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旅の名言 「旅行者とは……」

旅行者とは、旅行される側の人たちにとっては基本的に、ジャマ者かカネを持ったカモである。


『アジア・旅の五十音』 前川健一 講談社文庫 より
この本の紹介記事

アジアの旅にまつわるさまざまな文章を、「あ」から「ん」まで50音順に配列した前川健一氏のユニークな作品、『アジア・旅の五十音』からの一節です。

「旅行者」についての、この鋭いコメントについては、長く旅をしたことのある人や、何度も旅を繰り返している人なら大いにうなずけるはずで、もうこれ以上解説する必要もないかもしれません。

私たちは、旅を続けているうちに、自分を中心とする視点で旅を楽しむだけではなく、やがて、「旅行される側の人たち」は自分のことをどう見ているのか、あるいは、旅人と現地の人々の関係が生み出している「場」の性質のようなものに、おのずと気づかざるを得なくなります。

また、自分が旅先で顔を合わせ、日々のやり取りをしている人々は、はたしてその国のごく普通の人々といえるのだろうか、それとも、自分の持っているカネを目当てに集まってくる、ある意味では特殊な人たちなのではないかという疑問も湧いてくるでしょう。

それに、バックパッカー・スタイルの旅人なら、よほど急ぎの旅をしているのでもないかぎり、自由な時間はふんだんにあるでしょうが、「旅行される側の人たち」も常にそうだというわけではありません。

欧米諸国はもちろん、開発途上国といわれる国々でも、日本よりも時間がゆったりと流れているとはいえ、やはり働きざかりの年齢の人々は、仕事や日常生活でそれなりに忙しく、いつでも見知らぬ旅行者にかまっていられるほどヒマではないでしょう。

これは自分が観光される立場だったらと想像してみれば分かると思いますが、平日の昼間から街をウロウロ歩き回っては他人の暮らしぶりを覗き込んだり、街角のどうでもいいようなものを見つけてはいちいち喜んでみたり、現地の言葉もろくにしゃべれないのに何でもかんでも知りたがる旅行者というのは、見られる側にとってはやっかいな「ジャマ者」でしかないのかもしれません。

結局のところ、旅人はどこの国に行っても、子供や老人、失業中の人、あるいは働かずにブラブラしている人など、要するにその社会の「現役」ではない人たちか、旅人を相手にすること自体が仕事の、安宿・ツーリスト向けの食堂・旅行代理店・みやげ物屋で働く人やタクシードライバーなど、いわゆる旅行業界の人ばかりとつき合うことになりがちです。

もちろん、現地の旅行業界のすべての人々が私たちをカモにしようとしているわけではないでしょうが、外国人を相手にするのは、彼らにとってもそれなりに面倒な仕事ではあるだろうし、そのサービスの対価としていくばくかの割増を要求するのは、ある程度は仕方のないことです。

そう考えると、ちょっと毒のある表現とはいえ、たしかに私たち旅行者は、「旅行される側の人たちにとっては基本的に、ジャマ者かカネを持ったカモ」だということになるのかもしれません。

旅人としては、異国の人々との言葉を超えた魂の交流とか、友人としての損得抜きのつき合いとか、国境を越えるドラマチックな恋みたいなものを内心では期待してしまうのかもしれませんが、まあ、これが悲しい現実なのでしょう。

ただ、それが大方の現実だとしても、たまには旅行者が夢見るような、奇跡のような出来事が起こることもあるだろうし、だからこそ、旅人は現実の厳しさに何度も裏切られながら、性懲りもなく旅を続けるのかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:35, 浪人, 旅の名言〜旅人

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『分裂する未来 ― ダークサイドとの抗争』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、ヘミシンクという音響技術を利用して変性意識状態に入り、「死後世界」を含めた意識のフロンティアを探索し続ける坂本政道氏の話題作、『死後体験』シリーズの続編です。

坂本氏は、2008年に出版社の企画で、アメリカ人のダリル・アンカ氏がチャネリングする「バシャール」という生命存在との「対談」を行ったのですが、それ以降、坂本氏はバシャールと直接コンシャス・チャネリングができるようになり、この宇宙の成り立ちや未来予測について、膨大な情報を受け取りつつあるようです。

今回も、『ラー文書』とか、「オリオン大戦」とか、耳慣れない用語がポンポン飛び出し、さらにオカルト度というか、「ぶっ飛び度」が増しているようですが、やはり注目すべきは、「2012年問題」をめぐっての、坂本氏の大幅な路線変更でしょう。

彼は前作の『2012年 目覚めよ地球人』で、2010年以降に隕石が落下する(かもしれない)という仰天の予言をしていたのですが、バシャールとの交信によって、それがネガティブな宇宙人からの影響だったらしいと考え直し、これまでの将来予測に大幅な修正を加えています。

今後、経済における激動はあるが、人間意識の変化という意味では、2012年にはゆっくりとした変化が待っている。2012年にすべてが変わるというのではない。数十年かけてポジティブな地球とネガティブな地球に分かれていく。あなたがどちらの地球を体験するかは、あなたの思考・感情・行動パターンによって決まる。

坂本氏が予言する今後の地球の詳しいシナリオについては、ネタバレにもなってしまうので、興味のある方は実際に読んでみてください。ただし、前作の隕石に比べればマイルドな内容になったとはいえ、やはり今後20〜30年の間に政治・経済・社会に激変が起こるという点で、やはり仰天の内容であることに変わりはないようです。

ところで、バシャールによれば、宇宙はパラレル・ワールドになっていて、そこには未来のあらゆるシナリオが並存しており、私たちがその中のどれを体験するかは、自分の波動(振動数)次第なのだそうです。

そして、私たちがポジティブな未来の方を体験したいのなら、恐れを基にしたネガティブな発想ではなく、喜びを基にしたポジティブな発想にしたがって、ワクワクすることをしながら生きるべきだというのです。

これは、シンプルでとても分かりやすい理屈ではあるし、その結論自体には私も共感を覚えるのですが、まあこれは、「自己啓発系」の本などを読めばどこにでも書いてあるような話だと言えなくもありません。

それに、この本の予言によれば、これから数十年かけて、地球はポジティブな人々とネガティブな人々がそれぞれ集まる別々の地球に分裂していくそうなのですが、そもそも、ポジティブとネガティブという言葉は相対的な概念、つまり、両方があって初めて意味をなすものであって、ポジティブな人間だけの世界とかネガティブな人だけの世界というものが果たして存在し得るのだろうかという気はするし、こうした世界観自体、キリスト教的な終末思想や、天国と地獄のイメージの焼き直しに過ぎないのではないかという気もします。

何か、こういう批判的なコメントをすることは、「ワクワク」からは大いに外れてしまいそうですが……。

ただ、この本に書かれた2009年の気候や株価など、バシャールから受け取ったという未来の情報については、現時点ですでに外れてしまっているものもあるので、私としては、ついついマユにツバをつけてしまうのです。

もっとも、彼らの理屈からすれば、これは私が、予言が当たらず、バシャールの言葉を信じられないネガティブなパラレルワールドに入ってしまっただけなのだと言われてしまいそうですが……。

というわけで、何だかんだとケチをつけてしまいましたが、正直に言えば、坂本氏がこうしてぶっ飛んだ作品を書き続けてくれることを、内心ではけっこう期待し、楽しんでいる私がいるのも確かです。

それに、坂本氏とバシャールの対話には、どこまで本気でどこからジョークなのかわからないような、なかなかとぼけた味わいも感じられます。

いつも書いていることながら、これをあまり深刻に受け止めず、一種のエンターテインメントとして受け止める余裕があれば、人類の壮大な宇宙的起源や、その驚きに満ちた未来を語る現代の神話として、ワクワクしながら楽しめるのではないでしょうか。

ただし、坂本氏はバシャールとのコンシャス・チャネリングによって、いつでもどこでも大量の情報を仕入れる能力を手にしています。今後、その情報が次々に出版されることになれば、本が多すぎて、私たちがついていけなくなる可能性はありますが……。

ちなみにバシャールは、坂本氏のハートを開き、ダークサイドの宇宙人から受けた影響を取り除くために、彼に「ダジャレのねたをどんどん送ることにした」そうで、坂本氏はそれ以来、おやじギャグ連発状態なのだそうです。

あなたの身の回りの人物が、急におやじギャグを連発し出したら、それは宇宙人の仕業かもしれません……。



坂本政道著 『「臨死体験」を超える死後体験1』の紹介記事
坂本政道著 『「臨死体験」を超える死後体験 4 - 2012人類大転換』の紹介記事
坂本政道著 『2012年 目覚めよ地球人 ― いよいよ始まった人類大転換の時』の紹介記事


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書 

at 19:11, 浪人, 本の旅〜魂の旅

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『デジタルネイティブ ― 次代を変える若者たちの肖像』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

 

この本は、昨年の11月10日に放送された『NHKスペシャル デジタルネイティブ』の内容を、取材や番組制作のプロセスを交えて書籍化したものです。

13歳で起業し、SNSで世界中から専門技能を集めてカードゲームを開発したアメリカの少年、「ネット上の不特定多数への信頼」をベースにしたさまざまなサービスを生み出す「はてな」創業者の近藤淳也氏、そして、市民運動に関心のある200か国20万人以上が集まるSNSを運営し、ネット上に自分たちの「国連」をつくり出そうとする若者たち……。

この本では、インターネットの発展と時を同じくして成長し、ネットとリアルを同じ現実としてとらえ、ネットの可能性を信じ、地位や肩書にとらわれず、互いの情熱や能力によってつながりながら、強力なネットワークを生み出していく「デジタルネイティブ」たちの姿が紹介されています。

もちろん、ここに登場する人々は、TV番組としてのインパクトと分かりやすさを求めて選ばれた特別ケースであって、インターネットを利用する若い世代の平均的な姿を示しているわけではないでしょう。

また、新しいタイプの若者が現れつつあることに一般の注意を喚起するうえで、番組は一定の役割を果たしたと思うのですが、「デジタルネイティブ」という言葉が意味するもの、つまり、その具体的な特徴や、彼らがもたらす将来の社会変化の可能性について、明確にその姿を描くところまでは至っていないようです。

ただ、ネット世界にある程度なじんでいる人なら、「デジタルネイティブ」に関する詳細な研究を待つまでもなく、以前からインターネットの可能性として言われつづけてきたことをまさに体現する存在として、彼らのことを驚きよりは共感をもって受け止めるのではないかという気がします。

私はこの本を読んでいて、むしろインターネット「以前」の世代、つまり現在40代より上くらいの、社会的にはマジョリティといえる人々が、こうした新しいタイプの若者たちに対して、今後どのような反応をするかの方が気になりました。

若く優秀な人々が、彼らのネットワークとネットの効率性を駆使して、「大人」たちの経済的・社会的な実力を凌駕する時代が、もしかすると、私たちが思っているよりもずっと早くやってくるかもしれません。

そのような事態に直面したとき、実務能力ではネット世代に到底かなわない年長者らは、今までと同じように古臭い精神論を掲げ、「年長者に従え!」と虚しい説教をくり返すのでしょうか? それとも彼らの地位と権力を賭け、これまでの社会経験で身につけたしたたかさを発揮しつつ、若い世代に対して死にもの狂いの戦いを挑むのでしょうか? あるいは、世の中の激動に抗することもできず、ただそのありさまを傍観することになるのでしょうか……。

インターネットがリアル世界にもたらす葛藤は、決して「世代間闘争」に収斂するものではないと思いますが、それでも、世の中を実際に動かすパワーを誰がどのような形で握るかをめぐって、これから何年にもわたって、世の中が激しく動くのは確実でしょう。

それともうひとつ、ネットの世界で多様なバックグラウンドの人々がフラットにつながるといっても、現実的なコミュニケーション言語としては、圧倒的に英語が使われているという現状があります。

英語圏の人々にとって、これは大きなアドバンテージであり、また同時に、世界中の人々とホワイトカラーの仕事を奪い合うことになるという意味では脅威でもあるのですが、(英語に堪能な一部の人を除く)日本人の場合、ネットの可能性以前の問題として、言語という大きな壁が立ちはだかっています。

これは、私たちにとって決定的に不利なことなのでしょうか? それとも、世界的な大競争に直接巻き込まれない幸運に、しばし安堵すべきなのでしょうか?

まあ、安堵するといっても、与えられる時間的猶予はわずかだろうし、翻訳ソフトが高度に発達すれば、そうした壁もいずれ乗り越えられてしまうのでしょうが……。

それにしても、すでに年齢を重ね、今さら若い人と同じスピードで新しいテクノロジーを吸収することなんてできないと思う人は、こうした本を読んだり、将来の見通しについて考えるだけで脅威を感じてしまうかもしれません。

しかし、すべての世代の人々にとって、インターネットには影ばかりではなく光の側面もあるはずです。

本当に自分が情熱をもってやりたいことを見つけた個人が、出身・性別・年齢・地位や肩書きとは一切関係なく、ネット上のネットワークとインフラによって驚くべき力を手に入れる可能性が広がっているというのは、これまでの社会の仕組みの中で分不相応な特権を享受していた一部の人を除けば、やはり多くの人にとっての希望だと思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

 

 

at 19:23, 浪人, 本の旅〜インターネット

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ミャンマーのポップなお寺

ミャンマーを旅していたときのことです。

ヤンゴンから南に向かい、巨大な寝釈迦仏のあるバゴーや、ゴールデン・ロックで有名な聖地チャイティーヨなどを巡って、モーラミャインを目指す途中、タンルウィン河畔の町パアンに立ち寄りました。

特別な観光スポットがあるわけでもなく、たぶん旅行者もあまり訪れない地味な町ですが、河岸に立つと、対岸に石灰岩の奇岩がそびえる美しいパノラマを楽しむことができます。

宿を決めて荷物を置いたあと、特にあてもなく、近所をぶらぶらと散歩していると、建築中の奇妙な寺が目に留まりました。

建物はまだ完成しておらず、参道もむき出しのコンクリート柱が並んでいるだけでしたが、遠くからでも人目を引かずにはおかない、極彩色の奇抜なカラーリングに興味をそそられたのです。

私は好奇心の赴くまま、境内へと足を運びました。

本堂とおぼしき無人の建物に入ると、そこも内装は済んでいませんでしたが、派手に塗られたブッダや、托鉢するお坊さんの小さな像で内側の壁が埋め尽くされていて、その形と色彩の洪水に圧倒されます。

仏像の表情は、何ともマンガチックというか、ポップというか、妙に現代的でかわいらしい感じです。しかも、同じ形の小像が何十体、いや何百体と隙間なく並べられているため、空間に独特のリズムが生まれています。

たぶんこの寺自体には、歴史的な由緒などないのだろうし、一般的な感覚に照らしても、これらが芸術的だとはとても言えないのでしょうが、私はそこに、ある種のセンスというか、生々しいエネルギーがみなぎっているのを感じました。『東南アジア四次元日記』の著者、宮田珠己氏ならきっと、ここを「四次元濃度」の高い場所だと言うのではないでしょうか。

この寺がすべて完成したら、一体どんなワンダーランドが出現するのだろうと思いつつ、とにかくその面白さに、私はしばし夢中で写真を撮り続けました。

……翌朝、散歩の足は、やはり例の寺に向かってしまいます。

寺に入り、またも写真を撮っていると、ピンク色の僧衣をまとった尼僧に声をかけられました。親切にも、寺を案内してくれるようです。

カタコトの英語の説明を聞きながら境内を歩いているうちに、私は、これらのカラフルな仏像の数々が、どうやら人々の寄進によるものだということに気がつきました。小さな仏像が無数に並んでいるのは、たぶんそれぞれが、喜捨した一人ひとりを表しているのでしょう。

そして、私の中にもふと、このワンダーランド建設に少しばかり貢献したいという気持ちが芽生えてきました。それに、ここはミャンマーの田舎なので、仮に寄進するにしても、日本円にしたらわずかな金額で済みそうです。

私は尼僧に、軽い気持ちで「ドネーションをしたいんですけど」と持ちかけました。

すると彼女は、住職のところへ連れていくといいます。

私は、しまった、と思いました。

見学が終わって寺を出るときにでも、尼僧に少額のお金をサッと渡せばそれで済んだのに、変にもったいぶった言い方をしたのが裏目に出ました。住職に面会するとなると、話が大げさになり、それなりの対応をしなければならなくなりそうです。

しかし一方で、私には、このポップな寺を構想したお坊さんが一体どんな人なのか、ちょっと会ってみたいという思いもありました。

煮え切らない気持ちのまま、なんとなく成り行きにまかせて彼女の後をついていくと、別の棟の前の建築現場に、60代くらいの貫禄のあるお坊さんがいて、何やら指示を出しているところでした。一見して彼が住職だとわかります。

その姿は、何か独特のオーラというか、凄みのようなものを漂わせていて、大変失礼ながら「怪僧」という言葉が似つかわしいように思われました。もっとも、それに関しては、この寺の奇抜なデザインを眺めているうちに、住職の人柄について、私の心の中で勝手な想像をふくらませていただけなのかもしれませんが……。

外国人にもかかわらず、私は住職に大いに歓迎され、住職みずからの案内で付属の学校の授業風景などを見せてもらったあと、部屋に通されました。

私たちはカタコトの英語でしばらくの間とりとめのない話をしたのですが、ジュースがふるまわれたり、お付きの若いお坊さんがビデオやカメラで横から撮影していたりと、ミャンマーの田舎町の寺にしては何だか様子が変です。

実はこの住職、もう何回も日本に行ったことがあるそうで、在日ミャンマー人の善男善女と一緒に写った写真や、日本の観光地での記念写真など、アルバムに収められた写真をどっさりと見せられました。

ミャンマーの田舎を散歩中に何気なく足を止めた寺に、日本との意外なつながりがあったという意味では、これはこれで、なかなか面白い展開だとは思ったのですが、一方で、私は内心、次第に追いつめられていくのを感じていました。

住職が何度も国外旅行をしているということは、国外の事情や日本などの物価水準を十分承知しているであろうこと、そして自由に旅行ができるということは、かなり地位が高く有名なお坊さんなのかもしれないということを意味します。

そんな住職に、これだけの「接待」をしてもらった以上、ここは外国人として、それ相応の金額を喜捨することが期待されているのではないでしょうか?

やがて彼らは、それではこれを、という感じで、奉加帳らしきものを目の前に出してきました。

サッと目を走らせると、欧米人らしき名前もずらりとあって、しかも1人数十ドル以上は喜捨しているようです。私もドネーションしたいなどと自分から言い出した以上、最低限そのくらいは置いていかなければならない雰囲気です。

とはいえ、財布の中には、そんな大金は入っていませんでした。

ミャンマーを出国する日が近づいていたので、私は一日当たりの旅費と両替のスケジュールを慎重に計画し、現地通貨チャットやFEC(旅行した当時、空港で強制的に両替させられた兌換紙幣)を使い切るようにしていたからです。

う〜ん、どうしよう……。

無理をすれば、貴重品袋の中から、虎の子の100ドル紙幣などを出すこともできましたが、さすがにそこまではしたくありませんでした。だとしたら、ここは恥を忍ぶしかありません。

私は奉加帳の中に、バックパッカーなのか、気持ち程度の金額だけ喜捨した人もちらほらいるのをすばやく確認し、それに少しだけ勇気を得て、500チャットほどをおずおずと差し出しました。当時の現金実質レートで2ドル強といった程度の額です。

一同の間に、一瞬、少ないなあ、という失望の表情が浮かんだ気がしましたが、これはあくまでも喜捨です。彼らも、そこは何も言わずにありがたく受け取ってくれました。

……あれから、もう何年にもなります。寺はすでに完成したことでしょう。

あの非常にささやかなドネーションは、きっと、境内を埋め尽くす小さな仏像の、一体分の材料費の、そのまた一部くらいにしかならなかったはずです。

それでも、あのワンダーランドの片隅に、私の微小な貢献分が埋め込まれているかもしれないと想像すると、恥ずかしさとともに、ちょっと微笑ましい気持ちになります……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:25, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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旅の名言 「この旅の計画が無茶だと……」

 二万キロ近い距離を運転し、同伴者なしの単独行であらゆる状況の道を行くのはきつい仕事だと分かっていた。しかし私にとって、それこそが病気を生業にしてしまうことへの解毒剤だった。我が人生において、長生きのために生の手ごたえを差し出すつもりはない。この旅の計画が無茶だと分かったなら、その時にこそ旅立つべきだろう。


『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家ジョン・スタインベック氏のアメリカ一周旅行記、『チャーリーとの旅』からの一節です。

彼が愛犬のチャーリーを連れて、キャンピングカーでアメリカを一周しようと決意したのは、60歳も近くなったときでした。

彼は58歳のときに「寄る年波からくる症状」に襲われ、自らの老いを深く実感してはいたのですが、身の周りの同じ年代の男たちが「安楽に身をひたし、衝動を押し殺し、情熱を覆い隠し、次第に男であることを捨てて精神的にも肉体的にも半病人と化していく」のを見て、あえて自分はリスクのある旅に挑戦することを選んだのです。

ただし、スタインベック氏は根っからの風来坊で、若いころから旅を繰り返し、旅そのものには慣れていたし、また、老いへの挑戦だけが旅に出た理由ではありませんでしたが……。

それにしても、「旅の計画が無茶だと分かったなら、その時にこそ旅立つべきだろう」なんていう表現は、たしかに男くさくてカッコよく聞こえますが、これは、半分は本気だとしても、残りの半分くらいは自らを奮い立たせるための強がりだったと思うし、彼もそれを十分承知した上で、こんな風に啖呵を切ってみせたのではないでしょうか。

私はまだ、当時の彼ほど年齢を重ねていないので、老いというものが具体的に実感できないし、自分が将来同じ状況になったとき、果たして彼のような挑戦ができるかどうかも分かりませんが、「長生きのために生の手ごたえを差し出すつもりはない」という彼の言葉には、年齢にかかわりなく心に響くものがあります。

安心・安全を追求し、長生きと安逸を目標に生きるなら、危険やトラブルと背中合わせの旅なんていう酔狂は止めるにこしたことはありませんが、そういう無茶を通じてしか手に入らない「生の手ごたえ」というものも、たしかに存在します。

もちろん、すべての人がそうした手ごたえを切実に必要とするわけではないでしょうが、そこに自分の生きている証しを感じるという人は、たとえ身体に衰えを感じても、むしろだからこそ、残された時間と競い合うようにして、旅に出たいという強い衝動に駆られるのかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:54, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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『2012年 目覚めよ地球人 ― いよいよ始まった人類大転換の時』

評価 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?

この本は、アメリカで開発されたヘミシンクという音響技術を用いて変性意識状態に入り、「死後世界」も含めた意識のフロンティアを探索するという内容で話題となった、坂本政道氏の『死後体験』シリーズの続編です。

最近の作品の中で、坂本氏は、2012年に向けて非物質界の生命エネルギーが銀河系コアから地球生命系に大量に流れ込みつつあり、それは人が輪廻から解き放たれ、地球生命系から「卒業」するための絶好のチャンスなのだというメッセージを繰り返していますが、この本も、そのメッセージに沿った形で『死後体験』シリーズの内容をまとめ直した感じで、新しい情報はあまりありません。

ただ、坂本氏の今回の著作からは、妙な切迫感が感じられます。

坂本氏は、ヘミシンクを用いたセッションにおいて「銀河系全体を統括」するという高次元の知的存在に会ったことを明かし、今後の地球に起きる現象や彼自身の使命など、その存在から受け取った断片的なメッセージをそのまま公開しているのですが、そこでは、2010年以降、隕石落下などの天変地異が起こる(かもしれない)という話も飛び出すなど、内容が穏やかではありません。

まあ、天変地異の予言というテーマ自体は、いわゆるオカルトものの定番ではあるので、そういうジャンルの本に免疫のある人ならあまり驚きは感じないでしょう。

私が気になったのはむしろ、坂本氏がなぜそういうメッセージをそのまま受け入れ、著書で世の中に広く喧伝してしまうのかということです。

私の眼には、これまで坂本氏がヘミシンクという目新しい技術を武器に、広大な意識の世界を自由自在に航海し、また、実に興味深いコスモロジーも提示しているように見えていただけに、結局はそういう方向に行ってしまったのかと残念に思いました。

それにしても、高次元の知的存在を自称する「何か」からの情報を文字どおりに受け取るなら、人々を生きたまま地球生命系から「卒業」させるために、坂本氏がピラミッドから生命エネルギーを取り出して人類の意識レベルを高める方法を見出さないと、2010年から地球を大災害が襲う、つまり、坂本氏の働きに人類全体の運命が委ねられているということになります。

これではまるでハリウッド映画の展開です。坂本氏自身も本文中で「何かの映画みたい」と書いていますが……。

それに、時空すら超越した高次元の知的存在が多数関わっているはずなのに、2012年が目前に迫った今頃になって、なぜ急にこうバタバタとした、スピード・スリル・サスペンス的な展開になってしまうのかも疑問です。

とにかく読んでいると、もしかして彼は、日常のリアリティを超える体験を続けたことで精神的な危機に陥り、壮大な宇宙的メロドラマに巻き込まれてしまったのではないかと心配になってくるのです。

このあたりは、アマゾンのレビューでも厳しく指摘・批判されていることです。

たとえば「ジャスミン」さんは、これは「低級霊」にエゴをあやつられているのか、それとも著者の潜在意識のエゴの妄想なのかとコメントしているし、「ばるさみこ」さんも「肉体を持たない詐欺師」にだまされてはいないかと心配しています。

こうなってしまった一つの原因として、坂本氏が自らの変性意識状態での体験を、時間をおかずにそのままどんどん発表しているために、体験の質についてきちんと咀嚼・吟味することができていないということがあるのかもしれません。

もっとも、アマゾンのレビューで見た限りでは、このすぐ後に出版された『分裂する未来』で、坂本氏は、批判された点についてさっそく大幅な修正を加えているようです。ただ、彼がどのような軌道修正を行ったのか、マユにツバをつけつつも、新作の方を一応確認しておく必要はありそうです。

というわけで、トンデモ本と知りつつやっぱり続きを読んでしまうのは、結局のところ、私も「坂本ワールド」にすっかりハマってしまったということでしょうか……。


坂本政道著 『「臨死体験」を超える死後体験1』の紹介記事
坂本政道著 『「臨死体験」を超える死後体験 4 - 2012人類大転換』の紹介記事
坂本政道著 『分裂する未来 ― ダークサイドとの抗争』の紹介記事


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 19:08, 浪人, 本の旅〜魂の旅

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