- このブログ内を検索
- 新しい記事
-
- このブログを読んでいただき、ありがとうございました (04/28)
- AIが生み出す異世界への旅 (03/21)
- まさかの戦争 (02/26)
- 「完璧な買い物」はもうできない (01/28)
- 「汚れハンター」の目 (12/25)
- 記事のカテゴリー
-
- このブログについて (1)
- 地上の旅〜旅全般 (68)
- 地上の旅〜中国 (11)
- 地上の旅〜東南アジア (62)
- 地上の旅〜チベット (6)
- 地上の旅〜インド・南アジア (19)
- 旅の名言〜旅について (32)
- 旅の名言〜旅の予感・旅立ち (14)
- 旅の名言〜衣食住と金 (14)
- 旅の名言〜土地の印象 (25)
- 旅の名言〜旅の理由 (10)
- 旅の名言〜旅の時間 (8)
- 旅の名言〜旅人 (27)
- 旅の名言〜危機と直感 (21)
- 旅の名言〜旅の終わり・帰還 (13)
- 旅の名言〜未分類 (1)
- 本の旅〜宇宙 (1)
- 本の旅〜世界各国 (58)
- 本の旅〜日本 (27)
- 本の旅〜中国・東アジア (3)
- 本の旅〜東南アジア (19)
- 本の旅〜チベット (4)
- 本の旅〜インド・南アジア (15)
- 本の旅〜ヨーロッパ・中東 (6)
- 本の旅〜アフリカ (5)
- 本の旅〜南北アメリカ (6)
- 本の旅〜旅の物語 (21)
- 本の旅〜魂の旅 (18)
- 本の旅〜共時性 (3)
- 本の旅〜身体技法 (5)
- 本の旅〜脳と意識 (3)
- 本の旅〜住まい (10)
- 本の旅〜人間と社会 (53)
- 本の旅〜ことばの世界 (9)
- 本の旅〜インターネット (9)
- 本の旅〜本と読書 (18)
- ネットの旅 (40)
- テレビの旅 (19)
- ニュースの旅 (55)
- つれづれの記 (70)
- 感謝 (36)
- おすすめの本 (1)
- アソシエイト (3)
- 過去の記事
-
- 2021年
- 2020年
- 2019年
- 2018年
- 2017年
- 2016年
- 2015年
- 2014年
- 2013年
- 2012年
- 2011年
- 2010年
- 2009年
- 2008年
- 2007年
- 2006年
- プロフィール
- コメント
-
- カトマンズの宝石店で
⇒ 浪人 (01/15) - カトマンズの宝石店で
⇒ kiokio (01/14) - 見るべきか、やめておくべきか
⇒ 浪人 (01/08) - 見るべきか、やめておくべきか
⇒ カール (01/08) - 『日本型システムの終焉 ― 自分自身を生きるために』
⇒ 浪人 (11/28) - 『日本型システムの終焉 ― 自分自身を生きるために』
⇒ maruyama834 (11/28) - 牢名主(ろうなぬし)現象
⇒ 浪人 (04/24) - 牢名主(ろうなぬし)現象
⇒ 門大寺 (04/24) - ワット・プートークで冷や汗
⇒ 浪人 (02/17) - ワット・プートークで冷や汗
⇒ sanetoki (02/16)
- カトマンズの宝石店で
- トラックバック
-
- 本と便意の微妙な関係
⇒ 【豆β】ニュース速報+ (05/01) - 『西南シルクロードは密林に消える』
⇒ 障害報告@webry (06/08) - バックパッカーは「時代錯誤」?
⇒ 威厳汁 (07/02) - 『アジアの弟子』
⇒ 貧乏旅行情報 (02/22) - 「フランダースの犬」に共感するのは日本人だけ?
⇒ ゆげやかんの魂100℃〜魂燃ゆる!ニュース&バラエティーブログ〜 (12/26) - インドにもついにスーパーマーケットが……
⇒ 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】 (11/08) - 『なにも願わない手を合わせる』
⇒ まことの部屋 (10/30) - 『なにも願わない手を合わせる』
⇒ りこのblog (10/30) - 『心と脳の正体に迫る』
⇒ 心理学ってすごい? (10/01) - 『日本の聖地 ― 日本宗教とは何か』
⇒ 宗教がいいと思う (09/28)
- 本と便意の微妙な関係
- sponsored links
政治的な暴力の果てに
戦後の平和な日本で生まれ育ったせいなのか、近ごろの世界各地のテロ事件や、内戦やクーデターのニュースを知るたびに、不安で心がざわつき、しばらく他のことが手につかなくなります。
そして、被害に遭った人々の無念や、家族や友人たちがこれからどんな思いを抱えて生きなければならないかを考えると、やり切れない思いがします。
最近では、いつかどこかで自分が被害者になるかもしれないという考えも、簡単に頭から振り払うことができなくなりました。そういう恐怖心を抱かせることが、暴力で世界を変えようとする者たちの狙いだと分かっていても、そして、テロ事件などに巻き込まれるのは、交通事故に遭ったりする確率よりもずっと低いことを頭では理解していても、心にまとわりつくネガティブな感情を、理性で完全に封じ込めることはできません。
それにしても、政治的な暴力に手を染める人間は、多くの人々を殺し、傷つけることによって、そして、それ以上の人々に恐怖や反感を植えつけることによって、結局のところ、何がしたいのだろうかと思います。
そこには、彼らなりの政治的目的や「理想」があるのでしょう。あるいは、彼らは、個人として、組織として、さまざまな理由から絶望的な状況にまで追い詰められて、手段を選ばず、暴力で活路を切り開かざるを得なかったのかもしれません。逆に、そういう理屈でもつけなければ、彼らは自らの行為について、良心の呵責に耐えられないのではないかと思います。
しかし、彼らはそうした暴力の果てに、何らかの理想的な社会が実現できると、本気で信じているのでしょうか?
かりに、彼らの暴力が他の人々を力で圧倒し、その結果、彼らの「理想」が現実になったとしても、その新しい社会を担っていくのは、これまでと同じ、私たちのようなただの人間です。
彼らが、現在の世界に絶望し、あるいは強烈な不満を感じて、自らの怒りを行動に移しているのだとしても、そんな絶望的な世界を生み出したのと同じ人間が、ある日突然、彼らの「指導」のもとで、新しい理想社会を運営できるようになるのでしょうか?
暴力によって特定の誰かを排除し、何かを破壊し、あるいは、恐怖によって人々を新しいルールに従わせたとしても、社会を動かしていく大多数の人間が今までと何も変わらない以上、その試みは遠からず挫折し、みんながボロボロになってスタート地点に戻るだけに終わるのではないでしょうか。
そんな風に考えてしまうのは、人間の性急な「理想」が生み出すものについて、私自身がすっかり白けてしまっているからなのかもしれません。といっても、それは別に私がニヒリストだからではなくて、これまで人類が歴史の中で繰り返してきた悲劇の数々があまりにもおぞましくて、それを思い出さずにはいられないからなのですが……。
とはいえ、こういうことをいくら個人的に嘆いたところで、実際に暴力に訴える人々の行動を変えられるわけもないし、さらに問題なのは、各国の政府機関が全力を尽くしたとしても、彼らの内面にまで踏み込んで、暴力的な思考や行動を抑制することは不可能だということです。
私たちは、他者に対して、言葉で説得を試みたり、取り引きをするなどして、何らかの影響を及ぼすことはできても、最終的に相手が心の中で何を考え、決意するか、強制する力を持っていません。
たとえ世界中を敵に回しても、物理的・心理的にどれだけ追い詰められても、自分のやりたいことを断固として実行する彼らは、人間が、他人を意のままに動かすことはできないことの実例そのものですが、その彼ら自身が、暴力によって、人々を無理やり自分の価値観に従わせようとしているのは、実に皮肉なことだと思います。
JUGEMテーマ:日記・一般
| 1/1PAGES |