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2008.12.29 Monday
今年も一年間、ありがとうございました
2008年もそろそろ終わろうとしています。
改めて振り返ると、四川省の大地震、北京オリンピック、世界的な金融危機、アメリカ初の黒人大統領誕生、ギョーザ事件、秋葉原の事件……今年もさまざまな出来事や事件がありました。
これは今年に限ったことではありませんが、今や、世界中のニュースがインターネットやテレビを通じてリアルタイムで入ってくるので、一つのニュースに驚かされたかと思うと、その衝撃もさめないうちに新たなニュースが次々に割り込んでくる感じです。気をつけていないと、迫りくるニュースの洪水に圧倒され、ただそれらを受け止めているだけで、自分の貴重な持ち時間が失われてしまいます。
かといって、こうしたニュースから目を背けて、超然として生きるわけにもいかないのが難しいところです。何だかんだ言ってみても、次々に起きる出来事の多くは現代の世界の急激な変化を反映していて、その変化は私たちの日常生活にもダイレクトに影響してくるからです。
その一方、このブログでは、そんな世間の大騒ぎを横目に、ごくごくマイナーなテーマについて、今年もひっそりと書き綴ってきました。
ビジネスマンが世界中を飛び回るグローバル化の時代に、まるで時代遅れのヒッピーのようなことを書き続けることに、どれだけ意味があるのだろうかとも思うのですが、それでも、牢名主のつぶやきのようなこのブログを読んで下さる方がいるのはありがたいことです。
今年一年、どうもありがとうございました。
来年もあまり無理をせず、自分のペースや実感に合わせて記事を書いていきたいと思います。来年もこのブログを、どうぞよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。
JUGEMテーマ:日記・一般
改めて振り返ると、四川省の大地震、北京オリンピック、世界的な金融危機、アメリカ初の黒人大統領誕生、ギョーザ事件、秋葉原の事件……今年もさまざまな出来事や事件がありました。
これは今年に限ったことではありませんが、今や、世界中のニュースがインターネットやテレビを通じてリアルタイムで入ってくるので、一つのニュースに驚かされたかと思うと、その衝撃もさめないうちに新たなニュースが次々に割り込んでくる感じです。気をつけていないと、迫りくるニュースの洪水に圧倒され、ただそれらを受け止めているだけで、自分の貴重な持ち時間が失われてしまいます。
かといって、こうしたニュースから目を背けて、超然として生きるわけにもいかないのが難しいところです。何だかんだ言ってみても、次々に起きる出来事の多くは現代の世界の急激な変化を反映していて、その変化は私たちの日常生活にもダイレクトに影響してくるからです。
その一方、このブログでは、そんな世間の大騒ぎを横目に、ごくごくマイナーなテーマについて、今年もひっそりと書き綴ってきました。
ビジネスマンが世界中を飛び回るグローバル化の時代に、まるで時代遅れのヒッピーのようなことを書き続けることに、どれだけ意味があるのだろうかとも思うのですが、それでも、牢名主のつぶやきのようなこのブログを読んで下さる方がいるのはありがたいことです。
今年一年、どうもありがとうございました。
来年もあまり無理をせず、自分のペースや実感に合わせて記事を書いていきたいと思います。来年もこのブログを、どうぞよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。
JUGEMテーマ:日記・一般
2008.12.26 Friday
旅の名言 「放浪とは……」
放浪とは、勇気を持っていわゆる安定した日常を手放すことだ。今は時期がふさわしくないからと旅の機会を先延ばしにすることなく、自分を取り巻く状況を自分でコントロールして、人生における受け身の状態に終止符を打つことだ。
放浪の旅をいつどのようにしてはじめるかということは真の問題ではない。それは今この瞬間にはじまるのだ。実際に旅をするのが数か月、あるいは数年先であっても放浪という行為は、あれこれ言い訳するのをやめて旅の資金を貯めはじめ、期待に胸を膨らませながら地図を眺めはじめた時点ではじまる。 (中略) それは各自の家からはじまるひとつのプロセスであり、それこそが、自分をすばらしくも新しい場所へと導いてくれるのだ。
『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事
放浪の旅へのガイドブック、『旅に出ろ!』の中には、旅の本質について深く考えさせるような、素晴らしい言葉がいくつもちりばめられています。冒頭に挙げた一節もその一つです。
著者のポッツ氏の言うように、放浪の旅にあたって、実際にいつ飛行機のチケットを買い、旅に出るのかということは、実はそれほど重要なことではありません。
飛行機に乗り込むはるか以前、今まで通りの日常を繰り返すことをやめて、長い旅に出ようと心に決め、それに向けて自分の生活を変え始めようとする、まさにその瞬間こそが、旅の決定的な第一歩であり、そこからもう旅のプロセスは始まっているのです。
そしてそのとき、自分ではまだ気がついていないかもしれませんが、すでに自分をとりまく日常の世界も、今までとは微妙に違って見え始めているはずです。
ところで、現代のいわゆる先進国に住んでいれば、インターネットや電話で手配をすれば、飛行機のチケットは簡単に買えます。そうした手続きは昔よりもずっと簡単になっているし、海外へ行くことの経済的・心理的なハードルもずっと低くなりました。
しかし、数カ月、数年といった長い放浪の旅に出る人がわずかしかいないのは、ポッツ氏の言うように、「いわゆる安定した日常を手放す」決意をすることが、とても難しいからです。
数日間の旅ならば、観光したり、リゾートでゆっくり骨休めしたり、あるいはストレスを発散した後、再び今まで通りの日常に戻っていくことができますが、放浪の長い旅の場合には、そういうわけにはいきません。一度手放したこれまでの日常は、二度と再び手にすることができなくなるかもしれないのです。
それは仕事やキャリアであるかもしれないし、親しい人間関係かもしれないし、住み慣れた家かもしれないし、日本人としてこれまで当たり前に受け入れてきた「世間の常識」かもしれません。あるいは、そうしたもの全部かもしれません。
どれだけ多くの物事や人間関係が安定した毎日を支えているかに思い至れば、それを手放すのがどういうことか、考えるだけで身震いしてしまう人もいるでしょう。また、そういうことを考えない人でも、長い旅となると何となく尻込みしてしまうのは、無意識のうちにそれらの重みをしっかりと感じているからです。
放浪の旅を実現するために、日常の惰性という重力に逆らって自ら動き出すこと、「人生における受け身の状態に終止符を打」つということは、言葉でいうほど簡単なことではないのです。
だから、私は多くの人に、「だまされたつもりになって、とにかく放浪してみようよ!」などと無責任なことを言うことはできません。
私自身の経験からいっても、思い切って旅に出さえすれば、これまでの人生が全てリセットされ、何もかもがうまくいくようになるなんてことはあり得ないし、放浪をきっかけに道を踏み外し、それこそ生活が破綻してしまう人もいるからです。
また、日本の場合、年功序列的なシステムが社会の隅々にまで根を張っているために、再チャレンジが難しく、安定した日常を一度でも手放すことには、欧米の国々以上に大きなリスクが伴います。
それでもやはり、いつの時代でも、一部の人が、その不安を振り切るようにして長い旅に出ていきます。
彼らにそうさせる力とは、結局のところ、一体何なのでしょう? ポッツ氏は、ここではとりあえずそれを「勇気」と呼んでいます。主体的に生きようとする「勇気」が、不満だけれどそれなりに安定した毎日を続けさせる惰性に打ち克つということなのでしょう。
しかし、もしかすると、そこには、それを単純に個人的な「勇気」だといい切ることのできないような、もっと根源的な力、社会の一部のメンバーをその社会の外部へと駆り立てる、何か別の力が働いているのかもしれません。
例えば、戦後、いわゆる先進国の若者の間に、ヒッピーやバックパッカーなどさまざまなスタイルの放浪者が現れ、それが一種の流行のようになりましたが、そうした現象を、個人の勇気や自発的な決断だけで全て説明するのは難しいのではないでしょうか。
ただ、そうは言ってみても、実際のところ、そこにどのような力が働いているのかとなると、もちろん私にも全く分からないのですが……。
旅の名言 「いつかいつかと……」
旅の名言 「まず一歩……」
旅の名言 「放浪の旅に対する意気ごみを……」
JUGEMテーマ:旅行
2008.12.22 Monday
今年の一冊(2008年)
今年も残すところ、あとわずか。昨年と同様、今年読んだ本の中から、私の個人的なベストを選んでみました。
上に挙げた高野秀行氏の『西南シルクロードは密林に消える』は、新刊ではありませんが、旅の好きな方には特にオススメしたい傑作だと思います。
この本の紹介記事
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も知らないものを探す。そして、それをおもしろおかしく書く」ことをモットーとする高野氏は、戦後世界初となる、成都からカルカッタまでの西南シルクロード全踏破にチャレンジします。
旅のクライマックスは、ミャンマー北部からインド最東部にかけての反政府ゲリラ支配地域の旅で、深いジャングルの道なき道を、ゲリラのエスコートで旅するという強烈なものでした。しかし、そんなシリアスでマニアックな旅の一部始終を、高野氏は肩の力の抜けた、誰でも面白く読めるエンターテインメントに仕上げています。
ただ、西南シルクロードとその周辺地域については、一部の学者や辺境マニアを除けば、日本ではほとんど知られていないと思うし、一般人の興味をひきつけるような、派手な遺跡や観光名所があるわけでもありません。そのためか、せっかく面白く書かれているのにもかかわらず、この旅行記が多くの人の目に触れずにいるらしいのは残念です。
それにしても、職業的な冒険家や探検家が活躍した20世紀までとは違い、今や、やる気とそれなりのお金さえあれば、一般人でも世界のほとんどどこにでも行けてしまう時代です。世界に「未知」「未踏」と呼べる土地がほとんどなくなった今、旅行作家が、「誰も行かないところ」へ行くというポリシーを守り続けるのも至難の技です。
西南シルクロードは、冒険的な旅人にとっては最後のフロンティアの一つだと思うのですが、しかし、その次となると、私にはもうほとんど思いつきません。今後、高野氏が旅のフロンティアをどこに見出していくのか、非常に興味があるし、つい期待してしまいます。
また、同じ著者による『アジア新聞屋台村』もとても面白く、印象に残りました。この本は在日アジア人の集う不思議な新聞社を舞台とする小説ですが、登場人物のそれぞれにリアリティがあり、彼らの醸し出すアジア的な混沌がユーモアあふれる語りで描かれていて、読んでいるうちに何だか元気が湧いてきます。
来年も、さらに面白い本に出会えるよう、膨大な本の海を探索し続けたいと思います。
JUGEMテーマ:読書
2008.12.18 Thursday
ブッダガヤで除夜の鐘
長い旅をしていると、新年をどこの国のどんな街で、どんな風に迎えるかを考えることが、けっこう大きな楽しみになったりします。
というより、日本人にとっての正月のような、生活上の晴れやかで大きな節目を、長い放浪生活の中でどうやって作り出していくかというのは、実は、旅人にとってかなり切実な問題なのです。
気候も風土もさまざまな国々を渡り歩いているうちに、旅の日常からはどうしても季節感が失われてしまうし、旅が長くなると、初めての土地を訪れているにもかかわらず、新鮮な感動があまり感じられなくなってしまったりします。
そんなときは、メリハリのなくなった旅に刺激やアクセントを加えるために、旅のペースやルートを思い切って変えてみたり、いままでやったことのないことに挑戦してみたり、しばらく一つの街に落ち着いてみたりと、旅人はさまざまな工夫を試みるのですが、私の場合は、1月1日をどこで過ごすのかをあれこれ考え、その日に向かって自ら旅を盛り上げるように企画することが、そうした工夫の一つだったのかもしれません。
といっても、アジアでは、新暦の1月1日を盛大に祝うという習慣のない国が多いので、よほどの大都市でもなければ、現地の人と一緒にカウントダウンで盛り上がるようなことはできないでしょう。
だからこれは、自分の旅の節目をどう演出するかという、あくまで個人的な問題です。
自分としては、新年の初めをどんな土地で過ごすのがベストか、ガイドブックの情報、旅人からの情報、今までの経験などを総合し、いろいろと頭の中でシミュレーションしてみて、その土地に足を運び、実際に心に残るような一日を過ごせるかを試すという、一連のプロセス自体が楽しみだったのです。
もう何年も前、インドを旅していたときのこと、その年、私はバラナシ(ベナレス)でクリスマスを迎えました。
私はクリスチャンではないし、クリスマスに特に思い入れがあったわけではないのですが、たまたま宿泊していたゲストハウスのインド人オーナーが、宿泊客のためにささやかなクリスマスパーティーを企画してくれ、その日の夜はみんなで楽しく盛り上がりました。
バラナシは、治安の面でやや問題を感じるものの、その気になればいくらでも長居できそうな魅力的な街です。ゲストハウスも居心地がよかったし、急いでそこを出る必要はなかったのですが、私個人の気持ちとしては、新年をもっと静かで落ち着いた場所で迎えたいという思いがありました。
やっぱりブッダガヤかな……。
ブッダガヤ(ボドガヤ)は、バラナシからはそれほど遠くありません。お釈迦さまがさとりをひらいた歴史的な場所で、仏教徒にとっては最大の聖地です。
しかし、そこがどんな雰囲気の場所なのか、行ってみないことには全くわかりません。少なくともバラナシより田舎であることは確かですが、ブッダガヤも有名な観光地です。観光客の集まるところは、旅行者向けの便利な設備が整っていてそれなりに快適なのですが、街の人々がスレていることが多いので、行ってみたら「大ハズレ」という可能性もあります。
勝手知ったるバラナシに居続ければ、少なくともガッカリしながら元旦を過ごすという失敗はしなくてすみそうでしたが、新年まであと数日というところで、私は思い切って列車のチケットを買い、ブッダガヤに向かいました。
列車が6時間遅れたので、鉄道駅のあるガヤに着いたのは真夜中でした。駅前の安宿で朝まで仮眠をとり、乗り合いオートリキシャに乗ってブッダガヤを目指しました。
ガヤの街を出ると、すぐに周囲はのどかな田園風景になり、いかにもインドの田舎にやってきたという感じがします。しかし、ガタガタ道を揺られながら数十分、初めて見る聖地ブッダガヤは、想像以上ににぎやかでした。
後で知ったのですが、数日前までダライラマ法王が滞在されていたそうで、村はえんじ色の僧服をまとったチベット仏教のお坊さんたちでごった返していました。また、欧米人ツーリストやバックパッカーもかなりいるようです。
さらに、インド名物の怪しいみやげ物売りもそこらじゅうにいて、道を歩けば次々に日本語で声をかけてきます。
やはり、ここは典型的なインドの観光地でした。ちょっと考えてみれば、そんなことは始めから想像できたはずなのですが、ひなびた村で静かに元日を過ごそうなどという私の甘い期待は、早くも無残に打ち砕かれてしまったのでした。
それでも気を取り直し、村の中心にあるマハボディ寺院に参拝しました。何だかんだ言ってみても、やっぱりブッダガヤは昔から行ってみたい場所だったし、お釈迦さまがさとりをひらいたとされる場所にある菩提樹と金剛座を目にしたときには感動しました。
仏教はここから始まり、それから何百年もかけ、多くの人々の情熱によって日本にまで伝わったのかと思うと、さまざまな思いがこみ上げてきます。
境内には、数百人ものチベット僧が集まって祈願祭が行われている最中で、さらにその周囲には五体投地で祈る人々も大勢いて、壮観な眺めです。
夕方になると、参拝者が境内の至るところにロウソクを置いて、次々に火をともしていきます。暗闇に浮かび上がる大塔と無数の灯火が生み出す光景は、何とも美しく、幻想的でした。
大晦日の夜。
私は、年越しの瞬間を迎えるために、日本寺で行われる「除夜会」に向かいました。
日本寺では、ふだんは朝夕に本堂でお勤めがあり、そこで一般の人が座禅を組むこともできるのですが、その日は夜間も本堂が開放され、インド音楽の演奏会など、年越しの特別プログラムも組まれていました。
夜の11時になると、境内に集まった多くの人々に、年越しそばがふるまわれました。
といっても、大勢に少しずつ出されるものなので、腹一杯食べるというわけにはいかないし、正直なところ、「うまい!」と感激するほどの味ではありません。それでも、こうして異国の地で日本食をいただけるというのはありがたいものです。
日本を出て以来、そばなどというものは久しく食べていなかったので、日本での年越しを思い出しつつ、しみじみと味わいました。
食べ終わった頃に、除夜の鐘が鳴り始めました。集まっていた人々は、順番に鐘を撞かせてもらえます。
実は、私はブッダガヤの日本寺で、生まれて初めて除夜の鐘というものを撞きました。
100人以上にもなろうかという、国籍もさまざまな人々が、一人一回ずつ鐘を撞いていくのですが、たぶん私と同様、他の多くの人たちも、大きな鐘を撞くというのは生まれて初めてだったのではないでしょうか。
そこには、NHKの「ゆく年くる年」の映像のような、厳粛さで身の引き締まるような雰囲気はありませんでした。日本人や欧米人のバックパッカー、アジア各国からやって来た仏教徒やインド人など、大勢の人々が、遊園地のアトラクションでも楽しむようにキャッキャッと笑いながら、和気あいあいと、一人ずつ鐘撞きのパフォーマンスを演じていきます。
それは、108回ではとても収まらず、並んでいた全員が撞き終わるまで、除夜の鐘は延々と鳴り続けたのでした。
北インドの冬は、実はけっこう寒いので、みんなで境内の焚き火を囲んでいると、新年の瞬間がやってきました。
そこには、派手なカウントダウンもなければ、どんちゃん騒ぎもありません。集まった人々のあいだで、新年を祝うささやかな言葉が交わされ、和やかなムードが広がり、やがてその波が収まると、人々は静かに自分たちの宿へ帰っていきました。
私も寺を後にして、暗く静かな夜道を歩いていると、新しい一年が始まったんだという実感が、静かに湧いてきました。
考えてみれば、年越しの瞬間を他のにぎやかな場所ではなく、わざわざブッダガヤの日本寺みたいな場所で迎えようという旅人は、ある意味では私と同類で、静かにしみじみと、でも一人ではなく、みんなでどこかに集まって、一緒に新年を祝いたいと思っていたのかもしれません。
「除夜会」には、派手なアトラクションはないし、もちろん酒も入らないし、参加した人々が大いに盛り上がるという感じでもなかったのですが、さまざまな国からやってきた人々が、ただそこに一緒にいて、和やかに新年を祝う、とてもいいイベントだったように思います。
皆さんも、もしインドを旅行中に新年を迎えることになったら、いろいろな年越しプランの中に、ブッダガヤで過ごすという選択肢も加えてみてはいかがでしょうか?
もっとも、今年も日本寺で年越しそばが食べられるかどうかは分かりませんが……。
印度山日本寺ウェブサイト
JUGEMテーマ:旅行
というより、日本人にとっての正月のような、生活上の晴れやかで大きな節目を、長い放浪生活の中でどうやって作り出していくかというのは、実は、旅人にとってかなり切実な問題なのです。
気候も風土もさまざまな国々を渡り歩いているうちに、旅の日常からはどうしても季節感が失われてしまうし、旅が長くなると、初めての土地を訪れているにもかかわらず、新鮮な感動があまり感じられなくなってしまったりします。
そんなときは、メリハリのなくなった旅に刺激やアクセントを加えるために、旅のペースやルートを思い切って変えてみたり、いままでやったことのないことに挑戦してみたり、しばらく一つの街に落ち着いてみたりと、旅人はさまざまな工夫を試みるのですが、私の場合は、1月1日をどこで過ごすのかをあれこれ考え、その日に向かって自ら旅を盛り上げるように企画することが、そうした工夫の一つだったのかもしれません。
といっても、アジアでは、新暦の1月1日を盛大に祝うという習慣のない国が多いので、よほどの大都市でもなければ、現地の人と一緒にカウントダウンで盛り上がるようなことはできないでしょう。
だからこれは、自分の旅の節目をどう演出するかという、あくまで個人的な問題です。
自分としては、新年の初めをどんな土地で過ごすのがベストか、ガイドブックの情報、旅人からの情報、今までの経験などを総合し、いろいろと頭の中でシミュレーションしてみて、その土地に足を運び、実際に心に残るような一日を過ごせるかを試すという、一連のプロセス自体が楽しみだったのです。
もう何年も前、インドを旅していたときのこと、その年、私はバラナシ(ベナレス)でクリスマスを迎えました。
私はクリスチャンではないし、クリスマスに特に思い入れがあったわけではないのですが、たまたま宿泊していたゲストハウスのインド人オーナーが、宿泊客のためにささやかなクリスマスパーティーを企画してくれ、その日の夜はみんなで楽しく盛り上がりました。
バラナシは、治安の面でやや問題を感じるものの、その気になればいくらでも長居できそうな魅力的な街です。ゲストハウスも居心地がよかったし、急いでそこを出る必要はなかったのですが、私個人の気持ちとしては、新年をもっと静かで落ち着いた場所で迎えたいという思いがありました。
やっぱりブッダガヤかな……。
ブッダガヤ(ボドガヤ)は、バラナシからはそれほど遠くありません。お釈迦さまがさとりをひらいた歴史的な場所で、仏教徒にとっては最大の聖地です。
しかし、そこがどんな雰囲気の場所なのか、行ってみないことには全くわかりません。少なくともバラナシより田舎であることは確かですが、ブッダガヤも有名な観光地です。観光客の集まるところは、旅行者向けの便利な設備が整っていてそれなりに快適なのですが、街の人々がスレていることが多いので、行ってみたら「大ハズレ」という可能性もあります。
勝手知ったるバラナシに居続ければ、少なくともガッカリしながら元旦を過ごすという失敗はしなくてすみそうでしたが、新年まであと数日というところで、私は思い切って列車のチケットを買い、ブッダガヤに向かいました。
列車が6時間遅れたので、鉄道駅のあるガヤに着いたのは真夜中でした。駅前の安宿で朝まで仮眠をとり、乗り合いオートリキシャに乗ってブッダガヤを目指しました。
ガヤの街を出ると、すぐに周囲はのどかな田園風景になり、いかにもインドの田舎にやってきたという感じがします。しかし、ガタガタ道を揺られながら数十分、初めて見る聖地ブッダガヤは、想像以上ににぎやかでした。
後で知ったのですが、数日前までダライラマ法王が滞在されていたそうで、村はえんじ色の僧服をまとったチベット仏教のお坊さんたちでごった返していました。また、欧米人ツーリストやバックパッカーもかなりいるようです。
さらに、インド名物の怪しいみやげ物売りもそこらじゅうにいて、道を歩けば次々に日本語で声をかけてきます。
やはり、ここは典型的なインドの観光地でした。ちょっと考えてみれば、そんなことは始めから想像できたはずなのですが、ひなびた村で静かに元日を過ごそうなどという私の甘い期待は、早くも無残に打ち砕かれてしまったのでした。
それでも気を取り直し、村の中心にあるマハボディ寺院に参拝しました。何だかんだ言ってみても、やっぱりブッダガヤは昔から行ってみたい場所だったし、お釈迦さまがさとりをひらいたとされる場所にある菩提樹と金剛座を目にしたときには感動しました。
仏教はここから始まり、それから何百年もかけ、多くの人々の情熱によって日本にまで伝わったのかと思うと、さまざまな思いがこみ上げてきます。
境内には、数百人ものチベット僧が集まって祈願祭が行われている最中で、さらにその周囲には五体投地で祈る人々も大勢いて、壮観な眺めです。
夕方になると、参拝者が境内の至るところにロウソクを置いて、次々に火をともしていきます。暗闇に浮かび上がる大塔と無数の灯火が生み出す光景は、何とも美しく、幻想的でした。
大晦日の夜。
私は、年越しの瞬間を迎えるために、日本寺で行われる「除夜会」に向かいました。
日本寺では、ふだんは朝夕に本堂でお勤めがあり、そこで一般の人が座禅を組むこともできるのですが、その日は夜間も本堂が開放され、インド音楽の演奏会など、年越しの特別プログラムも組まれていました。
夜の11時になると、境内に集まった多くの人々に、年越しそばがふるまわれました。
といっても、大勢に少しずつ出されるものなので、腹一杯食べるというわけにはいかないし、正直なところ、「うまい!」と感激するほどの味ではありません。それでも、こうして異国の地で日本食をいただけるというのはありがたいものです。
日本を出て以来、そばなどというものは久しく食べていなかったので、日本での年越しを思い出しつつ、しみじみと味わいました。
食べ終わった頃に、除夜の鐘が鳴り始めました。集まっていた人々は、順番に鐘を撞かせてもらえます。
実は、私はブッダガヤの日本寺で、生まれて初めて除夜の鐘というものを撞きました。
100人以上にもなろうかという、国籍もさまざまな人々が、一人一回ずつ鐘を撞いていくのですが、たぶん私と同様、他の多くの人たちも、大きな鐘を撞くというのは生まれて初めてだったのではないでしょうか。
そこには、NHKの「ゆく年くる年」の映像のような、厳粛さで身の引き締まるような雰囲気はありませんでした。日本人や欧米人のバックパッカー、アジア各国からやって来た仏教徒やインド人など、大勢の人々が、遊園地のアトラクションでも楽しむようにキャッキャッと笑いながら、和気あいあいと、一人ずつ鐘撞きのパフォーマンスを演じていきます。
それは、108回ではとても収まらず、並んでいた全員が撞き終わるまで、除夜の鐘は延々と鳴り続けたのでした。
北インドの冬は、実はけっこう寒いので、みんなで境内の焚き火を囲んでいると、新年の瞬間がやってきました。
そこには、派手なカウントダウンもなければ、どんちゃん騒ぎもありません。集まった人々のあいだで、新年を祝うささやかな言葉が交わされ、和やかなムードが広がり、やがてその波が収まると、人々は静かに自分たちの宿へ帰っていきました。
私も寺を後にして、暗く静かな夜道を歩いていると、新しい一年が始まったんだという実感が、静かに湧いてきました。
考えてみれば、年越しの瞬間を他のにぎやかな場所ではなく、わざわざブッダガヤの日本寺みたいな場所で迎えようという旅人は、ある意味では私と同類で、静かにしみじみと、でも一人ではなく、みんなでどこかに集まって、一緒に新年を祝いたいと思っていたのかもしれません。
「除夜会」には、派手なアトラクションはないし、もちろん酒も入らないし、参加した人々が大いに盛り上がるという感じでもなかったのですが、さまざまな国からやってきた人々が、ただそこに一緒にいて、和やかに新年を祝う、とてもいいイベントだったように思います。
皆さんも、もしインドを旅行中に新年を迎えることになったら、いろいろな年越しプランの中に、ブッダガヤで過ごすという選択肢も加えてみてはいかがでしょうか?
もっとも、今年も日本寺で年越しそばが食べられるかどうかは分かりませんが……。
印度山日本寺ウェブサイト
JUGEMテーマ:旅行
2008.12.14 Sunday
旅の名言 「アパートの部屋から一歩も出ない……」
アパートの部屋から一歩も出ない外こもりの暮らしは、東南アジアの人々の発想や生活スタイルに染まっていった結果でもある。
暮らしてみるとわかることだが、タイ人という民族は、本当に怠惰な人たちだと思う。なんとか楽をしたい――という方法論を、タイで起きている現象やブームに当てはめると、なぜかきれいに解明されてしまうことがある。そんなとき改めて、タイを感じてしまうのだ。
『日本を降りる若者たち』 下川 裕治 講談社現代新書 より
この本の紹介記事
旅行作家の下川裕治氏の著作、『日本を降りる若者たち』からの一節です。
海外を旅するバックパッカーや長期放浪者の間で有名な言葉に、「沈没」というのがあります。長旅を続けるうちに、病気や旅の疲れ、旅の目標の喪失など、さまざまな理由から一時的に動けなくなってしまい、同じ安宿に何週間、何カ月も沈澱したまま、何をするでもなくブラブラと過ごしてしまう現象を言います。
もちろんその中には、現地の人と恋に落ちてしまい、どうしてもその土地を離れられなくなったとか、現地の食文化に魅了され、ついつい長居をしてしまうというようなケースもあるわけですが、それでも旅人の旅人たるゆえんが「移動」にあるのだとすれば、「沈没」は、旅人の本来の姿からの逸脱ということになるのかもしれません。
ただ、最近では、むしろ旅の初めから「沈没」的な生活こそを目的として、例えばタイのバンコクなどにアパートを借りて長逗留する日本人が増えているといいます。『日本を降りる若者たち』では、「外こもり」と呼ばれるそうした人々の生活ぶりや、彼らがそうした暮らしを始めるに至った背景が取材されています。
彼らの多くは、日本で派遣やアルバイトの仕事をして旅費を貯めると、アジアの国々でのんびり過ごしながら、そのお金が尽きるまで節約生活を送ります。中には、スーパーでの買い物など、必要最小限の外出以外はアパートに閉じこもって暮らす人もいるようです。
そうした生き方をする日本人は昔から存在したのですが、最近になってその数が増え、数年前に「外こもり」という新たな言葉も生まれたことで、日本のマスコミでもたまに取り上げられるようになりました。
彼らがそういう生活に至った道のりは人によってさまざまで、そこには本人のパーソナリティや、人生の中で抱えているさまざまな問題が深く影響しています。
また一方で、彼らがタイを始めとするアジアの国々にやって来て、日本では味わったことのないような心からの解放感や安心感を感じているという側面もあります。それは、逆の見方をすれば、彼らを結果的にはじき出してしまった日本社会の息苦しさや不寛容を示しているとも言えます。
「外こもり」という日本語には、「ひきこもり」と同じく、何か否定的なニュアンスが色濃くつきまとっています。しかし、下川氏が指摘しているように、そうした生き方が「東南アジアの人々の発想や生活スタイルに染まっていった結果」なのだとすれば、それはむしろ、異国からやってきた人間が現地の生活文化に適応するごく自然なプロセスの結果だと言えるし、現地の人々の目にも、彼らの姿は何の違和感もなく映っているのかもしれません。
そう考えると、彼らを「外こもり」と呼んでひとくくりにしてしまい、何か特殊で、病的なものをそこに見ようとすることは、実は、現代日本人の東南アジアに対する偏見の裏返しに過ぎないのかもしれません。
下川氏は、タイ人のことを、「なんとか楽をしたい」という発想がすべての行動の原点にあるという意味で、「本当に怠惰な人たち」だと言います。これは、かなり誤解を招きやすい表現で、現在の日本社会では非常にネガティブな意味に受け取られかねないのですが、考えてみれば、「楽をしたい」という発想そのものは、むしろ人間としてごく自然なことです。
以前に、写真家の藤原新也氏の、「東南アジアの空気の中には人を睡眠に誘う素粒子が含まれているように思われることがある」という名言を紹介したことがありますが、人をトロリとした眠りに誘う東南アジアの気候風土と、あくせくしなくてもそれなりに生きられてしまう豊かさの中では、物事の流れに余計な介入をしたり、無駄にジタバタしたりすることなく、必要最小限の労力でゆったりと日々を過ごすことがむしろ美徳であるのかもしれません。
実際、タイ人たちが、あの帝国主義の殺伐とした時代に国としての独立を貫いたことを考えるなら、彼らは一見怠惰なように見えながら、実は高度なバランス感覚に裏づけられた、老練でしたたかな生き方を実践してきたと言うべきなのかもしれません。
もっとも、こういう言い方はタイ人を持ち上げすぎで、私がタイ人の中に、タオイストの理想みたいなものを勝手に投影しているだけなのかもしれませんが……。
しかし少なくとも、「外こもり」と言われている人たちは、「日本を降り」て、自分なりの居場所と別の生き方を模索する中で、アジア的な「怠惰」こそ、むしろ彼らにとっての救いのように見えたのかもしれないし、とりあえずそれに身を任せて生きる道を選んだのではないでしょうか。
そこでは、豊かさと経済成長の神話に身も心も捧げる必要はないし、いつも時間に追われてイライラすることもありません。また、限られたパイを常に奪い合う過酷な競争もなければ、社会全体がピリピリして、ささいなことで他人を糾弾し合うこともありません。
ただ、タイも今や、物質的な豊かさを求めて急速な経済発展の途上にあるようです。
そのうちにタイ人も、冷房をガンガン効かせたオフィスで忙しく働くことこそ美徳であって、「楽をしたい」などと考えるのはおぞましいと思うようになり、「外こもり」の外国人たちにも奇異と非難の目を向けるようになってしまうのかもしれません……。
JUGEMテーマ:旅行
2008.12.10 Wednesday
『神社の系譜 ― なぜそこにあるのか』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
古代から多くの人々の信仰の中心となってきた宗教的な聖地というものは、そもそも、どうしてその場所に存在するようになったのでしょう? これは、考えてみればとても不思議なことで、人間の思考や理屈をはるかに超越した問題のようにも思われます。
この本は、そうした問題に光を当てる試みです。主に、神社の立地について書かれているのですが、神社と周辺の地形、あるいは神社相互の位置関係を読み解くための一つの方法として、著者の宮元健次氏は「自然暦」に着目しています。
「自然暦」とは、古代人が太陽の動きを神社の配置に応用したものです。夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日没が、ある神社から見て、山の頂上とか、祖先の墳墓や他の神社など、特定の場所で起きるように全体がセッティングされており、このような仕組みは世界各地でも見つかっているようです。
この本では、伊勢神宮、出雲大社、熊野本宮大社、日吉大社、鹿島神宮といった、日本の超有名な神社が次々に紹介され、その周辺の重要な神社や古代遺跡、山などの自然物が、自然暦のライン上にきれいに乗っていることが示されています。
驚くべきは、そうした自然暦に基づくラインが、各々の神社周辺の地域に適用される小規模なものだけではなく、日本を横断するほどの長大なラインも見つかっていることです。
例えば、鹿島神宮から西へ向かい、諏訪大社、出雲国府跡を貫く東西のラインは、さらに海を越えて、かつての新羅の都である慶州にまで達しているといいます。
古代人は、このような正確なラインを導き出すために、一体どのようなテクノロジーを用いていたのでしょうか? この本では、当時の人々が具体的にどのような作業を行ったかについては触れていませんが、いずれにしても、こうしたラインによって日本各地を結ぶために、莫大な時間と労力が費やされたことは確かでしょう。
それにしても、自然暦の面白いところは、ある一つの神社ではなく、周辺の地形や神社相互の配置が描き出す全体のパターンを把握することによって、初めてそこに意味が浮かび上がってくるということです。つまり、ある特定の場所自体に意味があるというよりは、自然暦のシステム内において、それぞれの場所と他の場所との相対的な位置関係が意味を生じさせるのです。
そして、このシステムのすごいところは、その一部が災害や戦火によって失われたり、時代とともに忘れ去られたりしても、自然暦を理解している人間さえいれば、残された部分から全体のパターンをいつでも復元したり、補強したりすることが可能だということです。
それは、研究者にとっても同様で、いったんそのシステムの存在に気がつきさえすれば、ライン上の寺社相互の関係や、それらを創建したり、深く関わりをもった人物がそこに秘めた意図が、芋づる式に浮かび上がってくるのです。
日本の場合、古代人の作り上げたこのような自然暦上のポイントが、今でも聖なる場所として信仰の対象となり、保存され続けているというのは驚くべきことですが、別の見方をすれば、それは、自然暦のシステムを保持し、強化し、新たなシステムをつけ加えるという作業が、時代を通じて人々に受け継がれ、何度も繰り返されてきたということなのでしょう。
実際、この本の中でも、古代人だけではなく、豊臣秀吉公や徳川家康公が自らの神格化を図るため、その墓所の配置に自然暦のラインを応用した例や、また、明治以降の東京においても、新たな神社や施設の配置にこうしたシステムを応用したとみられる例が示されています。
もちろん、自然暦という観点だけで、聖地や寺社の立地をすべて説明できるわけではないし、こうした人工的な秩序形成システムが導入される以前、つまり「自然暦以前」の世界において、聖なる場所がどのようにして見出されたのかという問題は依然として残るのですが……。
それはともかく、昔の人にとっては、太陽の運行と聖なる場所が密接に関わりあっていることなど、改めて説明されるまでもない、常識に属することだったのかもしれませんが、私のような現代人にとっては、こうした自然暦の仕組みを知ること自体が、新鮮な驚きだったりするのです。
思えば、私自身、最後に日の出を眺めたのはいつのことだったのでしょう……。
私のように、日常の生活が自然のリズムからすっかり離れてしまった人間こそ、何か基本的で大事なことをこれ以上見失わないためにも、こうしたことを知っておく必要があるのかもしれないと思いました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
古代から多くの人々の信仰の中心となってきた宗教的な聖地というものは、そもそも、どうしてその場所に存在するようになったのでしょう? これは、考えてみればとても不思議なことで、人間の思考や理屈をはるかに超越した問題のようにも思われます。
この本は、そうした問題に光を当てる試みです。主に、神社の立地について書かれているのですが、神社と周辺の地形、あるいは神社相互の位置関係を読み解くための一つの方法として、著者の宮元健次氏は「自然暦」に着目しています。
「自然暦」とは、古代人が太陽の動きを神社の配置に応用したものです。夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日没が、ある神社から見て、山の頂上とか、祖先の墳墓や他の神社など、特定の場所で起きるように全体がセッティングされており、このような仕組みは世界各地でも見つかっているようです。
この本では、伊勢神宮、出雲大社、熊野本宮大社、日吉大社、鹿島神宮といった、日本の超有名な神社が次々に紹介され、その周辺の重要な神社や古代遺跡、山などの自然物が、自然暦のライン上にきれいに乗っていることが示されています。
驚くべきは、そうした自然暦に基づくラインが、各々の神社周辺の地域に適用される小規模なものだけではなく、日本を横断するほどの長大なラインも見つかっていることです。
例えば、鹿島神宮から西へ向かい、諏訪大社、出雲国府跡を貫く東西のラインは、さらに海を越えて、かつての新羅の都である慶州にまで達しているといいます。
古代人は、このような正確なラインを導き出すために、一体どのようなテクノロジーを用いていたのでしょうか? この本では、当時の人々が具体的にどのような作業を行ったかについては触れていませんが、いずれにしても、こうしたラインによって日本各地を結ぶために、莫大な時間と労力が費やされたことは確かでしょう。
それにしても、自然暦の面白いところは、ある一つの神社ではなく、周辺の地形や神社相互の配置が描き出す全体のパターンを把握することによって、初めてそこに意味が浮かび上がってくるということです。つまり、ある特定の場所自体に意味があるというよりは、自然暦のシステム内において、それぞれの場所と他の場所との相対的な位置関係が意味を生じさせるのです。
そして、このシステムのすごいところは、その一部が災害や戦火によって失われたり、時代とともに忘れ去られたりしても、自然暦を理解している人間さえいれば、残された部分から全体のパターンをいつでも復元したり、補強したりすることが可能だということです。
それは、研究者にとっても同様で、いったんそのシステムの存在に気がつきさえすれば、ライン上の寺社相互の関係や、それらを創建したり、深く関わりをもった人物がそこに秘めた意図が、芋づる式に浮かび上がってくるのです。
日本の場合、古代人の作り上げたこのような自然暦上のポイントが、今でも聖なる場所として信仰の対象となり、保存され続けているというのは驚くべきことですが、別の見方をすれば、それは、自然暦のシステムを保持し、強化し、新たなシステムをつけ加えるという作業が、時代を通じて人々に受け継がれ、何度も繰り返されてきたということなのでしょう。
実際、この本の中でも、古代人だけではなく、豊臣秀吉公や徳川家康公が自らの神格化を図るため、その墓所の配置に自然暦のラインを応用した例や、また、明治以降の東京においても、新たな神社や施設の配置にこうしたシステムを応用したとみられる例が示されています。
もちろん、自然暦という観点だけで、聖地や寺社の立地をすべて説明できるわけではないし、こうした人工的な秩序形成システムが導入される以前、つまり「自然暦以前」の世界において、聖なる場所がどのようにして見出されたのかという問題は依然として残るのですが……。
それはともかく、昔の人にとっては、太陽の運行と聖なる場所が密接に関わりあっていることなど、改めて説明されるまでもない、常識に属することだったのかもしれませんが、私のような現代人にとっては、こうした自然暦の仕組みを知ること自体が、新鮮な驚きだったりするのです。
思えば、私自身、最後に日の出を眺めたのはいつのことだったのでしょう……。
私のように、日常の生活が自然のリズムからすっかり離れてしまった人間こそ、何か基本的で大事なことをこれ以上見失わないためにも、こうしたことを知っておく必要があるのかもしれないと思いました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
2008.12.06 Saturday
古本の価値
12月3日の夜、ぼんやりとテレビを見ていたら、テレビ朝日の「シルシルミシル」という番組の中で、古本チェーンのブックオフのビジネスが紹介されていました。
短いながらも、とても興味深い内容でした。
買い取られた古本が、研磨機にかけられ、日に焼けた天・地や小口の部分が削られてきれいになったり、カバーの汚れが洗浄液で落とされたりして新品同様に生まれ変わり、買い取りからほんの数分で店頭に並んでしまうというプロセスも面白いのですが、私が一番興味をそそられたのは、ブックオフの買い取りマニュアルの紹介でした。
ブックオフの場合、買い取り価格に影響するのは、本の内容的な価値とか希少性ではなく、外見の美しさだけです。
短いながらも、とても興味深い内容でした。
買い取られた古本が、研磨機にかけられ、日に焼けた天・地や小口の部分が削られてきれいになったり、カバーの汚れが洗浄液で落とされたりして新品同様に生まれ変わり、買い取りからほんの数分で店頭に並んでしまうというプロセスも面白いのですが、私が一番興味をそそられたのは、ブックオフの買い取りマニュアルの紹介でした。
ブックオフの場合、買い取り価格に影響するのは、本の内容的な価値とか希少性ではなく、外見の美しさだけです。
ランク特A : 簡単な拭き取りでお店に並ぶもの
ランクA : 拭き取り・簡単な研磨で商品になる
ランクB : 洗浄液での拭き取り・全面の研磨
ランクC : 汚れがあり販売価格が「105円」で商品になる
ランクD : 「自費出版」「破れている本」「週刊誌」などは商品にならず、買取値段がつかないため、店に並ばず古紙回収へ
(テレビ朝日 「シルシルミシル」番組ウェブサイトより)
このように、本の内容には一切関知せず、本の見た目だけを基準にすることについては、多くの本好きには大いに不満かもしれませんが、古本の流通を純粋にビジネスとして考えるなら、これは実に理にかなっています。
こうすることによって、本の買い取りの際に、本の内容に関する知識や経験は一切不要になり、誰でも査定ができるようになるし、買い入れプロセス自体が極限まで効率化できるからです。
ただ、番組の中で、6,000冊の本の買い取り価格が10万円、一冊当たり20円にもならなかったというエピソードを聞いたときには、何かシュンとしてしまいました。
それを売ったのがどんな人かは分かりませんが、自宅に数千冊もの蔵書があったというのは、よほどの読書家でしょう(もしかすると全部マンガだったかもしれませんが)。本人が亡くなられて、遺族の方が蔵書を処分しようとしたのでしょうか。失礼ながら、本当に読書の好きな人なら、自分の本をまとめてブックオフで処分しようとは考えないと思うので……。
6,000冊といえば、購入時に1冊1,000円だったと安めに見積もっても600万円です。それが古本として買い取られるときには、その数十分の一にしかならないことを考えると、本というのはいつの間にか、時とともに朽ち果てていく消耗品になったんだな、という気がしてきます。
ただ、個人の蔵書というものは、考えてみれば、その価値を認識しているのは本人だけでしょう。たとえ家族であっても、その価値を共有しない人にとっては、それは単に場所をとるだけのゴミの山に過ぎません。
それに、古本屋だってビジネスです。売り物になるかという視点で見れば、やはり茶色く変色したような古い本は、店頭に並べるわけにはいかないのでしょう。
ブックオフの売り場に並んだ後、しばらくたっても売れない本は「105円コーナー」に回され、それでも売れない本は古紙回収に回されるという話も、現代の日本における本の運命を身も蓋もなく示しているようです。
タテマエとしては、どんな本にもそれなりの価値があるし、本は大切にすべきだ、と言いたいところですが、次から次へと書店に並んでは消えていく本の洪水を前にして、読者のホンネとしては、自分の人生の貴重な持ち時間と天秤にかけたうえで、読むべき本を厳選せざるを得ません。
また、新刊・古書を問わず、本屋の売り場面積にも物理的に限りがある以上、売れない本、古くなった本は、次々に表舞台から姿を消していかざるを得ないし、そうなることで、本の世界でも、適切な新陳代謝が行われているのでしょう。
現在のように、本がまるで生鮮食品のように扱われる状況を前提にすれば、ブックオフのビジネスは、見た目の新しさ、つまり本の「鮮度」だけを基準にするという点で、現状に最も適したやり方なのかもしれません。
個人的には、古くて汚く見えるというだけの理由で、もしかしたら私にとって素晴らしい価値があるかもしれない本が、どんどんリサイクルに回されているのかと思うと、いたたまれない気持ちになります。
しかし、出版される本は時間とともに増える一方だし、そのすべての本を永久に保存し続けることなどできません。仮にそれがすべて目の前に存在したとしたら、読者としても、一体どの本を読んだらいいのか、途方に暮れてしまうでしょう。
その意味では、新しい本と古い本が絶えず入れ替わっていくことは必要なのだろうし、その新旧のバランスや、書籍の市場規模を考えると、何だかんだ言ってみても、結局のところは、現在の状況が最善といえるのかもしれません……。
JUGEMテーマ:今日見たテレビの話
2008.12.02 Tuesday
ネパールのお騒がせ「断食少年」再び出現
うかつにも気づかなかったのですが、先日、ネパールのあの「断食少年」が、1年間の沈黙を破って再び人前に現れていたのだそうです。
しかし、彼は大勢の信者らを前に説法したのち、すぐまた姿を消してしまいました。
しかし、彼は大勢の信者らを前に説法したのち、すぐまた姿を消してしまいました。
【ネパールの「仏陀の化身」、再び姿を消す】
[カトマンズ 22日 ロイター] 多くの人が「仏陀(ぶっだ)の化身」と信じるネパールのラム・バハドゥール・バンジャンさん(17)が、数千人の信者らの前に姿を現した後、再び行方が分からなくなった。警察当局が22日明らかにした。
それによると、バンジャンさんはカトマンズの南東約150キロのラタンプリで約10日間にわたって信者らに説法などをしていたが、21日になって再び姿を消したという。
バンジャンさんは2005年、密林の木陰で約10カ月にわたって瞑想(めいそう)するのを多くの人が見に訪れるようになり、一躍有名となっていた。
10日前には約1年ぶりに姿を見せたバンジャンさんだが、行方が分からなくなるのは過去3年間で3回目となる。
警察によると、バンジャンさんは22日、5000人以上を相手に25分の説法を行った後、瞑想のため地下施設に入って行ったという。
彼はここ数年のあいだに、出現したり、いなくなったりを何度も繰り返しているため、ネットで過去のニュースなどを追っているうちに、頭の中がゴチャゴチャしてきた人もいるかもしれません。
そこで、今までの経緯をちょっと整理してみました。
2005年夏、カトマンズの南東約150キロのバラ地区で、食事も水もとらずに瞑想を続けている少年が話題になり、「ブッダの化身だ」と噂されて巡礼が押しかける。
2006年3月、瞑想を始めて約10カ月後、「6年後に再び現れる」と言い残し、姿を消す。
2006年12月、バラ地区で、ジャングルの樹下に坐っているところを発見される。
2007年3月、「他の場所で瞑想を行う」と言い残して再び姿を消す。
2008年11月、カトマンズの南東約150キロのラタンプリに現れ、10日ほど信者に説法したのち、再び姿を消す。
少年の名前は、ニュース記事によってバンジャンさんだったり、バムジョンさんだったり、ボムジャンさんだったりと、どれが正しい表記なのかすら謎のままです。
それに、今回のニュースで新たに出てきた「地下施設」とは何なのか、少年をめぐる謎がまた一つ増えてしまいました。
それはともかく、この少年の最新のニュース映像があります。
映像の中の僧侶の発言によれば、2005年に瞑想を始めて以来、少年は3年7カ月以上にわたって断食を続けているということになります。
彼がジャングルから出現するたびに、こうして世界中にニュースが駆けめぐるという意味では、彼はすでに世界の大物扱いになっているわけですが、私個人としては、何かいかがわしさのようなものを感じずにはいられません。
そもそも、彼が有名になったきっかけは、(本当かどうかは未だに検証されていませんが)何も食べず、水も飲まずに何か月ものあいだ瞑想を続けているという「奇跡」にありました。
この「不食」という現象自体に関しては、ネパールの少年以外にも世界各地に事例があるようで、テレビでたまに取り上げられることがあるし、私も非常に興味があります。
ただ、今回のケースに限っていえば、少年が本当に不食を続けているのか大いに疑惑が持たれているにもかかわらず、第三者による何らかの調査によってそれを払拭しようとする動きはなく、そういう機運が周囲で高まっても、その頃には少年はジャングルの中に姿を消してしまいます。
その間も、「断食期間」の方はずっとカウントされ続けているようですが、誰も見ていないところで断食をしているといっても、それでは疑い深い現代人を信用させることはできないのではないでしょうか。
それに、不食の問題とは別に、少年をとりまく人々がことさらに「奇跡」を演出し、それを利用しようとする思惑のようなものも感じられて、それがうさん臭さを増幅してしまうのです。
それにしても、私は思うのですが、もし少年が本当に「仏陀の化身」といえるほどの非常に賢明な人物であるのなら、今のような時代に、こうした「奇跡」によって人々の注目を集め、カリスマを高めるような、時代がかったやり方はしないのではないでしょうか。
ただ、少年は今回の出現の際に、人々に向かって「説法」をしたということなので、それがどのようなものだったのか、その内容を一応チェックしてみたいという気はしますが……。
これから少年はどうなるのでしょう? 今後も一年に一度くらいのペースで人々の前に現れては消え、そのたびに少しずつカリスマを高めていく計画なのでしょうか? そして、世界の有名人になったあと、彼はいったい何をするつもりなのでしょう?
もしかして、数年後、人々の期待がそれなりにピークに達したところで、実は、これは全部「やらせ」で、手の込んだドッキリ企画でした、なんてことになったりして……。
記事 「ネパールの断食少年は今どこに?」
記事 「ネパールの断食少年再び出現!?」
記事 「ネパールの断食少年続報」
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