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2012.06.27 Wednesday
「海外ニート」という発想
最近、ネットの世界の一部では、「ノマドワーキング」のような、ネットを活用した自由な仕事のスタイルとか、新しい生活のあり方をめぐって、賛否を含めたさまざまな議論がされているようです。
はてなキーワード 「ノマドワーキング」
しかし、その多くは、より自由な仕事や生活を実現しつつ、現状の生活レベルも維持するなんてことができるだろうか、一部の才能ある人間を別にすれば、やっぱりそれは難しいんじゃないかという結論になりがちのようです。
そんな中、ネット上で、ちょっと面白い記事を見かけました。日本で暮らすという前提を外してみれば、「ノマド」的な仕事や生活にも、いろいろな可能性が開けるのではないかというものです。
BLOGOS 大石哲之 【「海外ニート」という怪物】
具体的には、物価の安い国に生活の拠点を移せば、月数万円で暮らせるので、そのくらいなら、ネットを使って稼いだり、誰かに援助してもらえるかもしれない、そうすれば、日本での高い生活費をまかなうために、長い時間必死で働く必要もなく、「海外ニート」生活を満喫できるのではないかというアイデアです。
いちおう話の裏づけとして、大石氏は、フィリピンのセブ島を例に、そこでの生活費を大ざっぱに試算しています。その詳細に興味のある方は、記事の本文を読んでみてください。
もっとも、彼自身は実際にセブ島で暮らしたわけではないようだし、こうしたアイデア自体も、実はそれほど斬新なものではありません。
バックパッカー・スタイルの旅が好きで、できればずっと旅を続けたいと願う人なら、似たようなことを一度くらいは考えたことがあるはずです。
実際、世界各地でバイトをしながら半永久的に放浪を続ける、旅の鉄人みたいな人は昔から存在するし、最近では、日本で集中的に旅費を稼ぎ、あとは物価の安い国でのんびり過ごす、いわゆる「外こもり」というライフスタイルを実践する人も、かなりの数にのぼると言われています。
下川裕治著 『日本を降りる若者たち』(「外こもり」に関するルポ) の紹介記事
「外こもり」の人々が、その生活費を日本でまとめて稼ぐのに対し、大石氏のいう「海外ニート」の場合は、それを(あまりキツくない)ネットからの継続的な収入に置き換えようというアイデアだといえるかもしれません。
ただ、アフィリエイトやデイトレードなど、ネットで小遣い稼ぎをしながら海外を放浪するというアイデアについても、実はすでに何人もの旅人が試みています。それがうまくいっているかどうかはともかく、ネット上を探せば、そうした人々の体験を、ブログなどで読むことができるでしょう。
それと、かりに「海外ニート」的な暮らしが成り立つとしたら、それはいわゆる「ニート」の範疇に入るのだろうかという疑問もあります。
すべての生活資金を他人に頼り、どこでどんな暮らしをしたらいいか、誰かにすべてお膳立てしてもらうならともかく、月数万円の生活費を自力で捻出し、ビザや移動手段の手配、滞在先に関する情報収集や選定をすべて自力で行い、さらに、国際情勢に応じて、住む場所や生活レベルを柔軟に変えていけるなら、それは自分の力で立派に生き抜いているわけで、もはや「ニート」とは呼べないのではないかと思います。
ウィキペディア 「ニート」
しかも、公の援助を当てにせず、何らかの組織にもしがみつかず、この世界的な大競争時代の中で、グローバル化のメリットを活用しつつ、地球上のどこかに自分の居場所を見出していこうというのなら、それはむしろ、人並み以上に主体的な生き方の一つとさえ言えるかもしれません。
ところで、「外こもり」にせよ、「海外ニート」にせよ、外国では観光ビザでの滞在になるので、ビザの期限や発給条件に応じて、滞在する国を数か月ごとに変えていく必要があります。
大石氏は、例えば3つの国にそれぞれシェアハウスを作って、その間を定期的に移動するというアイデアを出していますが、そこまで面倒なことをしなくても、現地には格安のゲストハウスやツーリスト向けのアパートがあります。
そういうところを利用すれば、仲間を募って物件を確保したり、ルールを決めてメンテナンスしたり、互いに滞在期間を調整したりといった制約もなく、もっと自由に動けるし、もっとオープンな人間関係を築くこともできるでしょう。
もっとも、「海外ニート」同士が、お互いの利益のために、いろんな国に自分たちの生活拠点を築き、それぞれを緊密なネットワークで結びつけていくなら、そこからは、さらに面白い動きが生まれるかもしれません。
それはともかく、こうした生き方が、中長期的にうまくいくのか、あるいは、どこかに予想もつかないような落とし穴があるのか、誰にもはっきりとしたことは言えません。
物価の安い国なら、今のところ月数万円で充分暮らせるとはいえ、それだけの額を、ネット上で継続的に稼ぎ続けられるかは分からないし、こうしたライフスタイルの前提となる日本円の強さにしても、それがそのままの状態であり続ける保証はないからです。
また、生活費と収入がほぼ等しい状態では、病気やケガ、政変や災害による緊急避難など、不測の事態に見舞われたときの余裕がなく、すぐに生活が行き詰まる可能性があります。さらに、歳をとると、常に移動し続ける暮らしが、だんだんしんどくなってきます。
そして、一番の問題は、こういうライフスタイルだと、子供を育てることができないか、きわめて困難だろうということです。
つまり、「海外ニート」のアイデアは、基本的に、若い独り者が何とか生き延びられる、最低ラインの生き方を示しているだけで、ある程度余裕をもって生活するためには、それに加えた何か、つまり、個人的にもっと稼ぐか、仲間や他の人々と生活を支えあうための、何らかの仕組みが必要になってきます。
実際のところ、大石氏も、今、社会の中でそれなりの仕事や居場所を持っている人に、あえて「海外ニート」になることを勧めているわけではありません。現状で、ニートかそれに近い生活環境にあって、自分にはこれ以上失うものがないと割り切れる人なら、こういう考え方もアリだよ、という話にすぎないのです。
しかし、よく考えてみれば、いま自分に何らかの居場所とか収入源があるといっても、それがいつまで有効なのか、いつまで頼りにできるのか、はっきりと見通せる人などいないはずです。
国とか組織とか親族を当てにして、いまの生活がずっと続く前提で人生設計を思い描くのではなく、これから先の10年、20年は何が起こるか分からないと覚悟して、もっと柔軟に、あらゆる可能性に目を向けておきたいと思うなら、こういうちょっと極端なアイデアも、多様な選択肢の一つとして、頭の片隅に入れておく価値はあるかもしれません……。
記事 「旅と生業(なりわい)のジレンマ(1)」
記事 「21世紀のスナフキン」
JUGEMテーマ:旅行
はてなキーワード 「ノマドワーキング」
しかし、その多くは、より自由な仕事や生活を実現しつつ、現状の生活レベルも維持するなんてことができるだろうか、一部の才能ある人間を別にすれば、やっぱりそれは難しいんじゃないかという結論になりがちのようです。
そんな中、ネット上で、ちょっと面白い記事を見かけました。日本で暮らすという前提を外してみれば、「ノマド」的な仕事や生活にも、いろいろな可能性が開けるのではないかというものです。
BLOGOS 大石哲之 【「海外ニート」という怪物】
具体的には、物価の安い国に生活の拠点を移せば、月数万円で暮らせるので、そのくらいなら、ネットを使って稼いだり、誰かに援助してもらえるかもしれない、そうすれば、日本での高い生活費をまかなうために、長い時間必死で働く必要もなく、「海外ニート」生活を満喫できるのではないかというアイデアです。
いちおう話の裏づけとして、大石氏は、フィリピンのセブ島を例に、そこでの生活費を大ざっぱに試算しています。その詳細に興味のある方は、記事の本文を読んでみてください。
もっとも、彼自身は実際にセブ島で暮らしたわけではないようだし、こうしたアイデア自体も、実はそれほど斬新なものではありません。
バックパッカー・スタイルの旅が好きで、できればずっと旅を続けたいと願う人なら、似たようなことを一度くらいは考えたことがあるはずです。
実際、世界各地でバイトをしながら半永久的に放浪を続ける、旅の鉄人みたいな人は昔から存在するし、最近では、日本で集中的に旅費を稼ぎ、あとは物価の安い国でのんびり過ごす、いわゆる「外こもり」というライフスタイルを実践する人も、かなりの数にのぼると言われています。
下川裕治著 『日本を降りる若者たち』(「外こもり」に関するルポ) の紹介記事
「外こもり」の人々が、その生活費を日本でまとめて稼ぐのに対し、大石氏のいう「海外ニート」の場合は、それを(あまりキツくない)ネットからの継続的な収入に置き換えようというアイデアだといえるかもしれません。
ただ、アフィリエイトやデイトレードなど、ネットで小遣い稼ぎをしながら海外を放浪するというアイデアについても、実はすでに何人もの旅人が試みています。それがうまくいっているかどうかはともかく、ネット上を探せば、そうした人々の体験を、ブログなどで読むことができるでしょう。
それと、かりに「海外ニート」的な暮らしが成り立つとしたら、それはいわゆる「ニート」の範疇に入るのだろうかという疑問もあります。
すべての生活資金を他人に頼り、どこでどんな暮らしをしたらいいか、誰かにすべてお膳立てしてもらうならともかく、月数万円の生活費を自力で捻出し、ビザや移動手段の手配、滞在先に関する情報収集や選定をすべて自力で行い、さらに、国際情勢に応じて、住む場所や生活レベルを柔軟に変えていけるなら、それは自分の力で立派に生き抜いているわけで、もはや「ニート」とは呼べないのではないかと思います。
ウィキペディア 「ニート」
しかも、公の援助を当てにせず、何らかの組織にもしがみつかず、この世界的な大競争時代の中で、グローバル化のメリットを活用しつつ、地球上のどこかに自分の居場所を見出していこうというのなら、それはむしろ、人並み以上に主体的な生き方の一つとさえ言えるかもしれません。
ところで、「外こもり」にせよ、「海外ニート」にせよ、外国では観光ビザでの滞在になるので、ビザの期限や発給条件に応じて、滞在する国を数か月ごとに変えていく必要があります。
大石氏は、例えば3つの国にそれぞれシェアハウスを作って、その間を定期的に移動するというアイデアを出していますが、そこまで面倒なことをしなくても、現地には格安のゲストハウスやツーリスト向けのアパートがあります。
そういうところを利用すれば、仲間を募って物件を確保したり、ルールを決めてメンテナンスしたり、互いに滞在期間を調整したりといった制約もなく、もっと自由に動けるし、もっとオープンな人間関係を築くこともできるでしょう。
もっとも、「海外ニート」同士が、お互いの利益のために、いろんな国に自分たちの生活拠点を築き、それぞれを緊密なネットワークで結びつけていくなら、そこからは、さらに面白い動きが生まれるかもしれません。
それはともかく、こうした生き方が、中長期的にうまくいくのか、あるいは、どこかに予想もつかないような落とし穴があるのか、誰にもはっきりとしたことは言えません。
物価の安い国なら、今のところ月数万円で充分暮らせるとはいえ、それだけの額を、ネット上で継続的に稼ぎ続けられるかは分からないし、こうしたライフスタイルの前提となる日本円の強さにしても、それがそのままの状態であり続ける保証はないからです。
また、生活費と収入がほぼ等しい状態では、病気やケガ、政変や災害による緊急避難など、不測の事態に見舞われたときの余裕がなく、すぐに生活が行き詰まる可能性があります。さらに、歳をとると、常に移動し続ける暮らしが、だんだんしんどくなってきます。
そして、一番の問題は、こういうライフスタイルだと、子供を育てることができないか、きわめて困難だろうということです。
つまり、「海外ニート」のアイデアは、基本的に、若い独り者が何とか生き延びられる、最低ラインの生き方を示しているだけで、ある程度余裕をもって生活するためには、それに加えた何か、つまり、個人的にもっと稼ぐか、仲間や他の人々と生活を支えあうための、何らかの仕組みが必要になってきます。
実際のところ、大石氏も、今、社会の中でそれなりの仕事や居場所を持っている人に、あえて「海外ニート」になることを勧めているわけではありません。現状で、ニートかそれに近い生活環境にあって、自分にはこれ以上失うものがないと割り切れる人なら、こういう考え方もアリだよ、という話にすぎないのです。
しかし、よく考えてみれば、いま自分に何らかの居場所とか収入源があるといっても、それがいつまで有効なのか、いつまで頼りにできるのか、はっきりと見通せる人などいないはずです。
国とか組織とか親族を当てにして、いまの生活がずっと続く前提で人生設計を思い描くのではなく、これから先の10年、20年は何が起こるか分からないと覚悟して、もっと柔軟に、あらゆる可能性に目を向けておきたいと思うなら、こういうちょっと極端なアイデアも、多様な選択肢の一つとして、頭の片隅に入れておく価値はあるかもしれません……。
記事 「旅と生業(なりわい)のジレンマ(1)」
記事 「21世紀のスナフキン」
JUGEMテーマ:旅行
2012.06.15 Friday
旅の名言 「勘に従って……」
この、勘、というやつを私はかなり信用している。何気なく通りをぶらついていて、食べもの屋の前を通った瞬間、勘が体内でわめきたてることが、旅をしていると多々ある。混んでいるとかいないとか、安そうだとか高そうだとか、いっさい関係ない。実際、勘がどんなにわめき立てようと、入りにくい店というのは歴然としてある。自分は薄汚れた短パン姿なのに、真っ白いクロスがまぶしい高級店には入りづらいし、地元の酔っぱらいでぎゅうぎゅうに混んでいる店も、入るにはかなり勇気が要る。勘なんてあてにならないや、と言い訳するように、勘のいっさい働かない別の店で食事をすると、やっぱりあまりおいしくない。「ほーらごらん」と勘があざ笑う。勘に従って勇気を奮い起こし「えいやっ」と店に入る。不思議なことに、こういう店で供される料理はじつにうまい。はずれたことがない。
『いつも旅のなか』 角田光代 角川文庫 より
この本の紹介記事
人気作家、角田光代氏の旅のエッセイ 『いつも旅のなか』からの引用です。
見知らぬ国を旅していると、朝・昼・晩に、どこで何を食べるかというのはけっこう重要な問題です。
ふだんの生活なら、おいしいものがどこで手に入るか知っているので、その日の気分や予算に応じて、近所の食堂に入るなり、スーパーで食材を買うなりすればいいのですが、異国の地では往々にして、目の前の食べ物を口にするまで、それがどんな味なのかすら分からなかったりします。
それは、好奇心旺盛な旅人なら、期待とスリルに満ちた素晴らしい体験だろうし、まさにそのために旅に出る人もいるのでしょうが、逆に、そういう状況が旅の間ずっと続くことに、ストレスを感じる人もいるでしょう。
しかし、どう思うにせよ、人は誰でも腹が減るようにできています。旅人は、面倒だろうが不安だろうが、一日に何度か知らない街に繰り出して、店を選び、料理を選び、それを実際に口にしてみるしかありません。
そして、そんなときのためにこそ、ガイドブックがあります。そこには高い店から安い店まで、地元の名物からおなじみのファストフード・チェーン店まで、旅人の予算や事情に合わせたさまざまな店の情報が載っています。
また、バックパッカーでにぎわう安宿街なら、欧米風の料理を出す店がいくつもあるので、とりあえずそうした店に行けば、それほど美味くはなくても、そこそこ予想の範囲内のものを食べられるでしょう。
せっかくの旅で、嫌な思いをしたくないという人は、多少カネはかかっても、ガイドブックが勧める有名どころのレストランを選ぶことになるだろうし、疲れたバックパッカーなら、宿の近くのツーリスト・カフェとか、英語メニューのある安食堂など、他の旅行者が行きそうなところで適当に手を打ちたいと思うのではないでしょうか。
そしてもちろん、そうすることに何も問題はありません。
ただ、もしも旅人が、何か新鮮な体験を求めていて、気力・体力にもそれなりの余裕があるのなら、角田氏のように、勘、つまり自分の直感的な判断力を信頼し、それに従ってみることで、自分では予想もしなかったような、感動的な味にめぐり会えるかもしれません。
同じことは、食事だけでなく、宿の選択とか旅先での行動、旅の目的地など、他のあらゆることについても言えるのだと思います。
もっとも、すべての旅人が、最初から彼女のようにうまくいくとは限らない、ということは知っておいた方がいいかもしれません。
角田氏の勘は、「体内でわめきたてる」というくらい、はっきりと感じられるようだし、その勘が外れることもないようですが、そこに至るまでには、長年にわたる経験を通じて、自分の勘との信頼関係を築き上げてきたのだろうと思います。
子供の頃からずっと直感に従ってきた人ならともかく、他人のアドバイスとか、ガイドブックやインターネットの情報に頼ったり、安心・安全を優先することに慣れてしまった人には、自分の直感が、そもそもどんな風に感じられるかもおぼつかないだろうし、慣れないうちは、思考・妄想と直感をとり違える、文字どおりの「勘違い」をすることもあるでしょう。
それに、いくら勘に従うといっても、角田氏が書いているように、「入りにくい店」にあえて入るのには、ちょっとした勇気も必要です。
まあ、このあたりは、外国人なら多少場違いなことをしても許されると開き直り、時には大失敗などしでかしつつ、自分の勘とその結果を検証するサイクルを繰り返すことで、勘とのつき合い方のコツを、少しずつ学んでいくしかないのでしょう。
ところで、私はといえば、食事に関して、人並み以上の勘は持ち合わせていません。
それは、旅先でおいしいものを食べたい、という気持ちがそれほど強くないからではないかという気がします。
たしかに、とんでもなくマズイとか、体に悪そうなものを食べるのは嫌ですが、腹が減っていれば、そこそこの食事で満足できてしまうので、食べることに関して、勘を磨く機会がなかったということでしょうか。
食事にしても、他のどんな分野にしても、そこにどれだけ強い欲求があるかというのが、勘を研ぎ澄ますための重要なカギなのかもしれません……。
JUGEMテーマ:旅行
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