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2015.11.26 Thursday
旅人たちの夢のあと
先日、ネットで、ちょっと面白い記事を読みました。
かつて、日本人バックパッカーでにぎわっていた中国雲南省の大理の街で、彼らが残していった古本の山が、今どうなっているかを訪ねて回るという内容です。
かつて日本人がいた“本塚”めぐり デイリーポータルZ
ただ、上の記事を面白いと感じる人は、かなり限られるかもしれません。たぶん、「前世紀」の1980年代や90年代に、海外を長く旅したことのある人でないと、ピンとこないのではないでしょうか。
その当時の大理は、多くの日本人バックパッカーが流れ着き、人によっては何か月も腰を落ち着けてしまうほど居心地のいい「沈没地」として、かなり有名な存在でした。私も、自分が旅に出る前から、「伝説の地」としてその噂を耳にしていたし、実際に雲南省各地をまわったときには、大理で長旅の疲れを癒しました。気候も食べ物も申し分なく、のんびりとして開放的な街の雰囲気にホッとしたのを覚えています。
その大理も、現在は観光客のほとんどが中国人となり、日本の旅人はほとんど姿を消してしまったそうで、当時、大勢の日本人が入り浸っていたツーリスト・カフェには、日本語の本の山が、ほこりをかぶってそのまま残されています。
今や、旅行者はスマホを一台持ってさえいれば、日本語の本をいつでもどこでもダウンロードできます。昔のように、長旅で活字に飢えるなんてことはなくなり、日本人行きつけの古本屋やカフェで、日本語の本を血眼で物色する必要もなくなりました。上の記事を書いたライスマウンテンさんのように、特別な動機でもなければ、ボロボロになった昔の本の山に目をくれるような旅人は、もはや一人もいないのかもしれません。
考えてみれば、ここ20年ほどのテクノロジーの進化は、旅人と本との関係に限らず、旅人の行動パターンをすさまじい勢いで変え続けてきました。
20年ほど前までは、長期旅行者の連絡手段といえば、高額な国際電話と局留めの郵便しかありませんでしたが、90年代後半に Hotmail などの無料メールサービスが登場、ネットカフェが旅人の新しいライフラインとなり、お互いに移動中の旅人同士がほぼリアルタイムで連絡を取り合うという、以前にはあり得なかったことまで可能になりました。しかし、それから10年もしないうちに、スマホの普及によって、ネットカフェは急速に廃れていきます。
記事 ネットカフェの黄昏と旅の未来
また、十数年前までは、写真はフィルム式カメラで撮るのが普通でした。旅人はつねにフィルムの山を持ち運ばなければならなかったし、撮り終えたフィルムをどこで現像するか、また、現像後にたまっていくネガやプリントを、どうやって安全に日本に送るかも大きな問題でした。もちろん、貧乏旅行者にとっては、フィルム代・現像代・郵便料金の負担もバカになりません。それが、いつの間にかデジカメが主流になり、と思う間もなく、今ではスマホで気軽に撮影し、即座にネットに画像をアップするのが当たり前になりつつあります。
旅の情報にしても、かつてはガイドブックと旅先での「情報ノート」、そして旅人同士のクチコミが頼りだったし、それは、英語を苦手とする日本人旅行者が「日本人宿」に集まる理由の一つでもありました。しかし、これもネット上のクチコミサイトや地図アプリ・翻訳アプリなどを活用することで、それ以上の情報を手に入れることが可能になり、少なくとも情報を手に入れるために、旅先で日本人同士が集まる必然性はなくなりました。
もちろん、それは、決して悪いことではありません。新しいテクノロジーのおかげで、旅はずっと安全・快適になっているわけだし、私も昔のような、不便で余計な出費がかさむような旅を、今さらしたいとは思いません。
ただ、その一方で、大理の「本塚」のように、旅人の流れや行動パターンが変わったことで、かつてのコミュニティがすっかりさびれ、まるで抜け殻のようになった姿には、バックパッカーの夢のあと、というか、世の無常をひしひしと感じさせられます。
そしてそれは、かつての自分たちには当たり前だった物事が、今の若い世代にとってはもはや意味不明な歴史的遺物に過ぎないことに気づかされ、自分が旧世代の人間だという事実を、改めて思い知らされる、ということでもあります。
あと10年、20年もすれば、20世紀のバックパッカーの旅なんて、きっと、古老が語る摩訶不思議な昔話になっているのでしょう……。
JUGEMテーマ:旅行
かつて、日本人バックパッカーでにぎわっていた中国雲南省の大理の街で、彼らが残していった古本の山が、今どうなっているかを訪ねて回るという内容です。
かつて日本人がいた“本塚”めぐり デイリーポータルZ
ただ、上の記事を面白いと感じる人は、かなり限られるかもしれません。たぶん、「前世紀」の1980年代や90年代に、海外を長く旅したことのある人でないと、ピンとこないのではないでしょうか。
その当時の大理は、多くの日本人バックパッカーが流れ着き、人によっては何か月も腰を落ち着けてしまうほど居心地のいい「沈没地」として、かなり有名な存在でした。私も、自分が旅に出る前から、「伝説の地」としてその噂を耳にしていたし、実際に雲南省各地をまわったときには、大理で長旅の疲れを癒しました。気候も食べ物も申し分なく、のんびりとして開放的な街の雰囲気にホッとしたのを覚えています。
その大理も、現在は観光客のほとんどが中国人となり、日本の旅人はほとんど姿を消してしまったそうで、当時、大勢の日本人が入り浸っていたツーリスト・カフェには、日本語の本の山が、ほこりをかぶってそのまま残されています。
今や、旅行者はスマホを一台持ってさえいれば、日本語の本をいつでもどこでもダウンロードできます。昔のように、長旅で活字に飢えるなんてことはなくなり、日本人行きつけの古本屋やカフェで、日本語の本を血眼で物色する必要もなくなりました。上の記事を書いたライスマウンテンさんのように、特別な動機でもなければ、ボロボロになった昔の本の山に目をくれるような旅人は、もはや一人もいないのかもしれません。
考えてみれば、ここ20年ほどのテクノロジーの進化は、旅人と本との関係に限らず、旅人の行動パターンをすさまじい勢いで変え続けてきました。
20年ほど前までは、長期旅行者の連絡手段といえば、高額な国際電話と局留めの郵便しかありませんでしたが、90年代後半に Hotmail などの無料メールサービスが登場、ネットカフェが旅人の新しいライフラインとなり、お互いに移動中の旅人同士がほぼリアルタイムで連絡を取り合うという、以前にはあり得なかったことまで可能になりました。しかし、それから10年もしないうちに、スマホの普及によって、ネットカフェは急速に廃れていきます。
記事 ネットカフェの黄昏と旅の未来
また、十数年前までは、写真はフィルム式カメラで撮るのが普通でした。旅人はつねにフィルムの山を持ち運ばなければならなかったし、撮り終えたフィルムをどこで現像するか、また、現像後にたまっていくネガやプリントを、どうやって安全に日本に送るかも大きな問題でした。もちろん、貧乏旅行者にとっては、フィルム代・現像代・郵便料金の負担もバカになりません。それが、いつの間にかデジカメが主流になり、と思う間もなく、今ではスマホで気軽に撮影し、即座にネットに画像をアップするのが当たり前になりつつあります。
旅の情報にしても、かつてはガイドブックと旅先での「情報ノート」、そして旅人同士のクチコミが頼りだったし、それは、英語を苦手とする日本人旅行者が「日本人宿」に集まる理由の一つでもありました。しかし、これもネット上のクチコミサイトや地図アプリ・翻訳アプリなどを活用することで、それ以上の情報を手に入れることが可能になり、少なくとも情報を手に入れるために、旅先で日本人同士が集まる必然性はなくなりました。
もちろん、それは、決して悪いことではありません。新しいテクノロジーのおかげで、旅はずっと安全・快適になっているわけだし、私も昔のような、不便で余計な出費がかさむような旅を、今さらしたいとは思いません。
ただ、その一方で、大理の「本塚」のように、旅人の流れや行動パターンが変わったことで、かつてのコミュニティがすっかりさびれ、まるで抜け殻のようになった姿には、バックパッカーの夢のあと、というか、世の無常をひしひしと感じさせられます。
そしてそれは、かつての自分たちには当たり前だった物事が、今の若い世代にとってはもはや意味不明な歴史的遺物に過ぎないことに気づかされ、自分が旧世代の人間だという事実を、改めて思い知らされる、ということでもあります。
あと10年、20年もすれば、20世紀のバックパッカーの旅なんて、きっと、古老が語る摩訶不思議な昔話になっているのでしょう……。
JUGEMテーマ:旅行
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