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探求と選択と自覚のプロセス
◆ ネット上の情報選択
以前にもこのブログで何回か書きましたが、私はネット上での情報収集のために、今でもRSSリーダーを愛用しています。
記事 カレイドスコープ・メディアの時代?
記事 RSSリーダーの「断捨離」
記事 最強のエンターテインメント?
ずっと昔、RSSリーダーを使い始めたころは、登録したサイトの数もそれほどではなかったので、ちょっとした散歩でもするような気持ちで、見出しをざっと眺めてみたり、気になった記事を読んでみたりという作業を、行き当たりばったりに繰り返していました。
しかし、チェックしたいサイトの数がどんどん増えて、フィードの数も膨大になると、気分にまかせてあちこち寄り道するようなやり方を楽しむ余裕がなくなりました。それではとにかく疲れるし、時間がかかりすぎます。いったん始めたチェック作業がいつ終わるのか目処が立たず、好きなことをしているはずなのに、だんだんイライラしてくるのです。
それでも、毎日膨大なフィードを処理しているうちに、おのずと、作業の流れのようなものが確立されていきました。今は、RSSリーダーを立ち上げるのは一日2〜3回ほどに制限し、そのさいにはできるだけ時間をかけず、自分の興味関心にうまく当てはまるものとか、特に理由はないが何となく気になるものを、流れ作業で瞬時に選別する感じで、読む記事と読まない記事とをどんどん振り分けていきます。
この時点で、一度読まないと判断された記事を、あとで読むような機会は二度とありません。明日になれば、いや、数時間後には、RSSリーダーに次の新しいフィードが大量に溜まっているので、もはや、過去にさかのぼって記事の再チェックをしているような時間はないのです。だから、一瞬の判断で読まないと決めた記事については、初めから縁がなかったということで、すっぱりと忘れ去るしかありません。そして、読むと決めた記事だけを、後で時間をみつくろって、少しずつ読んでいきます。
とはいえ、こういうフィードのチェック作業には、かなりの集中力が必要だし、目も頭もけっこう疲れます。それに、こうした作業に毎日かなりの時間もかかっているので、それらが自動化できたら、かなり楽だろうな、とは思います。実際、ネット上のさまざまなサービスも、そういう方向に向かって開発と進化が進んでいるように見えます。
◆ 探求と選択と自覚のプロセス
そして、日常生活において、こうしたチェックや選別のプロセスというのは、至るところに存在します。
例えば、テレビのザッピング。私たちは、ひとりでボーっとテレビを見ているときなど、チャンネルを目まぐるしく変えながら、見たい番組を決め、それと同時に、いくつもの裏番組という別の選択肢を捨てていきます。
あるいは、私たちは、巨大なショッピングモールやネット通販のサイト上を、特にあてもなくぶらついたりします。そして、ゆっくりと時間をかけ、膨大な商品の山に目を泳がせながら、その中のごくごくわずかな、自分が本当に欲しいと思うものだけを選び出していくわけですが、それは同時に、他の無数の商品を購入する可能性を、バッサリと切り捨てていくことでもあるのです。
私たちは日夜、ムダとしか思えないような多大な時間と手間暇をかけて、目の前に広がる数え切れない選択肢に目をやり、それを自分の興味関心や必要性とつき合わせ、その中から、選ぶべきわずかなものだけをすくい上げています。そのプロセスはふつう、ほとんど無意識のうちに行なわれているので、自分の心の中で何が起きているか、きちんと自覚されることはめったにありません。しかし、実際には、そうやって無意識の選別が行われるたびに、自分はどういう人間で、何を欲しているのか、つねに自分自身への問いかけがなされているはずです。
そしてそれは、自分の興味や関心という、そのままでは漠然としてとりとめのないものを、見たいテレビ番組とか、欲しい商品を選ぶという行動を通じて、具体的なイメージやモノという、目に見える形に変換していくことでもあります。
私たちは、そういう活動を毎日のように繰り返すことで、自分がどんな人間であり、何を求め、どこに向かって進もうとしているのかを確認し、それを分かりやすいイメージとして自覚していくのだと思います。実際、私たちが、自分はどういう人間かと考えるとき、頭の中には、これまで自分が選び、好きになった商品やコンテンツ(の集合体)が浮かんでくることも多いのではないでしょうか。
もちろん、この世界全体が常に変化しつつあるように、私たちの興味や関心も、自分自身のイメージも、時間とともに少しずつ変化していくわけですが、日々休むことなく繰り返される、そうした探求と選択のプロセスを通じて、これまでの自己イメージにはなかった、新しい自分の姿がおぼろげに見えてきたりすることもあるでしょう。
そうやって、時間とともに移り変わっていく私たちの自己イメージの分かりやすい輪郭を形作り、また、新たな自分の可能性につながっていく、という意味では、一見ムダに費やされているようにしか見えない、そうした探索と選択の時間は、私たちが思っている以上に大事な時間だったりするのかもしれません。
◆ プロセスを効率化したいという欲求
ただ、そうした作業は、いつもほとんど無意識のうちになされているし、はっきりとした方向性の見えない、行き当たりばったりのものであることも多いので、本人としては、それを単純にムダなことだと思い、そういう時間を何とかして減らせないかと考えてしまいがちだと思います。膨大なTV番組の中からどれを見るかという選択にしても、ショッピングにしても、自分でじっくりと迷いながら決めていくよりも、何を選んだらいいか、失敗しない最良の選択肢を誰かに示してほしいと思う人は多いのではないでしょうか。
また、ネット上の情報収集にしても、RSSリーダーにサイトをいちいち登録したり、それを毎日チェックしたりするよりも、自分のネット上の活動から生まれる膨大な個人データをAIに分析させ、自分が特に何もしなくても、オススメの情報が自動的に提示されるようにしてほしい、その方がずっと楽だし時間も節約できるから、と考える人は多いと思います。
ただ、近い将来、そうしたプロセスがどんどん自動化されるようになれば、私たちは、これまでほとんど無意識のうちにおこなってきたさまざまな探求活動に対して、さらに無自覚になってしまうでしょう。そして、無自覚になれば、そういう探求の本当の価値に気づかないまま、それに費やしていた膨大な時間を、単なるムダな作業として簡単に捨て去ってしまうかもしれません。
しかし、そうなれば、自分が何者であるかという根本を、つねに問い直し続けるという重要なプロセスを、人間以外の何かにゆだねることになってしまいます。大げさな言い方をすれば、それによって、自分がどんな人間かを自覚するきっかけすら失う人も出てくるかもしれないし、いったんそうなれば、自分が何者かを決めるのは自分ではなくなり、誰かに与えられた「自分の定義」から抜け出せなくなってしまうのではないでしょうか。
それは、いつまでも覚めることのできない夢のようなものであり、ある意味では悪夢とさえ言えるのかもしれません。
◆ 「何となく満たされない」という思いが導くもの
しかし、テクノロジーの発達によって、膨大な個人データをもとに、アルゴリズムがすべてを先回りして示してくれる世界、言いかえれば、親切すぎる機械に囲まれた息苦しい世界ができあがったとしても、私たちがそこから永遠に抜け出せないということはないでしょう。
私たちは、そうしてあてがわれた世界の中でずっと過ごすことになるとしても、そのうちにきっと、何となく面白くない、満たされない、という形で、違和感を感じ始めるはずです。
そして、違和感をもった人々の一部は、おせっかいで埋め尽くされた日常の外側にどんな世界が広がっているのか、その未知の世界を見てみたいという衝動に駆られ、実際にそれをせずにはいられなくなるのではないでしょうか。
◆ すでにあるものを選ぶだけでは限界がある
もちろん、ここまでの話は、説明しやすくするためにかなり単純化しています。
そもそも、いくら世界中を探索しても、私たちそれぞれにピッタリの選択肢が、何かのコンテンツや商品という形で、どこかに必ず見つかるという保証はありません。誰かがすでに表現した何か、誰かが商品として発売した何かを検索し、それらの中から自分の好きなものを選ぶだけで、自分が何者であるかについてすべてが分かってしまうほど、この世界は簡単ではないと思います。
私たち自身について、本当に肝心なところは、そうやって誰かがすでに表現したものを超えて、私たち自身にしか表現できない、あるいは、表現することなどできない、もっとオリジナルで微妙な「何か」としてしか見出せないのかもしれません。そして、そうした、まさに自分だけのために用意されていたような何かをかいま見たときに初めて、人は本当に、それを何とかして表現したいという欲求にかられるのではないかという気がします。
もっとも、そのオリジナルな何かを自分なりに形にするのは、たぶん、出来合いの商品を選択するような行為よりも、はるかに困難なプロセスになるのでしょうが……。
それでも、たぶん私たちは、「何となく満たされない」という思いに導かれる形で、やがてはそうした表現活動にも踏み込んでいかざるを得なくなるだろうし、近未来の世の中では、そうした活動こそが、人々の興味関心の中心になっていくのかもしれません。
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