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2009.02.25 Wednesday
『なみのひとなみのいとなみ』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
この作品は、ユニークな紀行エッセイで知られる宮田珠己氏が、これまで新聞や雑誌に旅行以外のテーマで書いてきたエッセイを集めたものです。
日常生活のささいな違和感を、独特の視点からどんどん変な方向に掘り下げていくようなエッセイから、少年時代やサラリーマン時代の自伝的なエピソード、サブカルチャーの書評や映画評まで、盛り沢山の内容です。
例によって、読んでいるうちに、どこまでが真面目なメッセージでどこからが冗談なのかさっぱり分からなくなってくるし、話の方もいつのまにか突拍子もない方向に飛んでいったりと、読者の方向感覚を大いに狂わせ、楽しませてくれます。
そして、このなんとも風変わりな脱力系日常エッセイを読んでいると、何かのきっかけで私たちの凝り固まったものの見方をちょっと変えることさえできれば、わざわざ遠い国まで旅をしなくたって、一見退屈な日常生活の中に、未知で奇妙なモノや笑えるネタが満ち満ちているということに改めて気づかされます。
個人的な好みで言えば、これまでに読んだ彼の何冊かの旅行エッセイよりも、この作品の方が面白いと思いました。
宮田氏が、この独特の文体をどのようにして身につけたのか、どんな生い立ちで日頃どんな暮らしをしているのか、以前から何となく気になっていたのですが、この本を読んでみて、そのあたりのことがおぼろげながら見えてくるような気がしました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
この作品は、ユニークな紀行エッセイで知られる宮田珠己氏が、これまで新聞や雑誌に旅行以外のテーマで書いてきたエッセイを集めたものです。
日常生活のささいな違和感を、独特の視点からどんどん変な方向に掘り下げていくようなエッセイから、少年時代やサラリーマン時代の自伝的なエピソード、サブカルチャーの書評や映画評まで、盛り沢山の内容です。
例によって、読んでいるうちに、どこまでが真面目なメッセージでどこからが冗談なのかさっぱり分からなくなってくるし、話の方もいつのまにか突拍子もない方向に飛んでいったりと、読者の方向感覚を大いに狂わせ、楽しませてくれます。
そして、このなんとも風変わりな脱力系日常エッセイを読んでいると、何かのきっかけで私たちの凝り固まったものの見方をちょっと変えることさえできれば、わざわざ遠い国まで旅をしなくたって、一見退屈な日常生活の中に、未知で奇妙なモノや笑えるネタが満ち満ちているということに改めて気づかされます。
個人的な好みで言えば、これまでに読んだ彼の何冊かの旅行エッセイよりも、この作品の方が面白いと思いました。
宮田氏が、この独特の文体をどのようにして身につけたのか、どんな生い立ちで日頃どんな暮らしをしているのか、以前から何となく気になっていたのですが、この本を読んでみて、そのあたりのことがおぼろげながら見えてくるような気がしました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
2009.02.21 Saturday
旅の名言 「タマネギの皮を剥くようにして……」
ではインドにおいて私は何を信じ、何を見ようとしていたかということになるが、それは実にシンプルなものだった。つまり自分の肉眼が確かに見ることのできる目の前の事実や存在のひとつひとつだったのだ。それはたとえば目の前にころがっている河原の小石であったり、膝の上に落ちてきた一葉の木の葉であったり、一生ミルクばかり搾っているミルク屋のオヤジの顔であったり、火葬場で焼かれている人間の足の裏であったりと、決して大げさなものではなく、ただの日常にすぎなかった。タマネギの皮を剥くようにして最後に現れた虚飾のない事実や存在こそ私にとっては信じうるものだったのだ。そしてそれはまた自分の新たな世界観を構築するためのひとつひとつの部材でもあったわけだ。
『黄泉の犬』 藤原 新也 文藝春秋 より
この本の紹介記事
藤原新也氏は、今やインド紀行の古典となった感のある『印度放浪』の著者として有名ですが、この『黄泉の犬』は、1995年のオウム事件を機に、彼自身の若い頃のインドへの旅の記憶を甦らせ、旅や宗教について、そして現代の日本について独自の観点から語った異色の作品です。
高度経済成長真っ只中の日本で、自分の存在が希薄になっていくような危機感を抱いた藤原氏は、インドに旅立ち、そこでインドの突きつける圧倒的なリアリティに一人向き合っていました。その壮絶な旅のプロセスについては、ぜひ本文を読んでいただきたいのですが、当時を振り返り、自らがインドにおいて何を見ようとしていたのかについて、藤原氏は冒頭の引用のように語っています。
「自分の肉眼が確かに見ることのできる目の前の事実や存在のひとつひとつ」を、ただ受け入れていくというのは、話としては「実にシンプル」に聞こえます。しかし、このシンプルさに到達するまでに、彼は「タマネギの皮を剥くようにして」、彼自身の中にある虚飾をも、次々に剥ぎ取っていかなければならなかったはずです。
そしてそれは、藤原氏が70年代のインドで見かけた「もろい旅行者」たち、つまり、インドの厳しいリアリティに向き合うことができずに、個人的な妄想やさまざまな既成宗教の枠組みの中に逃げ込んでしまった旅人たちにはできなかったことでした。
ただ、多くの「もろい旅行者」たちが、当時(あるいは現在もなお)、旅の中でつまずき、あるいは道を誤っていったことについて、私は単純にそれを非難できるような立場にはありません。
私もバックパッカーとしてインドを旅したことがありますが、正直な話、藤原氏のように徹底した、凄まじい旅はとてもできませんでした。それに、インド自体もまた、ここ数十年の間に少しずつ変わりつつあるようです。他の国々と同様に、旅の便利さや快適さが増すと同時に、インドの剥き出しのリアリティに否応なく直面させられるような機会も、少しずつ減りつつあるのかもしれません。
だから私自身も、「もろい旅行者」の一人だったのかもしれないし、藤原氏の言うシンプルさというものを、本当の意味で分かっているのかといえば、かなり怪しいものだと思います。
しかしそれでも、時代の風潮というものにただ巻き込まれていくことを拒否し、自らが信じるに足る「自分の新たな世界観を構築」していくためには、インドに行くかどうかはともかくとして、一度は、彼のように徹底して自らの内面を解体しなければならないだろうということは理解できる気がします。
もっとも、藤原氏は決して、いわゆる唯物論的な意味で目に見えるものしか信じないと言っているわけではなく、そういうパターン化された思考や社会的な約束事を一旦すべて自分から引き剥がし、最後に残る疑いようのないリアリティを出発点に、自分の中から自然に立ち上がってくるものだけを頼りに、自らの世界観を築き上げていったということなのだと思います。
もちろん、インドを旅する人のすべてがここまでやらなければならないわけではありません。それは結局、それぞれの旅人が、自分の人生や生き方に対して、どれだけ切迫した問題意識を持っているかによるのでしょう。
JUGEMテーマ:旅行
2009.02.17 Tuesday
砂漠の洞窟不動産
中国・甘粛省の敦煌に滞在していたときのことです。
宿のドミトリーで知り合った日本人旅行者数人と、ミニバスに乗って、世界遺産の莫高窟に向かいました。
莫高窟には唐代を中心に、前後千年にもわたって掘り続けられたという数百の石窟が残されています。井上靖氏の小説『敦煌』や、TV番組の「シルクロード」などで紹介されたこともあり、日本人にはよく知られた観光名所です。
ウィキペディア 「莫高窟」
やがて私たちの前に、断崖に穿たれた無数の洞窟が見えてきました。といっても、実際には新しくコンクリートで補修が加えられ、それぞれの石窟の入口には防犯用の鉄扉もついているので、遠目にはまるで崖下に作られたアパートか何かのように見えます。
インターネットで調べると、現在、莫高窟の入場料はべらぼうな金額になっているようですが、私が旅した頃はその数分の一ほどでした。
それでも決して安いとはいえない入場料を払うと、数え切れないほどある石窟のうちのごく一部を、中国人ガイドが引率して案内してくれます。ごく一部といっても、貴重な「敦煌文献」が秘蔵されていた場所や、天井までびっしりと仏教壁画で埋め尽くされた石窟、大仏や寝釈迦仏の安置された石窟など、主だった見どころは網羅されているし、壁画には鮮やかな色彩がまだ残っていて、当時の華やかさをしのぶことができます。
また、「基本料金」の他に、さらに高額な特別料金を払うと、他の重要な石窟も追加で見学できる仕組みになっています。
ただし、ガイドが扉のカギを持っていて、一つひとつの石窟のカギを開け閉めしながら案内するので、自分のペースで自由にあちこち覗きまわることはできません。一つの洞窟に団体でドヤドヤと入り、中を数分間見学して、またドヤドヤと出ていく感じなので、ゆっくりと壁画を鑑賞したり、感慨に浸っている余裕はありません。
個人的な理想をいえば、ひとり薄暗い洞窟の中に座り、壁画を見上げたりしながら静かに時を過ごせたらいいなあと思っていたのですが、そういうぜいたくは許されないようです。
まるで時間を惜しむかのように、あちこちの「部屋」を慌ただしく出入りしていく様子は、まるで、不動産屋に連れられてオススメ物件を見て回るのにそっくりです。それに、払う金に応じて入れる部屋が違うというシステムも、実に資本主義的というか、現代のマンションやホテルにそっくりです。
考えてみれば、かつてはこれらの洞窟の中にも多くの人が暮らしていたわけで、そういう意味では、ここも一種の不動産物件といえなくもないのかもしれません。
さらに皮肉な言い方をすれば、マンションやホテルのような物件の場合、基本的に物件を購入したり、そこに住んだり泊まったりすることで初めてお金のやり取りがあるわけですが、ここの場合は、ただ物件を見るだけのためにお金を払わなければなりません。管理する側にとっては、多くの人に見せれば見せるほどお金が稼げるわけで、これは不動産の域を超えているというべきでしょう。
私は莫高窟について、ほとんど何の下調べも予備知識もなく見学したので、「基本料金」分だけで十分満足できましたが、この遺跡について詳しい人なら、実際に見てみたい石窟がいくつもあるはずで、そのたびに特別料金を追加徴収されるとなると、相当なフラストレーションを感じるのではないでしょうか。
でもまあ、それだけ熱心なファンなら、実物をただ一目見るためだけに多額の出費を重ねることも厭わないのかもしれないし、現地の物価水準に慣れてしまったバックパッカーとは違い、団体のツアー客なら、それほど高いとも感じないかもしれません。
それに、世界中の人々に知られた人気の高い遺跡だからこそ、すべての観光客をそのまま受け入れ、自由に見学するままに任せていたら、狭い洞窟の壁面に描かれた繊細な美術品は、すぐに傷んでしまうでしょう。私が見学するその行為自体も、わずかながらその風化を促進してしまうわけで、そう考えると、こうした厳しい管理や高い入場料も仕方のないことではあります。
いろいろと余計なことを書いてしまいましたが、これは莫高窟の本質とは関係のない話で、石窟遺跡自体はすばらしいものでした。当時、西の彼方から砂漠を越えてやってきた仏教という新しい信仰に人生を捧げ、莫高窟の造営に心血を注いだ人々の熱意がヒシヒシと伝わってきます。
ただ、そうは言ってもやはり、文化財保護の名目で鉄の扉の向こうに閉じ込められ、当時の信仰とは切り離された美術品として、金持ち観光客の見物対象になってしまったこの遺跡の姿には痛々しいものを感じたし、そうした印象が、遺跡をこの目でじかに見た感動をかなり打ち消してしまったのは確かです。
莫高窟自体は、当時そこに生きていた人々の熱い信仰が残した抜け殻のようなものですが、その抜け殻があまりに美しく、後世の人々の強烈な関心を惹きつけてしまったがゆえに、時間とともに少しずつ朽ち果てていくという本来の道に従うことを許されず、こうして見せ物のような運命をたどることになったのは、何とも皮肉です。
これはあくまで個人的な趣味の問題かもしれませんが、遺跡というのは、人間の管理の手からできるだけ離れ、そのまま自然に朽ちていくままになっている方が遺跡らしいと思うし、できれば、周囲の景観も含めて、遺跡全体が醸し出す雰囲気を、ゆっくりと静かに味わえるところの方がいいと思います。
そういう意味では、世界遺産のように「超有名」になっていないところの方が、訪れた人の総合的な満足度という点では、ずっとコストパフォーマンスが高いといえるかもしれません。
例えば、同じシルクロードなら、トルファン(吐魯番)の郊外に、交河故城という遺跡があります。
宿のある市街地から、自転車をゆっくりこいで数十分ほどで行けるので、タクシーをチャーターしたりツアーに参加したりする必要もなく、好きなときに、一人でぶらっと立ち寄ることができます。
もっとも、そこには、美術的に価値のありそうな建物は残っておらず、風化の進んだ、荒れ果てた街の跡があるだけです。私が行ったときには見物する人もごくわずかでしたが、午後の強烈な陽射しの中、人の気配のない、乾き切った廃墟にボーッと立ち尽くしていると、何ともいえない感傷がこみ上げてきました。
テレビの「シルクロード」的な雰囲気をじっくりと味わいたいのなら、こうした、何でもなさそうな遺跡の方がずっとふさわしいのかもしれません。
もっとも、そんな何もないような遺跡でも、入場料だけはしっかり取られますが……。
JUGEMテーマ:旅行
宿のドミトリーで知り合った日本人旅行者数人と、ミニバスに乗って、世界遺産の莫高窟に向かいました。
莫高窟には唐代を中心に、前後千年にもわたって掘り続けられたという数百の石窟が残されています。井上靖氏の小説『敦煌』や、TV番組の「シルクロード」などで紹介されたこともあり、日本人にはよく知られた観光名所です。
ウィキペディア 「莫高窟」
やがて私たちの前に、断崖に穿たれた無数の洞窟が見えてきました。といっても、実際には新しくコンクリートで補修が加えられ、それぞれの石窟の入口には防犯用の鉄扉もついているので、遠目にはまるで崖下に作られたアパートか何かのように見えます。
インターネットで調べると、現在、莫高窟の入場料はべらぼうな金額になっているようですが、私が旅した頃はその数分の一ほどでした。
それでも決して安いとはいえない入場料を払うと、数え切れないほどある石窟のうちのごく一部を、中国人ガイドが引率して案内してくれます。ごく一部といっても、貴重な「敦煌文献」が秘蔵されていた場所や、天井までびっしりと仏教壁画で埋め尽くされた石窟、大仏や寝釈迦仏の安置された石窟など、主だった見どころは網羅されているし、壁画には鮮やかな色彩がまだ残っていて、当時の華やかさをしのぶことができます。
また、「基本料金」の他に、さらに高額な特別料金を払うと、他の重要な石窟も追加で見学できる仕組みになっています。
ただし、ガイドが扉のカギを持っていて、一つひとつの石窟のカギを開け閉めしながら案内するので、自分のペースで自由にあちこち覗きまわることはできません。一つの洞窟に団体でドヤドヤと入り、中を数分間見学して、またドヤドヤと出ていく感じなので、ゆっくりと壁画を鑑賞したり、感慨に浸っている余裕はありません。
個人的な理想をいえば、ひとり薄暗い洞窟の中に座り、壁画を見上げたりしながら静かに時を過ごせたらいいなあと思っていたのですが、そういうぜいたくは許されないようです。
まるで時間を惜しむかのように、あちこちの「部屋」を慌ただしく出入りしていく様子は、まるで、不動産屋に連れられてオススメ物件を見て回るのにそっくりです。それに、払う金に応じて入れる部屋が違うというシステムも、実に資本主義的というか、現代のマンションやホテルにそっくりです。
考えてみれば、かつてはこれらの洞窟の中にも多くの人が暮らしていたわけで、そういう意味では、ここも一種の不動産物件といえなくもないのかもしれません。
さらに皮肉な言い方をすれば、マンションやホテルのような物件の場合、基本的に物件を購入したり、そこに住んだり泊まったりすることで初めてお金のやり取りがあるわけですが、ここの場合は、ただ物件を見るだけのためにお金を払わなければなりません。管理する側にとっては、多くの人に見せれば見せるほどお金が稼げるわけで、これは不動産の域を超えているというべきでしょう。
私は莫高窟について、ほとんど何の下調べも予備知識もなく見学したので、「基本料金」分だけで十分満足できましたが、この遺跡について詳しい人なら、実際に見てみたい石窟がいくつもあるはずで、そのたびに特別料金を追加徴収されるとなると、相当なフラストレーションを感じるのではないでしょうか。
でもまあ、それだけ熱心なファンなら、実物をただ一目見るためだけに多額の出費を重ねることも厭わないのかもしれないし、現地の物価水準に慣れてしまったバックパッカーとは違い、団体のツアー客なら、それほど高いとも感じないかもしれません。
それに、世界中の人々に知られた人気の高い遺跡だからこそ、すべての観光客をそのまま受け入れ、自由に見学するままに任せていたら、狭い洞窟の壁面に描かれた繊細な美術品は、すぐに傷んでしまうでしょう。私が見学するその行為自体も、わずかながらその風化を促進してしまうわけで、そう考えると、こうした厳しい管理や高い入場料も仕方のないことではあります。
いろいろと余計なことを書いてしまいましたが、これは莫高窟の本質とは関係のない話で、石窟遺跡自体はすばらしいものでした。当時、西の彼方から砂漠を越えてやってきた仏教という新しい信仰に人生を捧げ、莫高窟の造営に心血を注いだ人々の熱意がヒシヒシと伝わってきます。
ただ、そうは言ってもやはり、文化財保護の名目で鉄の扉の向こうに閉じ込められ、当時の信仰とは切り離された美術品として、金持ち観光客の見物対象になってしまったこの遺跡の姿には痛々しいものを感じたし、そうした印象が、遺跡をこの目でじかに見た感動をかなり打ち消してしまったのは確かです。
莫高窟自体は、当時そこに生きていた人々の熱い信仰が残した抜け殻のようなものですが、その抜け殻があまりに美しく、後世の人々の強烈な関心を惹きつけてしまったがゆえに、時間とともに少しずつ朽ち果てていくという本来の道に従うことを許されず、こうして見せ物のような運命をたどることになったのは、何とも皮肉です。
これはあくまで個人的な趣味の問題かもしれませんが、遺跡というのは、人間の管理の手からできるだけ離れ、そのまま自然に朽ちていくままになっている方が遺跡らしいと思うし、できれば、周囲の景観も含めて、遺跡全体が醸し出す雰囲気を、ゆっくりと静かに味わえるところの方がいいと思います。
そういう意味では、世界遺産のように「超有名」になっていないところの方が、訪れた人の総合的な満足度という点では、ずっとコストパフォーマンスが高いといえるかもしれません。
例えば、同じシルクロードなら、トルファン(吐魯番)の郊外に、交河故城という遺跡があります。
宿のある市街地から、自転車をゆっくりこいで数十分ほどで行けるので、タクシーをチャーターしたりツアーに参加したりする必要もなく、好きなときに、一人でぶらっと立ち寄ることができます。
もっとも、そこには、美術的に価値のありそうな建物は残っておらず、風化の進んだ、荒れ果てた街の跡があるだけです。私が行ったときには見物する人もごくわずかでしたが、午後の強烈な陽射しの中、人の気配のない、乾き切った廃墟にボーッと立ち尽くしていると、何ともいえない感傷がこみ上げてきました。
テレビの「シルクロード」的な雰囲気をじっくりと味わいたいのなら、こうした、何でもなさそうな遺跡の方がずっとふさわしいのかもしれません。
もっとも、そんな何もないような遺跡でも、入場料だけはしっかり取られますが……。
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2009.02.13 Friday
旅の名言 「いかにもインドらしい……」
デリーでアジア競技大会の開催が近づいたころ、それまで街に溢れていた乞食がすっかり姿を消してしまった。しばらくして僕は、乞食たちがつぎつぎとトラックに乗せられ、三日分の食料とともに砂漠に捨てられたといううわさを聞いた。いかにもインドらしいうわさである。そのときは半信半疑だったが、それから数年して、それがどうやら事実らしいことを知った。
ある信頼できる本がそのことに触れていたのと、僕の友人の友人である日本人が、インド人の乞食と間違えられ、当時のデリーで、じっさいトラックに積みこまれそうになったという話を聞いたからである。
『インドの大道商人』 山田 和 講談社文庫 より
この本の紹介記事
バックパッカーがインドでよく耳にする都市伝説の一つに、「デカン高原に捨てられた乞食」という話があります。
ある日突然、インド政府が街中の物乞い全員をトラックに乗せて連れ去り、デカン高原まで運んで捨ててきてしまったという、ちょっとありえないような話なのですが、その突き抜けた荒唐無稽さには、どこか「インドらしい」ところも感じられて、聞く人はなぜか、やっぱりインドって凄いよね、みたいに、妙に納得してしまったりするのです。
私はこの話を日本でも聞いたことがあるので、旅人の間だけの話というよりは、日本国内でもかなり広く知られた都市伝説なのでしょう。
しかし驚くべきことに、山田和氏は『インドの大道商人』の中で、これはどうも本当の話だったらしいと書いています。もっとも、「デカン高原」という地名については、話が伝わる中で尾ひれとしてつけ加えられたもののようですが……。
アジア競技大会がデリーで開催されたのは、1951年の第1回大会と1982年の第9回大会の2回ですが、山田氏がその時期にインドにいたということは、1982年ということになります。
1980年代といえば、伝説や歴史の時代ではなく、まさに現代です。日本人の常識からすればとても信じられない話ですが、世界のあちこちでは、今なお、私たちの通念をはるかに超える出来事が起きているようです。
ところで、今になって思うのは、この本に書かれた情報自体が、この都市伝説の流布に力を与えた可能性があるかもしれないということです。この本を読んで衝撃を受けた読者が、あちこちの酒の席などで話を広めたからこそ、日本の各地や、多くの旅人の間にこの話が伝わったとも考えられます。
ちなみにこの都市伝説には話の続きがあって、デカン高原に捨てられた物乞いのほとんどが、数カ月後、かつて暮らしていた街まで歩いて戻ってきたという「オチ」になっています。そこには、人間のたくましさや、ささやかな救いのようなものも感じられるのですが、これもまた、後からつけ加えられた創作部分に過ぎないのかもしれません。
本当のところはどうだったのでしょうか? 今、デリーの街で暮らしている物乞いの中には、もしかすると、30年近く前のアジア大会のとき、実際にその事件を生き延びたという人がいるのかもしれません……。
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2009.02.09 Monday
『TOKYO 0円ハウス0円生活』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
この本は、いわゆるホームレスの人たちが住んでいる、ビニールシートや廃材などを利用した路上の家を、手近な素材を用いて住人自らが建築する「0円ハウス」として捉え、そこに「人間が本能的に建てようとする建築の世界」を見出そうとする、とてもユニークな試みです。
以前にこのブログでも紹介した長嶋千聡氏の『ダンボールハウス』も、同じ視点に立つ作品だと言えますが、本書では路上の家の観察にとどまらず、さらにそこに住む人々の生活にまで踏み込んで、彼らの住まいや暮らしの中に垣間見えるさまざまな工夫やアイデアの中に、私たちが大都市という環境で生きていく上での新しい可能性を探っていこうとしています。
著者の坂口恭平氏は、隅田川の堤防沿いにある路上生活者の家を調べているとき、空き缶拾いで生計を立てている「鈴木さん」と「みっちゃん」に出会いました。
二人は、そこにブルーシートの家を作って暮らしているのですが、その建材である木材、シート、ゴザなどに始まって、釘や工具、収納ケースや電化製品に至るまでのすべてが路上から拾われたもので、お金を払って購入されたものは一切ありませんでした。しかも、室内は自動車用の12ボルト・バッテリーによって電化され、バイク用のライトを使った電灯や、テレビ、ラジカセまであります。
また、隅田川では1カ月に1度、河川を管理する国交省による点検・清掃作業があるので、そのつど家を一時撤去しなければならないのですが、住人たちはそうした条件を踏まえ、自宅をすぐに分解・再組み立てできるように工夫を凝らしているのです。
さらに坂口氏は、二人の空き缶拾いの仕事にも同行するのですが、彼らが周囲の街を詳細に把握し、近所の人々とも友好的な人間関係を築いたうえで、大量の空き缶を非常にシステマティックに集めていく姿に驚かされます。
本書の前半では、鈴木さんたちの住む「0円ハウス」に秘められた数々の画期的なアイデアや彼らの暮らしぶりが、詳細なイラストつきで報告されています。
生活のすべてを包み隠さず見せてくれる鈴木さんも凄いですが、それをマニアックなまでに細かく記録していく坂口氏もなかなかのものです。彼の思い入れの深さが伝わってくるようです。
一方、本書の後半には、坂口氏自身の生い立ちと、彼が「0円ハウス」に強烈な関心を抱くにいたった経緯が書かれています。
小学生の頃から建築家を志し、希望どおり大学で建築を専攻することになったものの、彼は「施主と建築家という関係しかない建築の世界」に疑問や違和感を感じるようになり、本当にやりたいことは何なのか、自分でもよく分からないまま模索を続けていました。
そんなとき、彼は多摩川の河川敷に建つ「0円ハウス」に出会い、そこに自分の求めていたものと重なる世界を見出し、その調査にのめり込んでいくのです。
これを読むと、彼が単なる思いつきやウケ狙いで「0円ハウス」に注目しているわけではないということがよく分かります。そして、「家は、独力で、図面なんかに従うのではなく、直観で、毎日自分の体のように変化させながら、作り続けた方がいい」という坂口氏の言葉には、私も共感を覚えます。
そして、そうした家を作ることが、田舎に暮らしてセルフビルドの家づくりに打ち込んでいるごく一部の人か、都会では路上生活をしている人にしか実現できないという現代社会の奇妙な状況に、改めて気づかされるのです。
ただ、言うまでもないことかもしれませんが、専門家が設計・建設した何千万円もする家をローンを組んで買うという私たちの現状が、近代的な暮らしの追求の果てに行き着いた一つの極端だとするなら、「0円ハウス」もまた、その対極にあるもう一つの極端であるように思います。
この本では、著者の志向性を反映して、路上の家の自由さ・解放感や、自分で家を作る面白さが強調されているのですが、ここで取り上げられている鈴木さんたちの生活の充実ぶりは、いわゆるホームレスの中ではたぶん例外的なもので、路上生活者の多くがもっと過酷な生活環境・心理状況にあるだろうということを忘れてはならないと思います。それに、鈴木さんたちにだって、もちろん、路上で暮らしていく上では、いろいろと大変なこともあるはずです。
また、多くの人が、「0円ハウス」的なものに対してワクワク感や憧れを感じながらも、さすがに自分がそれを実践するところまで至らないのは、やはり現代社会の暗黙のルールという一線を踏み越えることに対する怖さのようなものがあるからなのでしょう。
そう考えると、自分の住みたい家を考える際に、素材や建築費に必要以上のお金をかけない、家づくりを人生の重荷にしない、あるいは、家というものはこうあるべきだという先入観にとらわれないという意味で、「0円ハウス」という視点は非常に新鮮だし、大切でもあると思いますが、実際問題としては「0円」にこだわる必要はないし、家のもつ社会的な意味も含めた、もっと現実的なバランスを考慮する必要もあると思います。
きっと、進むべき方向は、両極端の選択肢のどちらかを選ぶことにあるのではなく、その間のどこかの、両者のメリットをほどよく織り込んだところにあるのでしょう。
それはともかく、この本を読んでいると、人間が住む家もその暮らしも、今よりももっとシンプルで、もっと気軽であっていいのではないかという気がしてきます。そして、それがたとえ拙いものであったとしても、家づくりという大事な作業を自分たちの手で行うことが、生活にワクワク感をもたらしたり、さらには人生への主体性を取り戻すという意味でも、非常に重要なことなのではないかと改めて思いました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
この本は、いわゆるホームレスの人たちが住んでいる、ビニールシートや廃材などを利用した路上の家を、手近な素材を用いて住人自らが建築する「0円ハウス」として捉え、そこに「人間が本能的に建てようとする建築の世界」を見出そうとする、とてもユニークな試みです。
以前にこのブログでも紹介した長嶋千聡氏の『ダンボールハウス』も、同じ視点に立つ作品だと言えますが、本書では路上の家の観察にとどまらず、さらにそこに住む人々の生活にまで踏み込んで、彼らの住まいや暮らしの中に垣間見えるさまざまな工夫やアイデアの中に、私たちが大都市という環境で生きていく上での新しい可能性を探っていこうとしています。
著者の坂口恭平氏は、隅田川の堤防沿いにある路上生活者の家を調べているとき、空き缶拾いで生計を立てている「鈴木さん」と「みっちゃん」に出会いました。
二人は、そこにブルーシートの家を作って暮らしているのですが、その建材である木材、シート、ゴザなどに始まって、釘や工具、収納ケースや電化製品に至るまでのすべてが路上から拾われたもので、お金を払って購入されたものは一切ありませんでした。しかも、室内は自動車用の12ボルト・バッテリーによって電化され、バイク用のライトを使った電灯や、テレビ、ラジカセまであります。
また、隅田川では1カ月に1度、河川を管理する国交省による点検・清掃作業があるので、そのつど家を一時撤去しなければならないのですが、住人たちはそうした条件を踏まえ、自宅をすぐに分解・再組み立てできるように工夫を凝らしているのです。
さらに坂口氏は、二人の空き缶拾いの仕事にも同行するのですが、彼らが周囲の街を詳細に把握し、近所の人々とも友好的な人間関係を築いたうえで、大量の空き缶を非常にシステマティックに集めていく姿に驚かされます。
本書の前半では、鈴木さんたちの住む「0円ハウス」に秘められた数々の画期的なアイデアや彼らの暮らしぶりが、詳細なイラストつきで報告されています。
生活のすべてを包み隠さず見せてくれる鈴木さんも凄いですが、それをマニアックなまでに細かく記録していく坂口氏もなかなかのものです。彼の思い入れの深さが伝わってくるようです。
一方、本書の後半には、坂口氏自身の生い立ちと、彼が「0円ハウス」に強烈な関心を抱くにいたった経緯が書かれています。
小学生の頃から建築家を志し、希望どおり大学で建築を専攻することになったものの、彼は「施主と建築家という関係しかない建築の世界」に疑問や違和感を感じるようになり、本当にやりたいことは何なのか、自分でもよく分からないまま模索を続けていました。
そんなとき、彼は多摩川の河川敷に建つ「0円ハウス」に出会い、そこに自分の求めていたものと重なる世界を見出し、その調査にのめり込んでいくのです。
これを読むと、彼が単なる思いつきやウケ狙いで「0円ハウス」に注目しているわけではないということがよく分かります。そして、「家は、独力で、図面なんかに従うのではなく、直観で、毎日自分の体のように変化させながら、作り続けた方がいい」という坂口氏の言葉には、私も共感を覚えます。
そして、そうした家を作ることが、田舎に暮らしてセルフビルドの家づくりに打ち込んでいるごく一部の人か、都会では路上生活をしている人にしか実現できないという現代社会の奇妙な状況に、改めて気づかされるのです。
ただ、言うまでもないことかもしれませんが、専門家が設計・建設した何千万円もする家をローンを組んで買うという私たちの現状が、近代的な暮らしの追求の果てに行き着いた一つの極端だとするなら、「0円ハウス」もまた、その対極にあるもう一つの極端であるように思います。
この本では、著者の志向性を反映して、路上の家の自由さ・解放感や、自分で家を作る面白さが強調されているのですが、ここで取り上げられている鈴木さんたちの生活の充実ぶりは、いわゆるホームレスの中ではたぶん例外的なもので、路上生活者の多くがもっと過酷な生活環境・心理状況にあるだろうということを忘れてはならないと思います。それに、鈴木さんたちにだって、もちろん、路上で暮らしていく上では、いろいろと大変なこともあるはずです。
また、多くの人が、「0円ハウス」的なものに対してワクワク感や憧れを感じながらも、さすがに自分がそれを実践するところまで至らないのは、やはり現代社会の暗黙のルールという一線を踏み越えることに対する怖さのようなものがあるからなのでしょう。
そう考えると、自分の住みたい家を考える際に、素材や建築費に必要以上のお金をかけない、家づくりを人生の重荷にしない、あるいは、家というものはこうあるべきだという先入観にとらわれないという意味で、「0円ハウス」という視点は非常に新鮮だし、大切でもあると思いますが、実際問題としては「0円」にこだわる必要はないし、家のもつ社会的な意味も含めた、もっと現実的なバランスを考慮する必要もあると思います。
きっと、進むべき方向は、両極端の選択肢のどちらかを選ぶことにあるのではなく、その間のどこかの、両者のメリットをほどよく織り込んだところにあるのでしょう。
それはともかく、この本を読んでいると、人間が住む家もその暮らしも、今よりももっとシンプルで、もっと気軽であっていいのではないかという気がしてきます。そして、それがたとえ拙いものであったとしても、家づくりという大事な作業を自分たちの手で行うことが、生活にワクワク感をもたらしたり、さらには人生への主体性を取り戻すという意味でも、非常に重要なことなのではないかと改めて思いました。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
2009.02.05 Thursday
ネットカフェ難民5
2月1日の日本テレビ「NNNドキュメント’09 派遣切り ネットカフェ難民5」を見ました。
この「ネットカフェ難民」シリーズが最初に放映されたのは、2007年の1月。以来、「ネットカフェ難民」という言葉は広く知られるようになりました。
日雇い派遣で辛うじて食いつなぎ、アパートを借りることもできずにネットカフェのイスの上で眠る人々の姿を2年前にテレビで初めて見た時には、私もかなりの衝撃を受けましたが、アメリカの金融危機を発端とする世界的な不況の波が押し寄せてきたことで、今や、それがごく一部の人だけの話だとは言い切れなくなりつつあるようです。
今回、番組で取り上げられていたのは、自動車メーカーの製造ラインで働いていた20代の派遣社員です。彼はネットカフェ難民ではありませんが、昨年末の「派遣切り」によって派遣会社を契約期間の途中で解雇され、同時に、住んでいた会社の寮からの退去を求められました。
取材カメラは、解雇の撤回を求めて組合を結成したり、日比谷公園の「年越し派遣村」をスタッフとして手伝う彼の姿を追っています。
内容的には、年末年始にマスコミをにぎわせた「派遣切り」や「年越し派遣村」の報道と重なる部分が多く、映像にも、すでにニュース番組などで見たものが含まれていました。
このシリーズも回を重ねるにつれ、取材の焦点がネットカフェ難民の暮らしそのものからは離れ、非正規雇用と貧困という、もっと大きなテーマへとシフトしていくのは自然な流れなのだろうと思います。ただ、テレビ番組としては最も早くからこうした問題に取り組んできたこのドキュメンタリー・シリーズが、今回は、他局を含めた最近のニュース報道と変わらない内容になってしまっているのは少し残念です。
「派遣切り」に遭った人の立場からすれば、とにかくこの不況の中で、何としてでも今の仕事を守りたいと思うのは当然で、不誠実なやり方で彼らを突然解雇し、寮からの退去を求める派遣会社に対し、組合という交渉力を使ってその撤回を求めるのは正当だと思います。
ただ、番組のナレーションではさらに一歩進んで、こうした状況をもたらした責任が労働者派遣法を改正した政府にあるとして、規制強化を求める労働組合の立場を代弁しているのですが、私個人としては、果たして問題はそう簡単に割り切れるものなのだろうかと疑問を感じるのです。
前回の「ネットカフェ難民4」を見たときにも感じたことですが、グローバリゼーションによって経済活動が国境という枠をどんどん超えていく中で、ただ国内の規制強化によって現在の体制を守ろうとしても、それは問題の根本的な解決にはつながらないばかりか、かえってグローバル企業の海外逃避を促進してしまうだろうし、また、そうした規制のおかげで従来どおりの雇用を守られる人とそうでない人との不公平感を強めるだけだと思います。
ただ一方で、だからといって、世界的な大競争時代の到来をそのまま受け入れる覚悟があるのかと問われれば、私も返答に窮してしまいます。それが将来の私たちの社会にどのようなインパクトをもたらすのか、ちょっと想像を絶するものがあるからです。
たぶん世界の大多数の人は、身の丈にあった普通の暮らしを、ささやかに続けていければいいと思っているだけだと思うのですが、そうした人々にとっては、経済的な大競争がもたらすイノベーションや効率化というプラスの側面よりも、吹き荒れる「創造的破壊」の嵐や、経済的な浮き沈みの激しさへの恐怖の方にどうしても目が行ってしまうのではないでしょうか。
いずれにしても、世界的な不況が到来したことで、番組としてネットカフェ難民の存在をあえて声高に訴える必要性は薄れつつあるように思います。「派遣切り」や解雇をめぐるニュース報道があふれ、路頭に迷う人々の映像に、多くの人が「明日は我が身」と感じるようになりつつある今、この「ネットカフェ難民」シリーズも、今回で一通りの役目を終えたような気がしました。
記事 「ネットカフェ難民」
記事 「ネットカフェ難民2」
記事 「ネットカフェ難民3」
記事 「ネットカフェ難民4」
JUGEMテーマ:今日見たテレビの話
この「ネットカフェ難民」シリーズが最初に放映されたのは、2007年の1月。以来、「ネットカフェ難民」という言葉は広く知られるようになりました。
日雇い派遣で辛うじて食いつなぎ、アパートを借りることもできずにネットカフェのイスの上で眠る人々の姿を2年前にテレビで初めて見た時には、私もかなりの衝撃を受けましたが、アメリカの金融危機を発端とする世界的な不況の波が押し寄せてきたことで、今や、それがごく一部の人だけの話だとは言い切れなくなりつつあるようです。
今回、番組で取り上げられていたのは、自動車メーカーの製造ラインで働いていた20代の派遣社員です。彼はネットカフェ難民ではありませんが、昨年末の「派遣切り」によって派遣会社を契約期間の途中で解雇され、同時に、住んでいた会社の寮からの退去を求められました。
取材カメラは、解雇の撤回を求めて組合を結成したり、日比谷公園の「年越し派遣村」をスタッフとして手伝う彼の姿を追っています。
内容的には、年末年始にマスコミをにぎわせた「派遣切り」や「年越し派遣村」の報道と重なる部分が多く、映像にも、すでにニュース番組などで見たものが含まれていました。
このシリーズも回を重ねるにつれ、取材の焦点がネットカフェ難民の暮らしそのものからは離れ、非正規雇用と貧困という、もっと大きなテーマへとシフトしていくのは自然な流れなのだろうと思います。ただ、テレビ番組としては最も早くからこうした問題に取り組んできたこのドキュメンタリー・シリーズが、今回は、他局を含めた最近のニュース報道と変わらない内容になってしまっているのは少し残念です。
「派遣切り」に遭った人の立場からすれば、とにかくこの不況の中で、何としてでも今の仕事を守りたいと思うのは当然で、不誠実なやり方で彼らを突然解雇し、寮からの退去を求める派遣会社に対し、組合という交渉力を使ってその撤回を求めるのは正当だと思います。
ただ、番組のナレーションではさらに一歩進んで、こうした状況をもたらした責任が労働者派遣法を改正した政府にあるとして、規制強化を求める労働組合の立場を代弁しているのですが、私個人としては、果たして問題はそう簡単に割り切れるものなのだろうかと疑問を感じるのです。
前回の「ネットカフェ難民4」を見たときにも感じたことですが、グローバリゼーションによって経済活動が国境という枠をどんどん超えていく中で、ただ国内の規制強化によって現在の体制を守ろうとしても、それは問題の根本的な解決にはつながらないばかりか、かえってグローバル企業の海外逃避を促進してしまうだろうし、また、そうした規制のおかげで従来どおりの雇用を守られる人とそうでない人との不公平感を強めるだけだと思います。
ただ一方で、だからといって、世界的な大競争時代の到来をそのまま受け入れる覚悟があるのかと問われれば、私も返答に窮してしまいます。それが将来の私たちの社会にどのようなインパクトをもたらすのか、ちょっと想像を絶するものがあるからです。
たぶん世界の大多数の人は、身の丈にあった普通の暮らしを、ささやかに続けていければいいと思っているだけだと思うのですが、そうした人々にとっては、経済的な大競争がもたらすイノベーションや効率化というプラスの側面よりも、吹き荒れる「創造的破壊」の嵐や、経済的な浮き沈みの激しさへの恐怖の方にどうしても目が行ってしまうのではないでしょうか。
いずれにしても、世界的な不況が到来したことで、番組としてネットカフェ難民の存在をあえて声高に訴える必要性は薄れつつあるように思います。「派遣切り」や解雇をめぐるニュース報道があふれ、路頭に迷う人々の映像に、多くの人が「明日は我が身」と感じるようになりつつある今、この「ネットカフェ難民」シリーズも、今回で一通りの役目を終えたような気がしました。
記事 「ネットカフェ難民」
記事 「ネットカフェ難民2」
記事 「ネットカフェ難民3」
記事 「ネットカフェ難民4」
JUGEMテーマ:今日見たテレビの話
2009.02.01 Sunday
ジャングルでプチ洞窟探検
記事 「ジャングルで動物観察」
(続き)
タマンヌガラ国立公園のブンブン・ヨンというハイド(野生動物観察小屋)に泊まった翌日、そこから戻る途中で、グア・トゥリンガという洞窟に立ち寄りました。
ブンブン・ヨンからは歩いて1時間ほどですが、道標がしっかりしているので迷う心配はありません。
この洞窟は、公園内の一種のアトラクションとして地図にも載っており、公式に整備されているのですが、もちろん日本の観光地のように、電灯や見学用の通路があるわけではありません。
入口は狭く、中は真っ暗で、足元も危なっかしく見えます。それに、私が到着したときには、周りには誰もいませんでした。一瞬どうしようかと迷いましたが、一応ガイド用のロープも張ってあることだし、とりあえず行けるところまで行ってみようと思い直し、懐中電灯を持って中に入りました。
洞窟の中は相当な湿気で、足元の岩がツルツルと滑ります。また、あの洞窟特有の、カビ臭いような、鳥のフンのような何ともいえない臭いがこもっています。
こんなところで一人で転んで大ケガしたり、変なところに迷い込んだりしたら本当にシャレになりません。昨夜使用した大型の懐中電灯では、重いし、片手の動きが制約されて危険なので、予備として持ってきた小型の懐中電灯に切り替え、安全第一で、ゆっくりと進んでいきます。
やがて、天井に小さなコウモリがビッシリと張りついた小さなドームに辿りつきました。光を向けると、コウモリたちがまるで寝ぼけた子供みたいにモゾモゾと体を動かすのが何ともユーモラスです。
その先にもまだ道があるようですが、洞窟の奥はコウモリのフンでさらに滑りやすくなっており、しかも、しっかりと歩けるような足場がなくなっています。別に誰かに頼まれたわけじゃないし、ここで引き返してもよかったのですが、せっかくここまで来たのだからと、つい欲も出て、私はさらに奥へと進んでいきました。
しかし、道はさらにハードになっていきます。できれば靴や服を汚さずに行ければと思っていたのですが、そんな甘いことは言っていられなくなり、靴のままジャブジャブ水をかき分け、コウモリのフンであちこち汚れながら、かなりマジになって出口を探しました。
最後は、水の中をほとんど這うようにして狭い穴を抜けます。デイパックを背負ったままでは通れないので、いったん背中から下ろして辛くも通り抜けました。
その先は、別の出口になっていました。まぶしい熱帯の光の下に再び出ると、さすがにホッとします。全行程、ゆっくりと進んで30分ほどの短い旅でした。
振り返ってみれば、別にそれほど危険というわけでもなく、それなりの準備と覚悟さえあれば、ほどほどの冒険気分の味わえる楽しいコースだったと思いますが、ガイドもなく一人だったことと、洞窟の中がどうなっているのか、どのくらいの長さがあるのか全く分からないという不安もあり、結構必死になっていたせいか、コウモリを見る余裕しかありませんでした。
昨夜、遅くまで野生動物を待ち続けた疲れもあったのでしょう。洞窟探検を終えたときには、まだ午前中だというのにグッタリしてしまい、それからまたしばらくジャングルの中を歩き、宿に戻ったときにはすっかり消耗しきっていました。
こんなに疲れてしまったのは、動物観察の成果がはかばかしくなかったこともあるのでしょうが、もしかすると、ジャングル・トレッキングにしろ、たった一人で過ごしたジャングルでの一夜にしろ、洞窟探検にしろ、そのすべてが日本ではまず味わうことのできない体験であり、自分で意識していた以上に心身ともに、ふだん使わない部分をフル稼働させていたからなのかもしれません。
コウモリのフンの臭いがしみついた服を洗濯したあと、その日の夕方まで泥のように昼寝したのは言うまでもありません。
JUGEMテーマ:旅行
(続き)
タマンヌガラ国立公園のブンブン・ヨンというハイド(野生動物観察小屋)に泊まった翌日、そこから戻る途中で、グア・トゥリンガという洞窟に立ち寄りました。
ブンブン・ヨンからは歩いて1時間ほどですが、道標がしっかりしているので迷う心配はありません。
この洞窟は、公園内の一種のアトラクションとして地図にも載っており、公式に整備されているのですが、もちろん日本の観光地のように、電灯や見学用の通路があるわけではありません。
入口は狭く、中は真っ暗で、足元も危なっかしく見えます。それに、私が到着したときには、周りには誰もいませんでした。一瞬どうしようかと迷いましたが、一応ガイド用のロープも張ってあることだし、とりあえず行けるところまで行ってみようと思い直し、懐中電灯を持って中に入りました。
洞窟の中は相当な湿気で、足元の岩がツルツルと滑ります。また、あの洞窟特有の、カビ臭いような、鳥のフンのような何ともいえない臭いがこもっています。
こんなところで一人で転んで大ケガしたり、変なところに迷い込んだりしたら本当にシャレになりません。昨夜使用した大型の懐中電灯では、重いし、片手の動きが制約されて危険なので、予備として持ってきた小型の懐中電灯に切り替え、安全第一で、ゆっくりと進んでいきます。
やがて、天井に小さなコウモリがビッシリと張りついた小さなドームに辿りつきました。光を向けると、コウモリたちがまるで寝ぼけた子供みたいにモゾモゾと体を動かすのが何ともユーモラスです。
その先にもまだ道があるようですが、洞窟の奥はコウモリのフンでさらに滑りやすくなっており、しかも、しっかりと歩けるような足場がなくなっています。別に誰かに頼まれたわけじゃないし、ここで引き返してもよかったのですが、せっかくここまで来たのだからと、つい欲も出て、私はさらに奥へと進んでいきました。
しかし、道はさらにハードになっていきます。できれば靴や服を汚さずに行ければと思っていたのですが、そんな甘いことは言っていられなくなり、靴のままジャブジャブ水をかき分け、コウモリのフンであちこち汚れながら、かなりマジになって出口を探しました。
最後は、水の中をほとんど這うようにして狭い穴を抜けます。デイパックを背負ったままでは通れないので、いったん背中から下ろして辛くも通り抜けました。
その先は、別の出口になっていました。まぶしい熱帯の光の下に再び出ると、さすがにホッとします。全行程、ゆっくりと進んで30分ほどの短い旅でした。
振り返ってみれば、別にそれほど危険というわけでもなく、それなりの準備と覚悟さえあれば、ほどほどの冒険気分の味わえる楽しいコースだったと思いますが、ガイドもなく一人だったことと、洞窟の中がどうなっているのか、どのくらいの長さがあるのか全く分からないという不安もあり、結構必死になっていたせいか、コウモリを見る余裕しかありませんでした。
昨夜、遅くまで野生動物を待ち続けた疲れもあったのでしょう。洞窟探検を終えたときには、まだ午前中だというのにグッタリしてしまい、それからまたしばらくジャングルの中を歩き、宿に戻ったときにはすっかり消耗しきっていました。
こんなに疲れてしまったのは、動物観察の成果がはかばかしくなかったこともあるのでしょうが、もしかすると、ジャングル・トレッキングにしろ、たった一人で過ごしたジャングルでの一夜にしろ、洞窟探検にしろ、そのすべてが日本ではまず味わうことのできない体験であり、自分で意識していた以上に心身ともに、ふだん使わない部分をフル稼働させていたからなのかもしれません。
コウモリのフンの臭いがしみついた服を洗濯したあと、その日の夕方まで泥のように昼寝したのは言うまでもありません。
JUGEMテーマ:旅行
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