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2012.08.30 Thursday
危険なイメージと実際の危険
先日、ルーマニアのブカレスト近郊で、日本人女性が殺害される痛ましい事件がありました。
報道によれば、被害者は、深夜の空港から鉄道駅に向かおうとして、声をかけてきた地元の男性と一緒にタクシーに乗ってしまったようです。
この事件を、決して他人事ではないと思った旅人は多いのではないでしょうか。
実際に、個人で海外を旅したことのある人なら、男性・女性に関係なく、空港から市内へのアクセスは旅の第一関門で、特に初めての国では、非常に神経を使う場面だということは知っているはずです。
その一方で、そうした場面で起こりうるトラブルには、いくつかのパターンがあることも確かです。
トラブルを100パーセント防ぐのは不可能だし、あらゆるリスクを想定して、常に神経を張り詰めていたら、旅を楽しむどころではなくなってしまいますが、そこまでしなくても、ガイドブックなどを読んで、主なトラブルのパターンを頭に入れておき、それらを避けるように心がけるだけでも、旅のリスクをはるかに軽減できるでしょう。
旅人の中には、自分なら深夜の空港でどう行動するだろうか、あるいは、そうなる以前に、自分ならどういう旅程にするかなど、事件を機に、いろいろと考えてみた人もいるのではないでしょうか。
ただ、海外を個人で自由に旅する人というのは、旅行者全体の中で、決して多数派ではありません。
多くの人は、事件の報道に接することで、よく分からないけど個人旅行は危険らしいという、漠然としたイメージを強めることになったのではないかという気がします。
それに関して、ネットでこんな記事を見かけました。
Chikirinの日記 【日本人は平和ボケしてるから、海外で殺される?】
タイトルはちょっと刺激的ですが、内容は冷静で、外務省の統計資料を引きつつ、私たちが海外について、実際以上に危険だというイメージを抱いているのではないかと指摘しています。
統計によれば、旅行者および在留日本人のうち、海外で亡くなるのは年間500〜600名(2011年は592名)ですが、その大半は傷病が原因(同、409名)です。
ほかに、事故・災害(同、104名)、自殺(同、63名)とありますが、犯罪による死亡者は、2011年の場合、14名となっています。
この数字だけでは何ともいえないのですが、Chikirinさんは、年間の海外旅行者数や海外在住者数に対する割合などをざっくりと計算したうえで、日本国内と比較しても、犯罪による死者が極端に多いとはいえないのではないか、としています。
私も、ちょっと意外に思ったので、統計資料に実際に目を通してみました。
海外法人援護統計(外務省の「海外安全ホームページ」からもリンクがあります)
少し細かい話になりますが、資料の冒頭に、この統計では、「在外公館が実際に援護を実施した事案のみ計上」している旨の但し書きがあります。
大使館が対応しなかったような、小さな事件は統計に含まれていないということなのでしょうが、殺人や死亡事故などの重大なケースでは、まず間違いなく対応するはずなので、統計に載らない死者が他にいる可能性はないと思われます。
それと、旅をしていると、各国の安宿街などで、行方不明者の情報提供を呼びかける張り紙を見かけることがありますが、日本人の行方不明者はどれくらいいるのでしょうか。
確認してみると、2011年の場合、(新たに)行方不明となった人は6名とあります。
これも、イメージしていたよりずっと少なく感じられます。
行方不明者の場合、統計の数字に反映されないケースは、いくつかあるかもしれません。
例えば、旅行者がすでに日本の親族や知り合いと音信不通になっていれば、かりに消息を絶っても、誰にも気づかれず、届け出もされないという可能性はあります。
しかし、さすがに、そういうケースが毎年大量に発生しているということはないでしょう。
私の頭の中では、何となく、死者や行方不明者はもっと多いようなイメージがあったのですが、実際は、そうではないようです。
きっと、国内に比べて、海外で起きた事件の方が報道されやすく、扱いも大きくなるので、そうしたニュースに何度も接しているうちに、実際よりもずっと危険だという印象を抱いてしまったのでしょう。
考えてみれば、私たちが日常的にものごとを判断するとき、統計的な視点というのは、ほとんど考慮されていないように思います。
私も、Chikirinさんの記事をきっかけに、統計資料を見て初めて、自分の抱いていたイメージが、実際とはかなりズレているかもしれないと気づきました。
統計には、信頼できるデータを積み上げることで、五感だけではとらえられない物事の性質や傾向を、ロジカルに把握できるという利点があります。
旅にかぎらず、日常生活のさまざまな側面でも、個人的な経験とか、他者からの伝聞によって作り上げられたイメージに頼りすぎず、こうした統計的な視点からもチェックを入れる習慣を身につけておいた方がいいのかもしれません。
とはいえ、私たち一人ひとりの人生が、統計や確率の問題ではないのも確かです。
あるネガティブな出来事が、百万人に一人にしか起きない稀なケースであるとしても、誰かに起きるのであれば、それは自分かもしれません。
また、命を奪われないにしても、被害者が負傷したり、精神的に深いダメージを受けるような事件がその数倍あるということは、忘れてはならないと思います。
ちなみに、犯罪被害による負傷者は181名(2011年)ですが、実際に怪我をしなくても、心に何らかの傷を負った人はさらに多いはずです。
事件や事故を恐れ、過剰に警戒するあまり、旅がつまらなくなってしまっては本末転倒ですが、やはり、ある程度の注意は払うべきだし、保険加入や防犯グッズなど、事前に対策をとれるものについては、費用と効果のバランスを考えたうえで手を打っておくべきでしょう。
冒頭でも触れたように、空港など、旅人が狙われやすい場所やタイミングでは、主なトラブルのパターンを頭に入れて警戒を怠らず、一方で、気を抜いてもいい場面ではリラックスして楽しむなど、メリハリをうまくつけるようにすれば、旅を満喫できるのではないでしょうか。
もっとも、警戒モードのスイッチをどこで入れて、どこで切ればいいのか、その切り替えが自然にできるようになるためには、結局のところ、何度か旅をして、それなりのトラブルも乗り越え、各自がその経験から学ぶしかないのでしょうが……。
記事 旅の名言 「気をつけて、でも……」
JUGEMテーマ:旅行
報道によれば、被害者は、深夜の空港から鉄道駅に向かおうとして、声をかけてきた地元の男性と一緒にタクシーに乗ってしまったようです。
この事件を、決して他人事ではないと思った旅人は多いのではないでしょうか。
実際に、個人で海外を旅したことのある人なら、男性・女性に関係なく、空港から市内へのアクセスは旅の第一関門で、特に初めての国では、非常に神経を使う場面だということは知っているはずです。
その一方で、そうした場面で起こりうるトラブルには、いくつかのパターンがあることも確かです。
トラブルを100パーセント防ぐのは不可能だし、あらゆるリスクを想定して、常に神経を張り詰めていたら、旅を楽しむどころではなくなってしまいますが、そこまでしなくても、ガイドブックなどを読んで、主なトラブルのパターンを頭に入れておき、それらを避けるように心がけるだけでも、旅のリスクをはるかに軽減できるでしょう。
旅人の中には、自分なら深夜の空港でどう行動するだろうか、あるいは、そうなる以前に、自分ならどういう旅程にするかなど、事件を機に、いろいろと考えてみた人もいるのではないでしょうか。
ただ、海外を個人で自由に旅する人というのは、旅行者全体の中で、決して多数派ではありません。
多くの人は、事件の報道に接することで、よく分からないけど個人旅行は危険らしいという、漠然としたイメージを強めることになったのではないかという気がします。
それに関して、ネットでこんな記事を見かけました。
Chikirinの日記 【日本人は平和ボケしてるから、海外で殺される?】
タイトルはちょっと刺激的ですが、内容は冷静で、外務省の統計資料を引きつつ、私たちが海外について、実際以上に危険だというイメージを抱いているのではないかと指摘しています。
統計によれば、旅行者および在留日本人のうち、海外で亡くなるのは年間500〜600名(2011年は592名)ですが、その大半は傷病が原因(同、409名)です。
ほかに、事故・災害(同、104名)、自殺(同、63名)とありますが、犯罪による死亡者は、2011年の場合、14名となっています。
この数字だけでは何ともいえないのですが、Chikirinさんは、年間の海外旅行者数や海外在住者数に対する割合などをざっくりと計算したうえで、日本国内と比較しても、犯罪による死者が極端に多いとはいえないのではないか、としています。
私も、ちょっと意外に思ったので、統計資料に実際に目を通してみました。
海外法人援護統計(外務省の「海外安全ホームページ」からもリンクがあります)
少し細かい話になりますが、資料の冒頭に、この統計では、「在外公館が実際に援護を実施した事案のみ計上」している旨の但し書きがあります。
大使館が対応しなかったような、小さな事件は統計に含まれていないということなのでしょうが、殺人や死亡事故などの重大なケースでは、まず間違いなく対応するはずなので、統計に載らない死者が他にいる可能性はないと思われます。
それと、旅をしていると、各国の安宿街などで、行方不明者の情報提供を呼びかける張り紙を見かけることがありますが、日本人の行方不明者はどれくらいいるのでしょうか。
確認してみると、2011年の場合、(新たに)行方不明となった人は6名とあります。
これも、イメージしていたよりずっと少なく感じられます。
行方不明者の場合、統計の数字に反映されないケースは、いくつかあるかもしれません。
例えば、旅行者がすでに日本の親族や知り合いと音信不通になっていれば、かりに消息を絶っても、誰にも気づかれず、届け出もされないという可能性はあります。
しかし、さすがに、そういうケースが毎年大量に発生しているということはないでしょう。
私の頭の中では、何となく、死者や行方不明者はもっと多いようなイメージがあったのですが、実際は、そうではないようです。
きっと、国内に比べて、海外で起きた事件の方が報道されやすく、扱いも大きくなるので、そうしたニュースに何度も接しているうちに、実際よりもずっと危険だという印象を抱いてしまったのでしょう。
考えてみれば、私たちが日常的にものごとを判断するとき、統計的な視点というのは、ほとんど考慮されていないように思います。
私も、Chikirinさんの記事をきっかけに、統計資料を見て初めて、自分の抱いていたイメージが、実際とはかなりズレているかもしれないと気づきました。
統計には、信頼できるデータを積み上げることで、五感だけではとらえられない物事の性質や傾向を、ロジカルに把握できるという利点があります。
旅にかぎらず、日常生活のさまざまな側面でも、個人的な経験とか、他者からの伝聞によって作り上げられたイメージに頼りすぎず、こうした統計的な視点からもチェックを入れる習慣を身につけておいた方がいいのかもしれません。
とはいえ、私たち一人ひとりの人生が、統計や確率の問題ではないのも確かです。
あるネガティブな出来事が、百万人に一人にしか起きない稀なケースであるとしても、誰かに起きるのであれば、それは自分かもしれません。
また、命を奪われないにしても、被害者が負傷したり、精神的に深いダメージを受けるような事件がその数倍あるということは、忘れてはならないと思います。
ちなみに、犯罪被害による負傷者は181名(2011年)ですが、実際に怪我をしなくても、心に何らかの傷を負った人はさらに多いはずです。
事件や事故を恐れ、過剰に警戒するあまり、旅がつまらなくなってしまっては本末転倒ですが、やはり、ある程度の注意は払うべきだし、保険加入や防犯グッズなど、事前に対策をとれるものについては、費用と効果のバランスを考えたうえで手を打っておくべきでしょう。
冒頭でも触れたように、空港など、旅人が狙われやすい場所やタイミングでは、主なトラブルのパターンを頭に入れて警戒を怠らず、一方で、気を抜いてもいい場面ではリラックスして楽しむなど、メリハリをうまくつけるようにすれば、旅を満喫できるのではないでしょうか。
もっとも、警戒モードのスイッチをどこで入れて、どこで切ればいいのか、その切り替えが自然にできるようになるためには、結局のところ、何度か旅をして、それなりのトラブルも乗り越え、各自がその経験から学ぶしかないのでしょうが……。
記事 旅の名言 「気をつけて、でも……」
JUGEMテーマ:旅行
2012.08.18 Saturday
旅の名言 「ひとりバスに乗り……」
ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。そのひとつの思いに深く入っていくと、やがて外の風景が鏡になり、自分自身を眺めているような気分になってくる。
バスの窓だけではない。私たちは、旅の途中で、さまざまな窓からさまざまな風景を眼にする。それは飛行機の窓からであったり、汽車の窓からであったり、ホテルの窓からであったりするが、間違いなくその向こうにはひとつの風景が広がっている。しかし、旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景の中に、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。そのとき、それが自身を眺める窓、自身を眺める「旅の窓」になっているのだ。ひとり旅では、常にその「旅の窓」と向かい合うことになる。
『旅する力 ― 深夜特急ノート』 沢木 耕太郎 新潮社 より
この本の紹介記事
旅行記の名作『深夜特急』の著者が、その元になった1970年代のユーラシアの旅や、『深夜特急』執筆のプロセスを、自らの半生とともに振り返るエッセイ、『旅する力』からの引用です。
バスに限らず、列車や飛行機、あるいは船に乗って、窓の外を流れていく景色を眺めるのは、旅人にとって、もっとも旅を実感できる時間だといえるかもしれません。
とはいえ、ひとりで長時間の移動をするときは、地元の乗客が話しかけてでもこないかぎり、そんな時間が延々と続くことになります。
誰でも最初のうちは、エキゾチックな風景に目を奪われ、旅の実感に心を躍らせることでしょうが、さすがにそれが何時間、何日と続けば、次第に好奇心もすり減ってきて、やがて、ただぼんやりと、窓の外に目を向けるようになっていきます。
それは一見したところ、ヒマを持て余し、何か生産的なことを考えるでもなく、ボケーッとした放心状態に陥っているように見えますが、沢木氏は、そうしてぼんやり眼をやった風景の中に、自分自身の内面を見ているのだといいます。
たしかに、絶えず現れては消えていく光景、すべてが留まることなく移ろっていくさまを、ひたすら眺め続けるという体験は、旅人を、日常とは違った、別の意識状態に切り替えさせる力をもっているのかもしれません。
ちなみに、沢木氏は、ベトナム旅行記『一号線を北上せよ』でも、同じようなことを書いています。
記事 旅の名言 「窓の外の風景を……」
窓の外の風景を眺めている私は、水田や墓や家や木々に眼をやりながら、もしかしたら自分の心の奥を覗き込んでいるのかもしれない。カジノでバカラという博奕をやりながら、伏せられたカードではなく自分の心を読んでいるのと同じように、流れていく風景の向こうにある何かに眼をやっているのかもしれない。
沢木氏にとって、車窓を流れていく風景というのは、意識のモードを切り替え、自分の心の奥に目を向けさせてくれる、一種の瞑想装置のような役目を果たしているのでしょう。
哲学者のアラン・ド・ボトン氏も、『旅する哲学』の中で、似たような体験について書いています。
記事 旅の名言 「旅は思索の……」
何時間か列車で夢見ていたあと、わたしたちは自分自身に戻っていたと感じることがある――それはつまり、自分にとって大切な感情や考えに接触するところまで引き返していたということなのだ。わたしたちが本当の自分に出会うのに、家庭は必ずしもベストの場とは言えない。家具調度は変わらないから、わたしたちは変われないと主張するのだ。家庭的な設定は、わたしたちを普通の暮らしをしている人間であることに繋ぎ止めつづける。しかし、普通の暮らしをしているわたしたちが、わたしたちの本質的な姿ではないのかもしれないのだ。
私たちは、「本当の自分」に出会いたいとつねに切望しているにもかかわらず、日常の生活においては、それをなかなか実現することができません。
テレビやケータイを切ったり、日常の雑事をいったん棚上げにして、自分の心の奥底を覗き込もうとしても、よほど瞑想に熟練した人でもなければ、ささいな心配事やら、心の中の絶え間ないおしゃべりに翻弄されるばかりで、かえってうんざりしてしまうことも多いのではないでしょうか。
しかしなぜか、ひとり旅先で乗り物に揺られ、窓から景色を眺めていると、意図せずいつのまにか、自分の心の奥に触れているような気がします。
もしかすると、ほどほどのエキゾチックさと、適度な退屈さがバランスした景色とか、体に伝わるリズミカルな揺れといった要素が、旅人の注意や集中力をほどよい状態に保つことで、ふだんは自分が心の奥深くにしまい込んでいる、大切な「何か」に触れることを可能にしているのかもしれません。
ただ、通勤や買い物のために移動するようなときには、なかなかそういう体験を味わえないことを考えると、やはり、旅をしているという実感、つまり、日常の世界から遠く離れた解放感とか、ひとりで見知らぬ場所にいるという感覚が、日常的な心のおしゃべりを静め、そうした体験を生み出すことに大きく貢献しているように思います。
そう考えると、知らない土地でバスや列車に乗り、窓の外を眺めるという行為には、たんなる移動中の暇つぶしというだけでなく、人を日常の思考回路から解放し、意識を別のモードに切り替え、旅人自身の「大切な感情や考え」に触れさせる、ある種の儀式のような側面もあるのではないでしょうか。
もっとも、それはとても繊細なプロセスのようです。
私も、アジアでバス旅をしていたときには、オンボロのバスで朝から晩まで悪路を走るような旅にヘトヘトになりながら、それでもまたバスに乗りたくなるという、不思議な中毒性のようなものを感じていましたが、当時は、自分に何が起きているのか、沢木氏のようにうまく表現することができませんでした。
たぶん、多くの旅人にも、彼のいう「旅の窓」を通して、何か大切なものに向き合っているという感覚は、あまりないのではないかという気がします。
だからこそ、多くの人は、移動の時間はできるだけ短いほうがいいと考えるのだろうし、移動中も、誰かと話したり、何かのエンターテインメントに集中して、万が一にもぼんやり過ごすことのないように、必死で時間を埋めようとするのかもしれません……。
JUGEMテーマ:旅行
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