このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
            
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM

アンコール・ワットの夕陽

もう何年も昔、東南アジア各地を旅していた頃のことです。

当時の私は、陸路の旅にこだわるバックパッカーでした。カネはともかく、時間だけはあったので、ビザの有効期間をギリギリまで使い、街から街へとゆっくり移動しながら、ガイドブックに載っているめぼしい観光地はひととおり見てまわるような、けっこうマジメな旅を続けていました。

東南アジアの観光地といえば、その最大級のものがカンボジアのアンコール遺跡です。高校生の頃に写真集で知って以来、美しい巨大遺跡アンコール・ワットや、「クメールの微笑」で知られるバイヨンなど、見どころの多いアンコール遺跡群を訪れるのは私の夢の一つでした。
ウィキペディア 「アンコール遺跡」

せっかくの大遺跡だし、長年の憧れの地でもあるし、飛行機でいきなり近くまで飛んでしまうのはもったいない気がして、できればタイ側から陸路で国境を越え、何日かかけて少しずつ移動しながら、夢にじわじわと近づいていく感覚も楽しみたいというのが当初の計画だったのですが、当時のカンボジアは政治的にかなり不安定で、陸路で移動中の外国人旅行者が事件に巻き込まれたという話をよく耳にしました。

さすがに私も命は惜しいので、もう少し状況が落ち着いてからにしようと、カンボジア行きをずっと後回しにしていたのですが、1年ほど周辺諸国をぶらぶらと旅し、他の国をざっと見終わってしまうと、さすがにもう、それ以上先延ばしにすることはできません。

かといって、安全が確保できるわけでもないので、結局、陸路で入国するという最初のプランはあきらめて、バンコクからプノンペンへ飛び、そこからスピードボートを使って、アンコール遺跡観光の拠点シェムリアップに向かいました。
ウィキペディア 「シェムリアップ」

遺跡は広い範囲に散在していて、徒歩や自転車でまわるのは無理なので、シェムリアップの安宿に出入りしているバイクタクシーを、一日か半日単位で雇います。日ざしのきつくない午前中の数時間と、2〜3時間の昼寝タイムをはさんで、日没までの数時間を使って、毎日遺跡見学に出かけました。

最初の日は、あえてガイドブックの解説は読まず、憧れのアンコール・ワットとバイヨンの第一印象を楽しみながら、好きなように見てまわることにしました。

アンコールは、インドネシアのボロブドゥールやミャンマーのバガンと並ぶ、世界の三大仏教遺跡の一つと言われています。私はそれまでに、ボロブドゥールもバガンも見ていたのですが、実際にアンコールの遺跡群を前にして感じるパワーは、それらをはるかに超えていました。

もちろん、憧れの地にようやくたどり着いたことで、気分が高揚していたのもあるでしょう。それでも、密林の中から次々に現れる巨大な石造ピラミッドや、見渡す限りの壁面を埋めつくす繊細な彫刻は、私の思考と感情を激しく揺さぶりました。

私はもう、遺跡のことで頭がいっぱいになってしまいました。翌日から数日かけて、散在する遺跡群全体をひととおり見てまわり、さらにその後の数日は、お気に入りの遺跡を数か所に絞って、その膨大な彫刻をゆっくりと見たり、その場でボーッと雰囲気にひたったり、写真を撮ったり、のんびり絵ハガキを書いたりと、気がすむまで遺跡を味わいました。

今はどうなっているか分かりませんが、当時は、あまり有名でない遺跡には見学者もほとんどおらず、バイクタクシーを入口で待たせて中に入ると、出てくるまでの間、誰にも会わないことなどしょっちゅうでした。バイヨンのような有名遺跡でも、グループツアーの人波が途切れてしまうと、広い境内はガランとして、ほとんど貸し切り状態です。

中には、タ・プロームのように、遺跡が発見された当時の状態をそのまま残した場所もあります。石積みの小さな寺院が巨大なガジュマルに絡みつかれ、密林に呑み込まれようとする異様な光景を一人きりで眺めながら、ジャングルに響きわたるけたたましい鳥の声を聞いていると、何か別の世界にでも迷い込んでしまったような、恐ろしいほどの寂しさを味わうことができました。

そんな風に、夢中になって遺跡に通いつめているうちに、何となく一日の行動パターンみたいなものが生まれてきたようで、陽が傾き始めると、足は自然にアンコール・ワットの最上層部へと向かいます。

辺りには、重いクーラーボックスを抱え、観光客に冷たい飲み物を売り歩く女の子たちがいます。彼らの一人から、その日の売れ残りのコカコーラを買い、見晴らしのいい石積みの上に腰を下ろしてそれを飲みながら、沈む夕陽を眺めるのが楽しみでした。

遺跡の上から西の方角を見下ろすと、広くまっすぐな中央参道にそって、物乞いがびっしりと並び、その間を、さまざまな国からやってきた観光客やガイド、地元の物売りや子どもや犬たちが、ぞろぞろと歩いているのが見えます。

昔なら、そこはきっと、王のような限られた人間だけが通ることを許された、神聖で特別な領域だったのでしょう。しかし今や、こうして遺跡の中心部に陣取ってコーラを飲んでいる私のように、遺跡への入域料としてそれなりの金額を払えば、誰でもどこにでも足を踏み入れることができる時代です。

夕陽をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていると、お約束どおりではありますが、カンボジアの人々の栄光と悲惨の歴史や、昔の王の絶大な権力とその無常へと、思いをはせずにはいられませんでした。

こうして、一週間以上を見学に費やし、お気に入りの場所でゆっくりと時間を過ごし、憧れの遺跡を堪能すると、さすがに満腹というか、これで充分だという気持ちになりました。

そして、アンコールの遺跡だけでなく、観光という行為そのものも、自分にはもう充分だという気がしました。

私はそれまで、ガイドブックなどで、多くの人が素晴らしいという場所や有名なツーリスト・スポットをチェックして、そこを順番に目的地にするような旅を続けていました。それは旅のやり方としてごく一般的なものではあるし、自分の勘だけを頼りにやみくもに動き回るよりは、素晴らしいものに出会えるチャンスも大きいと思っていました。

ただ、長い旅の中で、それがパターン化し、マンネリに陥ってしまったのか、自分で考えていた以上に、もはや、そういうスタイルの旅には心が動かなくなってしまっていたようで、今こうして、東南アジア最大の遺跡を見学して一区切りがついたことで、それをはっきりと自覚したのです。

でも、そうだとしたら、これからは、何を目的に旅を続けていけばいいのでしょう?

そのとき、私にはほとんどアイデアがありませんでした。

シェムリアップ滞在の最終日、見納めにもう一度アンコール・ワットに行きました。

入域チケットの有効日数を使い果たしていたので、日没直前、検問の人たちが家に帰ったあとを見計らって、急いで遺跡に向かいます。

早足で参道を歩き、いつもの場所にやってくると、ジュース売りの女の子たちも帰ったあとでした。空は雲に覆われていて、きれいな夕焼けは望めそうもありません。

それでも、石積みの上に腰を下ろすと、これまでの東南アジアの旅の思い出が次々によみがえってきて、胸がいっぱいになりました。

やがて思いは、この先の旅へと移っていきます。

とりあえず、明日プノンペンに戻り、カンボジアのビザが切れる前に陸路でベトナムに出て、ホーチミン市に向かおうという大ざっぱな予定だけはありましたが、そこで再びちょこまかと観光地をまわる旅には、気が乗りません。

今はどうしたらいいか分からないけれど、ベトナムに入ってみたら、何か次の展開が見えてくるかもしれない……。

そんなことをぼんやりと思いつつ、アンコール・ワットの最後の夕暮れを楽しんでいました。


記事 「アンコール遺跡の少年ガイド」


JUGEMテーマ:旅行

at 18:45, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

comments(2), trackbacks(0)

ミャンマーのポップなお寺

ミャンマーを旅していたときのことです。

ヤンゴンから南に向かい、巨大な寝釈迦仏のあるバゴーや、ゴールデン・ロックで有名な聖地チャイティーヨなどを巡って、モーラミャインを目指す途中、タンルウィン河畔の町パアンに立ち寄りました。

特別な観光スポットがあるわけでもなく、たぶん旅行者もあまり訪れない地味な町ですが、河岸に立つと、対岸に石灰岩の奇岩がそびえる美しいパノラマを楽しむことができます。

宿を決めて荷物を置いたあと、特にあてもなく、近所をぶらぶらと散歩していると、建築中の奇妙な寺が目に留まりました。

建物はまだ完成しておらず、参道もむき出しのコンクリート柱が並んでいるだけでしたが、遠くからでも人目を引かずにはおかない、極彩色の奇抜なカラーリングに興味をそそられたのです。

私は好奇心の赴くまま、境内へと足を運びました。

本堂とおぼしき無人の建物に入ると、そこも内装は済んでいませんでしたが、派手に塗られたブッダや、托鉢するお坊さんの小さな像で内側の壁が埋め尽くされていて、その形と色彩の洪水に圧倒されます。

仏像の表情は、何ともマンガチックというか、ポップというか、妙に現代的でかわいらしい感じです。しかも、同じ形の小像が何十体、いや何百体と隙間なく並べられているため、空間に独特のリズムが生まれています。

たぶんこの寺自体には、歴史的な由緒などないのだろうし、一般的な感覚に照らしても、これらが芸術的だとはとても言えないのでしょうが、私はそこに、ある種のセンスというか、生々しいエネルギーがみなぎっているのを感じました。『東南アジア四次元日記』の著者、宮田珠己氏ならきっと、ここを「四次元濃度」の高い場所だと言うのではないでしょうか。

この寺がすべて完成したら、一体どんなワンダーランドが出現するのだろうと思いつつ、とにかくその面白さに、私はしばし夢中で写真を撮り続けました。

……翌朝、散歩の足は、やはり例の寺に向かってしまいます。

寺に入り、またも写真を撮っていると、ピンク色の僧衣をまとった尼僧に声をかけられました。親切にも、寺を案内してくれるようです。

カタコトの英語の説明を聞きながら境内を歩いているうちに、私は、これらのカラフルな仏像の数々が、どうやら人々の寄進によるものだということに気がつきました。小さな仏像が無数に並んでいるのは、たぶんそれぞれが、喜捨した一人ひとりを表しているのでしょう。

そして、私の中にもふと、このワンダーランド建設に少しばかり貢献したいという気持ちが芽生えてきました。それに、ここはミャンマーの田舎なので、仮に寄進するにしても、日本円にしたらわずかな金額で済みそうです。

私は尼僧に、軽い気持ちで「ドネーションをしたいんですけど」と持ちかけました。

すると彼女は、住職のところへ連れていくといいます。

私は、しまった、と思いました。

見学が終わって寺を出るときにでも、尼僧に少額のお金をサッと渡せばそれで済んだのに、変にもったいぶった言い方をしたのが裏目に出ました。住職に面会するとなると、話が大げさになり、それなりの対応をしなければならなくなりそうです。

しかし一方で、私には、このポップな寺を構想したお坊さんが一体どんな人なのか、ちょっと会ってみたいという思いもありました。

煮え切らない気持ちのまま、なんとなく成り行きにまかせて彼女の後をついていくと、別の棟の前の建築現場に、60代くらいの貫禄のあるお坊さんがいて、何やら指示を出しているところでした。一見して彼が住職だとわかります。

その姿は、何か独特のオーラというか、凄みのようなものを漂わせていて、大変失礼ながら「怪僧」という言葉が似つかわしいように思われました。もっとも、それに関しては、この寺の奇抜なデザインを眺めているうちに、住職の人柄について、私の心の中で勝手な想像をふくらませていただけなのかもしれませんが……。

外国人にもかかわらず、私は住職に大いに歓迎され、住職みずからの案内で付属の学校の授業風景などを見せてもらったあと、部屋に通されました。

私たちはカタコトの英語でしばらくの間とりとめのない話をしたのですが、ジュースがふるまわれたり、お付きの若いお坊さんがビデオやカメラで横から撮影していたりと、ミャンマーの田舎町の寺にしては何だか様子が変です。

実はこの住職、もう何回も日本に行ったことがあるそうで、在日ミャンマー人の善男善女と一緒に写った写真や、日本の観光地での記念写真など、アルバムに収められた写真をどっさりと見せられました。

ミャンマーの田舎を散歩中に何気なく足を止めた寺に、日本との意外なつながりがあったという意味では、これはこれで、なかなか面白い展開だとは思ったのですが、一方で、私は内心、次第に追いつめられていくのを感じていました。

住職が何度も国外旅行をしているということは、国外の事情や日本などの物価水準を十分承知しているであろうこと、そして自由に旅行ができるということは、かなり地位が高く有名なお坊さんなのかもしれないということを意味します。

そんな住職に、これだけの「接待」をしてもらった以上、ここは外国人として、それ相応の金額を喜捨することが期待されているのではないでしょうか?

やがて彼らは、それではこれを、という感じで、奉加帳らしきものを目の前に出してきました。

サッと目を走らせると、欧米人らしき名前もずらりとあって、しかも1人数十ドル以上は喜捨しているようです。私もドネーションしたいなどと自分から言い出した以上、最低限そのくらいは置いていかなければならない雰囲気です。

とはいえ、財布の中には、そんな大金は入っていませんでした。

ミャンマーを出国する日が近づいていたので、私は一日当たりの旅費と両替のスケジュールを慎重に計画し、現地通貨チャットやFEC(旅行した当時、空港で強制的に両替させられた兌換紙幣)を使い切るようにしていたからです。

う〜ん、どうしよう……。

無理をすれば、貴重品袋の中から、虎の子の100ドル紙幣などを出すこともできましたが、さすがにそこまではしたくありませんでした。だとしたら、ここは恥を忍ぶしかありません。

私は奉加帳の中に、バックパッカーなのか、気持ち程度の金額だけ喜捨した人もちらほらいるのをすばやく確認し、それに少しだけ勇気を得て、500チャットほどをおずおずと差し出しました。当時の現金実質レートで2ドル強といった程度の額です。

一同の間に、一瞬、少ないなあ、という失望の表情が浮かんだ気がしましたが、これはあくまでも喜捨です。彼らも、そこは何も言わずにありがたく受け取ってくれました。

……あれから、もう何年にもなります。寺はすでに完成したことでしょう。

あの非常にささやかなドネーションは、きっと、境内を埋め尽くす小さな仏像の、一体分の材料費の、そのまた一部くらいにしかならなかったはずです。

それでも、あのワンダーランドの片隅に、私の微小な貢献分が埋め込まれているかもしれないと想像すると、恥ずかしさとともに、ちょっと微笑ましい気持ちになります……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:25, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

comments(2), trackbacks(0)

読書と冷房

かつて、バンコクに長期滞在(沈没)していた頃、ヒマを持て余して、読書三昧の日々を送ったことがあります。

バンコクには、新刊書を扱う紀伊国屋書店のほか、スクムビット通り周辺やカオサン通りに日本の古本を扱う店がいくつかあるので、あまりぜいたくなことを言わなければ、日本語の本を見つけるのにそれほど不自由はしません。

ただし、紀伊国屋書店の新刊書は日本よりずっと割高で、企業の駐在員ならともかく、タイの物価水準に慣れた貧乏旅行者にはなかなか手が出ません。もっぱら古本屋めぐりをしながら、数十バーツ程度の本を探すことになります。

読みたい本を手に入れると、私はカオサン通り周辺のファストフード店で読書を楽しんでいました。例えば民主記念塔前のマクドナルドとか、バンランプーのケンタッキーとか……。

まあ、別に難しい本を読むわけでもないので、冷房が効いてなくても、座って気兼ねなく時間を過ごせる場所ならどこでもいいのですが、現在のバンコクでは、そういう場所にエアコンがついていないことはほとんどなく、当然、その涼しさの代償として、何がしかのカネを余分に払わなければならないシステムになっています。

だからといって、安宿のベッドに寝転がって本を読むのにも限界があります。換気が悪くて湿っぽい熱気がこもっているので、たとえ扇風機を回しても、すぐに皮膚が汗ばんでベタベタしてきます。それがどうにもうっとうしいというか、気が散るというか、とにかく本の世界に没頭していられないのです。

というわけで、多少の出費は仕方ありません。とにかく、冷房のガンガン効いたファストフード店に入れば、暑さでボーッとなっていた頭がスッキリして、活字を追う細かな作業に集中できるのです。

ただ、たいていの場合、私のほかには、本を読んでいるような客を見かけることはありませんでした。

タイのファストフード店のアイスコーヒーは、日本円にすれば一杯数十円。日本人旅行者にとっては懐が痛むほどの金額ではありませんが、タイでは屋台や安食堂での食事一回分に相当します。

地元のタイ人にとっては、ファストフード店というのは友人や家族と一緒に楽しい時間を過ごす場所なのであって、一人でちょっと本を読むだけのために、わざわざカネを払う気にはならないのかもしれません。あるいは、カフェで本を読むようなタイプのタイ人は、ファストフード店の固いイスを嫌って、もっとおしゃれで居心地のいい店に出かけるのかもしれません。

ちょっと意外だったのは、読書をする外国人バックパッカーもほとんど見かけないことでした。

もちろん、カネのある旅行者なら、別にこんなところへ来なくても、冷房の効いたホテルの自室とか、階下のラウンジとか、プールサイドのデッキチェアに寝そべって優雅に本を読めばいいわけです。それに、普通のバックパッカーなら、エキゾチックなバンコクの街を探索することで忙しく、わざわざ貴重な旅の時間を費やして、おなじみのファストフード店に本を読みにくるほどヒマではないのかもしれません。

もっとも、これは私自身にも当てはまることでした。日本の文庫本を読むのなら、別にバンコクでなくてもいいわけです。

当時の自分は、バンコクで本ばかり読んでいる自らの行動について、自分なりに納得しているつもりではありました。旅が長くなれば、観光や移動ばかりの生活に疲れてくるし、ときには無性に本が読みたくなることもあるでしょう。

それでも、街歩きをするでもなく、旅人同士で話に花を咲かせるわけでもなく、一人で活字の世界に沈潜していると、俺、こんなところで何やってるんだろう?、と思うことなきにしもあらずでした。

それはともかく、日中、客のあまりいない店に居座って、ゆっくり本を読んでいると、その半端ではないエアコンの効き方がつい気になります。アジアの旅を通して貧乏性が染みついてしまった私としては、別に自分が損をするわけではないとはいえ、何だか自分だけのために冷房設備をフル稼働させているような、ちょっと申し訳ないような気持ちすらしてくるほどです。

それに、考えてみれば、そもそもタイのような高温多湿な土地で、エアコンを効かせた部屋で読書をするというのは、いかにも不自然な行為のように思えます。

もちろん、タイにも涼しい季節はあるし、一日の中でも早朝や夜間なら、本を読むのに冷房はいらないでしょう。ただ、暑い季節の、しかも午後、冷房という人工環境の下で読書をしていると、真冬にストーブの火をガンガン焚きながらアイスを食っているような、ずいぶん無駄なことをしているような気になってくるのです。

世界中のビジネスマンの多くが、それが慣習だからという理由で、気候風土を無視して背広を着つづけているように、そもそも読書という行為も、もともとは地球上のある特定の環境に適応した知的活動に過ぎないものを、エアコンの助けを借りて、無理やり世界中に広めているという側面があるのかもしれません。

思えば、欧米の人だって、全員が読書をするわけではありません。あれだけ読書に適した(?)気候風土でさえ、みんなが本を読みたいとは思わないのだから、そもそも読書という行為は、たぶん、すべての人類に適した普遍的な知的活動ではないのです。

だとしたら、熱帯地方のように、読書にあまり適さない土地に住んでいる人のためには、読書をしたりペーパーワークをしたりするためにエアコンを設置するよりも、もっとその気候風土に合った、別の知的活動の形というのが見い出されるべきなのではないでしょうか……。

ふと、そんなことを思ったりしたのですが、あくまでこれは、高い金を払って冷房の効いた部屋で優雅に読書を楽しんでいられる一外国人旅行者の、他愛のない妄想に過ぎません。

タイの子供や学生たちは、別に冷房なんかなくたって、ちゃんと勉強したり本を読んだりしているし、思い返せば、私だって子供の頃は、扇風機すらない夏の教室で、ちゃんと教科書を読んだり、授業を聴いていることができました。

だとすると、読書に適さない気候風土があるなんて言っているのは、文明社会の贅沢にすっかり慣れてしまった軟弱者の言い訳であり、あるいは、ただ単に自分が歳をとって、読書に集中する気力が続かなくなってしまったというだけなのかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 19:07, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

comments(0), trackbacks(0)