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受け継がれる後ろ姿

もうずいぶん昔のことですが、私が尊敬するある方が亡くなったあと、ご子息とお会いする機会がありました。

その場に集まった大勢の人たちと故人を偲び、最後にみんなで記念写真でも、ということで、ご子息の後ろに並んだのですが、その方の後ろ姿というか、何気ない体の動かし方が、亡くなった方のまさに生き写しで、思わずハッとしたことが、今でもはっきりと記憶に残っています。

そこには、まるで、故人がその場にいるような生々しさがありました。

人の外見などが遺伝することはもちろん、親の生活習慣や価値観なども、ある程度まで子供に受け継がれるのは常識として知っていましたが、本人も気づいていないような微妙なしぐさ、体の動かし方のクセのようなものまでが、親子で伝わっているのを見たのはそれが初めてでした。

もっとも、それも多くの人にとっては常識に属することで、単に私の観察力が鈍すぎたために、今までそれに気づかず、勝手に驚いただけなのかもしれませんが……。

それはともかく、そういうそっくりなしぐさというのは、親から子へと、どんなメカニズムで伝わっていくのでしょう?

遺伝として、人々の意思に関わりなく、自動的に伝わってしまうものなのでしょうか。それとも、親の行動パターンが、幼い子供に無意識のうちに刷り込まれていくのでしょうか。

専門家ではない私に、その結論を出せるはずもありませんが、あくまでも個人的な推測だけで言えば、何となく、後者であるような気がします。

幼い子供が、周りの人々の言動から、さまざまなことを吸収していく能力にはすさまじいものがあるので、ふだん身近に接している人々の言葉づかいだけでなく、微妙な体の動かし方を、そっくりそのままコピーしてしまうこともあり得るのではないでしょうか。

そして、そうやって幼い時に身につけたしぐさが、本人にもほとんど意識されることなく、大人になっても残っていたりするのかもしれません。

ところで、私の記憶にあるかぎりでは、そのご子息と面と向かっていたときには、外見に父親の面影は感じても、しぐさまで似ているとは思いませんでした。

父親そっくりのしぐさを見たのは、その方の後ろに立っていたときだけです。

考えてみれば、前から見た姿というのは、本人も、鏡を通して毎日のように見ています。つまり、そこに映っているものを本人が自覚し、コントロールする余地があるわけです。

かりに、親から受け継がれた特徴的な表情やしぐさがあったとしても、子供が歳を重ね、少しずつ自我を確立していく過程で、それは、本人が「自分らしさ」として認める表情やしぐさによって、少しずつ覆い隠され、消えていくのかもしれません。

しかし、自分の後ろ姿までコントロールできる人は、さすがにほとんどいないでしょう。

もしかすると、後ろ姿というのは、本人にとってはほとんど盲点で、だからこそ、幼い頃に身につけたもの、つまり親の行動パターンのコピーが、そのままの形で残ったりするのかもしれません。

ここから先は、ほとんど私の妄想に過ぎませんが、そうして、人の後ろ姿に映し出されるものには、重い意味があるような気がします。

親から子へと受け継がれるものとして、たぶん多くの人は、家や財産のように経済的な価値のあるもの、一族の家訓や親の教えのように精神的に価値あるもの、家族の思い出や愛情のこもったメッセージなど感情的に価値あるものを思い浮かべるだろうと思います。

もちろんその他にも、子供が家業を継ぐような場合には、具体的な仕事の方法とか、この世界で自力で稼いでいくためのノウハウなどを受け継ぐこともあるでしょう。

でも、そうしたものよりも、親の日頃の生活習慣とか、四六時中繰り返している行動パターンみたいなものの方が、実は、子供に与える影響はずっと強いのではないかと思うし、そうした生活習慣の基礎となる、体を無意識に動かすパターンは、もっと重大な影響を与える気がするのです。

人間は、自分にとって大事だと思うことを、大事な人に伝えたいと思って、人生における重要な瞬間に、自分なりのベストな方法でそれを表現しようとするものですが、そうやって伝わったと思うものは、あくまでその人のうわべに過ぎず、本質的な部分は、好むと好まざるとにかかわらず、本人も全く意識していない日頃の行動の積み重ねの中で、しっかりと相手に伝わってしまうのではないでしょうか。

自分でも気づいていないような微妙なしぐさは、意識して取り繕う余地がないために、そこには、その人のありのままの生き方、生きる姿勢のようなものが、そのまま映し出されているように思います。

そして、幼い子供は親のそうしたしぐさを正確にコピーすることで、言葉や生活習慣よりもずっと強力で、決定的な形で、親の「生き方」のエッセンスを、しっかり受け継いでしまうのかもしれません。

あの、よく使われるけれど今ひとつわかりにくい、「背中で教える」という表現も、それに近いことを言っているのではないかという気がします。

そこまで考えたとき、ふと、あのご子息が見せた微妙なしぐさは、そもそも、父親の「オリジナル」だったのだろうかという疑問が湧いてきました。

それは、もしかすると、その方の遠いご先祖様の時代から、子供たちによってコピーされ、少しずつパターンを変えながら代々受け継がれてきた、遺産としての「後ろ姿」だったのかもしれません。

そして、その遺産は、それぞれの世代の生きざまを反映して、微妙に変化しつつ、未来の世代へと引き継がれていくのかもしれません。

もしそうなら、私にも、自分では気がついていない、そういう「後ろ姿」があるのでしょうか? はるか昔のご先祖様から脈々と伝えられ、見る人が見ればそれと分かるような、独特の「後ろ姿」が……。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 19:04, 浪人, つれづれの記

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