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今年の一冊(2010年)
今年も残すところあと数日となりました。
というわけで、いつものように、今年読んだ本の中から個人的なベストを選んでみました。
上に挙げた『フリー』は、つい先日紹介したばかりの本です。IT技術の革新による急激なコストダウンによって、ネットを中心に広がりつつあるフリー(無料)経済について、さまざまな側面から考察しています。
この本の紹介記事
私は、フリー経済も含めたインターネットの発展が、今後5年から10年の間にどのように社会を変えていくのか、自分の生活の行く末ともダイレクトに関わってくるだけに、とても関心があります。
『フリー』の内容に沿った形で言うなら、それは、潤沢さの論理と倫理にもとづいて新たに生まれつつある21世紀型の経済・社会システムが、希少性の論理と倫理にもとづいた20世紀型のシステムとどのような摩擦を生じ、最終的にはどのようにバランスして、新しい社会の仕組みを作り出していくのか、ということなのだと思います。
私は、この本を読めば、そうした問いについてある程度はっきりとした見通しが得られるのではないかと期待したのですが、残念ながら、そうした分かりやすい未来像までは示されていませんでした。
ただ、いま私たち全員が、これまでにない巨大で急速な社会変化に巻き込まれているのは間違いないし、それに伴う混乱もあちこちで起こりつつあるようです。そして、こういう混沌とした時代に生きるというのは、誰か有名で頭のよさそうな人の発言をそのまま信じて、ただそれに従っていれば大丈夫、というような簡単なものではないと思います。
ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、数年先の世の中が一体どうなっているのか、たぶん誰も正確には予想できないし、ましてや20年、30年先の人生を今から見通して設計するなんて、どだい無理な話です。申し訳ないけれど、自分の親やご先祖様の人生も、あまり参考にはなりません。
それでも、私たちは常に何かを予測し、判断し、行動し続けなければ、日々を生きていくことができません。だとしたら、たとえ先が見えなくても、自分の責任で道を選び、前に進む覚悟が必要になってきます。
だから、自分が大きく判断を誤って、あとで後悔しないためにも、せめて世の中が向かっていく大ざっぱな方向性のようなものだけでも、自分なりに何とかつかみたいと思うのです。
『フリー』は、そのためのいくつかの手がかりを与えてくれるような気がします。
でもまあ、物心ついたときには身の周りにインターネットがあった、いわゆるデジタル・ネイティブ世代なら、この本に書いてあるようなことは、いちいち考えるまでもなく、感覚として自然に身についているだろうと思います。
このブログを目にしている方々も、それは同じかもしれません。そういう意味では、こういう本をどんどん読んで意識的に勉強しなければならないのはむしろ、ふだんインターネットと深く関わりをもたない、中高年以上の世代なのでしょうが……。
それにしても、今年このブログで紹介した本は、計23冊で、自分でも少なくなったなあと思います。
難しい本を読んだときは、内容をまとめるのが面倒になって、つい紹介をパスしてしまうことが多いし、面白くない本だとブログに書きたくなかったりして、読んだ本のすべてを紹介しているわけではないのですが、それでも全体的に読書量が落ちています。
来年は、もっとたくさん本を読めるようにしたいとは思いますが、私の場合、やる気を自分でコントロールできないので、どういう結果になるかは、全く予想できません……。
あと、『フリー』のほかに印象的だった本としては、密航請負人という視点から、入管を突破する異色の旅を描いた『密航屋』と、1995年の地下鉄サリン事件当日の出来事を、多数の被害者の視点を通して描き出した村上春樹氏の『アンダーグラウンド』を挙げたいと思います。
来年も、自分の視野を広げ、楽しませてくれる本に出会えるよう、探索を続けたいと思います。
……というわけで、この記事を書き終わったら、もう今年も終わり、という気分になってしまいました。少し早いですが、このブログの方も、これにて「仕事納め」とさせていただきます。
今年一年、どうもありがとうございました。
来年もこのブログを、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、皆様、よいお年を……。
JUGEMテーマ:読書
『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
いま、インターネットを席巻している無料化の流れに乗っかることは、果たしていいことなのか、それとも、長い目で見れば良くないことなのか……。これはたぶん、けっこう重大な問題だと思うし、見かけの損得にはとらわれずに、できるだけ広い視野で自分なりに考えてみる必要があるように思います。
まあ、私の場合、そうやって偉そうなことを言うわりには、この本が出版されて1年以上経った今頃になって、ようやく手にとっていたりするわけですが……。
それはともかく、この本では、IT技術の革新が生んだ新たなフリーの形を中心に、無料経済に関するさまざまなトピックが取り上げられています。
著者のクリス・アンダーソン氏によれば、ネットの世界では、コンピュータの情報処理能力、デジタル記憶容量、通信帯域幅の三つが、今や安すぎて気にならないレベルに達しつつあります。
そうした環境では、デジタル化された商品なら、ほとんど限界費用ゼロで大量に複製・供給できるため、そこに新たなフリーの形が生まれています。
彼は、いま存在しているフリーのパターンを、以下の四つに分類しています。
1.直接的内部相互補助(すでにおなじみのマーケティング手法で、何かを無料にすることで客の気を引き、他の商品で利益を出す)
2.三者間市場(テレビ局とスポンサーと視聴者の関係に相当)
3.フリーミアム(基本版や基本利用料を無料にし、少数のユーザー向けのプレミアム版やプラスアルファのサービスで利益を出す)
4.非貨幣市場(贈与や無償の労働、不正コピーなど、貨幣市場の外にあるもの)
インターネットにおける2の例としてもっとも有名なのは、オンライン広告の利益でさまざまな無料サービスを展開するグーグルでしょう。また、2については、20世紀に生まれたマスメディアのビジネスモデルが、ネットの出現によって、他の産業に拡大しつつあるともいえます。3に関しては、フリー化が急速に進むオンラインゲーム市場などの例が紹介されています。
ウィキペディア 「フリーミアム」
ただ、2も3も、見かけこそ目新しいものの、フリーの訴求力で潜在的な顧客を集め、そこから何らかの形で収益を上げるという点では、決してこれまでの資本主義のルールを逸脱しているわけでもなく、1のような従来型のフリーと、本質的な違いはないのかもしれません。
こうして、ウェブの世界では、フリーを中心とする新たな経済生態系が出来上がりつつあり、すでに無視できない規模になっています。アンダーソン氏によれば、それは控え目に見積もっても 3,000億ドルに達するといいます。
しかし一方で、ネット上で無料で読めるニュースが新聞社の経営を悪化させたり、ウィキペディアが百科事典の市場をまたたく間に縮小させたりと、急速なフリー化が猛威をふるっているように見えるのも確かです。そうした例を見ていると、その進行を手放しでは喜べない気がします。それは、やがて数多くの産業に壊滅的な打撃を与え、多くの人から仕事を奪う結果になるのではないでしょうか?
アンダーソン氏によれば、フリー化は、従来の市場における売り上げなど、見かけ上の価値を縮小させているように見えるものの、無料化によって多くの利用者にメリットがもたらされるなど、富が、計測しにくい形で再配分されているのだといいます。
また、興味深いことに、インターネットの出現で、「評判」や「注目」という、これまでは計量できなかった漠然とした概念が、目に見える量として扱えるようになりつつあります。例えば、ウェブ上では、リンクをされた数は「評判」、トラフィックの量は「注目」と見なすことができるのです。
評判や注目を数値として扱えるなら、やがて、それを貨幣的な価値に変換することも可能になるかもしれません。つまり、フリーを効果的に用いるなどして高められた評判や注目などの非貨幣的な価値が、何らかの形で経済的な収益に結びつく可能性があるわけです。
もっともそれは、本来カネとは無関係だった世界のものごとが、資本主義経済の枠組みの中に、次々と飲み込まれていくということなのかもしれませんが……。
この本は、単純なフリー礼賛論というわけではありませんが、読んでいるとやはり、ウェブを中心としたフリー化の流れは止めようがないのだというメッセージが伝わってきます。また、デジタル化されたものは遅かれ早かれ無料になる運命なのだし、フリーの周辺でお金を生みだす方法はあるのだから、今後もこの世界で生き延びようとするなら、フリーを前提とした新たなしくみに適応するしかない、という気がしてきます。
ただ、それはそうなのでしょうが、その一方で、近い将来、ホワイトカラーの仕事がどうなっていくのか、ちょっと不安になります。
アンダーソン氏は、「無料のモノやサービスが有料のものと釣り合って発展する必要がある」と言ってはいるものの、無料で有用な商品が次々に供給されるようになり、人々の生活やビジネスがそれを前提とするようになれば、20世紀型の高コスト体質の巨大企業がこれまでのようにサバイバルするのはどんどん難しくなっていくだろうし、現在人間の手によって行なわれている膨大な事務作業の多くも、仕事としての意味や価値を失っていくのではないでしょうか。
そうなると、いわゆる先進諸国の人口の多くを占め、新興国では新たに続々と生まれつつある中産階級というものは、これからどうなるのでしょうか? グローバル化によって世界レベルの競争が激化し、フリー化も進んだ世界において、彼らすべてを十分に養っていけるだけの仕事は残されているのでしょうか?
かつての工業化社会のような、稀少な資源を管理するための論理と倫理で今なお動いているリアル世界の経済と、インターネットから広がりつつある、21世紀的な潤沢さの論理と倫理によって動くフリー経済とを、どのような形で共存させ、バランスをとればいいのか、そして私たちの社会の将来像がどんなものになるのか、この本では明確な見通しは示されていません。
とにかく、フリーに関しては考えるべきことが多すぎて、この本をひととおり読んでみても、頭の中がスッキリするというよりは、むしろ混沌とした未来を垣間見ているようなモヤモヤ感に襲われます。
まあ、未来のことなど誰にだって分からないわけで、それをあれこれ先走って心配しても仕方がないのでしょうが……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
旅の名言 「旅それぞれに寿命が……」
旅それぞれに寿命が異なっていて、予想もつかないように思えるのだ。旅人が帰宅する前に寿命が尽きて終わってしまう旅があることは、きっと誰もが知っているのではないだろうか? 逆もまた真なりだ。足を止め、時が過ぎた後になっても長く続く旅がたくさんある。
『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事
ノーベル賞作家のスタインベック氏が、愛犬チャーリーとキャンピングカーでアメリカを一周する旅を描いた、『チャーリーとの旅』からの一節です。
旅というのは、常識的には、家を出てどこか別の場所に向かい、再び家に帰ってくるまでのことだと考えられているし、実際そう考えることで、ふつうは何の不都合もないはずです。
しかし、スタインベック氏によれば、旅には寿命というものがあって、その長さは旅によって異なり、家を出て再び家に帰りつくまでの期間とは必ずしも一致しないことがあるというのです。
もちろん、毎日の通勤通学とか、近所への買い物とか、ちょっとした週末の小旅行くらいでは、そういうズレが起きることはないでしょう。
しかし、旅人にとって深い意味をもつ旅や、非常に長い旅、あるいは、旅での思いがけない出来事が、旅人の生き方に大きなインパクトを与えるような場合には、旅の物理的な時間と心理的・内面的な旅のプロセスとの間に、大きなギャップを感じることがあるのかもしれません。
例えば、スタインベック氏は、この本で描かれているアメリカ一周の旅が、自分の中では、自宅に帰りつく前にすでに終わってしまっていたことを告白しています。
私自身の旅はというと、出発よりずっと前に始まり、帰宅する前に終わった。
旅が終わった場所も時間もしっかり覚えている。ヴァージニア州アビンドン近くの急カーブで、風の強かった日の午後四時だ。前触れもなく別れの挨拶もキスもなく、旅は私から去っていってしまった。私は家から離れた場所で取り残されてしまったのだ。
私は旅を呼び戻して捕まえようとしたが――愚かで無駄なことだった。旅が終わり、もう戻ってこないのは明らかだったのだ。道は延々と続く石の連なりとなり、丘は障害物となり、木々は緑色の霞となった。人々はただの動く影となり、頭はついていても顔はないのと同然だった。道沿いの食べ物はどれもスープのような味しかしなかったし、実際にスープだって構わなかった。
そして、彼にとっては、アビンドン以降の道のりは「時間も出来事もない灰色のトンネルのようなもの」で、その道中の記憶が何も出てこないのだといいます。
このように、実際の時間よりも短命な旅があれば、その反対に、寿命の長い旅というのもあるはずで、それについて、彼はこんな例を挙げています。
私はサリーナスにいた男のことを覚えている。彼は中年時代にホノルルに旅行に行ってきたのだが、その旅は彼の生涯にわたって続いたのだ。玄関先のポーチで揺り椅子に座っている彼をよく見かけたが、目を細めて半ば閉じたまま、永遠にホノルルを旅しているようだった。
まあ、いずれにしても、旅人の心の中で旅が終わったかどうかは、あくまで当人の主観で判断することであって、極端な話、どうとでも言えてしまうわけですが、実際には、旅の外面的・内面的なプロセスの間に大きなギャップが生じて、本人でさえ驚いてしまうようなことがたびたび起きるのでしょう。
考えてみれば、映画や本などでも、最初の30分くらいですっかり飽きてうんざりしたり、先が全部見通せてしまい、すでに気持ちの上では終わっているのに、何となく義務感や惰性に引きずられて、最後まで見たり読んだりしてしまうということはあります。また逆に、作品の印象が強烈で、鑑賞し終わってから何時間も何日も、場合によっては何年ものあいだ、その作品が心から離れないということもあるでしょう。
旅に関しても、似たようなことが言えるのかもしれません。
ある旅は、いつまでも醒めない夢のように、旅人を生涯にわたって魅惑し続けるだろうし、別の旅は、途中で突然幕が下りてしまい、旅人をとまどわせることになるのでしょう。そしてそうした旅の寿命は、人生と同じく、事前には「予想もつかない」もので、実際に旅に出て、それを全うしてみないことには何とも言えないのです。
もっとも、それぞれの旅の寿命というのは、旅する本人にとっては重要でも、結局は非常に個人的な問題であって、旅の武勇伝とかみやげ話ならともかく、他人にとってみれば、まあ、どうでもいい話ではあるのですが……。
JUGEMテーマ:旅行
おかげさまで50,000アクセス
40,000アクセス到達の時点からここまでは、7カ月半くらいかかりました。以前は、1年でだいたい1万という感じだったので、少しだけペースが上がっているようです。
メジャーなブログとは比較にならないスローペースではありますが、こんなブログでも、検索エンジン経由で毎日一定数の方々がこのブログを訪ねてくださるのは、まさにインターネットの神秘そのもので、何とも不思議なことです。
これまでに、縁あってこのブログを読んでくださった皆様に、心よりお礼申しあげます。
どうもありがとうございました。
何年か続けているせいか、このブログもマンネリ化が顕著なのですが、これを機に何か新しい企画をスタートします、みたいなフレッシュな抱負を語れないのが、何とも残念なところです。
また、歳のせいもあるのか、新しいことを始めていろいろ面倒が増えるよりは、勝手知ったる日常の生暖かさの中でまどろむことを、つい選んでしまいがちな今日この頃でもあります。
まあ、それでも逆に、その惰性の力をうまく活用すれば、このブログを当面は継続することができるかもしれません……。
今後とも、このブログをどうぞよろしくお願いいたします。
『ほとんど食べずに生きる人 ― 引き算の生き方革命』
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
以前から私は、「不食」という不思議な現象に興味がありました。
世界のあちこちに、何も食べずに生きている(と自称する)人々がいて、彼らの話題がときどき新聞・テレビの片隅をにぎわすことがあるのですが、そのたびに眉にツバをつけながらも、仮にそれが本当だったら、自分もそんな仙人みたいな身分になりたいものだと多少の憧れを感じていたのです。
先日、あるブログを読んでいて、「不食」ではないが、「微食」を実践している人々が日本にいることを知りました。彼らは、何も食べないわけではないけれど、常識では考えられないような低カロリー食だけで、長いあいだ健康な生活をしているというのです。
「不食」はさすがに信じがたいけれど、「微食」ならもしかするとあり得るかもしれないし、ひょっとしたら自分にもマネできたりするのでは……。そんな思いもあって、今回、「微食」生活を送っている柴田年彦氏の本を読んでみました。
柴田氏は、自らの身体を実験台にして、2007年の春から1年間、摂取カロリーを大幅に減らし、その間に心身に起きたさまざまな変化を記録しました。
ふつう、成人男性なら1日当たり2,500キロカロリー、女性なら2,000キロカロリーほど摂取しないと健康を維持できないと言われているそうですが、彼は玄米菜食を基本に、ゆっくりと時間をかけながら、「少食(800〜1,500キロカロリー)」から「微食(100〜500キロカロリー)」へと、摂取カロリーを減らしていきました。
本の前半は、食事や運動の量、体重や体脂肪率の変化などのデータを中心に、実験中に感じた自覚症状や身体の変化、あるいは精神的な変化について詳細にまとめたレポートになっています。
彼は低カロリー状態に慣れるまでの数カ月間、空腹感に悩まされただけでなく、脱力感やひどい物忘れ、体の冷えなどさまざまな体の不調も感じるのですが、実験が5カ月目を過ぎたあたりから体調が改善しはじめ、やがて睡眠時間が減り、脳が活性化し、五感が鋭くなり、寒さに強くなり、ヤル気が満ちてきたといいます。「微食」生活によって、むしろこれまでの持病が消えて健康が増進し、心身が若返ったというのです。
後半は、栄養学者と免疫学者へのインタビュー、そして、同じことを試してみようと思う人のために、体質によるメニューの調整や、実践する上でのコツなど、具体的なアドバイスが「柴田メソッド」としてまとめられています。
ただ、この本の実験で明らかになったのは、柴田氏個人が低カロリー食に適応し、そこから大いに恩恵を受けたという事実だけであって、「微食」がすべての人に有効だと証明されたわけではありません。
体質は人によって違うので、「微食」を続けると栄養失調に陥る人もいるかもしれません。この本の中で、栄養学者の原正俊氏が、日本人とアメリカ先住民の一部には、飢餓に耐えうる「節約倹約遺伝子」があると述べていますが、もしそうならば、「微食」は、遺伝的に一部の人間だけに可能な、一種の特殊能力だという可能性もあります。
そう考えると、どのくらいの一般性があるか分からない段階で、それをいきなり「メソッド」として広めてしまうのは時期尚早ではないかという気がします。
それに、この本を一読した限りでは、超低カロリー食の実践がけっこう簡単そうに見えてしまうのですが、実際には、超えなければならないハードルは数多くあるはずです。
まず、柴田氏が実験に成功した理由の一つとして、それ以前の段階で、長年にわたって玄米菜食を実践しており、食生活や食材に関してかなりの知識と経験を蓄えていたということが考えられます。
逆に、自分がふだん何を食べているかほとんど意識したこともなく、食べたいものを腹いっぱい食べ、酒やタバコをたしなみ、玄米など見たこともないような人なら、「微食」以前の問題として、まずは自分の食生活に意識を向け、さらにベジタリアン系のメニューにも慣れないと、その先には進めません。
一般人にとっては、食べる量を減らすこと以上に、食事に対する意識を根本的に改め、これまで食べつけていないような食材やメニューに慣れる方が、よほどハードルが高いのではないかという気がします。
それに、超低カロリー食というのは、実践するのにふさわしい年齢というのがあるかもしれません。本文中で免疫学者の安保徹氏が触れているように、体内の代謝システムや必要カロリーはずっと一定ではなく、年齢によって変化していると考えられます。著者の柴田氏は実験開始時点ですでに60代でしたが、若い人よりも、ある程度年齢を重ねている人の方が、もともと少食ぎみになっていることもあって、「微食」に移行しやすいという可能性はあります。
さらに、歳を重ねた人は、これまでの生活習慣からくる何らかの症状や病気を抱えているケースが多く、健康のありがたみを強く実感しているはずです。彼らには、再び健康と元気を取り戻すためなら、これまでの食事や生活のパターンをある程度犠牲にしてもかまわないと思うだけの動機があるかもしれませんが、若い人だとそこまでの思いはなかなか持てないのではないでしょうか。
最後に、柴田氏でさえ、空腹感を克服するのに半年を要しているし、体が超低カロリー状態に慣れるまで、さまざまな不快な症状にも耐えています。それに加えて、自分の心身が未知の状態へと変化していくことに対する不安もあったでしょう。これらは、気軽に乗り越えられるほど生易しい問題ではないと思います。
このように、この本の実験は非常にユニークなのですが、これを誰にでも通用するメソッドとして一般化するにはまだ無理があるように思います。当面は、先鋭的な人々が自らリスクを負って実践し、「微食」の可能性がどれほどのものか、いくつもの事例を集めて検討する作業が必要なのではないでしょうか。
それでも、「微食」という方法自体については、とても新鮮で面白いと思います。さすがに、「不食」というのでは誰もまともに取り合ってはくれないだろうし、腹八分目といった程度の「少食」では、ありがちな生活の知恵として、軽く聞き流されてしまうと思うので……。
この本を読んで、私も今すぐやってみようとまでは思いませんでしたが、もう少し歳月を経て、食生活のあり方についての意識を高め、こうした方法について自分なりに納得するに至れば、実際に試してみることになるかもしれません。
それにしても、この本を読んでいると、いろいろと考えさせられるものがあります。
人間が、食べたものの消化吸収自体に多大なエネルギーを費やしていて、ときにはそれが身体への負担となり、やがて機能障害を起こしてしまうというのは、実はかなり重要な問題でありながら、ふだんは見落とされがちです。そして、似たようなパターンは、食生活以外のさまざまな面においても見受けられるのではないでしょうか。
例えば、次から次へと買ったモノで溢れかえって、すっかり狭苦しくなった部屋がそうだし、朝からずっと情報の洪水を浴び続け、新しい出来事を追いかけるだけで、いつの間にか日が暮れてしまうような生活も同じ構図です。
人間は、モノにせよ情報にせよ人間関係にせよ、いいと思うものは可能な限り自分の側に取り込みたいと思いがちなものですが、そうやっていったん取り込んだものは、どんなものであれ、自分に対してそれなりのコストを求めてくることを、常に意識しておく必要があるのかもしれません……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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