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「懐メロ」の効用
先日、ネットで面白い記事を読みました。
音楽ストリーミング配信サービス Spotify の利用者のデータを調べてみたら、どの年齢層も、自分たちが中学生の頃の曲をもっとも好む傾向がみられたという内容です。
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている FNMNL
似たような話は、以前にも何度か目にしたことがありますが、膨大なデータの裏づけをもって示されると、かなりの説得力があります。
ただ、調査の元になったデータについては、別の解釈の余地もあるように思います。
上の記事では、ある曲の再生数が多ければ、その曲はユーザーに好まれていると解釈していますが、もしかすると、再生数自体は、私たちの行動パターンを客観的に示すものではあっても、音楽の好みそのものを正確に反映しているとは限らないかもしれません。
私たちのほとんどは、中学生時代に好きだった曲を延々と聞き続けているわけではなく、ふだんはみな、それぞれの趣味嗜好に応じて、新しい曲や古い曲をいろいろ取り混ぜて聴いているはずですが、それらの好みはバラバラなので、どれもまとまった再生数にはならず、統計的に見た場合に、目立った傾向として表れないのかもしれません。
その一方で、私たちは時々ふと、ずっと昔のなつかしい曲も聴きたくなるわけですが、そんなときは、アーティストや曲名ですぐに検索して曲にたどりつけるくらい、誰もが知っている有名な曲に再生が偏りがちになっているのではないかとも考えられます。中学生の頃は、まだそれほど音楽の興味が細分化されておらず、みんな同じような曲を聴いていただろうし、テレビやラジオ、あるいは街中で耳にする機会の多かったヒット曲なら、かなりしっかりと記憶に残っているはずで、ずっと後になっても、そういう曲のことは思い出しやすいのではないでしょうか。
Spotify は、もうレコードやカセットテープを手放したり失くしてしまったりしたような、何十年も前の曲を、いつでも気軽に聴くことができるので、そういう曲を、ふと思い出してササッと検索し、とりあえず聴いてみた、というパターンがけっこうあって、それが再生数のデータに表れてはいるが、みんな、それらの曲をなつかしいとは感じていても、大好きな曲だとまでは思っていない可能性もあると思います。
そして、中学時代の曲が最も多く再生されているのは、そのころの曲が好きだからというよりは、私たちがなつかしい気持ちに浸りたいと思ったときに、大学時代や高校時代よりも、中学生のころを思い浮かべ、そこに戻ろうとする傾向が強い、ということを示しているのではないかという気がします。
当時のヒット曲は、そうやって昔の思い出に浸るためのスイッチ、ちょっとした時間旅行の入り口として利用されているのかもしれません。
まあ、このあたりは、あくまでも私個人の妄想的な仮説に過ぎませんが……。
それはともかく、最近、Spotify で自分にとっての「懐メロ」を聴いていて気がついたのですが、昔なつかしい曲を耳にしているときに湧いてくる感情は、過去の感情の記憶がよみがえっているわけではありません。それは、音楽をきっかけに、今まさに心の中に湧き起こっている、生き生きとした心の動きです。そして、ずっと昔にその曲を聴いていたときにも、ほとんど同じような感情が、心の中に沸き上がっていたのだと思います。
私たちは、自分の置かれた状況とか、人間関係とか、時代の流れとか、そういうものが大きく変わっているのだから、過去と現在の自分は全く違うと思い込んでいますが、実際はそうではなく、もしも過去と同じような状況が再現されるなら、私たちの心は、今もなお、過去とほとんど同じように反応するのではないでしょうか。
私たちは、年齢とともにさまざまな経験を重ねている分、けっこうずる賢くなっており、自分が傷つかないように、心に鎧をまとい、うまく立ち回ったりしていますが、それは表面的な部分の話で、心の底で何を感じるかという点に関しては、歳をいくら重ねても、本質的なあり方はほとんど変わっていないのかもしれません。
もちろん、過去に起きたことも、過去の自分がしたことも、もはややり直すことはできませんが、過去の自分が感じていたのとほとんど同じ感情は、いつでも呼び出せるし、その中にいくらでも浸ることができるのです。
多くの人は、そのことに何となく気づいていて、いつの間にか見失ってしまった自分の心を取り戻したいと感じた時には、ほとんど無意識のうちに、昔の曲を聴いたりしようとするのかもしれません。なつかしい曲を耳にし、当時の雰囲気を思い出すことで、歳を重ねるごとに分厚くなっていた心の鎧から解き放たれ、たとえひとときであっても、昔のナイーブで傷つきやすく、でも今よりももっとみずみずしく、生き生きとしていた自分の心に触れようとするのではないでしょうか。
そして、そんなときに私たちが目指すのは、なぜか中学時代の自分というわけです。
中学時代は、大人の社会の仕組みやルールを理解し、身につけ、親やまわりの人々に頼らずに、いろいろなことを自分で判断し、自由に動けるようになりつつある一方で、大人の社会のしがらみにも少しずつ取り込まれ、子供のように無邪気なままではいられなくなることへの恐怖も感じている、複雑な時期でもあります。もしかすると、大人でも子供でもない、その境界の微妙な時期だからこそ、まるで脱皮や羽化の最中の生き物のように、柔らかくて繊細で不安定な心が露わになり、どんなに鈍感な人でも、自分でそれに気がつくことができるのかもしれません。
そうした記憶が心の底にしっかりと残っているので、生き生きとした自分の心にもう一度触れたいと思った人は、とりあえず中学時代の自分に戻ろうとするのではないでしょうか。
しかし、私たちは傷つくことを恐れているので、その頃のように、ずっと無防備な心のままでいるわけにはいきません。懐メロをきっかけに、しばらくのあいだ、自分自身の柔らかな心に触れたら、それを再び、心の鎧の奥にしまい込んでしまうのですが、それでも、自分の心がまだ死んでいないことを確認してホッとするのです。
私たちは、歳をとると、自分が昔よりもちゃんとした人間になったと思い込みたくなるものですが、懐メロは、むしろ、私たちが本質的な部分では何も変わっていないことを教えてくれます。そしていつでも、柔らかくて素朴な心を取り戻すきっかけを与えてくれます。
懐メロだけでなく、昔の映像とか、大事に保管してきたなつかしい品物など、時間をさかのぼり、過去の自分を思い出させてくれるアイテムは、そうした作業のために欠かせない道具なのではないでしょうか。
ただし、中学時代の日記などをいまだに処分していなかった場合、それらをうっかり読んでしまうと、昔の心を取り戻すどころか、忘れていた心の傷が強烈にうずきだしたり、恥ずかしさに身悶えすることになりかねないので、くれぐれもご注意ください……。
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