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2010.08.29 Sunday
『放っておいても明日は来る ― 就職しないで生きる9つの方法』
高野 秀行,二村 聡,下関 崇子,井手 裕一,金澤 聖太,モモコモーション,黒田 信一,野々山 富雄,姜 炳赫
この本は、辺境作家の高野秀行氏が上智大学で行なった「東南アジア文化論」の講義が元になっているのですが、本のタイトルからも明らかなように、内容は全然堅苦しくありません。
高野氏は講義にあたり、小難しい理屈はやめにして、東南アジアを生で体験している人々をゲストに呼んで話を聞く形式をとったのですが、そのゲストは、現地で会社を興したり、組織に属さずフリーで仕事をしているユニークな人たちばかりです。
講義はおのずと、東南アジアの文化を語るというよりは、彼らがそれぞれどんな風に自分の人生を切り開いていったのか、その波乱万丈のストーリーを語る場になってしまったのでした。
ダイエットのつもりでキックボクシングを始めたら、いつの間にかタイでプロのムエタイ選手になっていた女性とか、ミャンマーの辺境ツアーの現地手配会社を立ち上げた男性、バンコクで多国籍バンドを結成した女性や、ラオスで居酒屋を開業した男性……。
この本には、こうしたゲスト8人の話と、最後に高野氏自身の体験談(インドで無一文になった話がすごい!)が収められています。
時には失敗も重ねながら、自分のやりたいことを実現しつつ人生を切り開いてきた彼らの話が、就職活動中の学生を励ますのにピッタリということもあって、本自体も一応そういう体裁でまとめられていますが、もちろん学生に限らず、誰でも笑いながらサラッと読める内容になっています。高野氏が、ゲストから面白いエピソードを巧みに引き出していて、講義というよりはお笑いトークショーといった感じです。
もっとも、彼らの生き方に大いに魅力を感じはしても、いざ自分も同じように一歩を踏み出せるかとなると、なかなか微妙なところです。彼らのような生き方を選んだ場合、失礼ながら、収入は決して多くはないだろうし、仕事は不安定だし、何をどうするか全部自分で決めて行動し、その責任もとらなければなりません。将来の安楽な生活を保証してくれるものは何もないのです。
だから、延々とつづく就職活動に疲れ果てた学生がこの本を読んで、自分にもさまざまな人生の可能性があるのだという事実に心の慰めを感じるとしても、やっぱり何だかんだと言いながら、結局は彼らのほとんどが気を取り直し、再び大手企業への就職を目指すことになるんだろうな、という気はします。
もっとも、たとえ何とか大手企業にもぐり込んだところで、決して安楽な人生が保証されるわけではないのですが……。
高野氏は、この本のゲストの人々を、「やってしまった人たち」と呼んでいます。考えているだけでなく、何かのきっかけで実際に行動に移し、その結果、多くの物事は案外、見かけよりも簡単に実現できるということを、体験を通じて知ってしまったという意味で。しかし、多くの人にとっては、あとさきのことを考えず、思い切ってその最初の一歩を踏み出すことこそが、一番難しいのかもしれません。
やはり人間、土壇場まで追い詰められるか、それとも、何がなんでもやらずにはいられないような、熱い思いに引きずられでもしないかぎり、自分の思考が作り上げている自分の限界をなかなか超えられないのではないでしょうか。
それにしても、この本に登場するゲストのハチャメチャな生き方と、彼らの多くが東南アジアを仕事の舞台にしていることとは、単なる偶然のつながりではない気がします。
行き当たりばったりに見える行動をしていながら、ときには大きな失敗もしながら、それでも彼らの前にそれなりの活路が開けていくのは、そういう行動を受け止めることのできるアジア的ないいかげんさというか、包容力みたいなものが、そこにあるからなのかもしれません。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
2010.08.23 Monday
旅の名言 「旅先でちょっとしたトラブルに……」
旅先でちょっとしたトラブルに巻き込まれるなどしたとき、その国の人々が歓迎のキスをしてくれたのだと思うことにしている。トラブルはマイナス面ばかりではなくその旅を活性化する場合もあるからだ。のっぺりとした日常が続いたときなど活を入れるという意味で、逆にちょっと危ない橋を渡ってみるということもある。
たとえば韓国釜山の郊外に観光客を騙すことでその名を馳せている飲食街に一人で繰り出し、ひとつマナイタの鯉となってみるか、との趣向を凝らしたあの日も、在韓三週間を過ぎ、なにも起こらない日常の中で旅が精気を失いつつあると自覚しはじめた時期のことだった。
『ショットガンと女』 藤原 新也 集英社インターナショナル より
この本の紹介記事
インド旅行記の名作『印度放浪』をはじめ、さまざまな話題作で知られる写真家の藤原新也氏の旅のエッセイ集、『ショットガンと女』からの名言です。
旅先でトラブルに巻き込まれても、それを異国の人々からの「歓迎のキス」だと受け止めてしまえるあたり、ちょっと常人には及びもつかない感覚です。
旅をしていると、日常生活とは違って、予想もしなかったようなトラブルに遭遇することが多々あります。
それは、自分のミスや無知からくることもあれば、旅先の人々とのコミュニケーション・ギャップが原因になることもあるでしょう。もちろん、あちこちを移動したり、慣れない食べ物を口にしたり、解放感や高揚感など、ふだんと違う精神状態になることによって、さまざまなリスクが高まるのもトラブルの要因になるでしょう。
それに加えて、言葉も習慣もわからない海外を、しかも個人旅行のスタイルで旅するような場合、旅先でトラブルに遭う可能性はさらに高まります。
まあ、旅のトラブルというのは、被害がそれほどでもなければ、後日、それを旅の武勇伝として、他の人に笑って語ることもできるのですが、その一方で、深刻な事故や犯罪に巻き込まれる可能性も皆無ではありません。万が一そんな状況に陥れば、さすがに笑い話では済まなくなります。
当然、ほとんどの人は旅先でトラブルになど遭いたくないと思っているはずだし、だからこそ多くの人は、問題なく快適に旅をするためのサービスにカネを惜しまないのです。
そして逆に、たとえ一人で異国に置き去りにされても、問題なく快適に旅を続けられるような人、つまり、トラブルに遭遇しても、それをどうやって最小限の被害で切り抜けるか、その方法を熟知し、確実に実行できるような人間を、ふつう、旅の達人とか、老練な旅人と呼ぶのでしょう。
しかし、旅人の中には、トラブルをあえて求めるような人間もいるようです。
先ほどの藤原新也氏など、トラブルは異国の人々からの「歓迎のキス」なのだとうそぶいていますが、ここまで大胆に言い切れるのは、やはり豊富な旅の経験からくる余裕と、ひとりでも状況を乗り切れる自信、そして旅の本質に関する深い洞察があってのことだと思います。
そのうえ彼は、自分の旅を活性化させるために、ときには「危ない橋」さえ渡ってみるのだと言います。もっとも、そこまでいくと、人々から「歓迎のキス」をもらうというより、強引にキスを奪いにいくという感じがしなくもありませんが……。
言うまでもないことですが、私はヘタレなので、旅先でわざわざ「マナイタの鯉」になりに行く勇気などありません。というより、それ以前の問題として、何かトラブルに巻き込まれたとき、それを人々からの「歓迎のキス」だとうそぶいてみせる心の余裕もありません。
もっとも、いつの日か、もう少し旅人として経験を積んだとき、誰か旅の初心者をつかまえて、そんなことをカッコよく語ってみたいという気が全くないわけではありませんが……。
ちなみに藤原氏は、釜山郊外のそのいわくつきの飲食街に出かけ、その中の一軒で食事をして予想通りトラブルに巻き込まれ、店の主人に恫喝されます。そして藤原氏は、その場のヒラメキで危機的な状況をまんまと切り抜け、「のっぺりとした日常」だった彼の旅には、めでたく旅の精気がよみがえるという展開になるのですが、それがどんな武勇伝だったかは、ぜひ本文でお楽しみください……。
それと、蛇足ではありますが、こういう旅はもちろん藤原氏だからできることで、ふつうの旅人が軽々しくマネできるものではないし、私もオススメしません。
トラブルは、旅を活性化させることもありますが、そうならない場合も多々あります。下手をすれば、人生そのもののゲームオーバーを迎えることにもなりかねません。旅人の皆様は、どうぞ十分に気をつけてください。
とはいえ、旅先で不本意にも何らかのトラブルに巻き込まれ、そのあまりの惨めさに心が落ち込んでしまうようなときは、そしてその傷が、とりあえず致命的なものではなさそうなときには、あえて視点を変えて、藤原氏のように、その国の人々が自分に熱烈な「歓迎のキス」をしてくれたのだと考えてみるのも悪くないかもしれません……。
JUGEMテーマ:旅行
2010.08.17 Tuesday
『約束された場所で ― underground 2』
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本は、サブタイトルに「underground 2」とあるように、先日紹介した村上春樹氏の『アンダーグラウンド』の続編となる作品です。
『アンダーグラウンド』で、村上氏は地下鉄サリン事件の膨大な証言を集め、事件当日に東京で何が起きていたのか、被害者の視点から描き出そうとしました。今回は視点を変え、事件を起こしたオウム真理教(当時)とは何であったのか、信者・元信者8人への長いインタビューと、心理学者の河合隼雄氏との対談を通じて、その本質に迫ろうとしています。
インタビューでは、それぞれの人物の生い立ちや人生観・世界観、教団に入ったきっかけ、教団内での活動、サリン事件に対する思いなど、かなり詳しく踏み込んだ質問を行っています。彼らの中には、出家信者もいれば、そうでない人もいて、教団内での活動も暮らしていた場所もそれぞれに違います。また、すでに脱会して教団に批判的な人もいれば、そうでない人もいます。
その内容には、やはりショッキングな箇所もあります。修行と称して独房に監禁されたために、隙をついてサティアンから必死で逃げたという人もいれば、電気ショックで記憶を消されたという人もいます。その一方で、充実した修行の日々を語る人もいます。
私たちの多くにとって、オウムは今でも「正体不明の脅威=ブラックボックス」であり続けていると思うのですが、こうした詳細なインタビューを読むことで、それが、それぞれの人生を抱えた生身の人間によって成り立つ組織であったことが少しずつ見えてきます。これまでマスメディアによって提示され続けてきたステレオタイプな見方から脱するという点で、この本を読むことには、それなりの意味があると思います。
ただ、この本を手に取る人がたぶん一番知りたいだろうことは、仏教系を標榜する宗教団体、少なくとも建前としては、よりよい人生を求めて厳しい修行に励み、ゴキブリ一匹殺さないような出家生活を営んでいたはずの人々の集団が、どうして一般市民への無差別テロを起こすことになったのか、つまり、教団が巨大化していく過程で、その内部で一体何が起きていたのかという点だと思うのですが、インタビュー自体からは、残念ながら、そうした点について十分に納得のいく証言は得られませんでした。
まず何より、数人へのインタビューからだけでは、やはり教団の活動の全貌は分からないし、証言者も教団幹部ではないので、サリン事件とのかかわりについて、その詳細を直接知る立場ではありませんでした。
また、この本では、オウムの教義やその独特の専門用語、教団組織について、特に詳しく解説されているわけではないので、事件当時のマスコミ報道の記憶が薄れている人や、事件自体を知らない若い人は、そうした予備知識なしにインタビューを読んでも、何の話をしているのか分かりにくいかもしれません。
それでも、巻末の対談では、特に河合隼雄氏が、善と悪の問題や、閉鎖的な集団が陥りがちな危険、あるいは現代の日本社会が抱える問題などについて、かなり踏み込んだ発言をしていて、とても興味深く、事件について考える上での貴重なヒントになるように思います。
それにしても、この本は、『アンダーグラウンド』にも増して、読んでいて不安を覚える本でした。
オウム信者・元信者の生い立ちを読むと、彼らは決してエイリアンのような遠い存在ではなく、私たちとそれほど変わることのない、ごく普通の悩み多き若者たちだったように思えます。社会に対して違和感を覚え、どこにも居場所を見つけることができず、自分は何をして生きていけばよいのか真剣に悩むのは、若者にとって決して異常なことではありません。
たしかに彼らには、ちょっと生真面目すぎるところはあったかもしれません。しかし、そういう人は自分の身の周りにいても全然おかしくない、というより、ある面では、むしろ自分によく似たところさえ感じられて、読んでいると何ともいえない、居心地の悪い気分になってくるのです。
結果的にオウムに引き寄せられていった彼らと、同じような悩みや疎外感を抱えながら、そうはならなかった(より多くの)人々との違いはどこにあったのでしょうか。あるいは、そこに違いなどなく、それぞれの運命の違いは、単なる偶然の結果に過ぎないのでしょうか。
また、事件の前と後とで、日本社会のメインの価値観も社会の仕組みも、本質的には何も変わっていない以上、今後も、同じような宗教に惹かれる人は出てくるだろうし、だとすれば、また同じような問題が繰り返されることになるのかもしれません。
「日本社会というメイン・システムから外れた人々(とくに若年層)を受け入れるための有効で正常なサブ・システム=安全ネットが日本には存在しないという現実は、あの事件のあとも何ひとつ変化していない」という村上氏の指摘が、何とも重く響きます。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
この本は、サブタイトルに「underground 2」とあるように、先日紹介した村上春樹氏の『アンダーグラウンド』の続編となる作品です。
『アンダーグラウンド』で、村上氏は地下鉄サリン事件の膨大な証言を集め、事件当日に東京で何が起きていたのか、被害者の視点から描き出そうとしました。今回は視点を変え、事件を起こしたオウム真理教(当時)とは何であったのか、信者・元信者8人への長いインタビューと、心理学者の河合隼雄氏との対談を通じて、その本質に迫ろうとしています。
インタビューでは、それぞれの人物の生い立ちや人生観・世界観、教団に入ったきっかけ、教団内での活動、サリン事件に対する思いなど、かなり詳しく踏み込んだ質問を行っています。彼らの中には、出家信者もいれば、そうでない人もいて、教団内での活動も暮らしていた場所もそれぞれに違います。また、すでに脱会して教団に批判的な人もいれば、そうでない人もいます。
その内容には、やはりショッキングな箇所もあります。修行と称して独房に監禁されたために、隙をついてサティアンから必死で逃げたという人もいれば、電気ショックで記憶を消されたという人もいます。その一方で、充実した修行の日々を語る人もいます。
私たちの多くにとって、オウムは今でも「正体不明の脅威=ブラックボックス」であり続けていると思うのですが、こうした詳細なインタビューを読むことで、それが、それぞれの人生を抱えた生身の人間によって成り立つ組織であったことが少しずつ見えてきます。これまでマスメディアによって提示され続けてきたステレオタイプな見方から脱するという点で、この本を読むことには、それなりの意味があると思います。
ただ、この本を手に取る人がたぶん一番知りたいだろうことは、仏教系を標榜する宗教団体、少なくとも建前としては、よりよい人生を求めて厳しい修行に励み、ゴキブリ一匹殺さないような出家生活を営んでいたはずの人々の集団が、どうして一般市民への無差別テロを起こすことになったのか、つまり、教団が巨大化していく過程で、その内部で一体何が起きていたのかという点だと思うのですが、インタビュー自体からは、残念ながら、そうした点について十分に納得のいく証言は得られませんでした。
まず何より、数人へのインタビューからだけでは、やはり教団の活動の全貌は分からないし、証言者も教団幹部ではないので、サリン事件とのかかわりについて、その詳細を直接知る立場ではありませんでした。
また、この本では、オウムの教義やその独特の専門用語、教団組織について、特に詳しく解説されているわけではないので、事件当時のマスコミ報道の記憶が薄れている人や、事件自体を知らない若い人は、そうした予備知識なしにインタビューを読んでも、何の話をしているのか分かりにくいかもしれません。
それでも、巻末の対談では、特に河合隼雄氏が、善と悪の問題や、閉鎖的な集団が陥りがちな危険、あるいは現代の日本社会が抱える問題などについて、かなり踏み込んだ発言をしていて、とても興味深く、事件について考える上での貴重なヒントになるように思います。
それにしても、この本は、『アンダーグラウンド』にも増して、読んでいて不安を覚える本でした。
オウム信者・元信者の生い立ちを読むと、彼らは決してエイリアンのような遠い存在ではなく、私たちとそれほど変わることのない、ごく普通の悩み多き若者たちだったように思えます。社会に対して違和感を覚え、どこにも居場所を見つけることができず、自分は何をして生きていけばよいのか真剣に悩むのは、若者にとって決して異常なことではありません。
たしかに彼らには、ちょっと生真面目すぎるところはあったかもしれません。しかし、そういう人は自分の身の周りにいても全然おかしくない、というより、ある面では、むしろ自分によく似たところさえ感じられて、読んでいると何ともいえない、居心地の悪い気分になってくるのです。
結果的にオウムに引き寄せられていった彼らと、同じような悩みや疎外感を抱えながら、そうはならなかった(より多くの)人々との違いはどこにあったのでしょうか。あるいは、そこに違いなどなく、それぞれの運命の違いは、単なる偶然の結果に過ぎないのでしょうか。
また、事件の前と後とで、日本社会のメインの価値観も社会の仕組みも、本質的には何も変わっていない以上、今後も、同じような宗教に惹かれる人は出てくるだろうし、だとすれば、また同じような問題が繰り返されることになるのかもしれません。
「日本社会というメイン・システムから外れた人々(とくに若年層)を受け入れるための有効で正常なサブ・システム=安全ネットが日本には存在しないという現実は、あの事件のあとも何ひとつ変化していない」という村上氏の指摘が、何とも重く響きます。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
2010.08.11 Wednesday
本の選択とタイミング
もうずいぶん前のことになりますが、何か、追われるような切迫感にかられて本を読んでいた時期があります。
その当時、本が次々に出版されては絶版になっていく状況(今も同じですが)を前にして、自分なりにそれに適応しなければと考えていたのでしょう。ちょっとでも興味をもった本は、見つけた時点で手に入れておかないと、二度と再び出会うチャンスはないと思って、私は気になる本を手当たり次第に手元に集めていました。
当然、本はまたたく間に溜まっていくわけですが、それらを読まずに積んでおいても意味はないわけで、結局、半ば義務感にかられ、無理をして、次から次へと目を通していました。
今から思えば、実に愚かなことをしていた気がします。ただ、そのときは、読むべき本に出会い損ねるのではないかという恐れの方が強く、まずは本を確保するという行為に、多大なカネと労力を費やさざるを得なかったのです。
しかし今や、インターネットの出現によって、さまざまな情報が半永久的にネット上に保存されるようになり、それに伴って読書のスタイルも大きく変わっていこうとしています。
まず何より、本を探すのがものすごく楽になりました。
著者名やキーワードで検索をかければ、目的の本が一発で分かるだけでなく、絶版になった本でも、簡単に探し出すことができます。また、テーマごとの関連書籍をリストアップする作業も楽になりました。アマゾンのウェブサイトのように、一冊の本を表示すると、ほかの面白そうな本を自動的に紹介してくれるシステムもあります。
さらに、過去の出版物も次々に電子化され、ネット上に蓄積されつつあります。今後、電子出版への動きが加速し、新刊書の多くが電子化されるようになれば、必要な本をネット経由でいつでも手に入れることができるようになるかもしれません。
そうなると、読者は、いつ読むか分からない本を各自で溜め込んでおく必要も、本の保管場所の問題に悩まされることもなくなります。また、基本的に本が絶版になることもなくなるので、読みたかった本を永遠に逃してしまう恐怖や、失われた本を探す苦労からも解放されるでしょう。
私たちは、印刷された本を手に入れて保管することに関わる、さまざまな面倒や制約から自由になり、読みたい本を読みたい場所で読みたいときに読むという、いちばん重要なことだけに神経を集中できるようになるのです。
ただ、ネット上に膨大な本が蓄積されると、新しい本も古い本も、ベストセラーもそうでない本も、すべての本が、読者の前に同じ条件で並ぶことになります。
読者は、その途方もない選択の自由を楽しめる反面、各人の人生の持ち時間には限りがあるわけで、無駄な時間をかけずに、どうやって読むべき本に辿り着くかというのが、これまで以上に頭の痛い問題になりそうです。
ひと昔前は、読みたい本を物理的に手に入れること自体が大変だったので、読みたいテーマから多少ズレていても、あまり面白い本ではなくても、とにかく目星をつけた本が手に入るだけで幸せを感じることができました。
しかし今後は、そんな当たり前のことでいちいち喜ぶ人はいなくなり、実際に本を最後まで読んで、その内容に心から満足できて、初めて喜びを感じるようになるでしょう。当然、読者の要求水準は高くなり、その関心は、自分にとって本当にふさわしい本に出会うこと、そして、それをベストのタイミングで読むことに、大きくシフトしていくはずです。
ただ、どんな本を読めば楽しいひとときが過ごせるか、どんな本を読めば心から満足できるのかは、実に個人的な好みの問題で、こればかりはほかの人間が決められるものではありません。
それに、同じ本を同じ人間が読んでも、どんなタイミングで読むかで、その本から受け取るものは劇的に異なります。ある本にタイミングよく出会えれば、人生を変えるような衝撃や感動を受けることがありますが、同じ本を別の時期に読めば、全く頭に入ってこなかったり、退屈を覚えたり、あるいは嫌悪すら感じてしまうかもしれません。
ネット書店のオススメ機能など、本の選択をサポートするシステムはどんどん精緻化していますが、たとえそれがどれだけ進化しても、個々の読者の心の中を正確に把握することはできない以上、そのサポートには限界があるでしょう。
そういう意味では、読むべき本に、読むべきときに、どうやって辿り着くのか、読者一人ひとりが一種の嗅覚のようなものを身につける必要があるし、そういう感覚をどのように高めていけばいいのか、そのためのハウツーが売れる時代がやってくるのかもしれません。
私自身について言えば、今の自分は、自分がどんな本を読みたいか、どんな本なら満足できそうか、何となく分かっているつもりです。ただ、それはあくまで自分の好みを分かっているというだけの話で、他人よりいい読書をしているわけでも、本の世界について熟知しているわけでもありません。
そして、そこに至るまでに、何か意識的な努力をしたわけでもなく、自分の興味のおもむくまま、無駄ともいえるような読書体験をひたすら重ねてきただけです。
だから、自分の体験から言えるのは、本を嗅ぎ分ける感覚みたいなものは、とにかく本を読んで、楽しんだりガッカリしながら、時間をかけて自然に身につけるしかない、ということだけです。
実に面白味のない結論ではありますが、逆に言えば、それなりの回り道を覚悟して、自分の興味に素直に従っていけば、誰もがいずれは自分なりの判断基準を確立し、方向性を見出すことができるだろうということです。
そして、それは、インターネットのなかった時代であろうと、これからの時代であろうと、基本的には変わらないのではないかという気がします……。
JUGEMテーマ:読書
その当時、本が次々に出版されては絶版になっていく状況(今も同じですが)を前にして、自分なりにそれに適応しなければと考えていたのでしょう。ちょっとでも興味をもった本は、見つけた時点で手に入れておかないと、二度と再び出会うチャンスはないと思って、私は気になる本を手当たり次第に手元に集めていました。
当然、本はまたたく間に溜まっていくわけですが、それらを読まずに積んでおいても意味はないわけで、結局、半ば義務感にかられ、無理をして、次から次へと目を通していました。
今から思えば、実に愚かなことをしていた気がします。ただ、そのときは、読むべき本に出会い損ねるのではないかという恐れの方が強く、まずは本を確保するという行為に、多大なカネと労力を費やさざるを得なかったのです。
しかし今や、インターネットの出現によって、さまざまな情報が半永久的にネット上に保存されるようになり、それに伴って読書のスタイルも大きく変わっていこうとしています。
まず何より、本を探すのがものすごく楽になりました。
著者名やキーワードで検索をかければ、目的の本が一発で分かるだけでなく、絶版になった本でも、簡単に探し出すことができます。また、テーマごとの関連書籍をリストアップする作業も楽になりました。アマゾンのウェブサイトのように、一冊の本を表示すると、ほかの面白そうな本を自動的に紹介してくれるシステムもあります。
さらに、過去の出版物も次々に電子化され、ネット上に蓄積されつつあります。今後、電子出版への動きが加速し、新刊書の多くが電子化されるようになれば、必要な本をネット経由でいつでも手に入れることができるようになるかもしれません。
そうなると、読者は、いつ読むか分からない本を各自で溜め込んでおく必要も、本の保管場所の問題に悩まされることもなくなります。また、基本的に本が絶版になることもなくなるので、読みたかった本を永遠に逃してしまう恐怖や、失われた本を探す苦労からも解放されるでしょう。
私たちは、印刷された本を手に入れて保管することに関わる、さまざまな面倒や制約から自由になり、読みたい本を読みたい場所で読みたいときに読むという、いちばん重要なことだけに神経を集中できるようになるのです。
ただ、ネット上に膨大な本が蓄積されると、新しい本も古い本も、ベストセラーもそうでない本も、すべての本が、読者の前に同じ条件で並ぶことになります。
読者は、その途方もない選択の自由を楽しめる反面、各人の人生の持ち時間には限りがあるわけで、無駄な時間をかけずに、どうやって読むべき本に辿り着くかというのが、これまで以上に頭の痛い問題になりそうです。
ひと昔前は、読みたい本を物理的に手に入れること自体が大変だったので、読みたいテーマから多少ズレていても、あまり面白い本ではなくても、とにかく目星をつけた本が手に入るだけで幸せを感じることができました。
しかし今後は、そんな当たり前のことでいちいち喜ぶ人はいなくなり、実際に本を最後まで読んで、その内容に心から満足できて、初めて喜びを感じるようになるでしょう。当然、読者の要求水準は高くなり、その関心は、自分にとって本当にふさわしい本に出会うこと、そして、それをベストのタイミングで読むことに、大きくシフトしていくはずです。
ただ、どんな本を読めば楽しいひとときが過ごせるか、どんな本を読めば心から満足できるのかは、実に個人的な好みの問題で、こればかりはほかの人間が決められるものではありません。
それに、同じ本を同じ人間が読んでも、どんなタイミングで読むかで、その本から受け取るものは劇的に異なります。ある本にタイミングよく出会えれば、人生を変えるような衝撃や感動を受けることがありますが、同じ本を別の時期に読めば、全く頭に入ってこなかったり、退屈を覚えたり、あるいは嫌悪すら感じてしまうかもしれません。
ネット書店のオススメ機能など、本の選択をサポートするシステムはどんどん精緻化していますが、たとえそれがどれだけ進化しても、個々の読者の心の中を正確に把握することはできない以上、そのサポートには限界があるでしょう。
そういう意味では、読むべき本に、読むべきときに、どうやって辿り着くのか、読者一人ひとりが一種の嗅覚のようなものを身につける必要があるし、そういう感覚をどのように高めていけばいいのか、そのためのハウツーが売れる時代がやってくるのかもしれません。
私自身について言えば、今の自分は、自分がどんな本を読みたいか、どんな本なら満足できそうか、何となく分かっているつもりです。ただ、それはあくまで自分の好みを分かっているというだけの話で、他人よりいい読書をしているわけでも、本の世界について熟知しているわけでもありません。
そして、そこに至るまでに、何か意識的な努力をしたわけでもなく、自分の興味のおもむくまま、無駄ともいえるような読書体験をひたすら重ねてきただけです。
だから、自分の体験から言えるのは、本を嗅ぎ分ける感覚みたいなものは、とにかく本を読んで、楽しんだりガッカリしながら、時間をかけて自然に身につけるしかない、ということだけです。
実に面白味のない結論ではありますが、逆に言えば、それなりの回り道を覚悟して、自分の興味に素直に従っていけば、誰もがいずれは自分なりの判断基準を確立し、方向性を見出すことができるだろうということです。
そして、それは、インターネットのなかった時代であろうと、これからの時代であろうと、基本的には変わらないのではないかという気がします……。
JUGEMテーマ:読書
2010.08.05 Thursday
『ぼくは都会のロビンソン ― ある「ビンボー主義者」の生活術』
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本の著者、フリーライターの久島弘氏は、若い頃にアジアや南米などを放浪し、帰国後は、物質的な豊かさを求める世間の風潮からは距離を置いて、六畳一間、風呂なしのアパートに30年間住み続けてきました。冷暖房もない部屋に寝起きし、カセットコンロで自炊をするその生活は、いわゆるビンボー暮らしそのものです。
しかし彼は、生きていくのに最低限必要なモノは何かを見極め、そこから最大限の満足を得るべく試行錯誤を続けながら、ユニークな生活スタイルを創り上げてきました。それはまるで、無人島で手に入るわずかなモノだけを頼りに、自らの知恵と努力で生き延びた、あのロビンソン・クルーソーのサバイバル生活のようです。
この本では、そんな彼の衣食住にわたる具体的なアイデアの数々が、イラストつきで紹介されています。例えば、鍋や調理法へのこだわりや、さまざまなパッキングのテクニック、水をほとんど使わない食器の後片付け法、風呂や洗濯について、暑さ・寒さ・害虫との闘い、等々……。
そしてそこには、「最少から最大を」、「洗練された解答ほど、よりシンプルな形で現れる」、「(用が済めば)即座に現状回復できること」などといった、彼なりの生活哲学が込められています。
また、アパートの自分の部屋を一泊12ドルのゲストハウスに見立てたり、いつ、どこででも生きられるよう、外出時には必ずサバイバル・グッズ一式(計約9キロ)を持ち歩くというスタイルには、バックパッカー的な生活観が色濃く反映しているのを感じます。
実際、洗濯の工夫とか、身近で安価な素材で作るアイデアグッズなど、この本に収められたノウハウの多くは、バックパッカーとして旅する際に、そのまま応用できそうです。
それにしても、放浪生活の長かった旅人が、帰国後、日本社会に激しい違和感を感じ、世の中から一定の距離を置いて、シンプルな暮らしを守り続けようとする気持ちは、とてもよく分かる気がします。
バックパッカーとして長旅をしたあと、若ければそのまま社会復帰して、普通に会社に就職するという人も多いでしょうが、一方では、そう簡単には割り切れないという人もいるわけです。久島氏の場合は後者のケースに当たるのでしょうが、その生き方は、放浪の旅人の、帰国後の一つの道を示しているといえます。
ただ、彼の生活スタイルをそのまま見習いたいかというと、私自身もかなり微妙なところです。彼の語る生活哲学を理屈としてはそれなりに理解できても、自分はちょっと……と思う人の方がずっと多いのではないでしょうか。ロビンソン・クルーソーの物語にワクワクする人は大勢いても、実際にそのマネをして無人島に住む人はほとんどいないように、やはり人間、特に年を重ねるにつれて、快適な生活への甘えの気持ちが強くなってきてしまうようです……。
ところで、この本の表紙のイラストを見る限りでは、久島氏はガランとした部屋の中で、キャンプして暮らしているような印象を受けると思いますが、実際はそうではありません。現在の彼は、本文中のイラストによれば、六畳間をいっぱいに満たした本やモノの山の中で暮らしているようです。
彼は、食品の包装など、何かに再利用できそうなものがどうしても捨てられないため、モノがどんどん溜まってしまうようです。たしかに、あのロビンソン・クルーソーも、食糧や利用価値のありそうなモノを、要塞のようなベースキャンプに大事にしまい込んでいました。
ただ、やはり現代の都市に住んでいる以上、ビンボー暮らしといっても、モノが流入してくるペースは無人島の比ではありません。モノに埋もれることで失われる自由や快適さというものがあることを思えば、モノの有効利用だけでなく、モノを思い切って捨てる技術というのも必要ではないかという気がします……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
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この本の著者、フリーライターの久島弘氏は、若い頃にアジアや南米などを放浪し、帰国後は、物質的な豊かさを求める世間の風潮からは距離を置いて、六畳一間、風呂なしのアパートに30年間住み続けてきました。冷暖房もない部屋に寝起きし、カセットコンロで自炊をするその生活は、いわゆるビンボー暮らしそのものです。
しかし彼は、生きていくのに最低限必要なモノは何かを見極め、そこから最大限の満足を得るべく試行錯誤を続けながら、ユニークな生活スタイルを創り上げてきました。それはまるで、無人島で手に入るわずかなモノだけを頼りに、自らの知恵と努力で生き延びた、あのロビンソン・クルーソーのサバイバル生活のようです。
この本では、そんな彼の衣食住にわたる具体的なアイデアの数々が、イラストつきで紹介されています。例えば、鍋や調理法へのこだわりや、さまざまなパッキングのテクニック、水をほとんど使わない食器の後片付け法、風呂や洗濯について、暑さ・寒さ・害虫との闘い、等々……。
そしてそこには、「最少から最大を」、「洗練された解答ほど、よりシンプルな形で現れる」、「(用が済めば)即座に現状回復できること」などといった、彼なりの生活哲学が込められています。
また、アパートの自分の部屋を一泊12ドルのゲストハウスに見立てたり、いつ、どこででも生きられるよう、外出時には必ずサバイバル・グッズ一式(計約9キロ)を持ち歩くというスタイルには、バックパッカー的な生活観が色濃く反映しているのを感じます。
実際、洗濯の工夫とか、身近で安価な素材で作るアイデアグッズなど、この本に収められたノウハウの多くは、バックパッカーとして旅する際に、そのまま応用できそうです。
それにしても、放浪生活の長かった旅人が、帰国後、日本社会に激しい違和感を感じ、世の中から一定の距離を置いて、シンプルな暮らしを守り続けようとする気持ちは、とてもよく分かる気がします。
バックパッカーとして長旅をしたあと、若ければそのまま社会復帰して、普通に会社に就職するという人も多いでしょうが、一方では、そう簡単には割り切れないという人もいるわけです。久島氏の場合は後者のケースに当たるのでしょうが、その生き方は、放浪の旅人の、帰国後の一つの道を示しているといえます。
ただ、彼の生活スタイルをそのまま見習いたいかというと、私自身もかなり微妙なところです。彼の語る生活哲学を理屈としてはそれなりに理解できても、自分はちょっと……と思う人の方がずっと多いのではないでしょうか。ロビンソン・クルーソーの物語にワクワクする人は大勢いても、実際にそのマネをして無人島に住む人はほとんどいないように、やはり人間、特に年を重ねるにつれて、快適な生活への甘えの気持ちが強くなってきてしまうようです……。
ところで、この本の表紙のイラストを見る限りでは、久島氏はガランとした部屋の中で、キャンプして暮らしているような印象を受けると思いますが、実際はそうではありません。現在の彼は、本文中のイラストによれば、六畳間をいっぱいに満たした本やモノの山の中で暮らしているようです。
彼は、食品の包装など、何かに再利用できそうなものがどうしても捨てられないため、モノがどんどん溜まってしまうようです。たしかに、あのロビンソン・クルーソーも、食糧や利用価値のありそうなモノを、要塞のようなベースキャンプに大事にしまい込んでいました。
ただ、やはり現代の都市に住んでいる以上、ビンボー暮らしといっても、モノが流入してくるペースは無人島の比ではありません。モノに埋もれることで失われる自由や快適さというものがあることを思えば、モノの有効利用だけでなく、モノを思い切って捨てる技術というのも必要ではないかという気がします……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
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