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2011.11.30 Wednesday
『アジア無銭旅行』
評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
この本は、詩人の金子光晴氏が戦前のアジア・ヨーロッパ放浪の旅を回想した晩年の三部作、『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』から、往路・復路のアジアの部分を抜粋し、アジアを題材にしたいくつかの詩を加えてまとめたものです。
1928年、日本での暮らしに精神的に行き詰まった金子氏は、子どもを親戚に預け、十分な旅費も先の見通しもないまま、妻を連れて逃げるように日本を発ち、パリをめざします。
最初に向かったのは、当時、「ながれものの落ちてあつまるところ」だった上海でした。彼らは現地で何とか旅費を工面し、南へと船を乗り継いでいきます。
政治的混乱の続く中国、欧米諸国の植民地東南アジア、そして時は世界大恐慌の前後。金子氏は、陰鬱な現実と、世界をあてどなくさまよう自分自身の行状とその内面を、ひたすら見つめ続けます。
彼は、旅先で出会う日本人たちが、人を民族で分け隔て、一等国の人間としてふるまおうとする姿に内心反発を覚えながらも、結局はそういう人々の情けと人的ネットワークにすがり、得意ではない絵を彼らに売りつけてまで旅費を稼がなければならない立場でした。また、彼自身も、決して清貧の旅人だったわけではありません。今の時代はともかく、当時なら公にすれば物議を醸しただろうエピソードも、作品の中で赤裸々に描かれています。
「よくよくの愚劣な男でなければやらない道をよくもあるいてきたものだ」と自ら言うように、それは何度もダークサイドに転げ落ちそうになりながら、ギリギリのところで踏みとどまるような危うい旅でした。
しかし、いくら先へと進んでも、旅の解放感や高揚を味わえるどころか、二人の前には、常に金策に追われ、どこまでも堕ちていくような出口のない日々が続くだけで、その先に、何かわかりやすい希望の光が差し込むわけでもありません。
実際にこういう旅をする人というのは、昔も今も、圧倒的な少数派なのだろうし、彼らと同じような旅をしたいと思う人も、あまりいないでしょう。
それでも、この本を読んでいると、元の三部作を全部通して読みたくなってきます。アジアのエピソードは、彼らの4年にわたる旅の一部にすぎないし、金子氏の独特の文章にはけっこう中毒性があるようで、波乱に満ちた旅の物語を、もっと読みたい気持ちにさせられてしまうのかもしれません。
ちなみに金子氏には、同じ時期の東南アジアの旅を描いた名作、『マレー蘭印紀行』がありますが、この本は、その舞台裏として読むこともできると思います。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
この本は、詩人の金子光晴氏が戦前のアジア・ヨーロッパ放浪の旅を回想した晩年の三部作、『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』から、往路・復路のアジアの部分を抜粋し、アジアを題材にしたいくつかの詩を加えてまとめたものです。
1928年、日本での暮らしに精神的に行き詰まった金子氏は、子どもを親戚に預け、十分な旅費も先の見通しもないまま、妻を連れて逃げるように日本を発ち、パリをめざします。
最初に向かったのは、当時、「ながれものの落ちてあつまるところ」だった上海でした。彼らは現地で何とか旅費を工面し、南へと船を乗り継いでいきます。
政治的混乱の続く中国、欧米諸国の植民地東南アジア、そして時は世界大恐慌の前後。金子氏は、陰鬱な現実と、世界をあてどなくさまよう自分自身の行状とその内面を、ひたすら見つめ続けます。
彼は、旅先で出会う日本人たちが、人を民族で分け隔て、一等国の人間としてふるまおうとする姿に内心反発を覚えながらも、結局はそういう人々の情けと人的ネットワークにすがり、得意ではない絵を彼らに売りつけてまで旅費を稼がなければならない立場でした。また、彼自身も、決して清貧の旅人だったわけではありません。今の時代はともかく、当時なら公にすれば物議を醸しただろうエピソードも、作品の中で赤裸々に描かれています。
「よくよくの愚劣な男でなければやらない道をよくもあるいてきたものだ」と自ら言うように、それは何度もダークサイドに転げ落ちそうになりながら、ギリギリのところで踏みとどまるような危うい旅でした。
しかし、いくら先へと進んでも、旅の解放感や高揚を味わえるどころか、二人の前には、常に金策に追われ、どこまでも堕ちていくような出口のない日々が続くだけで、その先に、何かわかりやすい希望の光が差し込むわけでもありません。
あれさびれた眺望、希望のない水のうえを、灼熱の苦難、
唾と、尿と、西瓜の殻のあいだを、東から南へ、南から西南へ、俺はつくづく放浪にあきはてながら、
あゝ。俺。俺はなぜ放浪をつづけるのか。
実際にこういう旅をする人というのは、昔も今も、圧倒的な少数派なのだろうし、彼らと同じような旅をしたいと思う人も、あまりいないでしょう。
それでも、この本を読んでいると、元の三部作を全部通して読みたくなってきます。アジアのエピソードは、彼らの4年にわたる旅の一部にすぎないし、金子氏の独特の文章にはけっこう中毒性があるようで、波乱に満ちた旅の物語を、もっと読みたい気持ちにさせられてしまうのかもしれません。
ちなみに金子氏には、同じ時期の東南アジアの旅を描いた名作、『マレー蘭印紀行』がありますが、この本は、その舞台裏として読むこともできると思います。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
2011.11.23 Wednesday
群集に溶け込む仕事
アンガディアと呼ばれる、インドの宝石運び人のことを、ときどき思い起こすことがあります。
2年ほど前に、NHKのドキュメンタリー番組を見て、インドにそんな仕事があることを初めて知りました。
発掘アジアドキュメンタリー「ダイヤモンドの運び人 アンガディア」
インド西部のグジャラートは、現在、ダイヤモンドの加工で国際的に重要な役割を担っていて、輸出入の拠点となるムンバイとの間を、日々膨大な量のダイヤモンドが往復しているそうなのですが、その物流を支えているのがアンガディアです。
彼らのすごいのは、近代的なセキュリティ・システムや武器などに一切頼らず、ダイヤの入った小さな紙包みを服の下に隠しただけで、一般の旅行者にまぎれて列車で移動するところです。当然、周囲の人々に、いかに正体をさとられないようにするかが仕事の成否を大きく左右します。
番組は、これまで謎に包まれていたアンガディアの実態に迫っていて、とても興味をそそられるものでしたが、実際にそれを映像化する段階で、番組制作のスタッフは相当苦労したのではないかと思いました。
アンガディアの仕事の性質を考えてみれば当然のことなのですが、彼らの外見は、全く見栄えのしない、ごく普通のインド人にすぎません。
また、彼らはプロとしての知識と経験を活かし、常に細心の注意を払って仕事をしているはずですが、そもそも周囲に気を配ったりしていること自体、他人にさとられてはならないわけで、そういうノウハウを映像化するのもほとんど不可能です。
さらに、取材スタッフとしても、仕事中の彼らをおおっぴらに撮影できないので、いろいろなところにカメラを隠したりするのですが、その結果、番組の映像は、何の変哲もないインド人が、ただ駅の中を歩いたり列車に乗り込んだりする姿をわざわざ隠し撮りしたような、とても奇妙なものになっています。その映像の意味するところをあらかじめ知っていなければ、それはまったく意味不明だろうし、知っていたとしても、見ていて決して面白い映像ではありません。
しかし、むしろそこにこそ、この番組、というより、アンガディアという秘密の仕事をめぐる面白さがあるのでしょう。
人間の心理を巧みに利用し、群集の中にまぎれて透明な存在になりきってしまう、そういう技を追求していく仕事というものがこの世界に存在し、しかも一つの産業を長年にわたって支えているというのが、実に興味深く、人間の世界というのは本当に奥が深いと感じさせられます。
私もインドの街を歩いていたとき、列車に乗っていたとき、気がつかないままに、どこかでアンガディアとすれ違っていたのかもしれません。そう思うと、あのインドの謎めいた混沌の魅力に、さらに一層の深みが加わる気がします。
それにしても、一見、普通の人がただ何となくぞろぞろ歩いているだけの街の光景に、隠密に仕事をすすめるプロフェッショナルがまぎれていたり、非常に価値のあるモノが巧妙に隠されていたりするというのは、まるでスパイ映画のような、どこか現実離れしたドラマのような感じがするのですが、よく考えてみれば、現実にはむしろそのほうが当たり前なのかもしれません。
私などは、街を歩いている見知らぬ人々も、外見上の多少の違いはあれど、結局は自分と似たような生活をして、似たようなことを考えている、いわば自分の同類みたいなものであると、勝手に思い込んでしまっているところがあるように思います。
しかし、やはり現実の世界のすべてが、一個人の小さな常識と判断力でカバーできる範囲に収まっているはずがないわけで、インドに限らず、日本でも、他人とは異なる奇抜な生活をしていたり、世間では知られていない特殊な仕事についていたり、周囲の人が思いもよらない目的をもって行動しているような人も、きっと身の周りには大勢いるのでしょう。
私たちは、自分の知らないことや理解できないものに対しては、なかなか注意力が働かないものなので、実際に目の前には面白いものや不思議なものがいくらでも転がっているのに、それはほとんど透明な存在として、そのまま見過ごされてしまっているのかもしれません。
ところで、インドのアンガディアの場合は、ダイヤモンドという、誰もがその貴重さを知っているモノを運んでいるわけで、だからこそ、その存在を周囲から隠す必要があるわけですが、世の中にはきっと、実は高価だけれど、普通の人にはその価値を計りがたいために注目もされず、けっこう無造作に運ばれているようなモノもかなりあるのでしょう。
それに、モノではなく、頭の中のアイデアとかヒラメキ、あるいは専門的な知識や実務能力など、実際に手に取ったり見たりすることはできないけれど、大きな潜在的価値を秘めた貴重な財産が、世界中で毎日ごく普通に街を行き来しているわけです。
朝の混雑する列車の中で、私たちが隣り合わせている人は、巨大なダイヤでも太刀打ちできないような、莫大な価値を秘めたアイデアを頭の中に持ち運んでいるのかもしれません。しかし、神のような、すべてを見通す目を持ち合わせていない私たちは、それに気がつくこともなく、そのまま互いにすれ違っているのでしょう……。
JUGEMテーマ:日記・一般
2年ほど前に、NHKのドキュメンタリー番組を見て、インドにそんな仕事があることを初めて知りました。
発掘アジアドキュメンタリー「ダイヤモンドの運び人 アンガディア」
インド西部のグジャラートは、現在、ダイヤモンドの加工で国際的に重要な役割を担っていて、輸出入の拠点となるムンバイとの間を、日々膨大な量のダイヤモンドが往復しているそうなのですが、その物流を支えているのがアンガディアです。
彼らのすごいのは、近代的なセキュリティ・システムや武器などに一切頼らず、ダイヤの入った小さな紙包みを服の下に隠しただけで、一般の旅行者にまぎれて列車で移動するところです。当然、周囲の人々に、いかに正体をさとられないようにするかが仕事の成否を大きく左右します。
番組は、これまで謎に包まれていたアンガディアの実態に迫っていて、とても興味をそそられるものでしたが、実際にそれを映像化する段階で、番組制作のスタッフは相当苦労したのではないかと思いました。
アンガディアの仕事の性質を考えてみれば当然のことなのですが、彼らの外見は、全く見栄えのしない、ごく普通のインド人にすぎません。
また、彼らはプロとしての知識と経験を活かし、常に細心の注意を払って仕事をしているはずですが、そもそも周囲に気を配ったりしていること自体、他人にさとられてはならないわけで、そういうノウハウを映像化するのもほとんど不可能です。
さらに、取材スタッフとしても、仕事中の彼らをおおっぴらに撮影できないので、いろいろなところにカメラを隠したりするのですが、その結果、番組の映像は、何の変哲もないインド人が、ただ駅の中を歩いたり列車に乗り込んだりする姿をわざわざ隠し撮りしたような、とても奇妙なものになっています。その映像の意味するところをあらかじめ知っていなければ、それはまったく意味不明だろうし、知っていたとしても、見ていて決して面白い映像ではありません。
しかし、むしろそこにこそ、この番組、というより、アンガディアという秘密の仕事をめぐる面白さがあるのでしょう。
人間の心理を巧みに利用し、群集の中にまぎれて透明な存在になりきってしまう、そういう技を追求していく仕事というものがこの世界に存在し、しかも一つの産業を長年にわたって支えているというのが、実に興味深く、人間の世界というのは本当に奥が深いと感じさせられます。
私もインドの街を歩いていたとき、列車に乗っていたとき、気がつかないままに、どこかでアンガディアとすれ違っていたのかもしれません。そう思うと、あのインドの謎めいた混沌の魅力に、さらに一層の深みが加わる気がします。
それにしても、一見、普通の人がただ何となくぞろぞろ歩いているだけの街の光景に、隠密に仕事をすすめるプロフェッショナルがまぎれていたり、非常に価値のあるモノが巧妙に隠されていたりするというのは、まるでスパイ映画のような、どこか現実離れしたドラマのような感じがするのですが、よく考えてみれば、現実にはむしろそのほうが当たり前なのかもしれません。
私などは、街を歩いている見知らぬ人々も、外見上の多少の違いはあれど、結局は自分と似たような生活をして、似たようなことを考えている、いわば自分の同類みたいなものであると、勝手に思い込んでしまっているところがあるように思います。
しかし、やはり現実の世界のすべてが、一個人の小さな常識と判断力でカバーできる範囲に収まっているはずがないわけで、インドに限らず、日本でも、他人とは異なる奇抜な生活をしていたり、世間では知られていない特殊な仕事についていたり、周囲の人が思いもよらない目的をもって行動しているような人も、きっと身の周りには大勢いるのでしょう。
私たちは、自分の知らないことや理解できないものに対しては、なかなか注意力が働かないものなので、実際に目の前には面白いものや不思議なものがいくらでも転がっているのに、それはほとんど透明な存在として、そのまま見過ごされてしまっているのかもしれません。
ところで、インドのアンガディアの場合は、ダイヤモンドという、誰もがその貴重さを知っているモノを運んでいるわけで、だからこそ、その存在を周囲から隠す必要があるわけですが、世の中にはきっと、実は高価だけれど、普通の人にはその価値を計りがたいために注目もされず、けっこう無造作に運ばれているようなモノもかなりあるのでしょう。
それに、モノではなく、頭の中のアイデアとかヒラメキ、あるいは専門的な知識や実務能力など、実際に手に取ったり見たりすることはできないけれど、大きな潜在的価値を秘めた貴重な財産が、世界中で毎日ごく普通に街を行き来しているわけです。
朝の混雑する列車の中で、私たちが隣り合わせている人は、巨大なダイヤでも太刀打ちできないような、莫大な価値を秘めたアイデアを頭の中に持ち運んでいるのかもしれません。しかし、神のような、すべてを見通す目を持ち合わせていない私たちは、それに気がつくこともなく、そのまま互いにすれ違っているのでしょう……。
JUGEMテーマ:日記・一般
2011.11.15 Tuesday
『銀河ヒッチハイク・ガイド』
評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
このところ、現実世界では暗いニュースばかりが続き、なかなか明るく前向きな気持ちになれないので、少しでも気分を変えようと、昔から名前だけは聞いていたSFコメディの名作、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んでみることにしました。
この作品については、ウィキペディアに(ネタバレを含む)かなり詳しい紹介があります。興味のある方はそちらを見ていただきたいのですが、物語の冒頭でいきなり地球が破壊されてしまい、ただ一人生き残った平凡なイギリス人が、「銀河ヒッチハイク・ガイド」現地調査員の宇宙人と一緒に銀河系を放浪するという、とんでもないストーリーです。
ウィキペディア 「銀河ヒッチハイク・ガイド」
最初は単なるドタバタ劇かと思ったのですが、SFらしくスケールの大きな仕掛けや予想外の展開に驚かされ、ブラックな笑いや宇宙的ナンセンスに脱力し、そして妙に人間くさい宇宙人たちのキャラクターを楽しんでいるうちに、独特の世界に引き込まれていました。
原書は1979年の刊行で、もう30年以上も前の作品ですが、新しい翻訳のおかげもあってか、今読んでも古さを感じません。
それにしても、やっぱりコメディはいいなあと思います。
鋭い皮肉も、残酷なまでのナンセンスも、強引な物語の進行も、ユーモラスで飄々とした語り口のおかげで抵抗なく受け入れられるし、ヘタをすれば虚無的になってしまいそうな内容が、笑いのおかげでうまく中和されている気がします。
私はSFというものをほとんど読んだことがないので、膨大なSFの作品群の中で、この本がどのような位置を占めるのかよく分からないのですが、他にも名作と呼ばれる作品を、いろいろ読んでみたいという気持ちになりました。
できれば、あまりシリアスなものではなく、少しでも笑える作品を……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
このところ、現実世界では暗いニュースばかりが続き、なかなか明るく前向きな気持ちになれないので、少しでも気分を変えようと、昔から名前だけは聞いていたSFコメディの名作、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んでみることにしました。
この作品については、ウィキペディアに(ネタバレを含む)かなり詳しい紹介があります。興味のある方はそちらを見ていただきたいのですが、物語の冒頭でいきなり地球が破壊されてしまい、ただ一人生き残った平凡なイギリス人が、「銀河ヒッチハイク・ガイド」現地調査員の宇宙人と一緒に銀河系を放浪するという、とんでもないストーリーです。
ウィキペディア 「銀河ヒッチハイク・ガイド」
最初は単なるドタバタ劇かと思ったのですが、SFらしくスケールの大きな仕掛けや予想外の展開に驚かされ、ブラックな笑いや宇宙的ナンセンスに脱力し、そして妙に人間くさい宇宙人たちのキャラクターを楽しんでいるうちに、独特の世界に引き込まれていました。
原書は1979年の刊行で、もう30年以上も前の作品ですが、新しい翻訳のおかげもあってか、今読んでも古さを感じません。
それにしても、やっぱりコメディはいいなあと思います。
鋭い皮肉も、残酷なまでのナンセンスも、強引な物語の進行も、ユーモラスで飄々とした語り口のおかげで抵抗なく受け入れられるし、ヘタをすれば虚無的になってしまいそうな内容が、笑いのおかげでうまく中和されている気がします。
私はSFというものをほとんど読んだことがないので、膨大なSFの作品群の中で、この本がどのような位置を占めるのかよく分からないのですが、他にも名作と呼ばれる作品を、いろいろ読んでみたいという気持ちになりました。
できれば、あまりシリアスなものではなく、少しでも笑える作品を……。
本の評価基準
以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。
★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします
JUGEMテーマ:読書
2011.11.08 Tuesday
旅の名言 「ヒマでヒマでしょうがなくて……」
僕は旅はスピードが大切なのだと思っている。乗り物には様々なスピードがあるが、僕にとって飛行機はあまりにも速すぎるのだ。バスは遅いので退屈することが多いのだが、退屈さを僕はそれほど嫌ってはいない。ヒマでヒマでしょうがなくて、あくびを千回ぐらいすると、やっと旅の進行時間になじんでくる。そんなとき初めて、自分は旅をしているのだなあと実感するのだ。
例えば北京から上海まで千五百キロの道のりがある。飛行機で飛べばわずか三時間の距離だが、列車で行くと二泊三日の旅である。千五百キロの移動時間が三時間では、僕にとっていかにも短すぎるのである。しかし三日ならピンとくる。確かに三時間で行くのは便利には違いないが、千五百キロの距離を実感できない。ということは、そこを旅行したことにならない。
三日間の旅行中、僕は次々に通りすぎる様々な生活の風景を眺めるだろう。気候が変化すること、言葉が変わっていくこと、いろいろなことを感じながら、充分に納得して上海に到達できるのである。それが僕にとっての旅そのものなのだ。
さっきも書いたように、それが必ずしも面白いとは限らない。逆につまらないことも多い。しかし、それは仕方がないのだ。何をやったって面白いこともあれば、そうでないこともある。全部ひっくるめて、ああ面白かったなあと思えるのが陸路の旅なのである。
『スローな旅にしてくれ』 蔵前 仁一 幻冬舎文庫 より
この本の紹介記事
バックパッカー向けの旅行専門誌『旅行人』を主宰する蔵前仁一氏の旅のエッセイ、『スローな旅にしてくれ』からの引用です。
蔵前氏は、「僕が飛行機を嫌いな理由」という文章の中で、いろいろ大変だし退屈なことも多いと知りつつ、あえて陸路の旅を選ぶ理由のひとつとして、「旅のスピード」を挙げています。
たぶん多くの旅行者は、自分の住んでいる街から旅の目的地まで一気に飛ぶことができれば、時間の節約になるばかりか、道中の余計な手間もトラブルも避けられるし、旅のおいしいところだけを存分に楽しんで帰ってこられるのではないかと思うはずです。
つまり、旅をスピード・アップし、面倒なプロセスはできる限り省略し、旅のハイライトだけに時間と注意力を集中することが、旅を有意義なものにしてくれるはずだと考えるのではないでしょうか。
実際、人間は長年にわたって、速くて安全で、しかも安価な移動手段を追い求めてきたし、仕事にせよ娯楽にせよ、どこか遠く離れた場所に移動しなければならないときには、道中の面倒や苦痛や退屈をいかに減らすかということにいつも心を砕いてきました。
しかし、蔵前氏や、陸路の旅にこだわる多くのバックパッカーの場合は、必ずしもそうは考えないようです。
彼らが街から街へと移動するとき、列車やバスの車窓を流れていく異国の風景を眺め、気候や言葉の変化を感じとり、移動した距離を自分なりに「実感」することができなければ、「そこを旅行したことにはならない」というのです。
もちろん、旅には人それぞれの楽しみ方というものがあるので、どちらが優れているとか、どちらが正しいという話ではありません。
むしろこれは、旅に何を求め、何を優先するかという、人それぞれの価値観の反映なのだと思います。
ある旅人は、鉄道やバスで移動する間の、ヒマでヒマでしょうがない、何とも手持ち無沙汰な時間みたいなものは、意味のない時間の浪費であり、苦痛だと感じるでしょう。そういう人は、何とかして旅からそういう空白をなくし、自分の持ち時間のすべてを何らかのエンターテインメントや意味のある行為で埋めたいと思うかもしれません。
一方で、そうした空白に思えるような時間こそ、むしろ、「旅の進行時間」になじんでいく大切なプロセスであり、退屈したりつまらなかったりとネガティブに感じることも含めて、それをそのまま受け止めることが、「自分は旅をしているのだなあ」という実感、ひいては、それら「全部ひっくるめて、ああ面白かったなあ」という、旅への深い満足感へとつながるのだと考える人もいるのです。
それにしても、「ヒマでヒマでしょうがなくて、あくびを千回ぐらいすると、やっと旅の進行時間になじんでくる」というのは、旅の時間を心から愛する、旅の達人ならではの名言だと思います。
ところで、格安航空券が普及した現在、鉄道やバスだけで旅することは、交通費や宿泊費のトータルで比べると、飛行機で目的地まで一気に飛ぶよりもはるかに高額になるし、肉体的にしんどいし、トラブルで旅が停滞するリスクもあります。また、蔵前氏が書いているように、いつも面白いことばかり起きるわけでもありません。
私もかなり長いあいだ、陸路にこだわった旅を続けていましたが、今になって思えば、軽快でスマートな旅を楽しむ人々を横目に見ながら、バックパッカーはこうあるべきという変なプライドで、ほとんど意地でやっていた部分もあるような気がします。
それでも、異国の見知らぬ人々とボロボロのバスにすし詰めになり、最大ボリュームで流される現地の流行歌を繰り返し聞かされ、ガタガタ揺られ、埃や雨風を浴び、ときには故障で立ち往生しながら、いつたどり着くのかも、どんな場所かもわからない目的地へじりじりと進んでいくとき、やはり私も、「自分は旅をしているのだなあ」という強烈な実感を、体全体で味わっていたのでしょう。
まあ、私の場合、バスの旅にこだわっていたのは、根が貧乏性で、たんにスマートな旅が似合わないだけだからなのかもしれませんが……。
記事 「アジアのバス旅(1)」
JUGEMテーマ:旅行
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