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「ドカ買い」の裏側

先日、ネット上でちょっと面白い記事を見かけました。

ダイヤモンド・オンライン  【“北京・上海のセレブ”は幻想だった? 日本で中国人観光客の「ドカ買い」が消えた理由】

中国からの団体ツアー客が、東京の量販店などで商品を買いまくる姿は、ここ数年、テレビではおなじみの光景ですが、上の記事によると、昨年の秋ごろから、そうした「ドカ買い」が影をひそめつつあり、その原因は、中国側の税関検査の厳格化にあるのではないかという内容です。

それまでは、 「個人利用することを目的に購入した外国製品」を持ち込んだり郵送したりするのは、ほぼフリーパスだったため、中国では、自分の欲しい商品を海外渡航者に買ってきてもらい、その見返りに手数料を払う、「代購」というシステムが普及していたのだそうです。

旅行者は、この仕組みをうまく使えば、割のいい小遣い稼ぎができるわけですが、目先のきく人間が、そうした機会を放っておくわけがありません。

やがて、旅先で商品を買いつけて自分の店で売りさばいたり、ネットオークションに出品するなど、免税措置を利用した「密輸」が横行するようになったというのです。

私たちがテレビで見ていたあの映像は、観光客がみやげ物を選んでいるのではなく、実は、自営業者が時間を惜しんで仕入れに励む姿だったのかもしれません。

ここ数年日本各地で、来店する中国人観光客を「セレブ、セレブ」と下にも置かない歓迎ぶりだったが、このドカ買いは個人の財布の中身を使うのではなく、「業務用」や「販売用」としての、単なる他人からの「一時預り金」だった、ということになる。もっといえば、「日本への経済効果」として歓迎していたドカ買いは、密輸行為に他ならなかったのである。

もちろん、中国人旅行者がすべて密輸をしていたわけではないだろうし、実際に、自分や友人知人のためのみやげ物を「ドカ買い」していた小金持ちも、一定数いるのは確かでしょう。

それでも、旅行者の中には、「代購」でけっこうな収入を得ていたちゃっかり者もいれば、ビジネス100%のいわゆる「運び屋」も混じっていただろうことは想像できます。

現代のごく一般的な日本人には、旅先で買ったモノを帰国後誰かに売りさばいたり、見知らぬ他人の依頼で何かを買いつけてくるような習慣はないと思うので、こういう話はなかなかピンとこないのですが、ルールがルールでないような世界で生きている、利にさとい人々は、少しでもおいしい機会を見つけたら、それが一時的なものだろうが何だろうが、とにかく稼げるうちに稼ごうと考えて、すぐに行動に移してしまうのでしょう。

「運び屋」といえば、かつてアジアを旅していた頃、国境地帯で当局の目を盗みながら、タバコなどの細々としたものを大量に持ち込む人々をよく見かけました。

あるいは、一昔前なら、開発途上国に向かうバックパッカーが、持ち込んだ電器製品やブランド品、自分が使い古した品物などを市場で売り払い、結果的に運び屋の役割を演ずることもありました。

そして、そういう非公式な流通ルートは、冷戦後のグローバリゼーションの進展とともに徐々に廃れ、今ではもっと大規模で、効率的な流通システムに取って代わられたのだと思い込んでいました。

しかし、少なくとも日中間に関しては、そういう世界がまだまだ健在だった、というよりはむしろ、インターネットと格安航空の普及によって、非公式の流通ルートが息を吹き返したといえるのかもしれません。

ところで、上の記事によれば、税関の締めつけが厳しくなったのは、密輸の防止だけではないようで、経済成長の減速で落ち込んだ税収をカバーする側面もあるようです。

庶民がルールの抜け穴を嗅ぎつけて「おいしい」商売に群がれば、今度はそれが、政府にとっても「おいしい」商売になるというわけです。

もっとも、そうなれば、「運び屋」稼業のうまみがなくなり、商売人は撤退してしまうので、結果的に税収増につながるかどうかは分かりませんが……。

ただ、いずれにしても、中国の国内には、外国製品を安く手に入れたいという需要が相変わらず存在しているはずで、そのうちに誰かが、課税を回避しながらそれらを持ち込む別のやり方を思いつき、それがまた、クチコミやネットによって普及していくことになるかもしれません。

当局は、やがてそれを捕捉し、課税するでしょうが、さらにまた誰かが別のやり方を考え出すという形で、人々と当局とのイタチゴッコは、終わることなく続くのでしょう……。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 18:37, 浪人, つれづれの記

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過去の記事の管理

先日、このブログの昔の記事をたまたま見る機会があったのですが、記事の一部がうまく表示されていないことに気づき、調べてみたら、他の記事にも不具合が見つかったので、修正作業を行いました。

具体的には、紹介する本の写真が所定の位置に表示されないというもので、たぶん、何年か前に、ブログサービス側で仕様の変更があったときに、それ以前の記事に不具合が生じ、そのまま気づかずに放置されていたようです。

まあ、不具合といっても軽微で、本文には何の影響もなかったとはいえ、何年も気づかなかったというのは、ふだんきちんとメンテナンスしてないのがバレバレで、ちょっと情けないものがあります。

ブログでは、いちおう日付順に記事が並んではいますが、実際にその順序で読む人などほとんどいないでしょう。むしろ、検索エンジンを使って、条件に合う記事にダイレクトに飛んでいく人の方が多いと思います。

そうなると、記事が新しいか古いかは、読む人にとってはほとんど関係がないし、昔の記事が管理不良で読みにくければ、やはり興ざめだろうと思うので、何年前の記事であっても、ネット上に残しておくのであれば、きちんと管理するのが理想なのでしょう。

ただ、問題なのは、昔の記事に何か不具合が生じていても、なかなかそれに気づかないことです。

完璧を期するなら、新旧さまざまなブラウザでどのように見えているかを含め、自分のブログを読者側の視点から定期的にチェックするべきなのでしょうが、ブログがビジネスとして成り立っているならともかく、小さな個人ブログの管理者としては、さすがにそこまでするのは面倒です。

また、本や雑誌のように、パラパラめくって全体をざっと把握するようなことができないので、時間とともに記事がたまれば、それに比例して、メンテナンスの手間も増えていきます。

それに、人によっては、自分がずっと前に書いた記事を目にすれば、書き直したい誘惑にも駆られるでしょう。しかし、いったんそんなことを始めたら、収拾がつかなくなるに違いありません。

書き手の立場からすれば、たぶん、一度公開してしまった記事は、見直さず、過去は過去として、どんどん忘れてしまうのが一番なのでしょうが、今回のようなことがあるので、完全に放置しておくわけにもいきません。まあ、書いた本人以外にしてみれば、どうでもいい問題かもしれませんが、ちょっとしたジレンマではあります。

現実的な方法を考えるなら、ブログの仕様変更とか、何らかの環境の変化があったときだけ、少しだけ時間を割いて、過去の記事をランダムにチェックしてみる、というくらいが妥当なところでしょう。

それにしても、ブログというメディアがこの世界に現れてまだ数年しか経っていない現時点では、過去の記事をどうやって管理するかという問題は、それほど注目されていないと思いますが、今後十年、二十年と経てば、その間ずっとブログを続ける人も出てくるでしょうし、そうなれば、個人ブログでも、記事の累計が何千、何万という数になってしまうこともあり得ます。

そうなったら、一つひとつの記事を見直すことなど現実的に不可能だし、あるいはまた、記事の書き手が突然亡くなったりして、膨大な記事がそのままネット上に放置され、幽霊船のように少しずつ朽ち果てていくような事態も、これからは少しずつ出てくるのではないでしょうか。

未来のことは、もちろん私には分かりませんが、数年後には、そういう問題をふまえて、自分がネット上に公開したすべての情報を分かりやすく管理したり、また、本人に何かあったときには、身近な誰かに、その管理権限を自動的に移すことができるシステムが利用されるようになるかもしれません。

あるいは逆に、ネット上にあまりにも大量の情報があふれかえり、昔の情報は見向きもされず、そのまま放っておかれるのが当たり前になって、何年、何十年も前の記事をわざわざ発掘し、それを分析するのは、歴史学者みたいな一部の人間だけのすることになっているかもしれません……。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 18:36, 浪人, つれづれの記

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