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夏が来れば思い出す

夏が近づき、気温も高くなってきて、台所の生ゴミからあの独特の匂いが漂ってくるとき、あるいは、生ぬるい水道水を口にふくんで、かすかな生臭さを感じるようなとき、私はタイやバンコクの街を思い出します。

 

こんなことを書くとタイの人に怒られてしまいそうなので、急いでつけ加えておくと、私にとって、その匂いは決して不快なだけのものではなく、むしろそれは、たくさんの楽しい思い出と結びついているのです。

 

もうずっと昔、初めての海外旅行でバンコクの街を歩き回って、そのアジア的な混沌に魅せられたのですが、それと同時に、屋台の立ち並ぶ道端から漂ってくる、饐えたような強烈な匂いもまた、私の心にしっかりと刻みつけられました。

 

宿のベッドで目が覚めて、枕元にすら漂っている街の匂いに気づいた瞬間、自分はいま、異国にいるのだという実感をしみじみと味わったものです。

 

最初のうちは、そうした匂いへの抵抗感とか、日本で身につけた衛生観念が邪魔をして、街の安食堂や屋台で食事をするのがためらわれたのですが、ツーリスト向けの小綺麗なレストランが見つからないときなど、ちょっと勇気を出して路上での食事にチャレンジしてみるうちに、その楽しさに少しずつ目を開かされていきました。

 

地元の人々がふだん口にしている、飾り気のないシンプルな、しかしタイ料理らしいはっきりとした個性を感じる料理の数々は、ツーリストカフェの無国籍風料理よりずっとおいしかったし、蒸し暑い土地なので、壁のない広々とした場所で食べている方が、涼しくて快適でした。

 

それに、そこでは、短パンによれよれのTシャツ、ペラペラのビーチサンダルという、いかにも貧乏旅行者という格好をしていても何の違和感もありません。また、店の人も近くのテーブルで食べている客も、私たち外国人旅行者に余計な干渉はせず、適度に放っておいてくれます。そんなゆるい雰囲気の中で、汗を滴らせながら、定番のタイ料理を夢中になって食べているとき、私はワクワクする楽しさや、何ともいえない解放感を覚えていたのだと思います。

 

その後、タイや他のアジアの国々を何度も旅するうちに、路上で食事をすることは、私にとって、旅の日常になっていきました。そしてあの、スパイスの香りが入り混じった生臭い匂いもまた、街角のごくごく当たり前の存在として、いつしか意識することもなくなっていました。

 

長い旅を終えて日本に帰ってきたとき、街のどこもかしこも清潔で、静かで、きちんとしていることに逆カルチャーショックを受けました。きちんとしすぎていて、何だか窮屈にさえ感じられたほどです。しばらくすると、そうした違和感は消えていきましたが、それでも、南国的なゆるさを求める気持ちは、帰国後も心のどこかでずっとくすぶり続けていたのかもしれません。

 

いつのことだったか、もう覚えてはいないのですが、ある暑い日に、台所の生ゴミの匂いをかいだ瞬間、タイでのさまざまな思い出が、心の中に一気に溢れ出してきました。そして、それは不思議な解放感を伴っていました。理由もなく、明るい笑いがこみ上げてきたのです。

 

それ以来、ちょっと生臭い匂いをかいだときなど、必ずというわけではありませんが、心の片隅が、懐かしいような楽しいような、ふわっとした温かい気持ちになることがあります。それは、しばらくすると別の感覚にかき消されてしまうような、ささやかな感覚にすぎないのですが、それでもそれは、日々の生活に、ちょっとした彩りを与えてくれているように思います。

 

いま、経済成長の続くアジアの国々では、日本と同じような、細かいところまできちっとした、清潔で静かで便利で快適な暮らしに向かって、多くのものが急速に変化しつつあります。きっと、バンコクの路上のあの匂いも、街の美化とともにやがては消えていくことになるのでしょう。

 

それでも、私の記憶の中のタイやバンコクは、今でもあの匂いとしっかりと結びついたままだし、それはたぶん、これからもずっと心の中から失われることはないと思います。

 

そして、夏が近づき、台所であの独特の匂いをかぐたびに、私にささやかな解放感を与えてくれるのかもしれません。

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 18:56, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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