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異国への幻想
もうずっと昔、自分がまだ中学生だった頃、世界各地の写真集や旅行記を図書館から借りてきては、それを眺めたり読んだりするのが大好きでした。
今のようにインターネットもなく、海外事情を扱うテレビ番組もそれほど多くなかった当時、そうした本で初めて目にする風景も多く、ページをめくるたびに新鮮な驚きがあったし、読めば読むほど、異郷への憧れがかき立てられました。
そして、眠りにつく前のひととき、見知らぬ街角にたたずむ自分の姿を想像しては、何ともいえない感傷的な気分に浸ったり、そうした旅先で、とてつもなく面白い出来事が起きるんじゃないかという期待に胸をふくらませたりしたものです。
そんな習慣が身についたのには、外の世界に対する年齢相応の好奇心はもちろん、身の周りの世界への漠然とした不満があったことも大きかったのでしょう。
生まれて十数年経って、この世界がどういうところか子供なりにわかり始め、親や学校や世の中に対して違和感や反発を覚え、ここは自分の本当の居場所じゃないと感じるようになったことで、その裏返しとして、想像できるかぎりの素晴らしいものを、ここではない別の世界に投影し、遠く離れた外国のどこかに、自分のための理想の場所があるはずだと信じたくなったのかもしれません。
とはいえ、まだ幼かった当時の自分には、そうした異世界への冒険に踏み切るだけの能力も手段も勇気もなく、結局は、本で仕入れた情報を材料にして、理想の土地を頭の中で漠然と描き続けることしかできませんでした。
それから数年後、初めて東南アジアを旅したとき、異国の現実は五感を強烈に刺激し、先の見えない自由な旅の面白さも、想像をはるかに超えていました。しかし、それは同時に、頭のなかで限りなく膨張していた異国への幻想が、容赦なく打ち砕かれていくプロセスでもありました。
何度か旅を重ね、現地の人々とカタコトで会話を交わしたりする中で、彼らもまた私たちと同じように、与えられた環境の中で、ささやかな幸せをつかもうと日々もがき続けているごく普通の人たちだという、当たり前の事実に気づかされたし、気候風土や政治的・経済的な状況の違いに関わらず、どんな土地にもそれぞれ特有の問題があって、この世界には、どこにも欠点のない、完璧な場所など存在しないという苦い現実も、ますますはっきりと見えてきたのです。
そのために、旅をしたいという気持ちまで消えたわけではありませんが、少なくとも、遠い異国に行きさえすれば自分の抱えているさまざまな問題がおのずと解決されるだろう、とか、いつか自分にとっての「約束の地」がどこかに見つかるのではないか、みたいな、根拠のない期待に踊らされることはなくなりました。
ただ、それによって、以前に抱いていたような旅への熱い思いを、かなり失ってしまったことも確かです。
もちろん、幻想というものは、どんなものであれ、いずれは否定される運命にあるわけだし、幻想を失うまいとして、腫れ物に触るように生きるくらいなら、そんなものはないほうがいいのでしょう。
とはいえ、中学生の頃、まだ見ぬ世界を想像し、自ら生み出した幻想に浸る中で感じていた多幸感を、今、かすかに思い出しながら、そういう気持ちはもう二度と持てないんだろうなと思うと、少し、というより、かなり残念な気がします。
そして、そうやって幻想を手放していくことが、自分にとって、果たして本当に素晴らしいことなのか、幸せなことなのか、ちょっと分からなくなることもあります。
もっとも、今の私は、異国への幻想をほとんど失ったとはいえ、この世界でよく知らない分野はまだまだたくさんあります。そうした分野では、自分でもちゃんと自覚していないだけで、いまだに途方もない幻想を抱き続けていたりするのでしょう。
これからさらに歳を重ね、痛い思いをしながら現実を学ぶことで、そういう幻想も少しずつ消えていくのでしょうが、そうした幻想や妄想から完全に自由になった人間なんて(たぶん)ほとんどいないことを考えれば、すべての幻想を失うのがいいことなのか、その先に何があるのか、先回りして余計な心配をする必要などないのかもしれません……。
JUGEMテーマ:旅行
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