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心の中の官僚制度
これは別に、今に始まったことではないのですが、マスメディアの報道からネット上の匿名コメントに至るまで、いわゆる「お役所」の人たちや、その仕事ぶりが批判されているのをよく目にします。
そうした批判には、ロジカルで説得力のあるものもあれば、自分の怒りを誰かにぶつけたいだけ、みたいなのもありますが、お役所や公務員が多くの人々の不満のターゲットになること自体には、それなりの理由はあると思います。
例えば、「お役所仕事」という言葉があるように、実態はともかく、公的機関の仕事ぶりに、効率の悪さや無責任さ、目的意識やサービス精神の欠如などを感じる、という人は多いでしょう。
また、私たちの社会では、民主主義や国民主権というタテマエが掲げられてはいるものの、主権者であるはずの私たちは、いつも重要な決定から締め出されており、実際には、高級官僚とか、彼らを取り巻く政界・財界の利害関係者など、ごく少数の人間だけが重要事項を判断・決定して、彼ら自身の利益のために世の中を動かしている、と思っている人もいるのではないでしょうか。
それが本当なのか、単なる陰謀論に過ぎないのか、実際のところは私にも分かりません。
ただ、その真実はともかく、お役所の仕事ぶりや、そこで働く人々に対して、私たちがつい非難がましい気持ちになってしまうのには、ほかにももう一つ、大きな理由があるのではないかという気がします。
もしかすると、私たちは、自分の心の中に存在する、自分では認めたくないさまざまな欠点を彼らに「投影」し、本来なら自分自身に向けるべき批判の矛先を、自分以外の誰かに向けているだけなのかもしれません。
ウィキペディア 「投影」
私たちは、他人の発言や行動を観察して、その欠点を見つけるのは簡単にできますが、自分自身がやっていることについてはかなり無自覚だったりします。私たちの誰もが、いつも無意識のうちに繰り返してしまう、ネガティブな思考と行動のパターンを持っているものですが、それらに自分ではっきりと気づくのは難しいし、それらを修正するのはさらに困難なことです。
私たちの頭の中では、朝から晩まであらゆる種類の思考が駆け巡っているわけですが、それらはどこからともなく湧いてきて、深く吟味されることもないまま、私たち自身の思考としてそのまま受け止められ、その結果、私たちの日常的な発言や行動につながっていきます。しかし、そうした思考が、つねにポジティブで柔軟で、創造的だという人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
実際には、本当はやりたくもないことを、これまでずっとそうしてきたからとか、ルールで決まっているからという理由でやらなきゃいけないと考えたり、逆に、本当はやりたいことなのに、世間体が悪いとか、今の「自分らしさ」に反しているという理由であきらめたりと、さまざまな思考がマイナスに働いて、自分自身の発言や行動を束縛している人が、かなり多いのではないかと思います。私たちは、せっかくいいアイデアを思いついても、それを素直に実行できるわけではなく、やるべきか、やめておくべきか、あーだこーだと考えた末に結局やめてしまったり、余計なことをいろいろ考えすぎて、何が何だか分からなくなり、やりたいと思ってもいないことを行動に移してしまったりするのです。
つまり、私たちの日常的な思考と行動のパターンの中にも、まるで官僚制度みたいに複雑で重たい仕組みができあがってしまっていて、それが、私たち一人ひとりが自由に生きることを阻害しているのではないでしょうか。
そして、そういうネガティブな仕組みについて、自分ではっきり自覚することも、変えていくこともできず、頭の中の思考に流されるまま、楽しくない生活を続けている自分に対して、私たちは常にイライラしており、そのモヤモヤとした怒りを、外の世界の、同じように複雑で重たい仕組みである官僚制度に、ついぶつけたくなってしまうのではないでしょうか。
しかし、自分自身の心の中の問題を、外部の何かに投影して、そこに怒りをぶつけてみたところで、問題はいっこうに解決しません。そして、そうやって憂さ晴らしを続けている間にも、朝から晩まで私たちの頭の中を駆け巡り、ああしろこうしろと余計な介入ばかりしてくる自動思考によって、私たちの生きるエネルギーはどんどん奪い取られているのではないでしょうか。外のリアルな世界において、誰の得にもならないような、ややこしい制度やら煩雑な手続きやらを維持するために、多くの税金が消えていくみたいに。
もちろん、そういうややこしい仕組みは、完全にムダで無意味というわけではなくて、それらが今までずっと残り続けてきたのには、それなりの理由があるのも確かです。例えば、実際の官僚制度には、これまでの長い歴史の中で、先人たちが苦労して見出した有用なルールや慣例を積み重ねていくことで、不要な争いや間違いが起きるのを防ぎ、さまざまな立場や価値観をもつ人々の利害をそれなりにうまくまとめてきたという側面があります。
同様に、私たち一人ひとりの心の中でも、ときに矛盾するさまざまな欲求がつねにせめぎ合っているわけで、もつれ合う欲求の間で何とか折り合いをつけ、さらには社会的な失態を防ぎ、トラブルに巻き込まれる危険を避けるためにも、考えるべきポイントはどんどん増えていくことになります。その結果、思考のパターンが複雑化し、結果的に、生き生きとした生命力に欠けてしまいがちになるのは、仕方ない面があるのかもしれません。
それでも、これまでの人生の中で蓄えてきた知識や経験が、未整理のまま頭の中にゴチャゴチャと居座っている状態だと、自分にとっていちばん大切なことは何か、自分は本当は何がしたいのか、みたいな大事なことが、見えにくくなりがちだし、頭の中を飛び交う余計な思考に邪魔されて、判断も鈍りがちになってしまいます。
そうした心の中の混乱を、ある日突然、何もかも解決してくれるような秘策はありません。リアル世界で、ゴミ屋敷や汚部屋を、専門の業者がてきぱきと片づけてくれるようなわけにはいかないのです。それでも、自分の思考と行動のパターンにもっと自覚的になり、気がついたところから、できる範囲で少しずつ整理してみるだけでも、私たちの心はそれなりに身軽になり、これまで失われがちだったエネルギーを、多少なりとも回復することができるのではないでしょうか。
自分以外の誰かに怒りをぶつけてみたり、外の世界を自分の思い通りに変えようとして強引に動くよりも、まずはそうやって、心の中の官僚制度の改革に着手してみることのほうがずっと効果がありそうだし、それがうまくいけば、世の中が変わっても変わらなくても、自分自身の問題にコツコツと地道に向き合いながら、少しずつ確実に、心に余裕が持てるようになっていくのではないかと思います。
そして、そうやって、自分のやるべきことに集中していくならば、この世界にありがちな、「お役所仕事」的なものごとに遭遇しても、必要以上にイライラしたりすることはなくなるのかもしれません。
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