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インドでぼられない心得!?
もう2か月ほど前になりますが、ネット上で、作家の橘玲氏のインド旅行記を読みました。
北インドの観光エリアとして有名な「黄金のトライアングル」で、しつこい客引きにつきまとわれたり、きちんとした身なりの通行人に平気でウソをつかれたりして、結局は土産物屋に連れ込まれてしまうという話です。
インドで出会った2人の紳士と「信用の根本的な枯渇」体験について 橘玲の世界投資見聞録
他人を信用しない国インドで”ぼったくられない”ための考察 橘玲の世界投資見聞録
インドの観光地では、いまだに同じことが延々と繰り返されているんだなと思ったのですが、面白かったのは2番目の記事の後半でした。
橘氏は、自らの経験をもとに、買い物などでぼられたり、騙されたりしない心得を書いています。それは、目の前のインド人たちは信用できないという前提ですべての説明を疑ってかかり、しつこく迫られるようなら、彼らに面と向かって、「悪いけど、君のことは信用できないよ」と告げ、にっこり笑って席を立てばいい、というもので、相手はぎょっとした顔をするかもしれないが、誰も信用できないインドでは、それで相手が気分を害したりはしないのだそうです。
私もインドでは、したたかな客引きや商売人にずいぶん閉口させられましたが、さすがにそこまで言ったことはありません。それに、橘氏がやってみて効果があったからといって、ほかの日本人がそれをそのままマネしても、果たしてうまくいくのかは分かりません。
というより、特に旅慣れているわけでもない、ごく一般的な日本人が、生身の人間を前にして、それほどの強い「ノー」を言い放つことができるのだろうか、という気がします。
相手が信用できないと通告することは、私たちの暮らす日本社会では、強烈な拒絶を意味するからです。
別に日本に限ったことではありませんが、先進国と呼ばれる国々では、社会的・経済的なコミュニケーションを活発にし、取り引きにおける余計なリスクやコストを最小化するために、長い歳月を費やして、お互いを信用する方がメリットが大きくなるような社会システムを作り上げてきました。
そこでは基本的に、ある程度の条件を満たした人間は誰でも仲間だとみなして信用することで、すべてのプロセスがスムーズに進むようになっています。そして、そうした仲間のネットワークが国全体、さらには国際的な取引関係にまで広がっていくことで、互いに繁栄できる仕組みになっています。
日本の場合は、島国であることや、日本語人口が圧倒的に多いことなど、好条件もあいまって、他の国以上にそうしたシステムがうまく回っているように思います。
日本語を話せて、できればちゃんとした会社の従業員などの肩書があり、きちんとした服装をしていて、話の内容に筋が通っている、みたいな簡単な「テスト」にパスすれば、相手をそのまま信用してかまわないし、それで問題はほとんど起きないのではないでしょうか。実際、テストの内容は時代を追うにしたがってどんどん簡略化されてきたし、今や、日常生活においては、自分が相手をテストしていることさえ、ほとんど意識しなくて済むほどです。
ただ、そういう環境が当たり前になってしまったために、海外で日本と違う環境に直面すると、きちんと「信用テスト」をせずに仲間と認定してしまったり、テストにパスしない人間をどう扱えばいいか分からず、はっきりと「ノー」が言えないために、さまざまなトラブルに巻き込まれる日本人も大勢いるようです。
とはいえ、日本では、信用できないと相手に告げるということは、絶対的な多数派である、信頼できる人間同士のネットワークから放逐することを意味するし、それはつまり、村八分の宣告みたいなものです。日本人としては、友人にひどい裏切りを受けたので絶交するみたいな、よほどのケースでなければ、そんな経験をすることもないでしょう。
そして、私たちは、信頼を失うというのがどういうことか、学校や会社といった組織での体験や、マスコミの報道などを通じて、その恐ろしさを心に深く刻み込まれているし、自分だけはそんなことにならないように、仲間のネットワークから放逐されないように、強い同調圧力に耐えながら、必死で「いい人」を演じ続けています。
目の前の相手に、おまえは信用できないと言い放つことがどれだけ深刻なことかを知っているからこそ、私たちは、そうすることに相当な覚悟を必要とするのではないでしょうか。
でも、インドに行くと、橘氏が書いているように、いつどこで誰からどのようにだまされるかわからないという、「信用の根本的な枯渇」体験が次々に押し寄せてきます。そこは、お互いに信頼し合おうという考え方の通用しない、極端な言い方をすれば、隙を見せた者が容赦なくつけ込まれる弱肉強食の世界です。
そういう社会が暮らしやすいかどうかは別にして、いったんそういう世界に足を踏み入れたら、日本で身につけた相互信頼の美しい作法はいったん忘れて、現地でうまくサバイバルできるやり方に、素早く切り替えなければなりません。
そのために、最初のうちは、勇気を振り絞って、相手にきっぱりと「ノー」を言い渡すことも必要になってきます。
ただ、誤解のないように補足しておくと、北インドの観光地で、日本人旅行者がカルチャーショックを受けるのは確かですが、インドの客引きや商売人のやり口には一定のパターンがあるので、ガイドブックや旅仲間のアドバイスを頭に入れた上で何度か対応すれば、彼らのやり方に少しずつ慣れ、そのうちに、彼らをうまくあしらうコツも身についていきます。
やがて、余裕が出てきて、インド人の商売の仕方をじっくり観察できるくらいにまでなれば、それはそれで、日本ではなかなか体験できない、一種のエンターテインメントとして楽しむことさえできるようになるかもしれません。
それと、先ほど、隙を見せたら容赦なくつけ込まれると書きましたが、そのレベルには上から下までものすごい幅があります。
インドにも、本当に危険な裏の世界があるのだろうし、そういう世界に下手に入り込むと、それこそ命に関わることにもなりかねないと思いますが、北インドの観光地で旅行者からぼったくろうとしている人々のほとんどは、ごく普通の庶民であって、商売を抜きにすれば、それなりにいい奴だったりすることもあります。旅人を騙すやり口にしても、完璧とまではいえず、けっこうすぐにボロが出たりするところに、何ともいえない人間味が感じられたりもします。
それに、隙を見せられないのは、別にインドに限った話ではありません。現代の日本にも、お互いを信用できない弱肉強食の世界は存在するし、そういう世界の騙しのテクニックの巧妙さは、北インドの普通の商売人の比ではないかもしれません。
インドの場合、騙される、ぼられるといっても、ほとんどの場合、金額的にはたかが知れています。もちろん、旅先では注意するに越したことはありませんが、あまり深刻に考えすぎず、たとえぼられたとしても、面白い体験をしたとか、騙されることへの免疫がついたと考えるくらいの気持ちでいた方が、旅を楽しめるのではないでしょうか。
そして、たとえインドの商売人たちにイライラさせられることがあっても、彼らもまた、この地球の上に生まれ、与えられた条件の中で何とか知恵を絞って生き抜こうとしている、私たちと同じ人間だということへのリスペクトは忘れないようにしたいと思います。
山田和 著 『21世紀のインド人 ― カーストvs世界経済』 の紹介記事
記事 カトマンズの宝石店で
記事 旅の名言「人を疑うことで……」
記事 旅の名言「騙されることは……」
JUGEMテーマ:旅行
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