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googleとリキシャワラー

先日、ネットで面白い記事を読みました。

googleが、運転手のいらない、完全自動走行車の開発を行なっているのは有名ですが、彼らはその先に、次世代の公共交通を格安で提供するビジネスを夢見ているのではないか、という内容です。

coconutsfine 【googleが自動運転自動車で狙っているもの】

これまでgoogleは、検索、地図、ルート案内、自動走行など、さまざまな技術を開発・提供してきましたが、それらを組み合わせれば、近い将来、ユーザーが必要なときにその場で呼び出せる、無人タクシーのサービスが実現するかもしれません。

googleが、バスやタクシーに代わる乗り物として、自動走行車を街中に走らせるというイメージです。

ユーザーは、目的地に関する情報収集から、実際の移動、料金の支払いまで、一連の行動のすべてを、googleのプラットホーム上でシームレスに行うことができるようになるだろうし、google側は、ユーザーの詳細な行動情報を取得し、広告を表示するのと引き換えに、そのサービスを、格安または無料で提供するかもしれません。

もちろん、これはあくまで、coconutsfineさんの想像であって、googleが自動走行技術をどのようなビジネスに結びつけるのかは、実際にそれが姿を現すまでは全くわかりません。

ただ、私も、「無人タクシー」はあり得ない話ではないと思うし、むしろ、今は夢のように聞こえるこういうアイデアが、けっこうすぐに実現してしまいそうな気もします。

もっとも、こういう革新的なビジネスが現実になれば、既存の業界が巨大なインパクトを受けるのは確実ですが……。

それにしても、私が上の記事を読んだとき、なぜか頭に浮かんだのは、インドのリキシャ(三輪自転車のタクシー)とリキシャワラー(リキシャのこぎ手)の姿でした。

ほこりっぽいインドの田舎町で、痩せこけたオッサンが汗を流し、キイコキイコとペダルを踏み込むあの後姿が、しきりに思い出されたのです。
記事 「リキシャワラーの背中」

最先端の技術を結集した無人タクシーと、ローテクの極みのようなインドのリキシャが、私の中で、どうして重なって見えたのでしょうか。

もしかするとそれは、どちらも、客側の意思決定や行動にあれこれと干渉してくる感じが、どこか似ているように感じられたからなのかもしれません。

ご存知の方も多いと思いますが、インドでリキシャに乗るには、それなりの心構えや慣れが必要です。

まず、乗る前に料金交渉をしなければならないので、現地の料金相場を知り、値段交渉のテクニックを多少は身につけておく必要があります。また、乗った後でも、金額でもめることがあるので、目的地に着いてカネを払い終えるまでは気が抜けません。有名な観光地の周辺では、リキシャワラーが、みやげ物屋や安宿からもらえるコミッションを目当てに、たのんでもいない場所に客を無理やり連れていってしまうこともあります。

彼らにしてみれば、相場を知らない旅行者からぼったくったり、コミッションをもらう方が楽に稼げるので、カモだと見るや、ついそうしたくなるのでしょう。客の指示に従うどころか、目的地を勝手に変えたり、交渉結果を一方的に反故にしたりと、実に人間的というか、自由というか、とにかく彼らのペースに振り回されないよう、冷静に、かつ断固として目的地に向かわせるのは、なかなか骨が折れます。

もちろん、彼らは常にトラブルメーカーというわけではなく、コツをつかんでうまく駆け引きできれば、ちょっとした移動の際にとても役に立ってくれます。リキシャに乗れれば、暑い中、バックパックを背負って長い距離を歩く必要もないし、地元の情報に精通した彼らから、耳寄りな話を教えてもらえるかもしれません。

一方で、もしも近い将来、googleの無人タクシーが実現するとしたら、そこには、そうした前時代的で人間くさい交渉とか、うっとうしい干渉とか、予想外のハプニングみたいなものは一切ないでしょう。むしろ、初めてサービスを利用する人でも不安を感じないような、とても便利で安全で、分かりやすいシステムになるはずです。

ただ、そうしたサービスが、かりに広告収入によって支えられるものになるとしたら、サービスの仕組みの中に、広告主の意向が微妙に入り込んでくる可能性があります。

ユーザーは、実際に無人タクシーに乗り込む前に、どこに行って何をするべきか、googleの助けを借りて検討することになるでしょうが、すでにその段階で、検索結果に関連する広告が表示されていたり、そもそも、検索結果自体が、ユーザーの過去の行動履歴を反映したものになっているはずです。

ユーザー側としては、すべての判断を主体的に行なっているつもりでも、その判断の前提となる情報や、判断をしていくプロセス自体に、すでに何らかの色がつけられている可能性があるのです。

もちろんそれは、客の意向などおかまいなく、みやげ物屋に無理やり連れていくリキシャワラーのような、あからさまなやり方ではないし、むしろ逆に、ユーザーの行動履歴や好みによって個別にカスタマイズされ、かゆいところに手が届くような提案をしてくれる、素晴らしいサービスである可能性の方が高いでしょう。

それでもやはり、それは非常にソフトで好ましい形ではあっても、ユーザーの判断に干渉し、その行動を何らかの方向に微妙に誘導するようなものになるのではないでしょうか。

考えてみれば、今の公共交通機関、たとえば、飛行機や鉄道、バスといったものは、いずれも基本的に、出発地点から目的地まで、客を安全・確実に移動させるという目的だけに徹しています。航空会社は、飛行機に乗る前、客が何をしていたかは関知しないし、バスを降りたあと、客がどのレストランに入るかも、バス会社の知ったことではありません。

一方で、googleが無人タクシーを運営するとしたら、それは、単なる移動手段の提供ではなく、ユーザーがいつ、何のためにそこへ行ったかという詳細なデータを収集するためでもあります。

そして、そうしたデータは、他のいくつものサービスを通じて集められた膨大な個人情報と統合されることで、ユーザーの日常生活のさまざまな場面において、適切なアイデアや選択肢を適切なタイミングで提示し、ユーザーの意思決定や行動をトータルでサポートするために活かされることになるでしょう。

googleが、有能で忠実な秘書として、ユーザーとつねに行動をともにし、必要なら運転手の役割も演じるといった感じでしょうか。

それはきっと、どっぷり浸かればとても便利で快適な世界なのでしょう。ただ、それは同時に、生活に関わるすべてのデータを握られ、ユーザーの行動パターンや好みに応じた、魅力的な商品を四六時中提案され、常に消費への誘惑にさらされ続けることでもあります。

インドのリキシャのような、実に人間くさい乗り物では、ときに、客の意向ではなく、リキシャワラーの意向に客が従わされるという本末転倒が起こり得ますが、近未来の無人タクシーも、そこに人間はいないにもかかわらず、おすすめの行動プランとか、おすすめの目的地という形で、微妙に人間くさい押しつけがましさを発揮するようになるのではないかという気がします。

結局のところ、リキシャも無人タクシーも、スポンサーという第三者が関わっていて、その利害関係が入り込んでくるという点では本質は同じで、その表れ方が、乱暴なほどに直截的か、ソフトで洗練されているかの違いに過ぎないのかもしれません。

インドでリキシャに乗るためには、それなりの心構えや慣れが必要なように、近未来の便利で快適なサービスを受け入れつつ、それを主体的に使いこなすためには、やはりその仕組みに対する理解や心構えが必要になってくるのでしょう。



2012年のブログ更新は、これで最後になります。

今年一年、どうもありがとうございました。

来年もまた、このブログを、どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、皆様、よいお年を……。


JUGEMテーマ:インターネット

at 18:47, 浪人, ネットの旅

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