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ネットカフェの黄昏と旅の未来

少し前になりますが、バックパッカーが集まるバンコクのカオサン通り近辺で、ネットカフェが壊滅状態になっているという記事を読みました。
「3G +タブレット」でネット屋が大打撃 Traveler's Supportasia

旅行者の間でスマホやタブレットPCが急速に普及しているのが原因らしく、残ったネットカフェは、地元の子供たちがオンラインゲームで遊ぶ、ゲームセンターのような場所になっているそうです。

数年前、最新のスマホを片手に、ネットを駆使してスマートな旅を楽しむ「フラッシュパッカー」の出現がそれなりに話題になりましたが、今やそんな旅人はめずらしくもなく、むしろモバイル端末をもたない旅行者の方が、いちいち不便な思いをしかねない状況です。
ウィキペディア 「バックパッカー」の「バックパッキングの種類」参照

そして、これはバンコクに限らず、世界中で同時進行している現象なのでしょう。

思い返せば、十数年前、私が初めて長い旅に出た頃は、アジアの国々でインターネットを使える場所はわずかで、旅先で誰かと連絡をとろうと思ったら、高額な国際電話か、郵便局留めの手紙が頼りでした。

局留めを使う場合、数か月先に到着する国や街をあらかじめ決めておいて、その中央郵便局などを相手に知らせ、そこに手紙を送ってもらうことになります。ただし、手紙を保存してくれる期間は限られているので、受け取りたければ期日中にその街までたどり着くしかないし、郵便局に行っても、ずさんなお役所仕事で手紙が紛失していることもあります。
記事 「郵便局留から電子メールへ」

当時は、それ以外に方法がなく、実に面倒だと思いつつも、そうしたプロセスを繰り返していたのですが、旅が終わる頃になって、ネットカフェをちらほら見かけるようになりました。旅先で知り合った人に hotmail の使い方を教わり、その便利さに驚いた記憶がありますが、いつしかそれも当たり前となり、気がつけば、すでにネットカフェ自体が、旅人にとって時代遅れの存在になりつつあるというわけです。

旅人は今や、ゲストハウスの部屋の中でも、おしゃれなカフェでも、空港などの公共施設でも、ネットを楽しむことができます。別の言い方をすれば、あらゆる場所がネットカフェ化しつつあり、やがては、世界のどんな僻地でも、ネットに接続できるようになるかもしれません。

ただ、先ほどの記事にもあるように、パソコンの並んだ昔ながらのネットカフェも、完全に消え去ることはないだろうと思います。カオサン通りからは姿を消すとしても、今後しばらくの間は、地元の人々に重宝される存在として、別の場所でそれなりに生き残っていくのでしょう。

また、日本のネットカフェも、ネット利用の他にもさまざまな機能があるので、例えばマンガ図書館として、格安の宿泊施設として、あるいは辛い日常からのちょっとした逃げ場の一つとして、これからも、それなりの需要に応えていくのだろうと思います。
記事 「ネットカフェへの規制強化?」

それにしても、今後、ほとんどの旅人がモバイル端末を持ち歩き、常にネットで情報を得るようになれば、旅のあり方そのものが、昔とは劇的に違うものになっていくでしょう。

すぐに思いつくのは、食事や宿、みやげもの屋や観光地の選択に関して、旅行者の情報共有が急速に進むということです。

これまで、観光地といえば、通りすがりの旅行者を相手に、ボッタクリをしたり、劣悪なサービスを提供する店がつきものでした。ガイドブックも、そういう店を避けて気持ちよく旅する上で大いに役立ってきたとはいえ、改訂頻度や情報量の点で、完璧なものではありませんでした。

しかし、ネット上のレビューサイトにリアルタイムの情報が集まるようになり、旅行者は恐るべき情報力を手にするようになりました。それを有効に使うには多少のリテラシーは必要でしょうが、少しの手間をかけさえすれば、旅先での嫌な思いをかなり減らすことができます。

また、リアルタイムで翻訳・通訳してくれるネットサービスもどんどん進化しており、かなり使えるレベルになりつつあるようです。これもまた、旅の厄介ごとを劇的に減らし、旅をさらに楽しくしてくれるはずです。

もちろん、これらは、自由な旅を楽しむ個人旅行者にとって非常に良いことなのですが、一方で、便利で安全な旅が当たり前のようになっていくことには、個人的に、ちょっと引っかかるところがないわけではありません。

あまりにも快適になりすぎると、旅は手ごたえのない、日常の延長のようなものになってしまい、結果として、旅の魅力の一つである、困難や試練を乗り越えていくプロセスの面白さのようなものが失われるのではないかという気がするからです。

あの有名な『深夜特急』にも描かれているように、数十年前、ネットの情報はおろか、低予算の旅行者向けのガイドブックすら満足になかったころ、バックパッカーの旅は試行錯誤の連続だったようです。

私は、その頃の旅を直接体験したわけではありませんが、当時の旅行記を読むと、旅人たちは、まともな情報がない中で、互いに情報をやりとりし、周囲の状況を注意深く観察し、自分の知識と経験を総動員し、カンを研ぎ澄ませ、現地の言葉をできるだけ覚えてコミュニケーションを図り、それでも数々のトラブルに巻き込まれていました。しかし彼らは、必死にそれを乗り越えることで、旅人として鍛えられていったようです。

ときには、何とか命拾いをするような危険な体験もしたでしょう。彼らとしても、好きでそうしていたわけではないだろうし、別に、筋金入りの旅人になることが目標でもなかったとは思いますが、そうした経験は、旅を終えたあとも、人生を生き抜くスキルとしてそれなりに役に立っただろうし、世界の現実をさまざまな視点から見た経験は、目には見えないけれど、彼らの大きな財産になったのではないかという気がします。

そして、彼らははっきりそれと自覚していなかったとしても、そうやって数々の困難を乗り越えて旅を続けることに、密かな楽しみや人生の手応えのようなものを感じていたのではないかという気がするのです。

しかし、今は、そういう試練の旅みたいなものは流行らないのでしょう。

むしろ、多くの旅行者が、スマートに、軽々と世界を駆け回るようなスタイルに魅力を感じているのではないでしょうか。今では、ネットの情報を駆使し、優れたサービスをうまく利用すれば、かなりの安心・安全と、コストパフォーマンスの高い旅を実現できるし、そうした旅を求める傾向は、これからますます強くなっていくのだと思います。

ただ、それによって、旅人が非日常的な出来事に巻き込まれ、これまでの自分のあり方を激しく揺さぶられたり、追い詰められた状況で、今まで気づかなかった自分の一面を発見するような体験は、ますます起こりにくくなってしまうのかもしれません。

もちろん、どんな旅をするかはあくまで個人の自由なので、あえてガイドブックやモバイル端末を使わない旅とか、リスクの高そうな旅にチャレンジしてみることも可能ではあります。

しかしそれは、自分なりの強い思い入れや決意がなければ、なかなかできないことだし、周りの旅行者が安心・安全・快適な旅を楽しむのを横目で見ているうちに、自分だけが苦行のような旅を続けることに、むなしさを覚えてしまったりするのではないでしょうか。

でもまあ、旅のあり方がこれからどう変わっていくのか、私ごときが余計な心配をする必要はないのかもしれません。

海外に行ったり、そこに滞在することへのハードルがどんどん下がり、それが日常生活とあまり変わらなくなってしまえば、旅人はきっと物足りなさを感じ始め、やがては、自分を満たしてくれる何かを求めて、さらにその先へと、足を踏み出していくはずです。

例えば、もっと濃密な体験をめざして、観光だけでは終わらない、自分なりのテーマに基づいたオリジナルの旅を模索したり、現地の人々との、より深い交流を求めたりするようになるのではないでしょうか。

ネットの情報や翻訳サービスなどは、そうした旅を強力にサポートしてくれるでしょうが、一般的な観光ルートを外れたり、異文化とより深く接触するようになれば、当然、そこにはさまざまなトラブルが待ち構えているだろうし、旅人はそれらを乗り越えていかなければなりません。

望むと望まないとにかかわらず、人間が、自分にとって新しい何かを求め続けるかぎり、そこには必ず困難や試練があるし、それを乗り越えていくプロセスこそ旅なのだとすれば、これから先もずっと、旅が退屈な日常になり切ってしまうことはないのかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:06, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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