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2013.07.25 Thursday
ガンジーのお札とインド経済
かつて、インドを旅していたとき、田舎で50ドルや100ドルを両替すると、高額の紙幣が足りないのか、50ルピー札を何十枚も渡されたり、10ルピー100枚の分厚い札束を出されたりすることがありました。
記事 「1ルピーの価値」
札束はホッチキスで無造作に止めてあるだけなので、本当に100枚あるかは、実際に数えてみないと分かりません。ニセ札とか、ボロボロで使えない紙幣が混じっている可能性もあります。それらをいちいちチェックするのも手間でしたが、それ以上にインパクトがあったのは、紙幣に描かれたマハトマ・ガンジーの肖像でした。
札束をめくっていると、不思議な微笑をたたえた老人の顔が、あとからあとから目に飛び込んできて、何だか催眠にでもかけられているような、奇妙な気分になってきます。
どのお札にも同じ人物が描かれているという点では、例えば、タイ・バーツなどもそうなのですが、インド・ルピーの場合は、ガンジーの素朴すぎる身なりとあの微笑が、他の国の紙幣とは明らかに違う、独特の雰囲気をかもし出しているのです。
それはきっと、お札を見た瞬間、人類の歴史に残る超有名人、まさにスーパースターとしてのガンジーのイメージが、私の心の中で強烈に呼び覚まされるからなのでしょう。
ガンジーが提唱・実行した、非暴力・不服従という新しい社会運動のあり方は、当時の世界を大きく変えたし、今なお世界を変え続けています。彼の断食による抵抗や、素朴で禁欲的な暮らしも、社会のリーダーとして異彩を放つものです。
ウィキペディア 「マハトマ・ガンディー」
インド滞在中、ヒマを持て余したときなど、10ルピー札を取り出し、ガンジーの肖像を眺めては、彼がなしとげた偉業について、思いをはせてみたこともありました。
そういう点では、多くの旅行者にとっても、ガンジーのお札に触れることは、エキゾチックでインド的な体験のひとつとして、印象深い思い出になるといえるかもしれません。
一方、インドの国民は、常日頃から、お金のやりとりをするたびにあの紙幣を目にするわけです。お札に描かれたガンジーの顔は、彼らにどのような印象を与えているのでしょうか?
それについて直接聞いてみたことはありませんが、インドの人たちは、子供のころから、学校などを通じて、ガンジーの偉業やその人物像を、私たち日本人とは比べものにならないほど詳しく、徹底して教え込まれているはずです。
彼は、インド独立の父であるとともに、その清貧のイメージも人々の記憶に刻まれています。別の言い方をすれば、インドは、ガンジーという象徴を通じて、国のありかたの根底に、清貧のイメージが結びつけられています。
紙幣に描かれたガンジーの肖像は、人々の心に、そうしたイメージを呼び起こすはずです。それはあまりにも頻繁で自然なことなので、いちいち意識はされないかもしれませんが、とにかくインドの国民は、カネのやり取りをするたびに、ガンジーが象徴する素朴な生活のイメージを、心の奥で強化し続けているのかもしれません。
だとしたら、インド人は、カネを使って美味しいものを食べたり、ちょっといいモノを買ったりするたびに、ガンジーのお札が目に入り、心の中では、自分の欲求と清貧のイメージとが葛藤を引き起こすのではないでしょうか。それは、物質的な欲求の充足を、心の底からは肯定できない気持ちだったり、心のどこかに感じる痛みだったりするのかもしれません。
日本にも、欲を戒める仏教の教えとか、第二次大戦直後の窮乏生活の記憶があり、物欲に走ることに、ためらいを感じる人もいるとは思いますが、そういうことは、学校で徹底して教えられることはないし、むしろ、カネを使ってささやかな幸せを手に入れる程度のことに、いちいち罪悪感を覚える人はほとんどいないのではないかと思います。
しかし、インドの人々は、毎日ガンジーの顔を見るたびに、彼が数十年前、自らの生き方を通じて示した、消費社会とは違う社会のあり方を思い起こすだろうし、それは、経済成長によって、昨日よりももっと快適な生活を手に入れていこうとする欲望に、心のどこかでブレーキをかけてしまうのではないでしょうか。
もちろん、これは私の妄想にすぎません。
インド経済は、最近、あまり元気がないと言われていますが、その原因は紙幣のデザインにあるというより、いわゆる先進諸国の経済危機とか、インド国内の強い規制やカースト制度、エネルギー需給の逼迫など、もっともらしい理由をいくらでも挙げられるでしょう。
それに、インドにも、ガンジーの思想や生き方など全く眼中になく、ひたすらカネ儲けに邁進したり、カネの力で可能な限りの快楽を手に入れたいという人間は、いくらでも存在するのだろうと思います。
それでも、インドに生まれた以上、そうした人々がどれだけ忘れようと、無視しようと、ガンジーのイメージは心のどこかに生き続けていて、それは、ことあるごとに、自分たちの生き方への疑問や葛藤となって、浮かび上がるきっかけを待っているのではないでしょうか。
それはともかく、現在の紙幣のデザインは、1990年代に登場した比較的新しいものなので、当局もその気になれば、ガンジーの清貧を連想させない、別のデザインに変えることはできるのかもしれません。
ただ、多様な言語や宗教、価値観のもとに生きる人々を、「インド人」として統合するうえで、今のところ、ガンジーを超える象徴となりうる人物はいないと思うし、現在のデザインも、そうした効果を狙っているはずです。ガンジーの清貧のイメージが、インドの経済成長にどれだけのマイナス効果を与えているかなんて、数字で測定できるはずもないし、そんなことで、せっかくのデザインが変更されることはないでしょう。
もっとも、インドには、最近の経済の停滞は、インド・ルピーの新しい通貨記号が不吉だからだと主張する人もいるようですが……。
ウィキペディア 「インド・ルピー」
しかし、近い将来、電子マネーが飛躍的に普及し、紙幣をやり取りする機会が激減すれば、ガンジーのお札は自然に人々の目に触れなくなり、それによってインド人も清貧の呪縛から解き放たれ、物欲の世界に思う存分浸れるようになるかもしれません。
ただし、たとえそうなっても、インド人がガンジーを忘れることはないでしょう。
いつの日か、ガンジーがすっかり過去の人物となり、その思想や行動が、人々の熱狂を呼び覚まさなくなる日がくるかもしれませんが、インドがインドであり続けるかぎり、あの偉大で愛すべきおじいちゃんのイメージは、インド人の心に永遠に刻まれ続けるだろうし、それは彼らの心の片隅で、静かにメッセージを発し続けるのだろうと思います。
JUGEMテーマ:旅行
記事 「1ルピーの価値」
札束はホッチキスで無造作に止めてあるだけなので、本当に100枚あるかは、実際に数えてみないと分かりません。ニセ札とか、ボロボロで使えない紙幣が混じっている可能性もあります。それらをいちいちチェックするのも手間でしたが、それ以上にインパクトがあったのは、紙幣に描かれたマハトマ・ガンジーの肖像でした。
札束をめくっていると、不思議な微笑をたたえた老人の顔が、あとからあとから目に飛び込んできて、何だか催眠にでもかけられているような、奇妙な気分になってきます。
どのお札にも同じ人物が描かれているという点では、例えば、タイ・バーツなどもそうなのですが、インド・ルピーの場合は、ガンジーの素朴すぎる身なりとあの微笑が、他の国の紙幣とは明らかに違う、独特の雰囲気をかもし出しているのです。
それはきっと、お札を見た瞬間、人類の歴史に残る超有名人、まさにスーパースターとしてのガンジーのイメージが、私の心の中で強烈に呼び覚まされるからなのでしょう。
ガンジーが提唱・実行した、非暴力・不服従という新しい社会運動のあり方は、当時の世界を大きく変えたし、今なお世界を変え続けています。彼の断食による抵抗や、素朴で禁欲的な暮らしも、社会のリーダーとして異彩を放つものです。
ウィキペディア 「マハトマ・ガンディー」
インド滞在中、ヒマを持て余したときなど、10ルピー札を取り出し、ガンジーの肖像を眺めては、彼がなしとげた偉業について、思いをはせてみたこともありました。
そういう点では、多くの旅行者にとっても、ガンジーのお札に触れることは、エキゾチックでインド的な体験のひとつとして、印象深い思い出になるといえるかもしれません。
一方、インドの国民は、常日頃から、お金のやりとりをするたびにあの紙幣を目にするわけです。お札に描かれたガンジーの顔は、彼らにどのような印象を与えているのでしょうか?
それについて直接聞いてみたことはありませんが、インドの人たちは、子供のころから、学校などを通じて、ガンジーの偉業やその人物像を、私たち日本人とは比べものにならないほど詳しく、徹底して教え込まれているはずです。
彼は、インド独立の父であるとともに、その清貧のイメージも人々の記憶に刻まれています。別の言い方をすれば、インドは、ガンジーという象徴を通じて、国のありかたの根底に、清貧のイメージが結びつけられています。
紙幣に描かれたガンジーの肖像は、人々の心に、そうしたイメージを呼び起こすはずです。それはあまりにも頻繁で自然なことなので、いちいち意識はされないかもしれませんが、とにかくインドの国民は、カネのやり取りをするたびに、ガンジーが象徴する素朴な生活のイメージを、心の奥で強化し続けているのかもしれません。
だとしたら、インド人は、カネを使って美味しいものを食べたり、ちょっといいモノを買ったりするたびに、ガンジーのお札が目に入り、心の中では、自分の欲求と清貧のイメージとが葛藤を引き起こすのではないでしょうか。それは、物質的な欲求の充足を、心の底からは肯定できない気持ちだったり、心のどこかに感じる痛みだったりするのかもしれません。
日本にも、欲を戒める仏教の教えとか、第二次大戦直後の窮乏生活の記憶があり、物欲に走ることに、ためらいを感じる人もいるとは思いますが、そういうことは、学校で徹底して教えられることはないし、むしろ、カネを使ってささやかな幸せを手に入れる程度のことに、いちいち罪悪感を覚える人はほとんどいないのではないかと思います。
しかし、インドの人々は、毎日ガンジーの顔を見るたびに、彼が数十年前、自らの生き方を通じて示した、消費社会とは違う社会のあり方を思い起こすだろうし、それは、経済成長によって、昨日よりももっと快適な生活を手に入れていこうとする欲望に、心のどこかでブレーキをかけてしまうのではないでしょうか。
もちろん、これは私の妄想にすぎません。
インド経済は、最近、あまり元気がないと言われていますが、その原因は紙幣のデザインにあるというより、いわゆる先進諸国の経済危機とか、インド国内の強い規制やカースト制度、エネルギー需給の逼迫など、もっともらしい理由をいくらでも挙げられるでしょう。
それに、インドにも、ガンジーの思想や生き方など全く眼中になく、ひたすらカネ儲けに邁進したり、カネの力で可能な限りの快楽を手に入れたいという人間は、いくらでも存在するのだろうと思います。
それでも、インドに生まれた以上、そうした人々がどれだけ忘れようと、無視しようと、ガンジーのイメージは心のどこかに生き続けていて、それは、ことあるごとに、自分たちの生き方への疑問や葛藤となって、浮かび上がるきっかけを待っているのではないでしょうか。
それはともかく、現在の紙幣のデザインは、1990年代に登場した比較的新しいものなので、当局もその気になれば、ガンジーの清貧を連想させない、別のデザインに変えることはできるのかもしれません。
ただ、多様な言語や宗教、価値観のもとに生きる人々を、「インド人」として統合するうえで、今のところ、ガンジーを超える象徴となりうる人物はいないと思うし、現在のデザインも、そうした効果を狙っているはずです。ガンジーの清貧のイメージが、インドの経済成長にどれだけのマイナス効果を与えているかなんて、数字で測定できるはずもないし、そんなことで、せっかくのデザインが変更されることはないでしょう。
もっとも、インドには、最近の経済の停滞は、インド・ルピーの新しい通貨記号が不吉だからだと主張する人もいるようですが……。
ウィキペディア 「インド・ルピー」
しかし、近い将来、電子マネーが飛躍的に普及し、紙幣をやり取りする機会が激減すれば、ガンジーのお札は自然に人々の目に触れなくなり、それによってインド人も清貧の呪縛から解き放たれ、物欲の世界に思う存分浸れるようになるかもしれません。
ただし、たとえそうなっても、インド人がガンジーを忘れることはないでしょう。
いつの日か、ガンジーがすっかり過去の人物となり、その思想や行動が、人々の熱狂を呼び覚まさなくなる日がくるかもしれませんが、インドがインドであり続けるかぎり、あの偉大で愛すべきおじいちゃんのイメージは、インド人の心に永遠に刻まれ続けるだろうし、それは彼らの心の片隅で、静かにメッセージを発し続けるのだろうと思います。
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