログを読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。

当初は、バックパッカー的な旅を中心テーマとしつつ、旅についていろいろと考え、書いてみるつもりだったのですが、やはり、なかなかネタが見つからず、気の利いたことも書けなくて、気がつけばほとんどが読んだ本の紹介記事になっていました。

まあ、自分一人の頭の中で作り上げた、独断と偏見に満ちた「旅論」を、まるで牢名主のようにえんえんと語りつづけるよりは、優れた作家の書いた旅の本を紹介する方が、ずっとましだろうとは思いますが……。

旅に関する本は、それこそ数え切れないほど出版されているので、それを片っ端から読んで紹介していけば、理屈としては、このブログのネタには困らないということになるのですが、旅の本ばかり読んでいると、実際の旅と同様、さすがに好奇心が次第にすり切れてくるというか、感動が薄れてきます。

そういう状態で、ブログのネタのために無理に本を読むということはしたくないので、今後は自分の好奇心や感動の度合いを確かめながら、読みたい本をゆっくりと時間をかけて読みたいと思います。

また、ブログの内容がやや拡散してしまうかもしれませんが、「旅」というテーマにもあまりこだわらず、もう少し自由に、いろいろなことを調べ、考えて、書きたいことを書くように心がけたいと思います。

もっとも、その心がけに結果が伴うかどうかは、やってみないと全くわかりませんが……。

というわけで、これからいろいろと試行錯誤が続きそうで、記事を書くペースが落ちると思いますが、今後とも、このブログをどうぞよろしくお願いいたします。


JUGEMテーマ:日記・一般 

at 18:15, 浪人, 感謝

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ポカラのチベット難民

ネパールの観光地ポカラは、バックパッカーの「沈没地」としても有名です。

湖水に映る美しいヒマラヤの眺めと、穏やかで過ごしやすい気候、静かでのんびりとした街の雰囲気、安いゲストハウス、おいしい各国料理など、沈没系バックパッカーには美味しすぎる条件がそろっていて、そのあまりの居心地のよさに、つい長居してしまう旅人が多いのです。

特に、暑くて騒々しいインドからやってきた旅人にとって、そこはまるで天国のように見えるようです。

それでも、あえてポカラの欠点を探してみるなら、その一つとして考えられるのは、ポカラ名物のパワフルな物売りのオバサンたちに、みやげ物を買うように迫られることかもしれません。

彼女たちはチベットからの難民で、売り歩いているのは、チベット密教テイストのアクセサリー類です。オバサンたちが背負っているデイパックの中には、そんな商品がギッシリと詰め込まれており、ホテルの中庭だろうが、食堂の中だろうが、道端だろうが、人の良さそうな旅人をつかまえては、その場で売り物がズラリと広げられ、「商談」が始まるのです。

オバサンたちは、決して買うことを強制するわけではありませんが、客がその日に何も買わなくても、また次の日に道端で会えば、同じことが繰り返されます。アクセサリーを売り歩くことは、難民キャンプに生きる彼女らとその家族の生活を支える手段であり、みんな必死なのです。

そのことを知っていて、チベタン(チベット人)に同情的な旅人はもちろん、オバサンたちの熱意に根負けした旅人も、何か一つくらいは買ってあげてもいいかな、という気持ちになるのですが、オバサンたちもなかなかしたたかで商売上手、提示する言い値は決して安くはないのです。

もっとも、それはインドやベトナムの物売りのしつこさとは比較にならないほど穏やかなものだし、値段も結局は交渉次第、場合によっては物々交換も可能です。そうした物売りのあしらいに慣れている旅人なら、何も恐れる必要などないでしょう。

ちなみにオバサンたちは、客のいないときにはみんなで木陰に座り込んで、おしゃべりをしながらミサンガや、ちょっとした小物づくりに精を出しています。

何かを買った客には、おまけ(?)としてそのミサンガをくれるのですが、それを手首につけて歩いていると、他のチベタンの物売りは声をかけてこないか、あるいはそれを見せて、もう別の人から買ったと告げれば、素直に引き下がってくれます。

つまりこれは、すでにチベット難民の誰かからおみやげを買ったという「領収書」代わりになっていて、ポカラの街をオバサンたちにつかまらずに自由に歩ける一種の通行証というか、関所手形みたいな機能を果たしているわけです。

私がかつてネパールを旅していたときには、ポカラにかなり長居したので、さすがにオバサンたちを避け続けるわけにもいきませんでした。

その中の一人からおみやげを買ったのをきっかけに、ポカラのダムサイド・エリアを巡回するチベタンの物売り全員と顔見知りになり、結局はすべてのオバサンからアクセサリーを一つずつ買う羽目になってしまいました。

しかし、私はそのことで、優良顧客として認定されたようです。その後、あるオバサンの一家に、難民キャンプまで食事に招待されたこともありました。

もっとも、食事の後には、例によってテーブルの上に商品がズラリと並べられるので、これはまあ、「お食事つき商談会」みたいなものだったのですが……。

それでも、オバサンたちと少しずつ親しくなり、バター茶をもらったり、互いにカタコトの英語で話をしたりしているうちに、彼らチベット難民の背景や、現在の暮らしぶりについて、私も少しずつ知るようになりました。

彼らは、(ポカラの難民キャンプの全員がそうなのかは分かりませんが)、西チベットから数十年前に脱出してきた人々らしく、オバサンの一人は、かつて自分たちはカイラス山(カン・リンポチェ)の近くに住んでいたのだと言っていました。

それを聞いて、彼らがポカラにいる理由がわかったような気がしました。

ポカラからはマチャプチャレを始めとするヒマラヤの山々を望むことができるし、ペワ湖という湖もあります。それが、聖地カイラス山とマナサロワール湖(マパム・ユムツォ)などの湖のある、美しい西チベットの故郷を思い出させるのではないでしょうか。

しかし、彼らはもうすでに何十年もの間、難民キャンプで暮らしているのです。

彼らは、いつになったらチベットに戻ることができるのでしょう?

私は当時、チベット問題について詳しく知っていたわけではありませんが、その問題が、近いうちに解決するような生易しいものではないことぐらいは承知していました。

チベット難民の人々は、タテマエとしては、いつか故郷へ戻れる日がくるまで諦めないと言っていましたが、実際のところ、もしかするともう故郷には帰れないのではないかと、半ば覚悟しているようにも見えました。

それに、亡命から数十年が過ぎ、当時子供だった難民も中年となり、すでに二世、三世もいます。子供たちは故郷を一度も見たことがなく、難民キャンプでの生活しか知りません。その一方で、かつて彼らが住んでいた西チベットには、漢民族の入植が進められているし、現地に踏みとどまったチベット人たちも生活の基盤をしっかりと固めています。

仮に今すぐチベット問題が解決したとしても、難民が自分たちの故郷に再び居場所を見つけるのはとても難しいだろうし、チベット高原での厳しい暮らしに適応するための能力や生活文化も、今や失われつつあるのではないでしょうか。

かといって、故郷に戻ることを断念し、新天地を求めて欧米やアジアの国々に移住することも、それが可能かどうかは別として、とても辛い選択にならざるを得ないでしょう。

彼らは、チベットに戻ることも、難民であることをやめることもできないまま、数十年ものあいだ、宙ぶらりんの状態で難民キャンプに暮らし続けています。それは、物質的な欠乏以上に、精神的にも非常に苦しいことだと思います。

彼らはこれからどうなるのでしょうか。そして、彼らの子供たちは、自分のアイデンティティをどこに求め、どう生きていくのでしょうか。私は、チベット難民の置かれた状況を思うと、とても重苦しい気持ちになりました。

それでも、オバサンたちは、毎日たくましく、したたかにみやげ物を売り歩いています。その元気な姿を見ていると、大丈夫、きっと彼らは必ずどこかに生きる道を見出していくはずだ、という気もしてくるのですが……。

今年の春、チベット各地で起きた騒乱や、北京オリンピック聖火リレーでの国際的な騒動など、チベットをめぐる問題がマスメディアで報じられるたびに、私はポカラの難民キャンプのオバサンたちや、その家族のことを思い出していました。

オリンピックが終わった今、チベットへの国際的な関心は薄らぎ、チベット人の居場所をめぐる切実な問題には何の解決ももたらされないまま、時間だけが虚しく過ぎていこうとしています。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:00, 浪人, 地上の旅〜インド・南アジア

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ネタを生み出す人、紹介する人、コメントする人

これは、もうすでに多くの人が指摘していることですが、最近の日本のテレビは、どのチャンネルでもバラエティ番組の割合が非常に高くなっています。

番組スタッフが取材したVTRや、視聴者からの投稿などをネタにして、スタジオに集まった何人ものタレントがそれにコメントしたり、軽妙なやりとりをしたりするのですが、ヒマな時間を何となく楽しい気分で過ごせるという点では、どの番組もとてもよくできていて、私の場合、気がつくとそんな番組を何時間も見ていたりします。

ただ、番組を見ながら時々ぼんやりと思うのは、これだけの番組を制作するスタッフは、やっぱりいろいろと大変なんだろうな、ということです。

あちこちで資料を探してネタの下調べをしたり、海外や国内各地に足を運んで取材・撮影をしたり、スタジオに多数のゲストを呼んで手際よく収録を行ったり、さらにそれを編集してうまく番組としてまとめたりと、限られた時間と予算の中で、さまざまな専門家が途方もない手間をかけて、最終的に一つの番組という形に仕上げているのだろうと思います。

しかし、また一方で思うのは、番組制作を縁の下で支えているそうした多くの専門スタッフよりも、スタジオでネタを紹介するフリーの司会者や、それに気の利いたコメントをして周囲を笑わせるタレントの方が、きっと、ずっと高い収入を得ているんだろうな、ということです。

まあ、彼らそれぞれの収入がいくらなのか私は知らないので、あくまで、そういう気がするというだけなのですが……。

もちろん、司会者やタレントが、ただ楽をしてそこにいるわけではないことは重々承知しています。「スタジオ入りするタレント」という資格を得るのは、並大抵のことではないでしょう。

みな、他の分野で優れた業績をあげて国民的な知名度を得たり、エンターテイナーとしての長い下積みの苦労をするなど、「選ばれし者」になるための難関を乗り越えてきた人たちばかりなのです。

ただ、そうした事情を考慮したとしても、やはり、番組制作全体の構造としては、ネタそのものを生み出したり、面白いものを発掘してくるスタッフよりも、それをスタジオで紹介したりコメントを発する人たちに、つまり、ネタとしての情報と、テレビの前で番組を見ている人との間を「仲介」する役割の人たちに、スポットライトが当たっているのは確かです。

私は、これは今の世の中の縮図であるような気がします。

ただし、私はそれに不満だというわけではありません。むしろ、世の中とはそういうものなんだな、としみじみと思うだけです。

テレビを見ている多くの人にとって、バラエティ番組で紹介されるようなネタ(情報)は、ネタそのものに意味があるというよりは、それがスタジオでうまく料理され、楽しさや笑いと結びつけられるというプロセスを経ることで、初めて意味をもってくるのかもしれません。

遠い世界の話や、目新しすぎてよく分からない話題も、とりあえず身近な知人や友人からの話なら、ちょっと聞いてみようかという気持ちになるだろうし、日常会話のようなくだけた雰囲気で伝わる情報なら、本や新聞を読むよりもずっと抵抗がなく、理解もしやすいのではないでしょうか。

スタジオの司会者やタレントたちは、まさにプロフェッショナルとして、そうした情報加工の役割を果たしているわけで、ネタとしての新奇な情報を、大勢の視聴者の日常レベルの現実に結びつけるという、非常に重要な仕事をしているのだと思います。

テレビのように、情報を数百万、数千万の人々に一度に伝えていくためには、それはどうしても必要なプロセスなのでしょう。

それは、テレビを放映する側にとっても、それを見る側にとっても、非常に重要で、しかも目立つ仕事なので、そのプロセスを受け持つ人にはどうしても人々の注意や関心が集まるし、当然それなりの待遇を受けるということなのだと思います。

そして、ここ数年で爆発的に普及しつつあるブログも、同じような情報加工・仲介のプロセスを、テレビとは違う形で果たしているのかな、という気がします。

現代の世界では、何か面白いことが見つかったり、驚くような事件が起きると、それがまずニュースという形で紹介されますが、ブログはその次の役割、つまり、新奇なネタを周囲の身近な人びとに仲介する機能を果たしているように思えるのです。

もちろん、ブログといってもさまざまで、実際にはネタそのものを生み出す創造的なブログもあれば、そうしたネタを探し出し、真っ先に世界に向けて発信するニュース的なブログもあるはずです。それでも、やはり圧倒的に多いのは、すでに発信されたニュースやネタを紹介し、それに自分なりのささやかなコメントを付け加える仲介的なブログなのではないでしょうか。

それは、考えてみれば当然のことなのかもしれません。自分のことを棚に上げて言うなら、やはり苦労して貴重なネタを生み出したり、それを真っ先に正確な形で伝えるよりも、誰かがすでに書いたことを紹介したり、世間で注目を集めているニュースについて自分なりのコメントを書く方が、ずっと楽だからです。

ただ、だからといって、そうしたブログに情報の流通上、全く意味がないかというとむしろ逆で、そうした多数の仲介的・コメント的ブログは、バラエティ番組の司会者やタレントの気のきいたコメントと同じように、非常に重要な役割を果たしているのではないでしょうか。

だとしたら、ブログの生み出す世界にも、テレビのバラエティ番組のように、大いに人々の興味や関心が向けられてもよさそうなものですが、残念ながら今のところ、ブログの書き手が、テレビ出演者のような「選ばれし者」としての栄光を味わうことはほとんどないようです。

それはきっと、ごく少数の超人気ブロガー(兼テレビタレント)を除けば、ブログ界に当たるスポットライトが、数え切れないほどのブロガーの間で拡散してしまい、一人一人の書き手には、ごくごく微弱な光しか届かないからなのでしょう……。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 19:13, 浪人, テレビの旅

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旅の名言 「旅先では……」

 放浪の旅はたんに人生の一部を長期間の旅に当てることではなく、時間という概念そのものを再発見することなのだ。日常の生活においては、われわれはつねに要点を把握して物事を片づけるよう習慣づけられている。目的を念頭に置きつつ効率を重んじ、瞬時に判断を下していかなければならない。でも旅先では、先々のスケジュールを気にすることなく、目にするものすべてにまた新しい目を向け、一日、一日を自由に過ごすことを学ぶことになる。

『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事

またまた、放浪の旅へのガイドブック、『旅に出ろ!』からの名言です。

やや抽象的な表現なので、この文章にピンとこない方もおられるかもしれませんが、ある程度長い旅をして、旅の中でいろいろと思索したことのある人なら、ポッツ氏の言わんとするところが何となく理解できるのではないでしょうか。

ポッツ氏によれば、私たちの日常生活と放浪の旅とでは、時間の使い方、というよりも時間のとらえ方が根本的に違うのです。もっとも、これは放浪の旅すべてがそのようなものであるというよりは、彼にとっての真の放浪とは、そのようなものを意味するということなのですが……。

いわゆる先進国の、特に大都会での日常というのは、明確な目的意識・瞬時の判断・効率的な行動の積み重ねによって成り立っています。

都会で暮らしていくには、住むところを始めとして多大なコストがかかるし、さまざまな欲望をかきたて、誘惑する機会も数え切れません。そんな中で、自分がやるべきことを見失ったり、ムダなことに首を突っ込んだりしていては、人生に成功するどころか、都会でまともな生活を続けていくことも難しいでしょう。

私たちは、都会的な生活の中で揉まれるうちに、目的という未来の一点に向けて注意を集中し、システマティックな行動を計画し、目標に至る最短ルートを駆け抜けるような生き方を身につけていきます。そのルートの途中では、私たちの気を引くさまざまなものを目にするかもしれませんが、自分の目的に関係のないものや、目標達成の障害になりそうなものは無視し、排除するコツを覚えていくのです。

それは現代人にとって、どうしても必要な生活技術なのですが、そうした生き方にどうしても違和感を感じ、なじめないという人もいるはずです。それに、人生の目標がいまだに見つかっていない人や、ハッキリと定まっていない人は、そもそも目標に向かって走り出すことができません。

また、目的を効率的に追求するといっても、あまりにもそれを突き詰めすぎれば、未来の何かのために現在をひたすら犠牲にするような毎日となり、生活そのものが、味もそっけもない、砂を噛むようなものになってしまうこともあるのではないでしょうか。

そんなときは、一つの方法として、ポッツ氏の言うような意味での放浪の旅が、私たちにもう一度、新鮮な気持ちでこの世界と向き合うようになるきっかけを与えてくれるかもしれません。

目標や計画、効率といったものをいったん棚上げにして、まっさらな気持ちで旅先のリアリティに向き合うこと。幼い子供のように、目にするものすべてに新鮮な驚きを感じ、将来の目標のためではなく、今現在の一瞬を深く味わうこと。

目的や将来の計画に縛られず、今ここでやりたいと思うことを見出し、それに素直に従うような日々を旅先で過ごすことで、私たちは、都会の忙しい日常の中でいつの間にか忘れてしまっていた感覚を取り戻すことができるかもしれません。

異国の見知らぬ環境に飛び込み、風の向くままぶらぶらと旅するという行為は、とにかく理屈ぬきに新鮮な驚きの連続を味わえるという意味でも、一日一日を大切にし、自由な気持ちで過ごすコツを学ぶという意味でも、私たちの時間に対するとらえ方を見直す、またとない機会なのかもしれません。

もちろんそれは、言葉の通じない不安、慣れない生活の不便、さまざまな失敗やトラブル、移動生活に伴う肉体的・精神的疲労など、さまざまの苦労と引き換えにようやく得られるものなのですが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:44, 浪人, 旅の名言〜旅の時間

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『バンコク迷走』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、旅人として、生活者として、そしてライターとして、二十数年間もバンコクと付き合ってきた旅行作家の下川裕治氏が、急速に変貌しつつある現在のバンコクについて描いた作品です。

都市交通(タクシー、バイクタクシー、バス、BTS)、食事(激安屋台、タイのコーヒー事情、酒、冷房レストランの禁煙法)、住環境(タイのアパート事情、スクムウィット、カオサン、ラングナム通り界隈)などなど、旅行者や長期滞在者にとっては非常に身近なテーマが取り上げられており、タイに何度も足を運ぶリピーターや「沈没系」の旅人なら、とても面白く読めるのではないかと思います。

他にも、タイの警察官との交渉術や、タクシン政権下での人々の意識の変化、顔の見えないマジックミラー越しに応対する不親切で威圧的な日本大使館の領事部など、興味深い話がいくつもあるのですが、私が個人的にもっとも関心を引かれたのは、やはり、バンコクに暮らすという選択肢が、多くの日本人にとって急速に現実味を帯びつつあるという事実でした。

下川氏は、日本人のバンコク長期滞在者が、最近ラングナム通り周辺に集まりつつあることに触れ、その住人たちの生活ぶりについて具体的に紹介したうえで、こんな風に書いています。


バンコクはいま、アジアで最もコストパフォーマンスがいい街といわれている。一定レベルの設備やサービスを備えたアパート、日本とさほど変わらない生活スタイル、そして食事……一定の料金を払って受けることができる生活が、アジアのなかで最も豊かなのである。

また、こうしたコストパフォーマンスだけではなく、ラングナム通り周辺には、あまり外国人ズレしていない、ひと昔前のタイの下町のいい雰囲気がまだ残っていることも魅力のようです。

もっとも、日本人にとって快適なそうした環境が、これから先もそのまま保たれるのか、あるいはラングナム界隈も、カオサンのような地上げの嵐に見舞われてしまうのか、そして、バンコク自体が、これからも外国人にとって魅力的な街であり続けることができるのか、誰も予測はできないのですが……。

この本は、バンコクについてある程度の土地カンのある人、また、若い人よりは、どちらかというと、ひと昔前のバンコクを知っている中年以上の(元)旅人のほうが、よりしみじみと楽しめるのではないかと思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


JUGEMテーマ:読書

at 18:36, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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蚊を殺すことなかれ?

インドを旅していたときのことです。

お釈迦さまがさとりをひらいたとされる聖なる地で新年を迎えようと、12月の末にブッダガヤー入りしました。

初めてのブッダガヤーは、思ったよりもにぎやかな村という印象でした。何となく、時間の止まったような、さびれた寒村を勝手にイメージしていたのですが、えんじ色の僧衣をまとった大勢のチベット僧が村のメインストリートをそぞろ歩いているし、地元のインド人たちは私を目ざとく見つけると、次々に日本語で話しかけてきます。そして沿道に並ぶ大勢の物乞い……。

考えてみれば、ここは世界中から仏教徒の巡礼や観光客が訪れる超有名な聖地です。そこに聖俗ひっくるめてさまざまな人間が集まってくるのは当然のことなのでした。それに加え、私が到着する数日前には、ダライ・ラマもこの地を訪れていたそうです。そのために、ふだんにも増してブッダガヤーがにぎわっていたのかもしれません。

私は、せっかく仏教の聖地にやってきたので、普通のゲストハウスではなく、お寺に泊まってみたいと思っていました。ここにはアジアの国々が建造した仏教寺院がいくつもあって、場所によっては旅人も泊まることができるというのです。

まず日本寺に行ってみましたが、団体以外の宿泊は受けつけていないということで断られました。次に、ガイドブックの情報を頼りにミャンマー寺に行ってみると、個室はすでに全て埋まっているものの、ドミトリーなら泊まれるとのことでした。

案内された場所は、ふだんは駐車場か倉庫にしているような、だだっ広く窓もない地下室で、そこにベッドが無造作に並べられているだけでした。薄暗く、入口にはドアもありませんでしたが、ベッドの脇にバックパックがいくつも置かれているところを見ると、かなりの宿泊者がいるようでした。

ふだんなら、こんなところに泊まろうとは思わないのですが、お寺にこだわっていた私は、とりあえず今日一日だけでもここに泊まって様子を見てもいいかな、という気持ちになっていました。お寺の宿坊ということで、ドネーション(喜捨)を20ルピー程度払うだけでいい、というのも魅力でした。

ただ、一つだけ気がかりだったのはドアがないことでした。セキュリティー上の不安もありましたが、それ以上に蚊の被害に遭いそうでした。しかし、ドミトリーには蚊帳もなければ、蚊取り線香を焚いている気配もありません。

私は蚊取り線香をいつも持ち歩いていたので、いざとなれば自分のを使ってもよかったのですが、欧米人バックパッカーの中には、あの煙の匂いを非常に嫌がる人がいるので、ドミトリーでは使うのがためらわれます。それに、何よりもここは仏教寺院。大っぴらに蚊取り線香を使ったりしたら、「不殺生戒」に触れるのではないかという気がしました。

ミャンマーの仏教は上座部仏教と呼ばれ、厳しい戒律があります。やっぱり、お寺に泊まる以上は、そういうものを使っちゃいけないんだろうな……。別に、そういう掲示があったわけでも、お寺の誰かに言われたわけでもないのですが、一般人の私も、ここではそのくらいのルールは守るべきだろうと思ったのです。

とにかく私は、そこに泊まることに決め、荷物を置くと、ブッダガヤーの村をぶらぶら散歩したり、お釈迦さまがさとりをひらいた場所とされる「金剛座」のあるマハーボーディ寺院に参詣したりして午後を過ごしました。その間、万が一のために、近くの薬局で虫よけ用の軟膏も手に入れておきました。

夜、夕食をとっていた食堂で日本人旅行者に会い、旅の話などでしばし盛り上がったあと、宿坊に戻りました。

冬の北インドは朝晩けっこう冷え込むので、私はバックパックから寝袋を取り出して中に入りました。これなら手足は寝袋の中なので、蚊に刺される心配はなさそうです。私は顔だけに虫よけクリームを塗りました。蚊取り線香はなくても、これで何とかなるだろうという気がしました。

しかし、私はインドの蚊というものを甘く見すぎていたようです。

消灯後のドミトリーの暗闇の中、眠りが訪れるのを待っていると、蚊が飛び交うプーン、プーンという耳障りな羽音が途切れることなく聞こえてきます。そのうっとうしさ、気味の悪さに目が冴えてしまって眠ることができません。

虫よけのおかげで、あまり刺されずに済んではいるものの、それでも蚊は、虫よけを塗りそこなった部分を狙って攻撃してくるようで、時間とともに少しずつ被害が出始めました。

そのかゆさに、目はますます冴え、イライラした私は何度もクリームを取り出して入念に塗り直しました。そんなことを繰り返しているうちに、虚しく時間だけが過ぎていきます。

しかし、夜中の2時頃になると、状況が一変しました。

まるで何かのスイッチが入ったように、蚊の大群が怒涛の攻撃をしかけてきたのです。もう、虫よけクリームなど何の役にも立ちませんでした。血に飢えた蚊の群れが、ウワーンといううなりをあげて、次から次へと私の顔に殺到し、狂ったように刺しまくるのです。

私はもうパニック状態で、「不殺生戒」のことなどすっかり忘れ、顔にたかってくる蚊をつぶすのに必死でした。ドミトリーの全員が攻撃を受けているのか、部屋のあちこちから、「う〜ん、う〜ん」という、うめき声が聞こえてきます。

しかし、考えてみればこれは実に不毛な戦いでした。ドアのない地下室ということは、屋根があるというだけで、実質的に野宿をしているのと同じです。目の前の蚊をいくらつぶしてみたところで、蚊はいくらでもやってくるのです。

私は、とてもみじめな気分でした。

お寺に泊まることにこだわったりせず、あと数十ルピー余分に払って普通のゲストハウスに泊まっていれば、お寺の境内でこんな風に夜通し蚊を殺生し続けるようなことはしなくて済んだのです。

聖地だからといって敬虔な仏教徒を気どり、インドの自然を甘く見たことに、強烈なしっぺ返しを受けたような気がしました。

明け方近くなると、必死の戦いもなんとか峠を越えたようでした。蚊の襲撃が完全に終わったわけではありませんでしたが、それまでほとんど一睡もしていなかった私は、前日の移動の疲れもあり、みじめな敗北感に襲われながら、トロトロと眠りに落ちていきました。

翌日、私は寺にこれ以上泊まることを断念し、ゲストハウスの個室に移りました。そこで遠慮なく蚊取り線香を使用したのは言うまでもありません……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 19:08, 浪人, 地上の旅〜インド・南アジア

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『奇想遺産 ― 世界のふしぎ建築物語』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本では、「奇想」をテーマに、古今東西の奇妙で不思議な建築がオールカラーで紹介されています。

「岡本太郎氏の太陽の塔」、「サグラダ・ファミリア教会」、「シドニーのオペラハウス」といった有名なものから、建築の専門家にしか知られていないような珍しいものまで、合計77の物件が、「奇景奇観」、「奇塔奇門」、「奇態」、「奇智」、「数奇」、「神奇」、「新奇叛奇」の7つのカテゴリー別に選ばれています。

個人的には、「奇想」という言葉からは、本書にも収められている「シュバル氏の理想宮」や「ワッツタワー」のように、建築界のトレンドや周囲の評価とは一切関係なく、個人が自らの手で、心の赴くままに生み出した奇怪でなまなましいものをどうしてもイメージしてしまうのですが、この本にそういった物件があまり載っていないのは少し残念です。

この本は新聞の日曜版の連載がもとになっているので、読者層を考えると、あまりマニアックなものばかりを紹介するのは無理だったのでしょう。結果として、近現代の欧米の建築が多くなってしまったのは止むを得ないのかもしれません。

もっとも、一般の読者にとっては、教養という意味でも、欧米への旅を楽しむための参考資料としても、その方がずっと役に立つはずですが……。

また、一件につき写真が2点ずつなので、建築の全体像と細部を把握するにはやや物足りません。しかし、個々の物件についてより詳しく知りたい読者のために、それぞれ関連するウェブサイトや書籍が紹介されているのは親切な配慮です。

この本の中から気になる建築や建築家を見つけ、そうした情報を糸口に、さらに建築の奥深い世界に分け入ってみるのも面白いかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


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at 19:45, 浪人, 本の旅〜世界各国

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南京虫大発生

香港を旅したときのことです。

ベトナムのホーチミンから、飛行機で香港に飛びました。当時、ランタオ島の新空港が開港するまであと数カ月という時期だったので、九龍半島の市街地にあったカイタック(啓徳)空港へのスリル満点の着陸は、これで見納めでした。

数年ぶりに空から眺める香港は、以前よりさらにビルが増えたようで、地上をビルがビッシリと埋め尽くす姿には現実感がまったく感じられず、まるでシム・シティの画面のようでした。

飛行機はそのビルの波の中へ突っ込んでいきます。

ほとんど激突かと思われた瞬間、ビルの群れの中にボコッと穴があき、滑走路が現れました。もちろん無事着陸しましたが、まるでビルで出来た「すり鉢」の底に落ちていくようなスリル(というより恐怖)は、本当にここだけでしか味わえない感覚でした。

着陸を堪能したあと、数年前に泊まった日本人宿の某有名ゲストハウスを目指そうとしたのですが、場所を忘れてしまい、ツーリスト・インフォメーションに聞いても、安宿すぎて扱っていないと言われ、仕方なく重慶大厦(チョンキン・マンション)の隣の美麗都大厦(ミラドール・マンション)内のゲストハウスにチェックインしました。

それでも、何とかしてその日本人宿を見つけ出したいという思いは消えませんでした。

以前にそこに滞在していたときには、宿泊者同士で、さらには香港で働く日本人まで遊びにやってきて、たわいない話で毎晩遅くまで盛り上がったし、宿で知り合った旅人と九龍城を「探険」したりと、楽しい思い出がいっぱいで、今そこがどうなっているかぜひ一目見て、できればまた泊まってみたかったのです。

翌日、おぼろげな記憶を頼りに、何度もそれらしき場所を歩き回ったあげく、ようやくゲストハウスの看板を見つけました。

しかし、階段を昇って受付に行ってみると、宿泊客の姿はほとんど見当たらず、妙に閑散としています。これでは、たとえ泊まっても、ドミトリーならではの面白さがありません。みんなで話をして盛り上がるという感じではないし、旅の情報も得られそうにありませんでした。

しかも、2~3人ほどいた日本人宿泊者は、みんな元気のないやつれた顔をして、体をボリボリとかきむしり、口々に「かゆい! かゆい!」と連発しています。

どうも、南京虫にやられたようです。彼らは親切にもTシャツをまくって見せてくれましたが、全身、赤いブツブツだらけになっていました。これはどう考えても数匹というレベルではありません。宿の中で南京虫が大発生しているとしか思えませんでした。

しかし、宿のスタッフは、殺虫剤をまくなり、布団を虫干しするなりという対策をとっているようにも見えなかったし、今後もそうするようなそぶりは見えませんでした。この宿では、ふだんは番頭役の日本人アルバイトが常駐して管理をしているらしいのですが、本格的に南京虫を駆除するとなると、相当な手間も費用もかかるはずで、きっとアルバイトだけでは対応できないのでしょう。

さすがにこれでは、あまりのかゆさに夜も眠れないだろうし、何より自分があのようなブツブツだらけになるのが恐ろしくて、さすがにそのゲストハウスに移るのは断念しました。

それでも、人数が少ないとはいえ、日本人がいるというのは貴重です。

短い旅ならそれほどでもないのでしょうが、多少の長旅となると、日本語で話せる機会というのはなかなか貴重なのです。経験した人なら分かってもらえると思いますが、カタコトの現地の言葉や英語だけで生活していると、情報交換以前の問題として、何でもいいから日本語を話したいという思いが強くなってくるのです。

私は、アルバイトの番頭さんや宿泊客たちと、夕方までダラダラと話をしてから自分の宿に戻りました。

この某ゲストハウスは、今でも営業しているようです。確信をもって言うことはできないのですが、きっと当時の南京虫騒動も、なんとか無事に乗り越えたのでしょう……。


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at 18:40, 浪人, 地上の旅〜中国

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