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2016.05.29 Sunday
最強のエンターテインメント?
ここ数年、RSSリーダーでニュースやブログを読むのが毎日の習慣になり、それにあまりにも時間を食われるので、何度も情報の「断捨離」を試みながら、すぐに元の木阿弥になるというパターンを繰り返してきました。
記事 RSSリーダーの「断捨離」
自分としては、ネット上の情報をいくら追いかけたところでキリがないことも、限られた人生の時間を、端末にかじりついて過ごすのが不健全だということもよく分かっていて、だからこそ、ネットの利用時間を少しでも減らそうと、できるだけのことはやってみたつもりです。
それがことごとく失敗したのは、要するに、私が重度のネット中毒だからなのですが……。
その一方で、ネット世界の膨大な情報には、何か人間の根源的な欲求みたいなものを刺激し、解き放ち、私たちをその虜にしてしまう、「魔力」みたいなものがあるのも否定できない気がします。
そして、RSSリーダーというツールは、少なくとも私にとっては、その「魔力」を増幅する働きをしているようです。
RSSリーダーからは、24時間休むことなく、世界の大ニュースから日常レベルのほっこりする話まで、シリアスで難解な話題から笑えるネタまで、あるいは、ロジカルで説得力のある記事から真偽不明の怪しい話まで、それぞれ異なる視点や世界観・価値観に基づく多様な情報が飛び込んできます。
記事の書き手も、プロや専門家から一般の人までさまざまです。簡潔で分かりやすい文章もあれば、クセが強かったり、乱雑で誤字脱字の多い文章もあり、中には、ほとんど意味不明だったり、強い反感を覚える記事もあります。しかし、そうしたザラザラした感じや扱いにくさもまた、リアル世界の混沌とした姿を反映しているようで、そこにかえって強いリアリティを感じます。
記事 カレイドスコープ・メディアの時代?
もちろん、新聞や雑誌も、記事の書き手や内容が多彩だという点では同じだし、本を大量に読む人なら、もっと深く、もっと正確な知の世界に接することができているかもしれません。
ただ、RSSリーダーの場合、まず何よりも、ネット環境さえあれば、膨大な情報源に無料でアクセスできるところが素晴らしいし、情報源の組み合わせ方次第では、内容の多様性も新聞・雑誌とはケタ違いになります。マスメディアでは取り上げないような、非常にマイナーな分野をカバーできるので、自分の趣味や嗜好に合わせて、どこまでも情報を深掘りしていくことができるし、世間一般の価値観には収まらない、ユニークな生き方を実践する人々の声も集めることができます。
そうして、自分が何を求めているのか常に自らに問いかけながら、情報源を取捨選択する作業を繰り返していくうちに、やがて、RSSリーダーに登録した情報源のリスト自体が、現時点での自分自身の内面、つまり、自分が世界をどのようなものだと考え、どんなことに価値を見出しているのかを、少しずつ映し出すようになるのです。
もっとも、そこに至るまでには、最初の設定作業から途中の試行錯誤まで、それなりに手間と時間をかける必要があります。実際、google がRSSリーダーのサービスを2013年に終了したことでも分かるように、それはけっして万人向きのツールではないのでしょう。ここ数年で普及しつつあるニュースキュレーションアプリのように、ユーザーの好みに合いそうな記事をアルゴリズムで自動配信してくれるようなツールの方が、手っ取り早くて、ずっと実用的だと考える人も多いと思います。
しかし、RSSリーダーには、マニュアル操作の面倒さそれ自体がもたらしてくれる楽しさがあります。さまざまなジャンルの情報源を時間をかけて探し集め、一つのトピックを立体的に描き出せるように、つねに多様な視点を確保し、それらのバランスを自分好みに調整することによって、まるで自分が編集長となって、自分だけのための小さなメディアを運営しているような気分に浸ることもできるのです。
それは、別の言い方をすれば、数えきれない人々がネット上に無料で公開してくれている色とりどりのコンテンツを拾い集め、コラージュすることによって、同時代の世界を、自分なりのやり方で自由に描き出すということでもあります。
そうやって、RSSリーダーのユーザーが自ら工夫して作り上げたフィルターを通って、毎日目の前を流れていく膨大な情報は、単なる情報の寄せ集めではありません。それは、ユーザーの価値観や意図のもとに選別され、組み合わされることで生み出されたひとつの「物語」であり、この世界に対するユーザーそれぞれのオリジナルな解釈を反映した、立派な作品と呼べるものなのではないでしょうか。
そして、そうした自分なりのフィルターがいったん出来上がってしまえば、後は、流れ込んでくる情報をほとんど受け身で楽しむことができます。それはまるで、ユニークな登場人物が次から次へと登場し、各人がさまざまな立場から世界に関わり、その結果として時代の流れが少しずつ動いていくさまを、365日リアルタイムで、さまざまなアングルから描き出す大河小説のようです。
それは、過去の小説作品のように完結していないので、もちろんネタバレの心配はないし、自分が生きている現代社会そのものが題材なので、あちこちで自分自身の利害がからみ、そのたびに強い感情が巻き起こります。そういう意味では、「物語」への没入感もハンパではありません。
また、自分が気に入った人物や話題の登場部分を増やしたり、退屈な分野の描写は削ったりと、自分好みにいくらでも微調整できます。慣れてくれば、集める情報源のバランスを変えることで、全体のトーンを悲劇風にしたり、逆にコメディタッチにしたりすることも可能でしょう。
そう考えると、これは、無料で与えられるものとしては最強のエンターテインメントの一つなのかもしれません。
もっとも、リアルな人生そのものを心の底から楽しみ、日々のイベントに忙しい、いわゆる「リア充」の人々にしてみれば、そんな娯楽のために、わざわざ手間と時間を費やそうなどとは考えないでしょう。
それに、ユーザーが情報を選別することで生み出す「物語」は、そこにどんなリアリティが感じられようと、現実の世界そのものではありません。それは、ユーザーの世界観・価値観によって、大いに歪められている可能性があるし、そもそも、「物語」の材料となっている個々のニュースやブログ記事にしても、それぞれの書き手が、彼ら自身の世界観や価値観のフィルターを通して現実をとらえ、それを主観的に表現したものです。
RSSリーダーを通して見ている世界が、あくまで、よくできたエンターテインメントだと自覚しているうちは問題ないのでしょうが、中には、「物語」に感情的に巻き込まれるあまり、そのあたりを見失ってしまうユーザーもいるかもしれません。
例えば、不快な情報に触れたくないという思いがエスカレートして、情報源を、自分が共感するごく一部の視点や政治的立場だけに限定してしまえば、ユーザーはつねに同じような情報ばかりを浴び続けることになるでしょう。そうした単調な「物語」がエンターテインメントとして楽しいかどうかはともかく、毎日それを繰り返していれば、やがて、自らの視野を狭めたり、価値観の異なる人々に対して不寛容になる人も出てくるかもしれません。
そうした点で、RSSリーダーには、強力なツールであるがゆえの、大きなリスクもあるのだと思います。
それでも、RSSリーダーは、あまりにも巨大で混沌として、そのままでは個人の手には負えない情報の海を、その多様性のエッセンスはそれなりに残しつつ、ユーザー個人が飲み込めるくらいの分量にまでコンパクト化してくれます。そして、個人的な価値観を反映したフィルターを通すことで、この世界を、それなりに秩序立った、意味のある姿として見せてくれるのです。
混沌とした現実の世界を、私たちに理解可能なものとして映し出してくれるという点で、それは、使用上の危険を超えるメリットを私たちに与えてくれているのではないでしょうか。
それにしても、私はこれまでRSSリーダーの利用時間を減らすために、何度も「断捨離」を行ってきましたが、それは、いらないと感じた情報源を思い切って捨て去っては、やがてまた、新たに面白そうな情報源を見つけてつけ加えてしまうことの繰り返しでした。
しかし、改めて考えてみると、それは、この世界の「物語」にあれこれと手を加え、それをいっそう自分好みにアレンジしていく作業そのものです。その作業を繰り返すたびに、「物語」は魅力を増していくわけで、そこからますます離れがたくなるのは当然だったのかもしれません。
私は、情報の海から抜け出すつもりで、なぜか下に向かって潜り続け、その底なしの世界へいっそう深くはまり込んでいたのでした……。
JUGEMテーマ:インターネット
記事 RSSリーダーの「断捨離」
自分としては、ネット上の情報をいくら追いかけたところでキリがないことも、限られた人生の時間を、端末にかじりついて過ごすのが不健全だということもよく分かっていて、だからこそ、ネットの利用時間を少しでも減らそうと、できるだけのことはやってみたつもりです。
それがことごとく失敗したのは、要するに、私が重度のネット中毒だからなのですが……。
その一方で、ネット世界の膨大な情報には、何か人間の根源的な欲求みたいなものを刺激し、解き放ち、私たちをその虜にしてしまう、「魔力」みたいなものがあるのも否定できない気がします。
そして、RSSリーダーというツールは、少なくとも私にとっては、その「魔力」を増幅する働きをしているようです。
RSSリーダーからは、24時間休むことなく、世界の大ニュースから日常レベルのほっこりする話まで、シリアスで難解な話題から笑えるネタまで、あるいは、ロジカルで説得力のある記事から真偽不明の怪しい話まで、それぞれ異なる視点や世界観・価値観に基づく多様な情報が飛び込んできます。
記事の書き手も、プロや専門家から一般の人までさまざまです。簡潔で分かりやすい文章もあれば、クセが強かったり、乱雑で誤字脱字の多い文章もあり、中には、ほとんど意味不明だったり、強い反感を覚える記事もあります。しかし、そうしたザラザラした感じや扱いにくさもまた、リアル世界の混沌とした姿を反映しているようで、そこにかえって強いリアリティを感じます。
記事 カレイドスコープ・メディアの時代?
もちろん、新聞や雑誌も、記事の書き手や内容が多彩だという点では同じだし、本を大量に読む人なら、もっと深く、もっと正確な知の世界に接することができているかもしれません。
ただ、RSSリーダーの場合、まず何よりも、ネット環境さえあれば、膨大な情報源に無料でアクセスできるところが素晴らしいし、情報源の組み合わせ方次第では、内容の多様性も新聞・雑誌とはケタ違いになります。マスメディアでは取り上げないような、非常にマイナーな分野をカバーできるので、自分の趣味や嗜好に合わせて、どこまでも情報を深掘りしていくことができるし、世間一般の価値観には収まらない、ユニークな生き方を実践する人々の声も集めることができます。
そうして、自分が何を求めているのか常に自らに問いかけながら、情報源を取捨選択する作業を繰り返していくうちに、やがて、RSSリーダーに登録した情報源のリスト自体が、現時点での自分自身の内面、つまり、自分が世界をどのようなものだと考え、どんなことに価値を見出しているのかを、少しずつ映し出すようになるのです。
もっとも、そこに至るまでには、最初の設定作業から途中の試行錯誤まで、それなりに手間と時間をかける必要があります。実際、google がRSSリーダーのサービスを2013年に終了したことでも分かるように、それはけっして万人向きのツールではないのでしょう。ここ数年で普及しつつあるニュースキュレーションアプリのように、ユーザーの好みに合いそうな記事をアルゴリズムで自動配信してくれるようなツールの方が、手っ取り早くて、ずっと実用的だと考える人も多いと思います。
しかし、RSSリーダーには、マニュアル操作の面倒さそれ自体がもたらしてくれる楽しさがあります。さまざまなジャンルの情報源を時間をかけて探し集め、一つのトピックを立体的に描き出せるように、つねに多様な視点を確保し、それらのバランスを自分好みに調整することによって、まるで自分が編集長となって、自分だけのための小さなメディアを運営しているような気分に浸ることもできるのです。
それは、別の言い方をすれば、数えきれない人々がネット上に無料で公開してくれている色とりどりのコンテンツを拾い集め、コラージュすることによって、同時代の世界を、自分なりのやり方で自由に描き出すということでもあります。
そうやって、RSSリーダーのユーザーが自ら工夫して作り上げたフィルターを通って、毎日目の前を流れていく膨大な情報は、単なる情報の寄せ集めではありません。それは、ユーザーの価値観や意図のもとに選別され、組み合わされることで生み出されたひとつの「物語」であり、この世界に対するユーザーそれぞれのオリジナルな解釈を反映した、立派な作品と呼べるものなのではないでしょうか。
そして、そうした自分なりのフィルターがいったん出来上がってしまえば、後は、流れ込んでくる情報をほとんど受け身で楽しむことができます。それはまるで、ユニークな登場人物が次から次へと登場し、各人がさまざまな立場から世界に関わり、その結果として時代の流れが少しずつ動いていくさまを、365日リアルタイムで、さまざまなアングルから描き出す大河小説のようです。
それは、過去の小説作品のように完結していないので、もちろんネタバレの心配はないし、自分が生きている現代社会そのものが題材なので、あちこちで自分自身の利害がからみ、そのたびに強い感情が巻き起こります。そういう意味では、「物語」への没入感もハンパではありません。
また、自分が気に入った人物や話題の登場部分を増やしたり、退屈な分野の描写は削ったりと、自分好みにいくらでも微調整できます。慣れてくれば、集める情報源のバランスを変えることで、全体のトーンを悲劇風にしたり、逆にコメディタッチにしたりすることも可能でしょう。
そう考えると、これは、無料で与えられるものとしては最強のエンターテインメントの一つなのかもしれません。
もっとも、リアルな人生そのものを心の底から楽しみ、日々のイベントに忙しい、いわゆる「リア充」の人々にしてみれば、そんな娯楽のために、わざわざ手間と時間を費やそうなどとは考えないでしょう。
それに、ユーザーが情報を選別することで生み出す「物語」は、そこにどんなリアリティが感じられようと、現実の世界そのものではありません。それは、ユーザーの世界観・価値観によって、大いに歪められている可能性があるし、そもそも、「物語」の材料となっている個々のニュースやブログ記事にしても、それぞれの書き手が、彼ら自身の世界観や価値観のフィルターを通して現実をとらえ、それを主観的に表現したものです。
RSSリーダーを通して見ている世界が、あくまで、よくできたエンターテインメントだと自覚しているうちは問題ないのでしょうが、中には、「物語」に感情的に巻き込まれるあまり、そのあたりを見失ってしまうユーザーもいるかもしれません。
例えば、不快な情報に触れたくないという思いがエスカレートして、情報源を、自分が共感するごく一部の視点や政治的立場だけに限定してしまえば、ユーザーはつねに同じような情報ばかりを浴び続けることになるでしょう。そうした単調な「物語」がエンターテインメントとして楽しいかどうかはともかく、毎日それを繰り返していれば、やがて、自らの視野を狭めたり、価値観の異なる人々に対して不寛容になる人も出てくるかもしれません。
そうした点で、RSSリーダーには、強力なツールであるがゆえの、大きなリスクもあるのだと思います。
それでも、RSSリーダーは、あまりにも巨大で混沌として、そのままでは個人の手には負えない情報の海を、その多様性のエッセンスはそれなりに残しつつ、ユーザー個人が飲み込めるくらいの分量にまでコンパクト化してくれます。そして、個人的な価値観を反映したフィルターを通すことで、この世界を、それなりに秩序立った、意味のある姿として見せてくれるのです。
混沌とした現実の世界を、私たちに理解可能なものとして映し出してくれるという点で、それは、使用上の危険を超えるメリットを私たちに与えてくれているのではないでしょうか。
それにしても、私はこれまでRSSリーダーの利用時間を減らすために、何度も「断捨離」を行ってきましたが、それは、いらないと感じた情報源を思い切って捨て去っては、やがてまた、新たに面白そうな情報源を見つけてつけ加えてしまうことの繰り返しでした。
しかし、改めて考えてみると、それは、この世界の「物語」にあれこれと手を加え、それをいっそう自分好みにアレンジしていく作業そのものです。その作業を繰り返すたびに、「物語」は魅力を増していくわけで、そこからますます離れがたくなるのは当然だったのかもしれません。
私は、情報の海から抜け出すつもりで、なぜか下に向かって潜り続け、その底なしの世界へいっそう深くはまり込んでいたのでした……。
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