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広告という罰
今、ネット上では、基本的に無料で、課金すると便利な機能が追加されたり、広告表示が消えたりする、「フリーミアム」と呼ばれるタイプのサービスが普及しています。
ウィキペディア 「フリーミアム」
無料という気安さから、とりあえず試しに使ってみることができるし、実際に使い続けても、基本的な機能だけならずっとタダなので、私も、このブログを含め、いくつかのサービスを何年も使わせてもらっています。
とはいえ、サービスによっては、やたらと表示される広告が邪魔で、ときどきイラッとすることがあるし、そもそも、私のような貧乏人にいくら広告を見せたところでムダではないかとも思います。
考えてみれば、カネに余裕がある、つまり、広告主にとってはお客様になる可能性の高そうな人々の方が、むしろ、課金することによって広告を目にしなくなり、逆にカネがなく、広告を見る意味のあまりない人々ばかりが延々と広告を見せられるという、本末転倒なことになっている気がしなくもありません。
そして、興味も意味もない広告を浴びせかけられる多くのユーザーは、それを、無料のサービスと引き換えにガマンしなければならない苦痛みたいなものと感じているのではないでしょうか。少なくとも、私の場合はそうなってしまっています。
もちろん、自分がいま利用しているさまざまなサービスが、広告主が負担するコストの上に成り立っていることは理解しているし、その点ではむしろありがたいとも思っているのですが、残念ながら、そういう殊勝な気持ちというのは常に維持できるものではなく、サービスに慣れ、それが日常生活の一部として当たり前のものになればなるほど、かえって広告が目ざわりで余計なものに感じられ、それらを見続けることが、何か、自分に課せられた罰みたいにさえ思えてくるのです。
そして、そういうネガティブな気持ちで広告と接していると、広告元の企業や商品に対しても、自分の中でどんどんマイナスのイメージが植えつけられていくような気がします。
もしも、私と同じように感じてしまうユーザーが他にも大勢いるなら、広告の本来の意図からすれば、完全に逆効果になってしまっているのではないでしょうか。
しかし、例えば民放のテレビでは、昔も今も、番組の途中で頻繁にコマーシャルが入ります。私も、昔はそれを当たり前だと感じていたし、そういう仕組みに違和感を覚えることもほとんどありませんでした。
それなのに、ネットの世界では、どうして広告がこんなにも邪魔に思えてしまうのでしょうか。
もしかすると、ネットが普及し、そこでさまざまな人々が大量の情報を発信するようになったことで、もともと広告というものがもっているいびつな側面に気づかされるようになったからかもしれません。
広告は、商品を売ろうとする側の都合だけに沿った情報を一方的に植え付けようとしますが、今では、ネット上のクチコミを通じて、それが商品の一面に過ぎないことを、みんなが知っています。
それに、一方的な情報というものの裏には、政治的な目的にせよ、イタズラ目的にせよ、何かよからぬ意図があるケースが多いものです。ネットでも、多くの人がそうした情報に踊らされたり、痛い目に遭ったりすることでそれなりに学習し、一方的な情報を目にしても、何か不自然だ、怪しい、と反射的に感じる習慣が身についているのではないでしょうか。
そのせいか、広告を見ていると、同じような怪しさを感じて身構えてしまうことがあるし、そこであえて触れられていないことの方が、むしろ気になってしまうのです。
広告主は、もちろん、そんな反応を引き起こしたいとは思ってもいないのでしょうが……。
いずれにしても、ネット世界の多様な視点に慣れ、一面的な情報というものに不自然さを感じるようになった人間にとって、今の広告の多くは、何かバランスを欠いた、見ていてイラッとする存在になってしまっています。
バランスを欠いたものを見続けるのは苦痛なので、私たちは、広告に対して意識的・無意識的にツッコミを入れることで、心のバランスを保とうとします。広告が触れようとしない、商品のネガティブな側面を想像し、クチコミサイトの辛辣なレビュアーみたいなコメントを心の中で叫ぶことで、一方的に押しつけられるバラ色のイメージを「解毒」するのです。
でもまあ、そんなことを続けていると、どんどん性格が悪くなってしまいそうな気がするし、いちいちそんな面倒なことをしたくない人は、広告を非表示にするツールを使ったり、課金して広告を回避したりするのでしょう。しかし、それができない人は、自分を守るために、目の前の広告にひたすらツッコミを入れ続けなければならないのです。
それはまさに、無料サービスを得るための、精神的な労働なのかもしれません……。
JUGEMテーマ:インターネット
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