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2015.08.25 Tuesday
旅の名言 「季節のうつりかわりに敏感なのは……」
季節のうつりかわりに敏感なのは、植物では草、動物では虫、人間では独り者、旅人、貧乏人である (後略) 。
『草と虫とそして』種田 山頭火 青空文庫 より
Kindle版もあります
漂泊の俳人、種田山頭火が、身近な秋の風物を描いた短いエッセイからの一節です。
ウィキペディア 「種田山頭火」
40代で出家し、何年にもわたる行乞の旅を続けた山頭火ならではの名言で、一人旅のバックパッカーなら、彼の言葉が心に沁みるかもしれません。
もちろん、彼の波乱万丈の人生にくらべれば、現代の貧乏旅行者の旅などずっと気楽なもので、彼がこの言葉に込めた深い思いのすべてを受け止めることはできないのかもしれませんが……。
季節の移り変わりを含め、さまざまな外界の変化に対して貧しい旅人が敏感なのは、彼らが風流人だからというより、厳しい旅の日々を生き抜くために、身の周りのささいな変化も逃さず察知するような鋭い感受性が、いやでも発達せざるを得ないからなのだと思います。
私たちのふだんの生活では、家族や友人、職場の組織や地元のコミュニティといった人間関係のネットワークに加えて、居心地のいい自宅、便利さや快適さを保証するさまざまなモノやサービスが、「変わらない日常」という安心感を支えてくれています。
しかし、旅人は、そうした「セーフティネット」をほとんど持たず、心身をつねに激しい変化にさらしつつ、旅をまっとうしなければなりません。
特に、一人旅の貧乏旅行者ということになれば、わずかな持ち物と所持金だけで、旅先の気候や食べ物や慣習に適応し、仲間の助けがない中で、未知の人々とコミュニケーションを図り、次々に巻き起こるトラブルに対処していかなければならないのです。
さまざまな潜在的リスクに満ちた異郷で、彼らは、自分自身と周囲の状況を注意深く読み取りつつ、つねに適切な判断を重ねていく必要があるし、その判断の結果がどうなろうと、それらをすべて自分の心身で引き受けなければなりません。
そして、そうした経験の積み重ねが、旅人の感覚を、いい意味でも悪い意味でも、どんどん研ぎ澄ましていくのだと思います。
つまり、変化に敏感であるとは、裏を返せば、その人が絶えずさまざまなリスクにさらされ、しかも、多くの場合、それに十分に対処できる手段も持ち合わせていない、ということを意味しているのかもしれません。
そう考えると、昔の人の多くは、生きていく上でのさまざまな苦しみと、それをそのまま受け入れるしかない弱さと引き換えに、千変万化する現実世界の豊かさを、深く感じ取ることができる鋭敏な感受性というものを持ち合わせていたのではないかという気がします。
一方、現代に生きる私たちは、安心・安全(で鈍感)な生活をしっかり確保したうえで、その気になったときだけ、「旅人」になったり「独り者」になったりして、自らの心身を変化やリスクにさらし、そうした行為を通じて、少しずつ敏感になっていく自分というものを楽しむことができます。
それは、昔の人間にくらべれば、気楽で生ぬるい人生なのかもしれませんが、昔も今も、ほとんどの人間が、「昨日と変わらない今日」という、退屈と安心の中でまどろむ自由こそを求めているのだとすれば、私たちは、敏感さを失ったことと引き換えに、昔よりも少しだけ幸せになっているのかもしれません……。
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