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『電子書籍の衝撃』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
現在アメリカを中心に普及が加速しつつある電子書籍ですが、それは本の流通や消費のあり方を、どのように変えていくことになるのでしょうか?
著者の佐々木俊尚氏は、この本の中で、自らの思い描く本の将来像を、電子化で先行する音楽業界などの具体例をまじえながら、分かりやすく示そうと試みています。
前半では、キンドルやiPadなど、電子書籍を快適に読めるタブレットの登場と、そうした画期的なデバイスの市場投入によって、電子書籍の流通プラットフォームを押さえようとするアマゾンやアップルなどの熾烈な競争について描かれています。
ただ、こうした話題については、マスメディアで何度も取り上げられているので、詳しく知っておられる方も多いでしょう。
まあ、私個人としては、どの企業がプラットフォームを支配するにしても、とにかく安くて使いやすいデバイスが出回り、日本でも数多くの電子書籍が楽しめるようになるなら、それで充分だと思っています。
この本で興味深いのは、やはり後半部分、電子書籍のプラットフォームが確立したあと、私たちにとって、本を読むという行為がどのように変化していくのか、その将来像を語っている部分でしょう。
これまで、紙の本を印刷し、書店へ配本するという作業には大きなコストと手間がかかっていましたが、電子化された本ではその必要がなくなるため、出版へのハードルが下がります。それによって、書き手自身が本を出版する「セルフパブリッシング」が可能になります。
また、流通コストが実質的にゼロに近づくので、書籍の価格が大きく変わる可能性があります。実際、アメリカではすでに低価格化が始まっています。
さらに、出版社にとっては、在庫を抱えるコストもなくなるので、過去に出版された本を絶版にする必要もなくなります。
その結果、電子書籍の流通プラットフォーム上では、プロとアマチュア、新旧の本が同じように並ぶ「フラット化」が進行します。
当然、それは本の流通・消費のあり方や、出版社のビジネスモデルに大きな変化をもたらさずにはいないでしょう。
それに関連して、佐々木氏は、現在の日本の出版業界の衰退の大きな原因は、日本の若者の活字離れとかインターネットの普及にあるのではなく、その流通プラットフォームの劣化にあるのだと厳しく指摘しています。雑誌の流通網をベースに形成された、日本独特の本の大量流通の仕組みや、取次や書店が本を買い取るリスクを負わない「委託制」が、出版の質の低下を招いてきたというのです。
これまでのような、マスメディアの広告やベストセラー・ランキングを参考に、みんなが同じような本を読むマス流通の仕組みが衰退していく一方で、ブログやレビューサイト、SNSなど、各種のソーシャルメディアが重要な役割を果たすようになり始めています。
電子書籍の流通プラットフォームの確立に合わせて、今後は、ソーシャルメディアに流れる多様な情報を通じて、読者一人ひとりが、それぞれの好みに合った本を見出せるような新しいマッチングの仕組みが形成されていくでしょう。
このあたりのことは、ふだんからソーシャルメディアを使いこなし、その恩恵にあずかっている方なら、改めて説明するまでもなく、実感として理解できることなのではないかと思います。
私も本好きの一人として、電子書籍の普及とともに新しい読書の世界が広がっていくのはすばらしいことだと思います。また、「読者と優秀な書き手にとっての最良の読書空間を作ること」が最も大切だという佐々木氏の主張や、この本で描かれるポジティブな将来像に、強い共感を覚えます。
ただ、現実に目を向けると、これから何年かのあいだは、欧米から広がる急速な電子化の波と、現状維持をはかろうとする日本の出版業界の動きとが、激しいぶつかり合いを演じることになりそうで、その決着がつくまでのあいだ、日本の読者は、さまざまな不便やまわり道を体験させられそうな気がします……。
あと、この本では詳しく触れられていませんが、電子書籍の普及は、本の流通の仕組みだけでなく、本そのものの体裁も大きく変えていきそうな気がします。
例えば、現在、一般的な本は200ページ前後ですが、印刷や流通上の制約からそうなっている側面も大きいと思います。電子書籍なら、数十ページしかないコンテンツを一冊の本として独立させたり、極端な話、短編小説やエッセイ集をバラ売りすることも可能になります。
また、音楽やビジュアルと融合したコンテンツを開発したり、読み手の好みに応じて、縦書きと横書きを切り替えるようなことも可能でしょう。
それともう一つ。これもこの本の内容とは直接関係ありませんが、読書家はこれまで常に書店をチェックし、欲しい本はその場で確保しないと、他人に買われたり絶版になったりして、二度と手に入らなくなるという恐れにさいなまれてきました。
しかし電子書籍化が進めば、本はいつでもどこでも手に入るので、読者は読みたい本のリストだけ作っておいて、それをもとに、読み始めるまさにその瞬間に本を買えばいいということになります。
そうなると、いわゆる「積ん読」をする必要がなくなるわけですが、これまで「積ん読」のために必要以上に本を買っていた人はかなり多いはずで、その分の需要がごっそり減ることになれば、出版業界に意外と大きなインパクトを与えるかもしれません……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
「非対称戦争」
この番組は、現在アフガニスタンで続いている戦争について、それぞれの陣営の持つ兵器の物量とテクノロジーの圧倒的な差に着目して、その戦争の一面を描こうとするものですが、それは一般向けのTV番組とは思えないほどの、戦慄するような内容でした。
かつて、アフガニスタンに侵攻したソ連軍に対抗する勢力として、アメリカ自身が育成したゲリラ部隊が、皮肉なことに、今はタリバン側の武装勢力に加わり、アメリカを中心とする多国籍軍にとっての脅威になっています。
相次ぐゲリラ攻撃による兵士の犠牲を防ごうと、米軍はロボット兵器を次々に戦場に投入してきました。番組ではその一つの例として、アメリカ本土から操作する無人攻撃機が、タリバンの拠点や車両などをピンポイントで攻撃する様子が示されます。
映像を見るかぎり、無人機の操作は、まるで精巧なテレビゲームでもやっているような感じです。操作訓練中の兵士たちのあっけらかんとしたコメントからも、それが生きた人間をリアルタイムで標的にしているという緊迫感や重々しさは感じられません。
理屈の上では、そこはまさに戦場であるはずなのですが、「敵」は地球の裏側にいて、無人機の操作という「戦闘」を行う兵士たちに命の危険がない以上、そうなるのは当然なのかもしれません。
旧式の銃や手製爆弾など「貧者の兵器」しかもたない武装勢力に、無人のハイテク兵器を含めた強力な正規軍で対峙するアメリカ軍。客観的に見て、その圧倒的な兵力差も、戦略・戦術の違いも、明らかに「非対称」です。
ウィキペディア 「非対称戦争」
ただ、考えてみれば、数千年前に国家というものが生まれて以来、多くの戦争は、やはり一方的な力の差のもとに行われた「非対称戦争」だったのではないかという気がします。戦争の多くは侵略であり、戦争する者は、その大義名分はともかく、自分たちが一方的に勝てると思うからこそ戦争を始めるはずだからです。
それはともかく、この番組を見ていて戦慄したのは、両者の物理的な兵力差に対してではありません。アメリカ軍が、敵を掃討するのに、生身の人間ではないロボット兵器を使っていることに対してでした。
もちろん、アフガン戦争では実際にアメリカ人兵士も血を流しています。ロボット兵器だけで戦争が行われているわけではありません。しかし、一部の兵士がテクノロジーの恩恵で安全な場所に身を置きながら、一方的に敵を攻撃している映像を見ていると、私の胸の中に、何ともいえないモヤモヤとした嫌な気分が、止めようもなく湧き上がってきました。
いくら味方の犠牲を防ぐためと称しても、無人のロボット兵器で敵に向き合うことは、卑怯な感じがしてならないのです。いや、卑怯である以上に、それは敵に対するこれ以上ないほどの差別と侮蔑の表現であり、敵が、自分にとって命を懸けて真剣に向き合うには到底値しない相手だと見做すことになるのではないでしょうか。
それに対して、タリバン側はやり場のない屈辱と無力感、その裏返しとしての激しい怒りを感じるだろうし、だからこそ、あらゆる手段を使ってでも、その侮辱に対する仕返しをしようとするのではないかという気がするのです。
番組の最後は、「自爆将軍」ハッカーニの率いる武装勢力が、無人機攻撃への報復として、自爆攻撃をさらにエスカレートさせているというナレーションで終わっています。
ロボット兵器を使ったアメリカ軍の攻撃がタリバンへの侮辱だとするなら、タリバンも相手かまわぬ悲惨な自爆テロで応酬しているわけで、それはもう、どちらが正しいとか、どちらが善だとか言っていられるレベルではなくなっています。互いへの憎悪と軽蔑が際限なくエスカレートし、それは、事態の収拾をより一層困難にしています。
ただ、こうした戦争の実態を垣間見て、それが卑怯だとか侮辱だとか、感情的な言葉で語ってしまうのは、私が単に、戦争に対して無知だからなのかもしれません。私は、現代の戦争という壮絶な殺し合いの中に、中世の騎士道とか武士道みたいなものを期待している、時代錯誤な人間に過ぎないのでしょうか。
あるいは、おどろおどろしいナレーターの声も含め、見る人の感情を必要以上に煽ろうとする、少々悪趣味な番組の演出に、私も乗せられてしまったのでしょうか。
いずれにせよ、アフガニスタンで起きている戦争について、その全体像を把握し、ましてやその本質を理解することなど、ジャーナリストでも研究者でもなく、戦争体験すらない私には到底不可能なことだし、だからこそ、この50分弱のTV番組を1本見ただけで、何か分かったような気になってしまうのは、大変危険で、傲慢なことでもあると思います。
そういった点は自覚しているつもりですが、それでもこの番組は、アフガン戦争が垣間見せる、寒気のするような一面を、ロボット兵器と自爆テロとの「非対称戦争」という切り口で、生々しく描き出しているように思うのです。
それにしても、言葉ではうまく表現しきれない、このやり場のない感じは、番組を見終わったあとも、行き場のないまま残っています。
アフガン戦争については、私も日本人の一人として、すでに微妙な立場で関わりをもっていることになるわけで、このモヤモヤした感情を、都合よく忘れてしまうわけにはいかないのですが、では、実際問題として私自身に何ができるのか、考え始めれば出口のないドロ沼にはまり込んでいきそうな気もします。
見ないわけにはいかないけれど、かといって、見れば非常に後味の悪い思いにさいなまれる、恐ろしい番組でした。
JUGEMテーマ:今日見たテレビの話
『無人島に生きる十六人』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
この本は、明治時代に太平洋の小さな無人島に漂着した16人の日本人船員たちが、みんなで力を合わせて危機と困難を乗り越え、無事日本への帰還を果たすまでの波乱に満ちた体験を語った実話です。
明治31年(1898年)、南方の漁業調査のために太平洋に向かった16人乗りの帆船龍睡丸は、翌年5月20日の未明、ミッドウェー島近くのパール・エンド・ハーミーズ礁で暗礁に乗り上げて遭難、小船に乗り移った16人は、小さな無人島を見つけてそこに上陸します。
ウィキペディア 「パールアンドハーミーズ環礁」
いつか助けがやってくることを信じ、それまでその島で生き抜こうと心に決めた彼らは、中川船長のリーダーシップのもと、必死で水を確保し、食べられるものを探し、みんなで無人島での生活を築き上げていきます。また、通りがかった船を絶対に見逃さないために、砂山を築いて島の標高を上げ、やぐらを建てて見張りを配置するなど、島を脱出するための布石も次々に打っていきます。
船が遭難する場面から、彼らが無人島でのサバイバル生活を確立していくあたりまでは、描写に緊迫感があふれていて、思わず話に引き込まれてしまいます。また、試行錯誤とみんなのアイデアによって手近な素材が便利な道具に化けていくところなどは、読んでいてワクワクします。
彼らが無人島でどんな生活を送ったのか、具体的に紹介したいのは山々なのですが、あまり書いてしまうと、これからこの本を読まれる方の楽しみを奪ってしまうので、その後の話の展開を含め、内容の紹介はこれくらいにしておきます。
この本は、もともと子ども向けに書かれたので、楽しく読みやすい本にするために、実際に起きた出来事をベースにしながらも、そこに多少の誇張や脚色がなされている可能性があります。また、16人もの人間がサバイバル生活をする以上、そこに多少の確執などもあったと思いますが、そうした、読者がネガティブに受け止めそうな出来事も、話の中からは注意深く排除されている気がします。
そして、そういう目で見てみると、全体的に話の展開がうますぎると感じられるところもないわけではないのですが、別の見方をすれば、読者がそんな風に感じるくらいのすごい幸運が続いたからこそ、彼らは生き延びられたということなのかもしれません。ギリギリの状況でサバイバルしていた彼らにとって、命を支える条件の一つでも欠けるようなアクシデントがあれば、彼らは生きて無人島を出ることはできなかったでしょう。
それと、この本を読んでいて感じたのは、非常事態に置かれた人間集団がどれだけ適切な対応をとれるかは、個々のメンバーの経験や能力はもちろん、やはりリーダーシップの質というものに大きく左右されるのだな、ということでした。
この本は、船長の体験談という形をとっているので、船長がメンバーに、どのようなタイミングでどのような指示を与えたか、また、細かな気遣いも含めて、彼らをどのように精神的に掌握していたかもわかりやすく描かれています。
ただ、一読者として欲をいえば、この本に登場する16人の船乗りそれぞれのキャラクターや役割があまり詳しく描き分けられていないのは、小説ではないので止むを得ないとはいえ、やや物足りない感じがしました。
また、さらに無責任なことを言わせてもらえるなら、彼らが漂着した無人島が、探検の余地もないほど小さかったのも読者としてはちょっと残念でした。でも、ひょっとして、そう感じていたのは遭難した16人も同じで、彼らが休むことなく自分たちの生活を改善し続けたのも、あるいは、探検できるような場所のない狭すぎる島で、みんなのエネルギーを鬱屈させないための必死の工夫だったのかもしれません。
それはともかく、この本のシンプルで生き生きとした文章には、冒険小説を読んでいるようなワクワク感を覚えるし、明治の頃の海の男のたくましさや心意気も伝わってきます。
なお、この本は青空文庫にも登録されていて、無料で読むこともできます。
青空文庫 『無人島に生きる十六人』
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
地中からの生還
ウィキペディア 「コピアポ鉱山落盤事故」
暗く細い穴の中から、小さくて、どこか弱々しくさえ見える鉄のカゴに入った人間が姿を現したとき、それはまるで、人間が卵の殻に包まれて、地中から生まれ出てきたようにも見えました。
そして、この日が来ることを信じて待ち続けてきた家族との抱擁。その瞬間、彼らとは縁もゆかりもなく、地球の反対側から映像で見守っているだけの私でさえ、もらい泣きしてしまいました。
圧倒的な自然の力を前に、人間にできることはごくわずかしかありませんが、それでもその限られた可能性に賭け、不屈の精神で困難を乗り越え、みんなで力を合わせて必死で生き抜こうとする私たち人間のけなげな姿が、そこに純粋な形で映し出されていたからでしょうか。
この世界には、目を背けたくなる出来事もあれば、さまざまな問題もあります。しかし、2カ月以上ものあいだ、暗くて狭くて蒸し暑い地中に閉じ込められていた33人にとって、地上とは、どんなことがあっても戻りたい、自由と希望の世界そのものに見えていたに違いありません。彼らのその切実な気持ちを、ほんの少しでも共有することができれば、私のような人間でさえ、心からこの世界を祝福することができるのかもしれません。
これを書いている今、すでに7人の作業員が無事救出されています。最後の一人が地上に姿を見せるまでは、まだ安心はできないのですが、誰もが願う全員生還というハッピーエンドが、少しずつ、現実のものになろうとしています。
救出作業が成功するよう、心から祈ります。
(追記 2010年10月14日)
14日の午前中(日本時間)に、33人全員の救出が完了し、レスキュー隊員も撤収して、奇跡の救出劇は無事に幕を閉じました。
映画ならここで感動のエンディングですが、実際には、33人の新たな人生はこれから始まります。
病院を出た彼らには、マスコミによる取材攻勢が待っているだろうし、自分たちの体験を多くの人に話したり、記録に残してまとめたりといった、面倒な仕事もしなければならないでしょう。また、損害賠償を請求する裁判にも時間をとられるかもしれません。
世界中の注目を集めたことで、家族はともかく、周囲の人々の対応が違ってきて、さまざまな違和感を覚えることもあるだろうし、救出の瞬間の感動が次第に薄れ、夢にまで見た地上の生活に対して、ふと、幻滅を覚えてしまう日がやってくるかもしれません。
そういう意味では、彼らの試練はまだまだ続きそうな気がしますが、タフな彼らならきっと、そうした問題を乗り越えていくと思います。
33人の無事を見届けた今、世界中の鉱山で危険な仕事についている多くの人々のことが頭に浮かびます。この瞬間にも、暗い坑道の中で汗を流している彼らに、せめてこの機会に、感謝と敬意を表したいと思います。
JUGEMテーマ:ニュース
旅の名言 「自分の経験則からするなら……」
以前マルコポーロの『東方見聞録』についてある編集者と話し合っているとき、私はちょっとした冗談を言ったことがある。
「だいたいあのように何年もかけて旅する男というのは女好きに違いない」
これはジョークではあるが、まったく根も葉もない口から出任せの言葉とも言えない。自分の経験則からするなら自らのことも含めて、長い旅のできる男は色好みである。言葉を換えれば、生物としての生命力が豊かという言い方にもなる。理に適っているのである。
『ショットガンと女』 藤原 新也 集英社インターナショナル より
この本の紹介記事
写真家の藤原新也氏の旅のエッセイ集、『ショットガンと女』からの引用です。
まあ、半分はジョークとはいえ、「何年もかけて旅する男というのは女好き」という彼の「経験則」に対して、旅の好きな人はどのように反応するでしょうか。
「少なくとも自分はちがう!」と真っ向から否定するのか、それとも、「やっぱりそうだったのか」と妙に納得してしまうのか……。
とりあえず自分のことは棚に上げたうえで、私がこれまで旅の中で出会ったバックパッカーたちの生態を思い出す限りでは、別にみんながそんなにギラギラしていたような印象はありません。長旅をしていた彼らが果たして「色好み」かと問われても、正直なところ、あんまりそういう感じはしないのです。
この感じは、藤原氏の「経験則」とは合わないのですが、そのあたりについては、旅人たちを取り巻く時代や旅のスタイルの違いが、多少は関係しているのかもしれないという気がします。
マルコポーロの時代はもちろん、つい数十年くらい前まで、世界を旅するというのは、よほど恵まれた地位にいる人間でもないかぎり、困難と危険と苦痛の伴う冒険でした。その当時の旅は、ちょっとした思いつきで始められるほど生易しくはなかっただろうし、旅人も、危険や困難をあらかじめ覚悟した上で、あえて旅に出たわけです。
そういう厳しい環境で、実際に何年も旅を続けられる人間は、いろいろな意味で確かに生命力が強かったのだろうし、その生命力の一つの表れが、「色好み」という形になっていたのかもしれません。
今でも、例えば戦場カメラマンとか、冒険的な登山家みたいな人たちは、昔の旅と同じか、それ以上に危険な命がけの旅をしているわけで、少なくとも彼らについては、生命力が強いと言えそうな気がします。もっとも、彼らが「色好み」なのかどうかについては、私には分かりませんが……。
しかし、そうした例外的な旅人を除けば、今や、ごく普通の人間が、その気になれば格安航空券で世界をまわり、安全な安宿に泊まって、見知らぬ街をガイドブック片手に気軽に歩きまわれる時代です。そこでは、旅人として特殊な能力とか、強靭な生命力みたいなものは、特に必要とされません。
それに、別に波乱万丈の旅をしなくても、いわゆる「外こもり」や「沈没系」旅行者のように、ゆったりまったりと旅を続けていれば、数カ月、数年という時間はあっという間に経ってしまうものです。長いあいだ旅をしたからといって、それが、何か常人とは違う特性みたいなものを証明するわけでもないでしょう。
たぶん、1960年代から70年代にかけて世界を放浪し、ワイルドな旅に明け暮れた筋金入りのヒッピーみたいな人々と、最近のまったり系のバックパッカーたちとでは、同じように旅をしていても、そもそも人間のタイプみたいなものが違うのだと思います。
それでもまあ、現代のお気楽な旅行者であっても、やはりみんな、もともとの動機として、好奇心というか、外の世界を見てみたいという気持ちは多少はあるわけです。そして、そのために実際に自分で旅を手配し、自分の足で歩き、見たいものは自分の目で確かめるという、行動主義的な傾向も共通して持っているはずで、そういう前向きの行動力みたいなものは、あるいは、生命力の豊かさみたいなものと、多少の関係はあるのかもしれません。
ただし、ひとくちに生命力といっても、その発現の仕方にはいろいろあるはずで、必ずしもそれがすべて「色好み」という方向に向かうわけでもないのでしょうが……。
何だか、だんだん言い訳がましくなってきました。
「そういうお前は、結局のところどうなんだ? お前も助平なのか?」とツッコミが入りそうですが、う〜ん、正直なところ、その辺は自分でもよく分かりません。
まあ、自分では、たぶん人並みくらいだと思うんですけど……。
JUGEMテーマ:旅行
『漂流記の魅力』
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本を読む前には、そのタイトルから、これまでに世界中で書かれた漂流記の主なものを取り上げて、その魅力を語るといった内容なのかと想像していました。
実際には、この本でいう「漂流記」とは、江戸時代の日本における、漂流民への聞き書きを意味しています。
当時の日本では、海外への渡航は禁じられていましたが、ごくわずかの船乗りたちは、乗り組んだ船が漂流して他国へ流れ着いたり、外国船に救助されたりすることで、異国の人々やその暮らしぶりを自分の目で見る機会がありました。
幸運にも日本へ帰ることができたのは、彼らのうちの、さらにごく一部だけなのですが、幕府は、帰還した人々がキリシタンでないかどうか取り調べるとともに、学者に命じて、彼らの遭難の状況や異国での見聞、送還までの経緯などを精密に記録させました。
そうした記録が、数々の漂流記として今に残されているのですが、吉村昭氏はその一例として、18世紀末に若宮丸の船乗り(水主)たちがロシアに漂着し、やがて世界を一周して日本に帰還するという波乱に満ちたエピソードを、この本の紙面の大半を割いて紹介しています。
1793年11月、江戸へ送る藩米などを積んで石巻を出帆した16人乗りの若宮丸は、12月に遭難、舵も帆柱も失った船は黒潮に流されて、翌年5月にアリューシャン列島の島に漂着します。
水主の津太夫ら15人がロシア人に保護され、やがて彼らはイルクーツクまで移送されて、そこで別の船の漂流民である日本人2名に出会います。2人は、ギリシャ正教の洗礼を受けたためにキリシタン禁制の日本に帰れず、ロシアで暮らしていました。
若宮丸の漂流民たちは、2人のように帰国を断念して洗礼を受けるかわりに日本語教師などの職を得て豊かな暮らしをしようとする者と、貧しい境遇に耐えながらあくまで帰国を望み続ける者との二派に分裂し、互いに険悪な関係になっていきます。
それから何年もの時を経て、若宮丸の一行は皇帝の命で都のペテルブルグに呼び出され、そこに到着できた10人だけが皇帝に拝謁します。帰国を希望する者は4名(津太夫、儀兵衛、左平、太十郎)にまで減っていましたが、彼らは日本との通商を求める使節レザノフの乗り込む使節船ナジェジダ号で日本に帰還できることになりました。
その後のナジェジダ号の航海や、日本到着後の彼らの運命などについては、この本を楽しまれる方のために、これ以上は触れないでおくことにします。
ウィキペディア 「津太夫」
蘭学者の大槻玄沢は、遭難から帰還までのいきさつを若宮丸の水主たちから聞き取り、その内容を『環海異聞』としてまとめたのですが、吉村氏は、こうした漂流民たちの記録は、「史実をもとにした秀れた記録文学の遺産」であり、「生と死の切実な問題を常にはらみ、広大な海洋を舞台にし、さらに異国の人との接触と驚きにみちた見聞」が盛り込まれていて、すぐれた海洋文学の内容と質を十分にそなえているとしています。
それにしても、若宮丸の人々は、思いもかけない運命の導きによって、日本人として初めて世界を一周することになったわけですが、それは想像を絶する苦難と引き換えのものでした。彼らは、当時の日本人のほとんどが知らない世界を見、貴重な経験をしたとはいえ、それは自ら望んでのものではなかったし、彼らにとって、それが幸せな体験だったかといえば微妙なところです。
また、吉村氏もこの本の中で書いているように、彼らの奇跡的な帰還の背後には、膨大な犠牲者の存在があります。
当時、暴風雨で遭難した船の多くは、そもそも漂流する以前に沈没してしまっただろうし、船が沈まなくても、長い漂流中には全員が飢えと渇きに苦しみ、弱った者は次々に死んでいきました。ごくわずかな船だけが島や海岸に漂着するのですが、それが無人島なら船乗りたちはそのまま島で死を迎える以外になく、人の住む海岸でも、異国の住民に略奪されたり、殺される可能性があります。そしてたとえ保護されることがあったとしても、ほとんどの場合、言葉も通じず、食事にも風土にもなじめない異国の地で余生を送るしかなかったのです。
そうした背景を考えると、若宮丸の一部の水主たちが、再び故郷の土を踏むことができたのは、本当に奇跡としかいいようがありません。
こうした本を読んでいると、日本に限らず、これまで世界中で数え切れないほどの船乗りたちが、危険な航海から無事に戻ることができず、自らの苦しみや無念を誰にも伝えられないまま、むなしく海に消えていったことを思わずにはいられません。
もちろん、残された彼らの家族も含めて、多くの人々の苦しみや悲しみが、もっと安全な船や航海術を求める力となって、技術を一歩ずつ前進させてきたのだろうし、また、ひと握りの幸運な漂流者がもたらした異国の情報が、言葉や文化の異なる国々を理解する上で、大きな貢献をしてきたことも確かなのですが……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
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