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道行く人を撮れない時代
先日、ネットの片隅で、ある一連のツイートが話題になっていました。
見知らぬ人に自分の子供をいきなり撮影され、抗議しても、自分は怪しい人じゃないから大丈夫、という意味不明の言い訳をされるばかりで埒が明かなかった、という話です。
娘と電車に乗っていたら全く知らない老人に突然インスタントカメラで写真を撮られた…『勝手に撮るの止めてください』→全く話が通じなかった出来事 togetter
もちろん、ちょっとした都会であれば、こういうトラブルは日常茶飯事なのだから、いちいちそんなことに目くじらを立てていたらキリがない、という見方もあるのかもしれません。実際、この程度のことは、迷惑行為ではあっても、犯罪とまでは言えないようです。
しかし、今のようなネット時代に、正体不明の人間に写真を撮られることが、最悪の場合、どんな事態を招くかを考えれば、ツイートで怒りや不安をぶちまけた人の気持ちは理解できるし、自分の行為がどれだけ相手を苦しめているか、全く自覚していない撮影者の老人にも大いに問題があると思います。まあ、本人に自覚がない以上、周りが何を言っても、たぶんどうにもならないでしょうが……。
ただ、一方で、知らない人に写真を撮られるのが我慢できないという人は、現時点では、それほど多くはないのかもしれない、とも思います。ほとんどの人は、多少は不愉快に感じるでしょうが、かといって、相手に注意したりして事を荒立てたくもないので、結局はこちらが我慢して済ませてしまう、という感じなのではないでしょうか。
それでも、自分のプライバシーをしっかり守りたい、見知らぬ人間には絶対に写真を撮らせたくない、という人が、たとえ10人に1人、あるいは100人に1人であったとしても、そういう人たちの気分を強く害したり、深刻なトラブルに発展する可能性があるのだったら、私たちは、路上で人々の写真を撮ることには及び腰にならざるを得ないし、その傾向は、今後ますます強くなっていくのだろうと思います。
ここで、誤解のないように補足しておくと、だからといって、プライバシーに敏感な少数の人々が、それほど敏感ではない多数派の人たちにとって迷惑な存在になっている、ということでは全然ありません。
敏感な人たちだけでなく、そうではない人たちも、知らない人間にカメラを向けられれば、それなりに不快を覚えるだろうし、敏感な人たちが拒絶反応を示すのも理解できるはずです。つまり、多数派と少数派の違いは、それを我慢できるかできないかという、程度の問題にすぎないのではないでしょうか。それに、撮影する側にしても、もしも自分が撮られる側なら抵抗を感じる人は少なくないはずで、撮影する際には、どこかやましい気持ちや気後れを感じつつ、それでも自分の撮りたい写真のために勇気を出して相手の承諾を得るようにしている、という人もけっこういるのではないでしょうか。
そう考えると、敏感な人たちというのは、私たちが何となく不愉快に感じつつも、「寛容な大人」を演じて、あえてスルーしていることを、それはやっぱり不愉快だ、時代はすでに変わっていて、今の世の中で、知らない人にカメラを向けるのは明らかなマナー違反なのだと、私たちの代わりにハッキリと抗議してくれているのかもしれません。
今後、路上で人を撮ることへの風当たりはどんどん強くなっていくでしょうが、それは、今まで何の気兼ねもなしに行えたことがいきなりダメになる、ということではなくて、これまでも人々の寛容さに甘える形で何となくやってこれたことが、さすがに限界に達しつつある、ということでしかないのかもしれません。
そして、こういうプライバシーの感覚は、日本だけでなく、いわゆる先進国ならどこでも、さらには開発途上国にもどんどん広がりつつあるだろうし、その感覚の変化自体も、かなり急速に進んでいくのではないでしょうか。
今は、開発途上国でなら、道行く人にカメラを向けても、あまりやましさを感じなくて済むし、外国人だからということで、いろいろ大目に見てもらえると期待して、現地で人物写真を撮りまくっているという人もいるのかもしれませんが、今後数年もすれば、無許可でそういうことをするのは基本的にNG、という不文律が世界的に確立し、相手に許可を得ることさえも、かなり難しくなることは十分に考えられます。
記事 「写真が撮れない」症候群(2)
きっと、これから数年の間は、その移行期で、世界各地の街角で、撮影する人とされる人との間で、けっこう深刻なトラブルが数多く発生することになりそうだし、そういう日常的な摩擦とか、全国レベルの炎上事件みたいなものを通じて、開発途上国の人たちも、だんだんプライバシーの感覚に目覚めていくのでしょう。
ただし、そういう不文律は、通りすがりの、全く知らない人間同士にしか当てはまりません。
相手がたとえ見知らぬ人間であったとしても、その後、ちょっと会話を交わしたり、しばらく一緒の時間を過ごしたりして、どちらかが相手を知人や友人だと認定してしまうと、そのルールは無効になり、お互いにまだそれほど親しくなくても、相手から撮影されるのを断りづらい雰囲気になります。そしてそのために、いろいろとやっかいな問題が生じてきます。
例えば、海外旅行中、ちょっと親しくなった現地の人たちが、彼らのスマホでこちらを写真に撮るようなことはごく自然に起こり得るのですが、昔と違って、今では、その写真がSNSに投稿され、世界中に公開されることも覚悟しなければなりません。もちろん、友だち限定で公開するならOK、とか、こちらからいろいろと条件をつけることはできます。しかし、ほとんど言葉も通じない異国で、そういう細かい要求を、しかも相手の気分を害することなくうまく伝えるのは困難だし、たとえ正確に伝えられたとしても、相手がそれを尊重してくれるとは限りません。
でもまあ、その一方で、世界中の街角に設置されている無数の監視カメラは、24時間、私たちの映像を撮りまくっているし、そこで撮影された映像がどのように利用されているのかも、私たちはまったく知らされていないわけです。そういう意味では、私たちの顔がネット上に不用意にさらされないよう、自分の個人情報を必死に管理しようとしたところで、それは、ほとんどムダな抵抗にすぎないのかもしれません……。
それはともかく、あと数年もしたら、世界のどこに行っても、気軽に撮れるのは風景や動物だけ、という時代がやってくる可能性はあります。
一方で、そうした問題をテクノロジーが解決してしまう、という可能性もあるかもしれません。
すでに現時点で、人工知能が、実在しない人間のリアルな顔をいくらでも描き出すことができるようになっています。例えば、そうやって生み出された架空の人物像を、実際に撮られた街角の風景とうまく合成し、群衆の顔の一つひとつを架空のものに置き換えてしまうようなアプリも、そのうちに現れるのではないでしょうか。そして、撮影された瞬間にオリジナルの画像が破棄され、データとして残らないくらいにまで徹底されれば、撮影される側のプライバシーの問題はなくなってしまいます。
驚愕!この世に存在しない人物の顔をクリック一つで次から次へと生成するサイトが登場 カラパイア
もっとも、かりにそういうテクノロジーが普及するとしても、街行く人々の本当の姿をどうしても撮って残しておきたい、という人がいなくなることはないような気もします。ただ、そういう人は、写真を撮るたびに、人々の強い抵抗に遭うことになるだろうし、そこをあえて実行していく中で、自分がなぜそれをする必要があるのか、常に自分に問いかけずにはいられなくなるでしょう。
それは、相手にストレスを与えてまでやるべきことなのか、そうやって記録に残した写真によって、自分はいったい何がしたいのか、何を表現したいのか、そしてそれは、自分にとってどれだけの意味がある行為なのか……。
そういう重い問いを積み重ね、悩み続け、それでも自分の中に残る何かを持つ、ごくわずかな者だけが、路上でカメラを構える資格を手に入れるのかもしれません……。
JUGEMテーマ:旅行
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