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過去に光を当てる

以前にこのブログで、Spotifyを「懐メロ」プレイヤーとして使っているという話を書いたのですが、今でもたまに気が向くと、Spotifyで昔の曲を漁っては、自分用のプレイリストを作って楽しんでいます。
記事 Spotifyと「懐メロ」
記事 「懐メロ」の効用

 

今は、良くも悪くも激動の時代で、日々、驚くようなニュースには事欠かないし、新しいコンテンツも世界中で次々に生み出されています。若い人たちからすれば、最新の話題についていくだけでも大変だというのに、古ぼけた音楽にわざわざ目を向けている時間などないかもしれません。

 

しかし、もう若くない人間は、むしろ逆で、世の中のめまぐるしい動きについていけないからこそ、思いは自然と、古き良き過去へと向かっていくのです。

 

ある調査によれば、多くの人は、自分が中学生だったころの曲ばかり聴いているようだし、30代になると、新しい音楽を探すのもやめてしまうみたいです。つまり、ある程度歳をとった人間は、みんな懐メロばかり聴いているということになります。もちろん、例外はあるでしょうが。
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている FNMNL
新しい音楽を楽しめるのは30歳まで? ニューズウィーク日本版
記事 過去に惹かれる心

 

Spotifyの公式プレイリストも、年代別のものがどんどん充実してきていますが、それも、中高年のユーザーの利用データなどを分析したうえで、彼らのニーズにそれなりに応えようとしてくれている、ということなのかもしれません。

 

個人的には、そうした年代別のプレイリストが増えたおかげで、昔の曲を探すのがさらに簡単になりました。

 

目当ての曲名やアーティスト名をはっきり覚えているなら、そのままダイレクトに検索すれば済むのですが、そういう曲は多くないし、自分で思いつく範囲のものは、もうだいたい検索し尽くしてしまっています。それに、そこまで深い思い入れがなく、曲名もアーティストも全く覚えていないけれど、当時、ラジオとか街頭で何度も流れているのを聞いて、サビのフレーズだけは記憶に残っている、みたいな曲は、めぼしいヒット曲を集めたプレイリストを片っ端からチェックするようなことでもしないと、なかなか見つけられないのです。

 

ただ、年代別のプレイリストは、Spotifyのトップ画面から何度かクリックしないとたどり着けないような、ちょっと分かりにくい場所に置かれています。例えば、デスクトップ版だと、現時点では、トップ画面の「Browse」から「ジャンル&気分」を選択し、そこからさらに「年代別」のコーナーを開き、多数のプレイリストの中から、どれか一つを選ぶ必要があります。

 

でもまあ、Spotifyを懐メロプレイヤーとして使う私のようなユーザーは、課金して月に何十時間も音楽を聴いたりはしないので、運営側も、ビジネスとして、そういう人々のためのサービスを重視することはないでしょう。むしろ、それにもかかわらず、年代別のプレイリストをいろいろ用意し、随時更新してくれていることに、大いに感謝しなければならないのかもしれません。

 

それはともかく、そうやって昔の曲をあれこれ聴いていると、ふと興味がわいて、ときどき、曲名をウィキペディアで検索してみることがあります。

 

みんなが知っているような名曲なら、どんな経緯で曲が生まれたのか、とか、どういう風にヒットしていったか、とか、その後どんなアーティストたちにカバーされたか、みたいな、さまざまなこぼれ話が書かれていることが多く、読んでいて面白いだけでなく、当時、何も知らずに聞き流していた一曲一曲の歌の陰に、深い人間ドラマがあったことを知り、同時代を生きていた人間として、さまざまな感慨も湧いてきます。

 

今思えば、自分が中学生や高校生だったころは、学校で習ったタテマエみたいなことを除けば、大人の社会についてのリアルな知識もなく、日々のニュースも何となく受け流しているだけで、それぞれの出来事にどんな意味があるのか、世界で何が起こりつつあるのか、ちゃんと考えたことなんてほとんどありませんでした。それよりも、思春期の不安定な心身を抱えた自分が、毎日を何とか無事に生きていくだけで精一杯だった気がします。

 

そういう意味では、当時の記憶といっても、自分と身のまわりの、ごく狭い範囲の経験に限られたものでしかなく、あとは誰でも知っているような大事件とか流行したモノなどが、断片的に浮かんでくるだけです。それでも、そのころの音楽を改めて聴いていると、その時代の雰囲気のようなものが、ぼんやりと蘇ってくるような気がするし、その曲やアーティストにまつわるエピソードを読んだり、関連するリンクをたどったりしていると、ああ、そういえばそんなこともあったなあ、という感じで、それをきっかけに記憶のフタがあちこちで開いて、昔のことを少しずつ思い出したり、当時は全く知らなかった意外な事実を知って、いまさらのように驚いたりするのです。

 

もちろん、そうやっていろいろなことを思い出したり、過去の事実を新たに知ったりしたところで、生きていくうえで何かの役に立つということはほとんどありません。

 

ただ、そうやって昔の出来事を脈絡なくたどったり、当時の雰囲気をぼんやり思い出したりして遊んでいると、過去の乏しい記憶の世界が、少しだけ色鮮やかに、そしてポジティブで温かな雰囲気に変わっていくような感じがします。

 

私が10代だったころは、とにかく視野が狭くて愚かで未熟だったから、その当時のオリジナルの記憶も、そんな自分の、相当に歪んだ世界観や価値観のフィルターを通して受けとられ、心に刻み込まれたものばかりです。まあ、今思えば、そのひどい歪みこそが、自分が人間として生きていたという証でもあるので、それなりに大切なものではあるのですが、同時に、そうした記憶の歪みが今に至るまでずっと尾を引いて、いろいろとネガティブな影響をもたらしているのも確かです。

 

しかし、いま、私たちには、インターネットが与えてくれる膨大な情報があります。懐メロをはじめとする過去のコンテンツだけでなく、自分以外の無数の人々が過去をどのように生きてきたのか、それぞれの視点によるさまざまな人生経験とその意味づけがネット上にあふれており、それらを通じて私たちは、ちっぽけな自分というフィルターを通した過去だけでなく、多様な人々が生み出す壮大なドラマとしての過去の世界を、その細部にいたるまで飽きることなく見ていくことができます。そして、自分の記憶もまた、人類を主人公にした超大河ドラマのささやかな一部であることが分かれば、苦しかったり悲しかったりした過去の出来事でさえ、ただのムダな経験ではなかったような気がしてきます。

 

もちろん、いくら当時を振り返ったところで、過去をやり直すことはできないし、先ほども書いたように、今は今で、世の中は激しく動いていて、一瞬たりとも目が離せないような状況なのだから、それがどんなに心地よく癒される体験だからといって、過去の世界にばかり浸っているわけにもいかないでしょう。

 

それでも、そうやって、現在のネットが可能にした圧倒的な情報量をもって過去に光を当てることで、過去の出来事を変えることはできなくても、自分の過去をどう意味づけるか、その解釈はもっとポジティブなものに少しずつ変えていくことができます。そして、たとえそこまではいかなくても、過去の世界に何度か親しんでいるうちに、それは、ずっと放置されたままだった、ほこりだらけの物置小屋のような世界から、しばらくのあいだ心を休めることくらいはできそうな、ほんのりと温かみのある世界に見えてくるかもしれません。

 

もしかすると、歳をとった人間が、懐メロみたいなものにだんだん興味が湧いてくるのは、現代の世の中の動きについていけなくなったからだけではなく、心の片隅に封印したり放置したままだった過去のさまざまな記憶とそろそろ向き合う準備ができた、というサインでもあるのかもしれません。

 

恥ずかしかったり情けなかったりしてずっと目を背けてきた当時の出来事も、さすがに何十年も経てば、何とか耐えられるくらいにはなるだろうし、人生経験を重ね、それなりに知恵もついてきた今の自分は、ずっと昔の自分の判断や行動を、あるていど冷静に、寛容に受け止めることができるようになっているでしょう。

 

Spotifyで昔の懐かしい曲を聴いて、久しぶりにゆっくりと過去の感傷に浸ったら、あのころ、わけもわからず精一杯生きていたのは自分だけではなく、まわりの人々もほとんどがみなそうだったのだということを改めて思い、それに免じて、かつての自分の数々のあやまちを許してあげるのもいいかもしれません。もちろん、何でもかんでもOK、というわけにはいかないでしょうが……。

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

at 20:33, 浪人, つれづれの記

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