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『幻獣ムベンベを追え』
この本は、謎の怪獣の正体を突き止めるべく、アフリカのジャングル探検に挑んだ早大探検部の遠征「コンゴ・ドラゴン・プロジェクト」の一部始終を記録したもので、「辺境専門のライター」高野秀行氏のデビュー作でもあります。
アフリカ大陸中央部に位置するコンゴのテレ湖に、太古の昔より棲息するといわれる巨大な怪獣モケーレ・ムベンベ、通称コンゴ・ドラゴンは、未確認生物(UMA)の探索を続ける人々の間では、ネス湖のネッシーに並ぶほどの重要ターゲットであるともいわれます。
ウィキペディア 「モケーレ・ムベンベ」
早稲田大学の探検部員だった高野氏は、駒大探検部がムベンベ探しに行ったのを聞きつけると、自らも現地に乗り込んで謎の怪獣をめぐる真実を確かめようと、プロジェクトを立ち上げ、アフリカ遠征のための隊員を募ります。
しかし、当時のコンゴ人民共和国(現在のコンゴ共和国)は社会主義の軍事独裁政権で、外国人が旅行をすることすら容易ではありませんでした。
高野氏は、公用語のフランス語、さらには現地の日常語であるリンガラ語まで学び、予備調査のためにコンゴに飛んで、現地の人々や政府の役人と人間関係を築きます。帰国後、手紙のやりとりによる長い交渉を経て、ようやくコンゴ政府からテレ湖探索の許可をとりつけることに成功します。
準備開始から2年、ついに1988年の春、高野氏をリーダーとして、探検部員9名に社会人2名を加えた11名の遠征隊がコンゴに乗り込みます。そして……。
怪獣+ジャングル+探検隊という、ある意味、脱力してしまうほどベタなその方向性に、これはウケ狙いの探検ゴッコではないかと思ってしまう人もいるかもしれませんが、彼らは真剣そのものです。
メンバーのほとんどが学生で、専門知識や機材・資金の面でも万全とはいえず、手作り感あふれる素人の探検隊であるとはいえ、怪獣探査にかける情熱は生半可なものではなく、テレ湖にキャンプを設置して1カ月以上滞在し、その間、3交代で昼夜を問わずムベンベの出現を待ち構えるという徹底ぶりです。
しかも、神聖な湖への立ち入りを快く思わない村人との度重なるもめごとや、執拗な虫の襲撃、マラリアに倒れる隊員、機材の故障、食糧不足など、遠征隊には次から次へとトラブルが襲いかかり、彼らのテレ湖滞在は、探査というより、ほとんどサバイバルの様相を呈し始めます。
それでも、リーダーの高野氏とメンバーたちは、「何とかなると思えば、たいてい何とかなる」という「非論理的な強い信念」で、迫り来る危機にしたたかに対処していくのです。
もちろん、大方の予想どおり、結果的に怪獣を発見することはできないわけですが……。
でも、きっとこの本を読む人は、怪獣が見つかるかどうかなんてことよりも、高野氏の語る生き生きとしたアフリカ冒険物語にワクワクし、また、社会のメインストリームからはバカバカしいとして一蹴されそうなテーマに真剣に打ち込み、青春を賭ける彼らの突き抜けた生き方に、胸のすくような思いをするのではないでしょうか。
日本全体がバブルに舞い上がっていたころ、彼らはアフリカのジャングルで飢えに苦しみながら、現れるかどうかもわからない怪獣を、24時間態勢でひたすら待ち続けていたのです。個人的には、こういうユニークな人たちこそ、現在の日本にとって貴重な人材ではないかとすら思います。
また、この本には、大人数の探検隊の引き起こすドタバタ劇が、高野氏の簡潔でツボを押さえた文章でうまく表現されていて、探検の記録という以上に、エンターテインメントとしても楽しめる内容になっています。
もっとも、私たちが笑いながらこの本を読めるのも、彼ら全員が生きて帰国できたからこそで、現地でマラリアを発病してしまったメンバーへの対応など、グループでのリスクを伴う旅には、それ特有の難しさやジレンマがあるということも、この本を通じて見えてくるのですが……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
地底の「結晶洞窟」
2000年、メキシコのナイカ鉱山の地中深くで偶然発見された「結晶洞窟」。近くに存在するマグマの影響で、洞窟内部の温度は常に40度を超え、うかつに入ればすぐに熱射病になってしまう危険な場所ですが、輝く巨大な結晶に埋め尽くされたその光景は、人類が初めて目にするものでもありました。
人間の背丈をはるかに超える巨大な結晶が剣のように林立する中を、特殊な冷却スーツに身を固めた探検隊がゆっくりと移動していく映像は、まるでSF映画です。たしかに、「ワンダー」を標榜する番組の初回にふさわしいネタだと思いました。
私はこのような洞窟が存在することを全く知らなかったので、とにかく驚いたし、久しぶりに面白い映像を見たという気がしました。
ただ、番組に関して個人的な好みを言うなら、スタジオに芸能人を集めてコメントさせるバラエティ形式よりも、「NHKスペシャル」のような、ナレーションだけで映像をじっくりと見せる形式の方がよかったのですが……。
それはともかく、私は鉱物に関しては全くの無知なので、最初に結晶を見たとき、それが水晶か、あるいは何か別の種類の宝石なのかと思ってしまったのですが、残念ながら、番組の中で、それが透明な石膏(セレナイト)であることが明かされます。
考えてみれば、この洞窟がこれまでそれほど有名にならなかったのも、あの巨大結晶が、カネになりそうもない、ただの石膏だったからなのかもしれません……。
それにしても、この洞窟の妖しい美しさは、洞窟マニアや鉱物マニアにはたまらないでしょう。一般の観光客には立ち入りのできない環境でもあるので、彼らにとっては、そこは天国みたいなあこがれの場所かもしれません。
しかし、その美しさも、人工の照明が当たっている瞬間だけ目に見えるに過ぎず、そこはふだん、地下深くに閉ざされた暗黒の空間であり、地上世界に適応した人間の命を蝕む熱気に満ちています。それは、どちらかといえば、美しい天上界のイメージよりは、東洋的な剣樹地獄のイメージに近いように思われます。
ところで、この鉱山はいずれ廃坑になるらしく、排水ポンプが停止すれば、この洞窟も再び水没してしまうことになるそうです。
何十万年にもわたって地底で繰り広げられてきた自然界の営みが、ほんのわずかの時間だけ人間にその秘密を見せ、やがてまた姿を消していくというのは、残念なことではあります。でもそれが、この世の出来事の自然な流れというものなのかもしれません。
ちなみに、今回の番組と同様の内容を、以下のサイトでも読むことができます。
NATIONAL GEOGRAPHIC 「潜入! 巨大結晶の洞窟」
JUGEMテーマ:今日見たテレビの話
日本列島に眠る「珍味」
【三大珍味トリュフ国内自生15種 東大研究所 遺伝子解析で確認】
世界三大珍味のひとつとされ、高級食材として珍重されるトリュフの仲間(セイヨウショウロ属)が、国内に少なくとも15種自生していることを、東京大アジア生物資源環境研究センター(東京都西東京市)などが、初の遺伝子解析による分類で突き止めた。
国内では従来、数種類が報告されていたが、これを大きく上回り、ほとんどが新種とみられるという。ただ、これらが食用に適するかは詳しく調べておらず不明という。
同センターの奈良一秀助教(菌根菌学)と博士研究員の木下晃彦さんらは、北海道、神奈川、大分など14道県の林で採取したセイヨウショウロ属の子実体(キノコ)162個についてDNAの塩基配列を調べた。その結果、高級フランス料理に欠かせない黒トリュフの安価な代用品として流通している中国産トリュフと近縁の3種、欧州でしか発見例のない“祖先型”に近い2種、白くて小さい7種のほか、既知のトリュフとは遺伝的にかけ離れた2種など計15種が確認された。
奈良さんによると、欧州では1万年以上前の氷河期に樹木が失われてトリュフが激減。黒トリュフの仲間はアジアの方が遺伝的に多様で歴史が古いと考えられており、今回の発見はこれを裏付けているという。
奈良さんは「条件に合ったマツやコナラなどの林があれば、日本ではどの地域でもトリュフが見つかる可能性がある」と話している。
(産経新聞 2009年4月18日)
私はトリュフというものを食べたことがありません。もしかしたら、何かの料理に「混入」しているのを、自分でも知らずに食べてしまったことはあるかもしれませんが、少なくとも、トリュフがどんな味と香りのする食材なのか、いまだに知りません。
それでも、テレビで紹介される高級そうな西洋料理には、削ったトリュフがまるでお約束のように振りかけられていたりするので、ヨーロッパで珍味といえばトリュフ、みたいな知識だけはあります。
ウィキペディア 「セイヨウショウロ(トリュフ)」
日本各地で続々と見つかったトリュフが食べられる種類のものなのか、仮に食べられるとしても、果たして美味しいのかどうかという肝心な点に関しては、残念ながら不明ということですが、これらがもしあのトリュフと同じ味のするものなら、日本各地の山々に、珍味が人知れず眠っていたということになります。
ただ、日本でトリュフが見つかったといっても、そこらじゅうでゴロゴロ見つかるというものでもなさそうです。もしそうであれば、学者が発見するまでもなく、すでに多くの日本人にその存在を知られていたことでしょう。だとすれば、やはりそれは日本においても「珍」味であることに変わりはなく、今後も、そう簡単に食べられるようにはならないのではないでしょうか。
それにしても、長い歴史を通じて、日本列島の多くの山の幸を見出してきた日本人が、トリュフを見出さなかったというのはちょっと意外な気がします。
まあ、何をもって美味いと感じ、どんなものを食材として珍重するかは、それぞれの文化によって大きく異なることを考えれば、日本人がこれまで日本産のトリュフに見向きもしなかったからといって、別に不思議ではないのかもしれませんが……。
それに、そもそも珍味と呼ばれるような食材自体、その土地に生きる人々のディープでマニアックな嗜好を反映したものが多く、外部の者から見れば、ゲテモノ食いとしか思えないものもあります。
西洋のトリュフにしても、見つけにくいからこそ珍重されてきたという側面があるだろうし、美味いとか、香りがいいとか言うけれど、そもそもそうした判断をする基準はあくまでローカルな嗜好に基づいていて、その嗜好そのものは、決して世界共通のものとは言えないわけです。
日本人はマツタケには目がないし、中国の雲南省とか、北欧とかでも日本向けにマツタケが採取されていますが、現地では、カネになるという点を除けば、食材として珍重されているわけではなく、欧米ではむしろ「臭いキノコ」として嫌われていたりするそうです。
ウィキペディア 「マツタケ」
日本に自生しているトリュフも、もしかすると、かつて日本人の誰かが試しに食べてみたものの、あまり美味くないという理由でそのまま忘れ去られてしまっていたのかもしれません。
今回のニュースでは、別に、欧米人の珍重する種類のトリュフそのものが見つかったと言っているわけではないので、あまり先走った想像をしても仕方ないのですが、もしかすると今後、日本で、他にもいろいろな種類の珍味の発見があるのではと思うと、ちょっとワクワクします。
日本の山々には、こういう形で、人知れず眠っている珍しい食べ物が、まだまだたくさんあるのかもしれないし、あるいはその逆に、日本人の大好きな食べ物が、世界のどこかの山奥で大量に見つかったりするかもしれません。
それに、これは山だけでなくて海でもいいのですが、地球上のどこかに、人類には未知の、何かものすごく美味い食材が眠っているという可能性もゼロではありません。
地球上の地理的な空白地帯は、今やほとんどなくなったと言われていますが、私たちがすでに十分知っていると思い込んでいる土地についても、その全てを知り尽くしているわけではありません。足元の自然を注意深く観察すれば、今後も、思いがけない発見があるのではないでしょうか。
そんな珍味が、今後、地球上のどこかで発見されるかもしれないと想像するのは楽しいし、それを発見した地元の人が食べなくても、世界のどこかに、それをノドから手が出るほど欲しがる人が出てくるかもしれません。例えば、中国人が「ツバメの巣」に高い金を払って、世界中から買い集めるみたいに……。
世界中の人々が同じ食材を求めて競争することになれば、その価格はひたすら高騰していくだけですが、こうしたローカルでマニアックな嗜好に基づいた食材については、そうした問題はあまり起こらないような気がします。
こうした珍味を世界中の人々が互いにやりとりするために、世界をつなぐ輸送・通信のネットワークが生かされるなら、近頃あまり評判のよくないグローバリゼーションという現象も、世界各地の人々に、それなりのメリットをもたらすのではないかという気がします……。
JUGEMテーマ:ニュース
『最後の冒険家』
2008年1月、熱気球による太平洋横断に挑戦するため、自作の巨大な熱気球「スターライト号」に単身乗り込み、栃木県岩出町を飛び立った神田道夫氏は、出発の翌日、北太平洋の上空で消息を絶ちました。
ウィキペディア 「神田道夫」
この本の著者である石川直樹氏は、2004年、神田氏の一回目の太平洋横断への挑戦の際に、副操縦士として「天の川2号」に同乗しているのですが、その時には、荒れる海上に気球が不時着してしまい、二人はゴンドラに閉じ込められたまま波間を翻弄されたあげく、付近を航行していた貨物船に運よく救出されるという体験をしています。
かつて生死を共にした冒険のパートナーとして、気球の操縦を教わった弟子として、そして歳の離れた友人として、石川氏は飾り気のないシンプルな文章で、関係者の話も交えながら、神田氏のこれまでの数々の冒険を振り返っています。
特に、2004年の「天の川2号」による冒険については、とりわけその不時着から救出まで、生死の境をさまよった数時間の体験は、当事者でなければ書けない迫真の描写です。
ただ、2008年の最後の遠征については、神田氏がどんな心境で臨んでいたのか、そして、飛行中の「スターライト号」にいったい何が起きたのか、残された通信記録などによる手がかりはわずかで、石川氏もいくつかの推測を述べてはいますが、結局、真相は分からないままです。
ところで、熱気球による太平洋横断自体は、1991年にヴァージン・グループ会長のリチャード・ブランソン氏らによってすでに達成されています。しかしそれは、数億円を投じ、気密式のゴンドラや最新鋭の機器を駆使した巨大プロジェクトによるものでした。
それに対して神田氏の場合は、公務員として働きながら、休暇を使って冒険に乗り出す「アマチュア冒険家」であり、遠征の予算もスポンサーも限られていました。また、気球は手づくりで、機器も万全とはいえなかったし、2008年の挑戦の際には副操縦士を見つけることができず、単独での飛行に踏み切らざるを得ませんでした。
私は熱気球のことに関しては全くの無知なので、断定的なことは言えないのですが、この本を読んでいて、「スターライト号」による太平洋横断は、素人目に見てもかなり危険なものだったのではないか、特に、万が一の着水時にパイロットを守るための装備があまりにもお粗末だったのではないかという気がしてなりませんでした。
しかし、命の危険を伴うチャレンジだからこそ、冒険なのだともいえるわけです。計画の実現可能性と失敗のリスクをどう見積もるか、計画を実行に移すかどうかの判断は、最終的には行動する本人に委ねられていて、それは本人の能力・経験やパーソナリティにかなり左右されるものだし、それについて第三者が軽々しく口をはさめるものではないのだと思います。
石川氏は、さまざまな制約を乗り越え、熱気球に人生を賭けた神田氏のことを、「昔ながらの冒険行をシンプルかつストレートに体現」した人物として、あの植村直己氏の系譜に連なる冒険家だと認めています。
ちなみに、石川氏自身もまた、2004年の太平洋横断への挑戦だけでなく、2001年に世界七大陸最高峰登頂の最年少記録を打ち立てるなど、数々の冒険的な旅を続けてきました。本人は、自分は未知のフロンティアを開拓したわけではないので、冒険家ではないと語っていますが……。
ウィキペディア 「石川直樹」
この本の中でも指摘されていることですが、この地球上において、地理的な空白部分というものは、今やほとんど存在しなくなってしまいました。テクノロジーの発達のおかげで、空間的な移動そのものも、ますます安全・快適になっています。極地や辺境への旅についても、それなりの費用さえ負担するなら、その例外ではないわけで、そういう状況では、昔のような意味での冒険家というものも、もはや存在し得なくなりつつあるのかもしれません。
ただ、この本のタイトルにあるように、神田道夫氏が「最後の冒険家」になってしまうのかどうかは、私にはわかりませんが……。
本書の最後の部分に、2008年の夏、かつて二人を乗せた「天の川2号」のゴンドラが、4年半の漂流を経て、トカラ列島の悪石島に打ち上げられたというエピソードが描かれています。
それは、単なる偶然と言い切ってしまうのが、ちょっとためらわれるような出来事です。著者の石川氏がそうだったように、多くの読者もまた、そこに何か深いメッセージを読みとらずにはいられないのではないでしょうか。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
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JUGEMテーマ:読書
おかげさまで3周年
いちおう、「旅」をブログのテーマにしてきましたが、さすがに私個人の体験だけではネタにも限りがあります。そこで、旅に多少とも関係のありそうな本の紹介とか、ニュースへのコメント(?)とか、ネタになりそうなものを周囲から適当に拾いつつ、記事を書き綴ってきました。
最近は、記事を書くペースが落ちてきたものの、おかげさまで、まだ何とか続いています。
これまで、このブログの記事を読んでくださった皆様に、心よりお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
一定のペースで記事を書き続けていると、自分の文章の傾向というか、パターンみたいなものが、さすがに自分でもはっきりと見えてきます。
文章の元になるネタは毎回違うはずなのですが、書き進めているうちに、文章が何となくおなじみのパターンにはまり込んでいって、結局、いつも似たようなトーンや内容になってしまうのが分かるのです。それはどこか、酔っ払ったオッサンが何度も同じ話を繰り返すのに似ています。
限りなく善意に解釈すれば、それが個性というものなのかもしれませんが、現実的に考えれば、そうしたパターンは、私自身の発想の限界そのものを表していると言えそうです。
人間、歳をとると、脳の回路が次第に焼きついてきて、同じことばかり言ったり書いたりするようになってしまうものなのでしょうか? もしかすると、よほど創造的な作家でもないかぎり、普通の人間がそうした現象から逃れるのは難しいのかもしれません。
それに、ひょっとすると、人に何度も同じような話をしたり、同じような文章を書くという行為自体も、そうした現象を加速させるのに一役買っているのかも……。
その、放っておけばいつの間にかマンネリになり、固まってしまいがちなパターンを、意識して超え続けることさえできれば、いつでも新鮮で多様な視点から物事を見られるだろうということは、理屈の上では分かるのですが、実際にはそれが実に難しいということも、この何年かの試みで、少しずつ分かってきたような気がします。
結局のところ、「現実は厳しい!」という、ごく平凡な結論になってしまうわけですが……。
それでもまあ、その現実にささやかに抵抗しつつ、自分のできる範囲内で、あまり無理せず、地味に、このブログを続けていきたいと思っております。
これからも、このブログをどうぞよろしくお願い申しあげます。
JUGEMテーマ:日記・一般
『シッダールタ』
この物語の舞台は、何千年も前、ブッダが生きていたころのインドです。
バラモンの家に生まれた、美しく賢い少年シッダールタ。両親はもちろん、周囲のすべての人々からも愛されて育ちますが、やがて青年になった彼は、究極の自己である真我を求め、それを自ら体現することを目指し、彼の友ゴーヴィンダとともに家を捨てて沙門の生活に入ります。
それから数年、二人は森の沙門たちのもとで、自我を滅却するための苦行に打ち込むのですが、シッダールタの心の渇きはつのるばかりでした。
やがて、ブッダの名声を聞きつけた二人は、森を出て舎衛城のブッダのもとを訪れます。ゴーヴィンダはただちにブッダに帰依しますが、シッダールタは、あらゆる師や教えに従うことを拒んで、「自分自身への道」を歩もうとします。
彼はブッダともゴーヴィンダとも別れ、絶対的な孤独を感じながら、ただ一人遍歴を続けます。そして、ある町へたどり着いたとき、シッダールタは、美しく賢い遊女カマーラに出会います……。
わずか百数十ページの短い物語ですが、人生における究極の問題とその解決というテーマが、美しく、シンプルに、ストレートに描かれていて、とても中身の濃い一冊です。
私は、たしか高校生のころにこの本に出会ったのですが、それ以来、機会あるごとに何度か読み返してきました。
初めて読んだときには、悟りについて語られるやや理屈っぽい部分はもちろんのこと、ブッダと別れ、わざわざ享楽と権勢の世界に溺れていくシッダールタの歩みについてもよく理解できませんでした。
それでも、歳をとって、私もそれなりに人生経験を積んだおかげか、一見無駄な苦しみにも思われる彼の遍歴に託された意味の深さが、少しずつ分かるようになってきた気がします。
ところで、この本の『シッダールタ』というタイトルを見て、仏教の開祖ゴータマ・シッダールタの生涯そのものを描いた作品かと思われた方は多いと思うし、私も最初に読む前にはそう思っていました。
しかし、作者のヘルマン・ヘッセ氏は、物語の中に聖者としてブッダ自身を登場させてはいますが、主人公シッダールタを、ブッダとは別の道を歩む一人の求道者として描いています。そして、訳者の高橋健二氏によれば、シッダールタの波乱に富んだ魂の旅の描写は、「ヘッセ自身の宗教的体験の告白」(あとがきより)でもあるといいます。
もともと、悟りがいかなるものであるかは、言葉で表現し尽くせるものではないのですが、この作品からは、あえてそれを物語のテーマとして取り上げ、真正面からその表現に挑戦したヘッセ氏の、作家としての真剣さ、真面目さが伝わってくるようで、読んでいて背筋が伸びる思いでした。
私がアジアの国々を旅していたころ、バックパッカーの集まる安宿街の本屋の店先で、この本の英語版をよく見かけたものです。この物語自体は、すでに90年近くも前に書かれたものですが、スピリチュアル系のバックパッカーや放浪の旅人の間では、今でもけっこう人気があるのかもしれません。
日本では、この本はもう絶版になったのかと思っていましたが、今回調べてみたら、まだそのまま新潮文庫のラインナップに残っているようで、ちょっとホッとしました。
それにしても、こういう本が、世界各地の書店の本棚の隅にさりげなく並んでいるのだと思うと、何だかワクワクしてきます。こうした素晴らしい本との出会いがあるからこそ、読書はやめられません。
もっとも、そうやって活字の世界に溺れるのもまた、煩悩の一つなのでしょうが……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
読書と冷房
バンコクには、新刊書を扱う紀伊国屋書店のほか、スクムビット通り周辺やカオサン通りに日本の古本を扱う店がいくつかあるので、あまりぜいたくなことを言わなければ、日本語の本を見つけるのにそれほど不自由はしません。
ただし、紀伊国屋書店の新刊書は日本よりずっと割高で、企業の駐在員ならともかく、タイの物価水準に慣れた貧乏旅行者にはなかなか手が出ません。もっぱら古本屋めぐりをしながら、数十バーツ程度の本を探すことになります。
読みたい本を手に入れると、私はカオサン通り周辺のファストフード店で読書を楽しんでいました。例えば民主記念塔前のマクドナルドとか、バンランプーのケンタッキーとか……。
まあ、別に難しい本を読むわけでもないので、冷房が効いてなくても、座って気兼ねなく時間を過ごせる場所ならどこでもいいのですが、現在のバンコクでは、そういう場所にエアコンがついていないことはほとんどなく、当然、その涼しさの代償として、何がしかのカネを余分に払わなければならないシステムになっています。
だからといって、安宿のベッドに寝転がって本を読むのにも限界があります。換気が悪くて湿っぽい熱気がこもっているので、たとえ扇風機を回しても、すぐに皮膚が汗ばんでベタベタしてきます。それがどうにもうっとうしいというか、気が散るというか、とにかく本の世界に没頭していられないのです。
というわけで、多少の出費は仕方ありません。とにかく、冷房のガンガン効いたファストフード店に入れば、暑さでボーッとなっていた頭がスッキリして、活字を追う細かな作業に集中できるのです。
ただ、たいていの場合、私のほかには、本を読んでいるような客を見かけることはありませんでした。
タイのファストフード店のアイスコーヒーは、日本円にすれば一杯数十円。日本人旅行者にとっては懐が痛むほどの金額ではありませんが、タイでは屋台や安食堂での食事一回分に相当します。
地元のタイ人にとっては、ファストフード店というのは友人や家族と一緒に楽しい時間を過ごす場所なのであって、一人でちょっと本を読むだけのために、わざわざカネを払う気にはならないのかもしれません。あるいは、カフェで本を読むようなタイプのタイ人は、ファストフード店の固いイスを嫌って、もっとおしゃれで居心地のいい店に出かけるのかもしれません。
ちょっと意外だったのは、読書をする外国人バックパッカーもほとんど見かけないことでした。
もちろん、カネのある旅行者なら、別にこんなところへ来なくても、冷房の効いたホテルの自室とか、階下のラウンジとか、プールサイドのデッキチェアに寝そべって優雅に本を読めばいいわけです。それに、普通のバックパッカーなら、エキゾチックなバンコクの街を探索することで忙しく、わざわざ貴重な旅の時間を費やして、おなじみのファストフード店に本を読みにくるほどヒマではないのかもしれません。
もっとも、これは私自身にも当てはまることでした。日本の文庫本を読むのなら、別にバンコクでなくてもいいわけです。
当時の自分は、バンコクで本ばかり読んでいる自らの行動について、自分なりに納得しているつもりではありました。旅が長くなれば、観光や移動ばかりの生活に疲れてくるし、ときには無性に本が読みたくなることもあるでしょう。
それでも、街歩きをするでもなく、旅人同士で話に花を咲かせるわけでもなく、一人で活字の世界に沈潜していると、俺、こんなところで何やってるんだろう?、と思うことなきにしもあらずでした。
それはともかく、日中、客のあまりいない店に居座って、ゆっくり本を読んでいると、その半端ではないエアコンの効き方がつい気になります。アジアの旅を通して貧乏性が染みついてしまった私としては、別に自分が損をするわけではないとはいえ、何だか自分だけのために冷房設備をフル稼働させているような、ちょっと申し訳ないような気持ちすらしてくるほどです。
それに、考えてみれば、そもそもタイのような高温多湿な土地で、エアコンを効かせた部屋で読書をするというのは、いかにも不自然な行為のように思えます。
もちろん、タイにも涼しい季節はあるし、一日の中でも早朝や夜間なら、本を読むのに冷房はいらないでしょう。ただ、暑い季節の、しかも午後、冷房という人工環境の下で読書をしていると、真冬にストーブの火をガンガン焚きながらアイスを食っているような、ずいぶん無駄なことをしているような気になってくるのです。
世界中のビジネスマンの多くが、それが慣習だからという理由で、気候風土を無視して背広を着つづけているように、そもそも読書という行為も、もともとは地球上のある特定の環境に適応した知的活動に過ぎないものを、エアコンの助けを借りて、無理やり世界中に広めているという側面があるのかもしれません。
思えば、欧米の人だって、全員が読書をするわけではありません。あれだけ読書に適した(?)気候風土でさえ、みんなが本を読みたいとは思わないのだから、そもそも読書という行為は、たぶん、すべての人類に適した普遍的な知的活動ではないのです。
だとしたら、熱帯地方のように、読書にあまり適さない土地に住んでいる人のためには、読書をしたりペーパーワークをしたりするためにエアコンを設置するよりも、もっとその気候風土に合った、別の知的活動の形というのが見い出されるべきなのではないでしょうか……。
ふと、そんなことを思ったりしたのですが、あくまでこれは、高い金を払って冷房の効いた部屋で優雅に読書を楽しんでいられる一外国人旅行者の、他愛のない妄想に過ぎません。
タイの子供や学生たちは、別に冷房なんかなくたって、ちゃんと勉強したり本を読んだりしているし、思い返せば、私だって子供の頃は、扇風機すらない夏の教室で、ちゃんと教科書を読んだり、授業を聴いていることができました。
だとすると、読書に適さない気候風土があるなんて言っているのは、文明社会の贅沢にすっかり慣れてしまった軟弱者の言い訳であり、あるいは、ただ単に自分が歳をとって、読書に集中する気力が続かなくなってしまったというだけなのかもしれません……。
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『ニコチアナ』
この本は、タバコという不思議な植物にスポットを当て、その人間との密接で複雑な関係を、ミステリー仕立てで描いた知的エンターテインメントです。
物語の主な舞台は2000年代初頭のアメリカ。そこでは、憲法修正による「禁煙法」成立に向けて、禁煙運動が盛り上がっているという設定です。
日本企業で無煙シガレットの企画開発に携わるメイは、提携するアメリカのタバコ会社のCEOから、既に同じアイデアで特許を申請していた人物がいると知らされます。無煙シガレットの発売を前に、彼らはその人物とコンタクトをとる必要に迫られるのですが、その男は数年前に失踪したきり、行方が分からなくなっていました。
メイは、カルロスという青年とともに、その男の足跡を追って北米大陸を横断する旅に出るのですが、同じ頃、アメリカの各地では、栽培タバコを変質させ、幻覚成分を生じさせてしまう謎の疫病が爆発的に広がり始めていました。やがて彼女は、探している男が、実は南米の高地アマゾンからやってきたシャーマンであること、そして彼が、タバコ畑に広がる謎の疫病の秘密をも握っていることを知ります……。
物語には、シガレットをこよなく愛する南部気質のカリスマ経営者や、直接行動を厭わない過激な禁煙運動家、謎の疫病の原因を追究する植物ゲノム研究者、そしてマヤ人の末裔として秘密の絵文書を守り続けてきた人物など、多彩な人々が登場します。また、物語の舞台も、アメリカの各地から、高地アマゾンへ、グァテマラへ、そして日本へとめまぐるしく移り変わります。
小説の中では、日常的・ビジネス的な世界や、自然科学の世界、エキゾチックな神話と象徴の世界が交錯し、ストーリーの展開自体もかなり込み入っているので、私の場合、最初のうちは話の流れがなかなか把握できず、読み進めるうえで多少の根気が必要でした。もっとも、それは私自身がこういう種類の知的エンターテインメント小説を読み慣れていなかったせいもあるでしょうが……。
それにしても、ネタバレになるのであまり書けないのですが、マヤの秘密の絵文書とか、5世紀にわたる壮大な魔法の成就とか、物語の仕掛けがかなり大がかりなので、最後にはどうまとめるんだろう、物語としてうまく着地できるんだろうかと、期待半分、心配半分で読んでいました。
南米のシャーマンが出てくるので、あるいは一部のスピリチュアル本のような、何でもありのぶっ飛んだ結末になってしまうのかとも思いましたが、その点については、最後まで知的な裏づけとストーリー展開が維持されていて、物語としてそれなりのオチというか、まとまりもついています。ただ、ちょっと話を広げすぎたせいか、すべてが最後にスッキリと収斂するという感じではなく、そこがエンターテインメントとしてはちょっと微妙なところかもしれません……。
ところで、私自身はスモーカーなのですが、この本を読んで、自分はこれまでタバコというものについて何にも知らなかったんだな、ただ目の前にあるシガレットという製品を吸い続けていただけなんだな、ということを改めて思い知らされました。
この小説には、ナス科のタバコという植物や、それが新大陸から爆発的に広がり、世界中の人々に受け入れられてきたプロセスについて、さまざまな知識が散りばめられています。
そしてまた、依存症や嫌煙権など、タバコをめぐるさまざまな問題が、その根底において、私たちが生きている近代という時代の本質そのものと切り離せないものだということも浮き彫りにされています。
タバコはその点で、いわば、近代社会の影を象徴するような存在なのかもしれません。
この小説はあくまでフィクションですが、多彩な登場人物のそれぞれが、タバコをめぐる様々な立場や視点の存在と、それぞれの利害が複雑に絡み合う現実を象徴しているように思えます。タバコを吸う人も嫌いな人も、このユニークな小説を読めば、今までとはまた違った観点から、タバコという不思議な植物について改めて考えるきっかけになるかもしれません。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
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