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「正しい」参拝
先日、ネットで、とても興味深い記事を読みました。
神社で「二礼二拍手一礼」は伝統的な作法ではない 宗教学者が教える“しきたり”の嘘 デイリー新潮
最近、神社での正しい参拝の仕方として、「二礼二拍手一礼」が、半ば常識のような感じになりつつありますが、それは明治以降に原形が定まり、戦後の高度成長期に一般に広まったやり方にすぎず、昔の日本人は、お寺の参拝と同じように、合掌したりしていたのだそうです。
ウィキペディア 「二礼二拍手一礼」
私も、幼かったころ、親に連れられて神社に行ったときには、まわりの人のマネをして手を合わせていました。当時、二礼二拍手一礼のような作法を教えられたことはないし、親を含めて、そういう参拝をしている人を見かけたこともなかったと思います。
まあ、このあたりは、あくまでも子供の記憶なので確かではありませんが、少なくとも、子供の自分には気づけないほど少数の人しか実践していなかったのではないでしょうか。
昔は、神社仏閣の参拝に限らず、生活上のさまざまなしきたりやマナー全般に関して、今よりもずっといい加減というか、おおらかだった気がします。
そもそも、ふつうの人にとっては、お寺や神社に行くこと自体、多くても年に数回程度だったと思うので、そのときどんな作法で祈るか、みたいな細かいことまで気にする人はほとんどいなかっただろうし、たとえ気になっても、図書館などできちんと調べようとすれば、手間も時間もかかる大仕事だったはずです。
しかし、今ではインターネットでちょっと検索すれば、「正しい」とされるやり方をすぐに知ることができます。
パワースポットめぐりなどで、神社やお寺に頻繁に出かけるような人は、他の人の参拝方法を目にする機会も多く、自分のやり方が適切かどうか、だんだん気になってくるでしょう。そんなときに、ネットでサクッと調べてみて、二礼二拍手一礼というやり方にたどり着いた、という人もけっこう多いのではないでしょうか。
そんな感じで、二礼二拍手一礼という新しいスタイルが、ネットの普及とともに、ここ20年くらいの間に急速に浸透してきたのではないかと思います。
そして、それを実践する人がどんどん増えていけば、周囲を気にしてそれに合わせる日本人の特性からして、近い将来、ほとんどの神社では、そのやり方が「正しい」マナーになっていくのだと思います。
私も、ネットで知ったのをきっかけに、たぶん10年くらい前から、二礼二拍手一礼をするようになったのですが、正直に言うと、微妙な違和感があって、何かしっくりしない感じがしていました。
上の記事にも書かれているのですが、この参拝方法だと、頭を下げたり、手を打ったりという動きの連続なので、途中でゆっくりと祈るタイミングがありません。
それに、礼を二回続けるところで、どうしても動作がぎこちなくなります。それはたぶん、二回目の礼に移るのが早すぎるからで、もっとゆったりと、たっぷりと時間をかけて参拝すれば、自然な流れになるのでしょうが、大勢の人が行き交う正月の神社などでは、他の人たちの邪魔になってしまいそうです。
あと、神社に行くこと自体、そうしょっちゅうあるわけではないので、久しぶりに参拝すると、動作の順番とか回数を間違えてしまいそうで、どうしてもそちらに気をとられてしまいます。
でもまあ、そのあたりは、事前に何度か練習をして、一連の動作をしっかり身体にたたき込んでしまえば、スムーズにお祈りができるようになるのかもしれません。
ただ、それでも個人的に苦手なのが、二拍手の、どうしても音を立てざるを得ないところです。
神社では、あの大きな鈴をガラガラ鳴らすのは気が引けるので、いつもそのプロセスは省略しているのですが、手を鳴らせば、結局、大きな音を立てて、周囲の人たちの祈りを邪魔してしまう気がします。
自分としては、できるだけ音を立てないように、形だけの拍手をするようにしているのですが、それはそれで、何か中途半端なことをしている感じになってしまいます。
しかし、今回、上の記事を読んだことで、これまでのそういういろいろなモヤモヤが一気に晴れました。
今、世間で広まりつつある新しい参拝のスタイルは、別に古くからの伝統というわけではないのだから、昔から多くの日本人がそうしてきたように、黙って手を合わせて祈るだけでもいいんだ、と思いました。
個人的には、ただ静かに合掌する、というのが、いちばん心が落ち着くし、素直な気持ちで祈ることができる気がします。そしてそれは、子供のころからなじんできた、とても自然な動作でもあります。
というわけで、今後、神社に行く機会があれば、以前のやり方に戻って、ただ合掌をするスタイルで参拝したいと思います。
もしかすると、誰かが、「それは仏教式の祈り方で、神道式じゃないよ」と、親切に教えてくれるかもしれませんが、そのときは、「そうですか、勉強になりました」と、にこやかに答えて立ち去ればいいのです。
もちろん、上の記事で、二礼二拍手一礼は伝統ではない、とされているのも、一人の著名な宗教学者による一つの説にすぎません。それに、歴史を踏まえた学者の見解と、実際の宗教的な実践とは、それぞれ別の問題だという考え方もあるでしょう。
でも、究極的には何が正しいか、とか、細かな作法のあり方を気にするよりも、このさい、学者の説明にうまく便乗し、それを心の支えにすることによって、自分なりの素朴な感覚に従い、のびのびとした気持ちで参拝できるようになるなら、その方がずっといいのかもしれません。
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