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2011.10.31 Monday
アンコール・ワットの夕陽
もう何年も昔、東南アジア各地を旅していた頃のことです。
当時の私は、陸路の旅にこだわるバックパッカーでした。カネはともかく、時間だけはあったので、ビザの有効期間をギリギリまで使い、街から街へとゆっくり移動しながら、ガイドブックに載っているめぼしい観光地はひととおり見てまわるような、けっこうマジメな旅を続けていました。
東南アジアの観光地といえば、その最大級のものがカンボジアのアンコール遺跡です。高校生の頃に写真集で知って以来、美しい巨大遺跡アンコール・ワットや、「クメールの微笑」で知られるバイヨンなど、見どころの多いアンコール遺跡群を訪れるのは私の夢の一つでした。
ウィキペディア 「アンコール遺跡」
せっかくの大遺跡だし、長年の憧れの地でもあるし、飛行機でいきなり近くまで飛んでしまうのはもったいない気がして、できればタイ側から陸路で国境を越え、何日かかけて少しずつ移動しながら、夢にじわじわと近づいていく感覚も楽しみたいというのが当初の計画だったのですが、当時のカンボジアは政治的にかなり不安定で、陸路で移動中の外国人旅行者が事件に巻き込まれたという話をよく耳にしました。
さすがに私も命は惜しいので、もう少し状況が落ち着いてからにしようと、カンボジア行きをずっと後回しにしていたのですが、1年ほど周辺諸国をぶらぶらと旅し、他の国をざっと見終わってしまうと、さすがにもう、それ以上先延ばしにすることはできません。
かといって、安全が確保できるわけでもないので、結局、陸路で入国するという最初のプランはあきらめて、バンコクからプノンペンへ飛び、そこからスピードボートを使って、アンコール遺跡観光の拠点シェムリアップに向かいました。
ウィキペディア 「シェムリアップ」
遺跡は広い範囲に散在していて、徒歩や自転車でまわるのは無理なので、シェムリアップの安宿に出入りしているバイクタクシーを、一日か半日単位で雇います。日ざしのきつくない午前中の数時間と、2〜3時間の昼寝タイムをはさんで、日没までの数時間を使って、毎日遺跡見学に出かけました。
最初の日は、あえてガイドブックの解説は読まず、憧れのアンコール・ワットとバイヨンの第一印象を楽しみながら、好きなように見てまわることにしました。
アンコールは、インドネシアのボロブドゥールやミャンマーのバガンと並ぶ、世界の三大仏教遺跡の一つと言われています。私はそれまでに、ボロブドゥールもバガンも見ていたのですが、実際にアンコールの遺跡群を前にして感じるパワーは、それらをはるかに超えていました。
もちろん、憧れの地にようやくたどり着いたことで、気分が高揚していたのもあるでしょう。それでも、密林の中から次々に現れる巨大な石造ピラミッドや、見渡す限りの壁面を埋めつくす繊細な彫刻は、私の思考と感情を激しく揺さぶりました。
私はもう、遺跡のことで頭がいっぱいになってしまいました。翌日から数日かけて、散在する遺跡群全体をひととおり見てまわり、さらにその後の数日は、お気に入りの遺跡を数か所に絞って、その膨大な彫刻をゆっくりと見たり、その場でボーッと雰囲気にひたったり、写真を撮ったり、のんびり絵ハガキを書いたりと、気がすむまで遺跡を味わいました。
今はどうなっているか分かりませんが、当時は、あまり有名でない遺跡には見学者もほとんどおらず、バイクタクシーを入口で待たせて中に入ると、出てくるまでの間、誰にも会わないことなどしょっちゅうでした。バイヨンのような有名遺跡でも、グループツアーの人波が途切れてしまうと、広い境内はガランとして、ほとんど貸し切り状態です。
中には、タ・プロームのように、遺跡が発見された当時の状態をそのまま残した場所もあります。石積みの小さな寺院が巨大なガジュマルに絡みつかれ、密林に呑み込まれようとする異様な光景を一人きりで眺めながら、ジャングルに響きわたるけたたましい鳥の声を聞いていると、何か別の世界にでも迷い込んでしまったような、恐ろしいほどの寂しさを味わうことができました。
そんな風に、夢中になって遺跡に通いつめているうちに、何となく一日の行動パターンみたいなものが生まれてきたようで、陽が傾き始めると、足は自然にアンコール・ワットの最上層部へと向かいます。
辺りには、重いクーラーボックスを抱え、観光客に冷たい飲み物を売り歩く女の子たちがいます。彼らの一人から、その日の売れ残りのコカコーラを買い、見晴らしのいい石積みの上に腰を下ろしてそれを飲みながら、沈む夕陽を眺めるのが楽しみでした。
遺跡の上から西の方角を見下ろすと、広くまっすぐな中央参道にそって、物乞いがびっしりと並び、その間を、さまざまな国からやってきた観光客やガイド、地元の物売りや子どもや犬たちが、ぞろぞろと歩いているのが見えます。
昔なら、そこはきっと、王のような限られた人間だけが通ることを許された、神聖で特別な領域だったのでしょう。しかし今や、こうして遺跡の中心部に陣取ってコーラを飲んでいる私のように、遺跡への入域料としてそれなりの金額を払えば、誰でもどこにでも足を踏み入れることができる時代です。
夕陽をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていると、お約束どおりではありますが、カンボジアの人々の栄光と悲惨の歴史や、昔の王の絶大な権力とその無常へと、思いをはせずにはいられませんでした。
こうして、一週間以上を見学に費やし、お気に入りの場所でゆっくりと時間を過ごし、憧れの遺跡を堪能すると、さすがに満腹というか、これで充分だという気持ちになりました。
そして、アンコールの遺跡だけでなく、観光という行為そのものも、自分にはもう充分だという気がしました。
私はそれまで、ガイドブックなどで、多くの人が素晴らしいという場所や有名なツーリスト・スポットをチェックして、そこを順番に目的地にするような旅を続けていました。それは旅のやり方としてごく一般的なものではあるし、自分の勘だけを頼りにやみくもに動き回るよりは、素晴らしいものに出会えるチャンスも大きいと思っていました。
ただ、長い旅の中で、それがパターン化し、マンネリに陥ってしまったのか、自分で考えていた以上に、もはや、そういうスタイルの旅には心が動かなくなってしまっていたようで、今こうして、東南アジア最大の遺跡を見学して一区切りがついたことで、それをはっきりと自覚したのです。
でも、そうだとしたら、これからは、何を目的に旅を続けていけばいいのでしょう?
そのとき、私にはほとんどアイデアがありませんでした。
シェムリアップ滞在の最終日、見納めにもう一度アンコール・ワットに行きました。
入域チケットの有効日数を使い果たしていたので、日没直前、検問の人たちが家に帰ったあとを見計らって、急いで遺跡に向かいます。
早足で参道を歩き、いつもの場所にやってくると、ジュース売りの女の子たちも帰ったあとでした。空は雲に覆われていて、きれいな夕焼けは望めそうもありません。
それでも、石積みの上に腰を下ろすと、これまでの東南アジアの旅の思い出が次々によみがえってきて、胸がいっぱいになりました。
やがて思いは、この先の旅へと移っていきます。
とりあえず、明日プノンペンに戻り、カンボジアのビザが切れる前に陸路でベトナムに出て、ホーチミン市に向かおうという大ざっぱな予定だけはありましたが、そこで再びちょこまかと観光地をまわる旅には、気が乗りません。
今はどうしたらいいか分からないけれど、ベトナムに入ってみたら、何か次の展開が見えてくるかもしれない……。
そんなことをぼんやりと思いつつ、アンコール・ワットの最後の夕暮れを楽しんでいました。
記事 「アンコール遺跡の少年ガイド」
JUGEMテーマ:旅行
当時の私は、陸路の旅にこだわるバックパッカーでした。カネはともかく、時間だけはあったので、ビザの有効期間をギリギリまで使い、街から街へとゆっくり移動しながら、ガイドブックに載っているめぼしい観光地はひととおり見てまわるような、けっこうマジメな旅を続けていました。
東南アジアの観光地といえば、その最大級のものがカンボジアのアンコール遺跡です。高校生の頃に写真集で知って以来、美しい巨大遺跡アンコール・ワットや、「クメールの微笑」で知られるバイヨンなど、見どころの多いアンコール遺跡群を訪れるのは私の夢の一つでした。
ウィキペディア 「アンコール遺跡」
せっかくの大遺跡だし、長年の憧れの地でもあるし、飛行機でいきなり近くまで飛んでしまうのはもったいない気がして、できればタイ側から陸路で国境を越え、何日かかけて少しずつ移動しながら、夢にじわじわと近づいていく感覚も楽しみたいというのが当初の計画だったのですが、当時のカンボジアは政治的にかなり不安定で、陸路で移動中の外国人旅行者が事件に巻き込まれたという話をよく耳にしました。
さすがに私も命は惜しいので、もう少し状況が落ち着いてからにしようと、カンボジア行きをずっと後回しにしていたのですが、1年ほど周辺諸国をぶらぶらと旅し、他の国をざっと見終わってしまうと、さすがにもう、それ以上先延ばしにすることはできません。
かといって、安全が確保できるわけでもないので、結局、陸路で入国するという最初のプランはあきらめて、バンコクからプノンペンへ飛び、そこからスピードボートを使って、アンコール遺跡観光の拠点シェムリアップに向かいました。
ウィキペディア 「シェムリアップ」
遺跡は広い範囲に散在していて、徒歩や自転車でまわるのは無理なので、シェムリアップの安宿に出入りしているバイクタクシーを、一日か半日単位で雇います。日ざしのきつくない午前中の数時間と、2〜3時間の昼寝タイムをはさんで、日没までの数時間を使って、毎日遺跡見学に出かけました。
最初の日は、あえてガイドブックの解説は読まず、憧れのアンコール・ワットとバイヨンの第一印象を楽しみながら、好きなように見てまわることにしました。
アンコールは、インドネシアのボロブドゥールやミャンマーのバガンと並ぶ、世界の三大仏教遺跡の一つと言われています。私はそれまでに、ボロブドゥールもバガンも見ていたのですが、実際にアンコールの遺跡群を前にして感じるパワーは、それらをはるかに超えていました。
もちろん、憧れの地にようやくたどり着いたことで、気分が高揚していたのもあるでしょう。それでも、密林の中から次々に現れる巨大な石造ピラミッドや、見渡す限りの壁面を埋めつくす繊細な彫刻は、私の思考と感情を激しく揺さぶりました。
私はもう、遺跡のことで頭がいっぱいになってしまいました。翌日から数日かけて、散在する遺跡群全体をひととおり見てまわり、さらにその後の数日は、お気に入りの遺跡を数か所に絞って、その膨大な彫刻をゆっくりと見たり、その場でボーッと雰囲気にひたったり、写真を撮ったり、のんびり絵ハガキを書いたりと、気がすむまで遺跡を味わいました。
今はどうなっているか分かりませんが、当時は、あまり有名でない遺跡には見学者もほとんどおらず、バイクタクシーを入口で待たせて中に入ると、出てくるまでの間、誰にも会わないことなどしょっちゅうでした。バイヨンのような有名遺跡でも、グループツアーの人波が途切れてしまうと、広い境内はガランとして、ほとんど貸し切り状態です。
中には、タ・プロームのように、遺跡が発見された当時の状態をそのまま残した場所もあります。石積みの小さな寺院が巨大なガジュマルに絡みつかれ、密林に呑み込まれようとする異様な光景を一人きりで眺めながら、ジャングルに響きわたるけたたましい鳥の声を聞いていると、何か別の世界にでも迷い込んでしまったような、恐ろしいほどの寂しさを味わうことができました。
そんな風に、夢中になって遺跡に通いつめているうちに、何となく一日の行動パターンみたいなものが生まれてきたようで、陽が傾き始めると、足は自然にアンコール・ワットの最上層部へと向かいます。
辺りには、重いクーラーボックスを抱え、観光客に冷たい飲み物を売り歩く女の子たちがいます。彼らの一人から、その日の売れ残りのコカコーラを買い、見晴らしのいい石積みの上に腰を下ろしてそれを飲みながら、沈む夕陽を眺めるのが楽しみでした。
遺跡の上から西の方角を見下ろすと、広くまっすぐな中央参道にそって、物乞いがびっしりと並び、その間を、さまざまな国からやってきた観光客やガイド、地元の物売りや子どもや犬たちが、ぞろぞろと歩いているのが見えます。
昔なら、そこはきっと、王のような限られた人間だけが通ることを許された、神聖で特別な領域だったのでしょう。しかし今や、こうして遺跡の中心部に陣取ってコーラを飲んでいる私のように、遺跡への入域料としてそれなりの金額を払えば、誰でもどこにでも足を踏み入れることができる時代です。
夕陽をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていると、お約束どおりではありますが、カンボジアの人々の栄光と悲惨の歴史や、昔の王の絶大な権力とその無常へと、思いをはせずにはいられませんでした。
こうして、一週間以上を見学に費やし、お気に入りの場所でゆっくりと時間を過ごし、憧れの遺跡を堪能すると、さすがに満腹というか、これで充分だという気持ちになりました。
そして、アンコールの遺跡だけでなく、観光という行為そのものも、自分にはもう充分だという気がしました。
私はそれまで、ガイドブックなどで、多くの人が素晴らしいという場所や有名なツーリスト・スポットをチェックして、そこを順番に目的地にするような旅を続けていました。それは旅のやり方としてごく一般的なものではあるし、自分の勘だけを頼りにやみくもに動き回るよりは、素晴らしいものに出会えるチャンスも大きいと思っていました。
ただ、長い旅の中で、それがパターン化し、マンネリに陥ってしまったのか、自分で考えていた以上に、もはや、そういうスタイルの旅には心が動かなくなってしまっていたようで、今こうして、東南アジア最大の遺跡を見学して一区切りがついたことで、それをはっきりと自覚したのです。
でも、そうだとしたら、これからは、何を目的に旅を続けていけばいいのでしょう?
そのとき、私にはほとんどアイデアがありませんでした。
シェムリアップ滞在の最終日、見納めにもう一度アンコール・ワットに行きました。
入域チケットの有効日数を使い果たしていたので、日没直前、検問の人たちが家に帰ったあとを見計らって、急いで遺跡に向かいます。
早足で参道を歩き、いつもの場所にやってくると、ジュース売りの女の子たちも帰ったあとでした。空は雲に覆われていて、きれいな夕焼けは望めそうもありません。
それでも、石積みの上に腰を下ろすと、これまでの東南アジアの旅の思い出が次々によみがえってきて、胸がいっぱいになりました。
やがて思いは、この先の旅へと移っていきます。
とりあえず、明日プノンペンに戻り、カンボジアのビザが切れる前に陸路でベトナムに出て、ホーチミン市に向かおうという大ざっぱな予定だけはありましたが、そこで再びちょこまかと観光地をまわる旅には、気が乗りません。
今はどうしたらいいか分からないけれど、ベトナムに入ってみたら、何か次の展開が見えてくるかもしれない……。
そんなことをぼんやりと思いつつ、アンコール・ワットの最後の夕暮れを楽しんでいました。
記事 「アンコール遺跡の少年ガイド」
JUGEMテーマ:旅行
2011.10.22 Saturday
旅の名言 「つまり、旅は……」
旅は、自分が人間としていかに小さいかを教えてくれる場であるとともに、大きくなるための力をつけてくれる場でもあるのです。つまり、旅はもうひとつの学校でもあるのです。
入るのも自由なら出るのも自由な学校。大きなものを得ることもできるが失うこともある学校。教師は世界中の人々であり、教室は世界そのものであるという学校。
もし、いま、あなたがそうした学校としての旅に出ようとしているのなら、もうひとつ言葉を贈りたいと思います。
「旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ」
と。
『旅する力 ― 深夜特急ノート』 沢木 耕太郎 新潮社 より
この本の紹介記事
旅行記の名作『深夜特急』の著者である沢木耕太郎氏が、青年時代のユーラシアの旅と『深夜特急』執筆のプロセスを、自らの半生とともに振り返るエッセイ、『旅する力』からの名言です。
冒頭の引用は、『深夜特急』の韓国語版に書かれたあとがきの一部で、沢木氏は、旅を「入るのも自由なら出るのも自由な学校」に喩えて説明しています。
「学校」という言葉には、決められたカリキュラムに従って知識を詰め込まれる場所、というイメージが強いのですが、彼のいう「もうひとつの学校」は、そうしたイメージとはむしろ対照的な意味合いをもっているようです。
「教師は世界中の人々であり、教室は世界そのもの」だとしたら、そこは、予定調和などなく、偶然と変化の波が激しく打ち寄せる、油断のならない場所です。しかし、沢木氏によれば、それこそが、人間として「大きくなるための力をつけてくれる場」なのです。
沢木氏は、『旅する力』の中で、旅は「思いもよらないことが起きる可能性のある場のひとつ」であり、そこに身を晒すことで、旅人は「偶然に対して柔らかく対応できる力」、つまりは「自分の身の丈」を伸ばしていくことができる、といった趣旨のことを書いています。
旅の名言 「旅もまた……」
ただ、この広い世界そのものを学校とみなすとしたら、当然、そこには役所の定めた公式の教科書みたいなものは存在しないわけで、それは全くの自由を意味する反面、人によっては、どこから何に手をつけたらいいか、あまりにも漠然としすぎているように感じられるかもしれません。これまでの学校教育で、教科書に書かれたことを正確に記憶するという学習パターンにすっかりなじんでしまった人は、教科書などないといきなり言われても、途方に暮れてしまうでしょう。
こうして偉そうなことを書いている私も、一人旅を始めたばかりのころは、ガイドブックを教科書がわりに、そこに載っているおすすめの観光地を片っ端から周るような旅をしていました。もちろん今でも、ガイドブックに頼らず、自分の力だけで自由自在に世界を飛びまわれるなどとは思っていません。
たぶん私にかぎらず、どんな旅人でも最初のうちは、ガイドブックなり、旅行代理店なり、旅の仲間なり、いろいろなモノや人々の助けに頼らざるを得ないし、そうして旅をある程度続けていくうちに、少しずつ、自分のやりたいこと、自分の作りたい旅のイメージができてくるのでしょう。
もっとも、ガイドブックに全面的に頼った旅をするにしても、そこは言葉も通じない見知らぬ土地であり、何かと勝手の違う世界です。いくら計画通りにすすめようとしても、いやむしろ、計画通りにすすめようとすることでかえって、旅人はさまざまなアクシデントやハプニングに見舞われるはずです。
それらにどう対処するか、そのつど自分の力を試されるという意味では、どんなささやかな旅であっても、ガイドブックをなぞるだけのような旅であっても、大いなる学びの場としての旅のプロセスは、すでに始まっているのかもしれません。
とはいえ、旅を通じて自分が何を学びつつあるのかということは、実際に旅をしている時点ではピンとこないことの方が多く、旅を終えてさらに時間が経って、昔の旅を自分の人生とともに振り返るような機会に、ああ、そういうことだったかと、初めて見えてくることも多いのだろうと思います。
それに、「学び」とか、自分の身の丈を伸ばすというようなイメージにこだわりすぎると、旅が堅苦しくなり、苦しい修行のようになってしまうかもしれません。
それでも、旅を単なる気晴らしや現実逃避とみなすよりは、そこに何らかの学びがあるはずだと考えたり、自分がやっていることには、(今は漠然としているけれど)長い目で見れば深い意味があるかもしれないと思うほうが、少なくとも、今まさに自分が続けている旅について、前向きな気持ちでいられるような気がします。
JUGEMテーマ:旅行
2011.10.14 Friday
おかげさまで700記事
気がつくのが少し遅れましたが、先日、このブログの記事が700を越えました。
今までにこのブログを訪れ、記事を読んで下さった皆様に、心よりお礼申しあげます。
どうもありがとうございました。
600記事に到達したのは昨年の1月だったので、それから記事を100本書くのに、2年近くかかったことになります。
最近ではブログ更新のペースがかなり落ち、そうなると当然、こういう節目を迎える機会も減ってくるわけですが、たまにこうして過去からの歩みを振り返ってみると、自分でもそれなりに感慨深いものがあります。
ただ、今後のことを考えると、このブログがどうなるかという以前に、世の中全体の行く末の方に、より一層の不安を覚えます。
ここ数年は、世界の変化がますます加速している感じがして、その慌しい気分のせいか、なかなか本の世界に没頭できず、読書量が減り、本の紹介記事も減りました。また、東日本の震災後、これまでと同じ生活を続けていることに微妙な違和感を感じるようになり、ブログはとりあえずそのままですが、あまり身が入らない状態です。
かといって、そういうモヤモヤとした現状を破るために、何か新しいことを始めるかといえば、今の自分には、これといったアイデアがありません。
というわけで、ブログに限らず、今は生活全体が、何だか深い霧の中にでも入り込んでしまったようなのですが、こういうときは、あまりジタバタ動き回っても仕方がないのでしょう。
とりあえず、情報の海に溺れない程度に世の中の動きを追う一方で、今の自分が本当にやりたいと思うこと、必要だと思うことを絞り込んで、それを丁寧に続けながら、内面の感覚にも注意を払って、少しずつ手探りで進んでいくしかないのかな、と思っています。
それにしても、日本に限らず、この世界はこれからどうなっていくのでしょう?
年の瀬でもないのに、つい今年の重大ニュースを数え上げてしまったり、でも年内にまだまだ大きな動きがありそうな、そんな落ち着かない気分です。
それはともかく、今後とも、このブログをどうぞよろしくお願いいたします。
JUGEMテーマ:日記・一般
今までにこのブログを訪れ、記事を読んで下さった皆様に、心よりお礼申しあげます。
どうもありがとうございました。
600記事に到達したのは昨年の1月だったので、それから記事を100本書くのに、2年近くかかったことになります。
最近ではブログ更新のペースがかなり落ち、そうなると当然、こういう節目を迎える機会も減ってくるわけですが、たまにこうして過去からの歩みを振り返ってみると、自分でもそれなりに感慨深いものがあります。
ただ、今後のことを考えると、このブログがどうなるかという以前に、世の中全体の行く末の方に、より一層の不安を覚えます。
ここ数年は、世界の変化がますます加速している感じがして、その慌しい気分のせいか、なかなか本の世界に没頭できず、読書量が減り、本の紹介記事も減りました。また、東日本の震災後、これまでと同じ生活を続けていることに微妙な違和感を感じるようになり、ブログはとりあえずそのままですが、あまり身が入らない状態です。
かといって、そういうモヤモヤとした現状を破るために、何か新しいことを始めるかといえば、今の自分には、これといったアイデアがありません。
というわけで、ブログに限らず、今は生活全体が、何だか深い霧の中にでも入り込んでしまったようなのですが、こういうときは、あまりジタバタ動き回っても仕方がないのでしょう。
とりあえず、情報の海に溺れない程度に世の中の動きを追う一方で、今の自分が本当にやりたいと思うこと、必要だと思うことを絞り込んで、それを丁寧に続けながら、内面の感覚にも注意を払って、少しずつ手探りで進んでいくしかないのかな、と思っています。
それにしても、日本に限らず、この世界はこれからどうなっていくのでしょう?
年の瀬でもないのに、つい今年の重大ニュースを数え上げてしまったり、でも年内にまだまだ大きな動きがありそうな、そんな落ち着かない気分です。
それはともかく、今後とも、このブログをどうぞよろしくお願いいたします。
JUGEMテーマ:日記・一般
2011.10.06 Thursday
『スローな旅にしてくれ』
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本は、バックパッカー向けの専門誌『旅行人』の主宰者で、作家・グラフィックデザイナーの蔵前仁一氏による旅のエッセイです。
アジアやアフリカでの旅のエピソードをはじめ、旅先で出会ったユニークな旅行者や冒険家のこと、蔵前氏の旅の師匠「ウチュージン」との出会い、安宿でなぜか感じる解放感について、旅先での言葉の問題や持ち物の話、ガイドブック作りの難しさ、などなど、バックパッカーの旅をめぐるさまざまなテーマが取り上げられています。
この作品は、もともと単行本として出版された『沈没日記』(1996年)が、2003年に改題・加筆のうえ文庫化されたもので、そこに描かれているのは15年以上前の旅です。最近のグローバル化やアジアの経済発展、旅のスタイルの急激な変化などを考えると、もはや昔話になってしまった話題も多いのですが、逆に、1990年代前半の、東西冷戦が終わって間もない頃のバックパッカーの旅の雰囲気がよくわかります。
その頃は、旅先にネットカフェなどなく、安宿に集った旅人同士が、情報ノートなどで貴重な情報を共有しながら旅を続けていました。写真をよく撮る旅行者なら、(デジカメ普及前なので)重いフィルムの山を背負っていたし、旅人への連絡手段といえば郵便局留の手紙くらいで、開発途上国では、国際電話がつながったというだけで喜んでいた時代です。
私も、その頃の旅の雰囲気を知っているので、読んでいるととても懐かしいのですが、考えてみれば、このブログに私が書いた旅の体験も、同じようにどんどん昔話になりつつあるわけで、時の流れの速さ、特にここ十年ほどの変化の激しさを痛感します。
ただ、旅先の国々が大きく変貌し、旅のスタイルが急速に変わっていくとしても、旅を通じて一人ひとりの旅人が感じることや、その悩みといったものは、昔も今も、ほとんど変わっていないのかもしれません。
そういう意味では、こうしたちょっと昔の旅の本にも、表面的な情報の鮮度とは別の価値があるのではないでしょうか。
それにしても、この本を読んで改めて感じたのは、バックパッカーというのは、やっぱり、社会においては一種の少数民族みたいな存在なんだな、ということでした。
例えば、この作品の中でも、マスメディアを通じて繰り返される、アジアやアフリカに対するステレオタイプなイメージに疑問が投げかけられているのですが、そうしたメッセージが多くの人に伝わるかといえば、微妙なところかもしれません。
個人旅行者やバックパッカーは、別にマスコミの報道を検証するために海外を旅しているわけではないのですが、旅を続けていれば、いやでも現実とイメージとの差に気づくものです。
ただ、日本人全体に占めるバックパッカーの比率は、たぶん、ものすごく低いと思うので、彼らのあいだでは常識になっているようなことでも、世間の多くの人にはなかなか共有されないのかもしれません。
自分で現地を訪れ、実際の世界はマスメディアが伝えるイメージとは違うことを痛感するまでは、そもそも、それがステレオタイプだということ自体に気がつかないかもしれないし、気がつかなければ当然、それを問題だと思うこともないでしょう。
旅人たちが世界の片隅で日々目にし、体験していることは、私にはとても価値のあるものに思えるのですが、日本で忙しく働いている人々、あるいは年長者世代の多くに、そうした体験を伝える機会はなかなかないだろうし、むしろ、(この本にも実例が出てきますが)旅を続けていることがマイナスに評価され、いつまでもフラフラしているダメ人間だと説教されてしまったりします。
それもこれも、バックパッカーが社会における圧倒的少数派であるからなのかもしれません。しかも、昨今の若者の海外旅行離れによって、バックパッカーはますます日陰の存在になってしまいそうな感じです。
それでも、この本を読んでいると、蔵前氏が、そんな肩身の狭いバックパッカーの気持ちを代弁し、同じような問題に直面してきた一人の先輩として、それでも何とかなるもんだよと、優しく励ましてくれているような気がします。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
この本は、バックパッカー向けの専門誌『旅行人』の主宰者で、作家・グラフィックデザイナーの蔵前仁一氏による旅のエッセイです。
アジアやアフリカでの旅のエピソードをはじめ、旅先で出会ったユニークな旅行者や冒険家のこと、蔵前氏の旅の師匠「ウチュージン」との出会い、安宿でなぜか感じる解放感について、旅先での言葉の問題や持ち物の話、ガイドブック作りの難しさ、などなど、バックパッカーの旅をめぐるさまざまなテーマが取り上げられています。
この作品は、もともと単行本として出版された『沈没日記』(1996年)が、2003年に改題・加筆のうえ文庫化されたもので、そこに描かれているのは15年以上前の旅です。最近のグローバル化やアジアの経済発展、旅のスタイルの急激な変化などを考えると、もはや昔話になってしまった話題も多いのですが、逆に、1990年代前半の、東西冷戦が終わって間もない頃のバックパッカーの旅の雰囲気がよくわかります。
その頃は、旅先にネットカフェなどなく、安宿に集った旅人同士が、情報ノートなどで貴重な情報を共有しながら旅を続けていました。写真をよく撮る旅行者なら、(デジカメ普及前なので)重いフィルムの山を背負っていたし、旅人への連絡手段といえば郵便局留の手紙くらいで、開発途上国では、国際電話がつながったというだけで喜んでいた時代です。
私も、その頃の旅の雰囲気を知っているので、読んでいるととても懐かしいのですが、考えてみれば、このブログに私が書いた旅の体験も、同じようにどんどん昔話になりつつあるわけで、時の流れの速さ、特にここ十年ほどの変化の激しさを痛感します。
ただ、旅先の国々が大きく変貌し、旅のスタイルが急速に変わっていくとしても、旅を通じて一人ひとりの旅人が感じることや、その悩みといったものは、昔も今も、ほとんど変わっていないのかもしれません。
そういう意味では、こうしたちょっと昔の旅の本にも、表面的な情報の鮮度とは別の価値があるのではないでしょうか。
それにしても、この本を読んで改めて感じたのは、バックパッカーというのは、やっぱり、社会においては一種の少数民族みたいな存在なんだな、ということでした。
例えば、この作品の中でも、マスメディアを通じて繰り返される、アジアやアフリカに対するステレオタイプなイメージに疑問が投げかけられているのですが、そうしたメッセージが多くの人に伝わるかといえば、微妙なところかもしれません。
個人旅行者やバックパッカーは、別にマスコミの報道を検証するために海外を旅しているわけではないのですが、旅を続けていれば、いやでも現実とイメージとの差に気づくものです。
ただ、日本人全体に占めるバックパッカーの比率は、たぶん、ものすごく低いと思うので、彼らのあいだでは常識になっているようなことでも、世間の多くの人にはなかなか共有されないのかもしれません。
自分で現地を訪れ、実際の世界はマスメディアが伝えるイメージとは違うことを痛感するまでは、そもそも、それがステレオタイプだということ自体に気がつかないかもしれないし、気がつかなければ当然、それを問題だと思うこともないでしょう。
旅人たちが世界の片隅で日々目にし、体験していることは、私にはとても価値のあるものに思えるのですが、日本で忙しく働いている人々、あるいは年長者世代の多くに、そうした体験を伝える機会はなかなかないだろうし、むしろ、(この本にも実例が出てきますが)旅を続けていることがマイナスに評価され、いつまでもフラフラしているダメ人間だと説教されてしまったりします。
それもこれも、バックパッカーが社会における圧倒的少数派であるからなのかもしれません。しかも、昨今の若者の海外旅行離れによって、バックパッカーはますます日陰の存在になってしまいそうな感じです。
それでも、この本を読んでいると、蔵前氏が、そんな肩身の狭いバックパッカーの気持ちを代弁し、同じような問題に直面してきた一人の先輩として、それでも何とかなるもんだよと、優しく励ましてくれているような気がします。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
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