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『13歳からの反社会学』

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、謎のイタリア人戯作者パオロ・マッツァリーノ氏が、これからオトナになる若い世代に向けて、データの見かた、情報の集めかた、解釈のしかたの基本をレクチャーするという内容です。

本文には、「パオロさん」と中学生の男女という3人のキャラが登場するのですが、3人の掛け合いでバラエティ豊かなネタを楽しみながら、社会や情報をおもしろく見るためのヒントや方法を学べるようになっています。

ちなみに、『13歳からの反社会学』というタイトルは、宮台真司氏の『14歳からの社会学』(私は未読ですが)のパロディです。「反社会学」という、どこか過激な言葉の響きともあいまって、この本に、ちょっとブラックな笑いを想像してしまう人もいるかもしれません。

実際、マッツァリーノ氏の最初の作品『反社会学講座』は、データを駆使した社会学的研究という「科学的」な装いをまとわせることで、自分の個人的な偏見を人々に押しつけようとする俗流社会学者への痛烈な批判に満ちていました。この本でも、その精神は健在だし、本文の随所には、子供向けにしてはかなりひねりの効いた笑いが仕込んであります。

ただ、この本のメインテーマは、社会学や統計データをめぐるそうしたウラ事情を伝えることよりも、巷にあふれる情報を鵜呑みにせず、自分の力で調べ、考え、それを行動につなげていくための具体的なノウハウを伝えることにあるようです。そして、読み通してみると、マッツァリーノ氏が若い人々に向けた、むしろまっとうで人間味のあふれるメッセージが伝わってきます。

単なる知識の詰め込みは、決して人生を豊かにはしてくれません。彼によれば、世の中に出て本当に必要とされるのは、興味をもったものごとを自分で調べる能力と、問題を解決まで導ける思考力と行動力です。一方で、彼は、情報を集めたり、データを検証したりするのは、何か絶対的な正しさとか正義に至るための方法ではないことも強調しています。

そして、世の中には、完璧な正しさも100パーセントの正義も存在しないこと、オトナになるとは、中途半端に正しい現実と、勇気を持って向きあえるようになることなのだと喝破しています。

文章は、中学生でも読めるくらいに、かなり噛み砕いて書かれているのですが、私自身が中学生の頃はどうだったかと考えてみると、こういう本を自分から手にとるほど、社会への現実的な関心をもっていたとはいえないし、この本のような、ひねりの効いた味わい深い文章を楽しめるほど、社会経験も積んでいなかったような気がします。

まあ、今の若い人たちはそうでもないのかもしれませんが……。

個人的には、この本は、むしろオトナの方が楽しめるし、勉強にもなるのではと思いました。

オトナといえど、自分が興味をもったテーマについて、ふだんから図書館やネットの情報を深く掘り下げ、自ら考え続けるという作業をしている人は、けっして多くないのではないかという気がします。本文中で紹介されている読書術や図書館活用法などは、ごくシンプルで基本的なものなので、学校を出て以来、調べもののたぐいにすっかり縁がなくなっていたオトナでも、この本が、改めてそうした作業を始めるきっかけになるかもしれません。

ところで、マッツァリーノ氏は、ネット上のレビューというものについて、かなり批判的です。

彼によれば、レビューの星印は、批評する人の気分をあらわしているだけのことが多いし、作家になれるほどの才能も、なろうと努力する気もないけれど、自分の知性と感性にちょっと自信のある人が、あまり努力しなくても書けるレビューで「プチ自慢」しているのだといいます。

また、サイトによっては、星の数の合計をみんなの頭数で割って平均値を出していますが、人によって意見や好みが違うからこそ、レビューの意味があるはずなのに、平均値にしてしまったら個人の意見がないがしろにされることになるし、その数字に統計学的な意味もないと言っています。

これまで、自分が読んだ本について、主観的判断だけで偉そうに星印をつけてきた私には、とても耳の痛い指摘です。たしかに、全身全霊をあげて生み出した作品を、気分次第で評価されるプロの人たちにしてみれば、たまらないだろうなと思います。

でも、素人のこういう主観的な評価とか感想も、見る人によってはそれなりに参考になることもないわけではないのではないか……と、あくまで自分に好意的に考えることにして、これからも、星印を使った本の評価は続けたいと思います。

マッツァリーノ氏には申し訳ありませんが……。


パオロ・マッツァリーノ著 『反社会学講座』 の紹介記事


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

 

at 18:41, 浪人, 本の旅〜人間と社会

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『GNHへ ― ポスト資本主義の生き方とニッポン』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

このところ、震災と原発事故の重いニュースに釘づけになっていたせいか、せっかくの桜を見ても心は晴れず、いつにも増して、これからの生活に対する漠然とした不安を覚える日々が続いています。

本を読んで気持ちを切り替えようとしても、現実の引力が強すぎて、なかなか本に集中することができません。

こういうときは、いっそしばらく本から遠ざかり、何か他の気晴らしを探すべきなのかもしれませんが、とりあえず、未来社会の明るいビジョンを描いたものなら受けつけるかも、ということで、この本を読んでみました。

この本のタイトルにある「GNH」とは、ブータンの前国王が提唱した「国民総幸福量 Gross National Happiness」のことで、現在広く知られている国内総生産(GDP)に代わり、別の視点から社会の豊かさを測る試みのひとつとして知られています。
ウィキペディア 「国民総幸福量」

ただ、経済成長至上主義を見直すというテーマ自体は、まあ、それほどめずらしいものではなく、この本も一見しただけでは、そういう数多くの本のひとつにしか見えないかもしれません。私自身も、この本を知ったときには、ユニークなアイデアに溢れる著作の多い天外伺朗氏の本にしては、何か平凡なタイトルだな、と思ってしまいました。

しかし、実際に読んでみると、GNHという概念そのものは、いわばそれに続く話の枕に過ぎませんでした。

ギャンブル化した資本主義の行く末を憂う天外氏の話は、やがて、行き過ぎた合理主義とエゴの追求という世の中の流れに巻き込まれずに、各個人が「いかに生きるか」という問題へ、さらには「次世代社会体制への展望」へと、深く大きく広がっていきます。

天外氏の場合、電機メーカーのエンジニアやマネジメントとしての長い実務経験がある一方で、いわゆる「スピリチュアル系」の研究でも知られているだけに、その内容は現在の日本社会のメインストリームの常識的な発想を超えた、かなりユニークなものです。

例えば、この本の中でも、ミヒャエル・エンデ氏の代表的なファンタジー『モモ』の話とか、インディアン(アメリカ先住民)の儀式の話とか、トランスパーソナル心理学の知見に基づいた人類の意識レベルの話などが次々に出てきます。

こういう話は、その手の話題に慣れていれば非常に面白いし、私も大好物なのですが、実際のところ、それを唐突すぎると感じる人もいるだろうし、人によっては拒絶反応を起こしてしまうかもしれません。それに、天外氏の文章は、ときに大胆で歯切れがよすぎて、こんなことを大っぴらに書いて大丈夫なんだろうかとヒヤヒヤする箇所もあります。

それでも、できるだけ先入観を交えずに彼の話に耳を傾ければ、この本の内容はそれほど荒唐無稽というわけでもなく、むしろ彼は、ビジネスマンとしての豊富な経験に基づいて、単なるスピリチュアルな夢想では終わらない、実現可能性の高いアイデアを提示しようと試みていることが分かるのではないでしょうか。

天外氏は、現在のように各自が合理的に効率を追求し、エゴを張り合う文化から、より深い精神性を大切にする文化へのパラダイムシフトが、近い将来必然的に起きると考え、日本社会もGDP至上主義やギャンブル経済から脱却することで、「一人ひとりの人間としての意識レベルが、世界でも群を抜いて高く、GNHも高い、という社会」を目指していくべきだとしています。

そのために、個々人のレベルでは、人間として生きることの基本を見つめ直し、現在の消費社会の虚飾を捨てて「素に生きる」べきだし、そこでは、仕事や遊びにおいて、心からやりたいこと、楽しいことをすることで、時間を忘れて何かに没頭する「フロー」状態に入ることが重要だとしています。彼によれば、「フロー」に入ることで、私たちは潜在能力や創造力を発揮し、生きていることを心から実感することができるといいます。
ウィキペディア 「フロー」

一方で、人類の集合的な意識レベルの向上、進化に合わせて、社会のシステムも変えていかざるを得ません。天外氏は、将来の社会システムを先取りするものとして、教育の自由化、医療改革、通貨改革、次世代の社会統治システム案など、いくつかの分野について、(ごく簡単なものですが)具体的なたたき台を示しています。

こうした話は、特に、人間は「素に生きる」べきだという主張などは、一見すると現代社会批判にありがちな、文明を否定して「自然に帰れ」と叫ぶだけの議論に似ているように見えるかもしれません。

ただ、天外氏は、単に現代文明を全否定したり、かつてのアメリカ先住民のような暮らしにみんなが戻ることを理想としているわけではなく、現在に至るまでに人類が獲得してきたさまざまな知識や知恵のなかから、これからの私たちに本当に必要なものだけを厳選し、さらに高い(深い)意識の水準をめざすことで、現代文明の抱える本質的な問題を克服し、より多くの人が幸せを実感できるような社会を創造したいということなのだと思います。

とはいえ、もちろん一冊の本の中で、未来の社会の全体像が具体的に描き出されているわけではありません。

むしろ、この本の中で天外氏が主張しているように、今後の社会が、少人数のコミュニティの集合体を基盤としたボトムアップ型の社会になっていくのだとすれば、従来のように、一部のエリートが社会のあるべき姿を細かく設計し、それを残りの人間に提示するという、トップダウン型のやり方自体が、そもそもふさわしくはないのでしょう。

だとすれば、来たるべき社会は、これから私たち自身が時間をかけて試行錯誤を繰り返す中で、少しずつ姿を現し始めることになるのかもしれません。

それにしても、ほとんど機能不全を起こしているような現在の社会システムの中で、例えば法案を一つひとつ成立させたり、憲法を改正したりしながら新しい社会を実現していくとしたら、それは途方もない難業になりそうな気がします。

現代の人々の常識を超えるような全く新しい制度については、まだ誰もその価値や有効性について確信がもてないはずですが、一方で、そうした新しい制度に対し、社会の過半数以上が賛成するという奇跡が実現しなければ、社会システムを大きく変えていくことはできないからです。

これまでの人類のパラダイムシフトにおいては、そのたびに社会の大きな混乱があり、多くの血が流されてきました。天外氏の言うように、いま、大きなパラダイムシフトが進みつつあるのだとしたら、実際問題として、どのような移行のプロセスをたどるのが望ましいのでしょうか。

その過程で起こるかもしれない混乱や犠牲をできるだけ少なくするためにはどうすればいいのか、新しい社会のビジョンよりもむしろ、そちらの方がずっと難しい問題であるような気がします。

……と、未来について書かれた本を読みながら、やっぱり余計なことをいろいろと考えて、頭をモヤモヤとさせてしまうのでした……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 19:50, 浪人, 本の旅〜人間と社会

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『日本辺境論』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、「辺境性」をキーワードに、日本人の「民族誌的奇習」、つまり、私たちがふだん意識することなくはまり込んでいる固有の思考・行動のパターンを明らかにしようとする、ユニークな日本人論です。

著者の内田樹氏によれば、日本人は「辺境人」であり、私たちは常に、ここではない外部のどこかに世界の中心があると考えていて、その思考と行動は、どうすればそこに近づけるのかという、中心までの距離の意識に基づいて決まるというのです。

この本では、そんな辺境人の特性について、その学びや宗教について、そして日本人の辺境性と表裏一体の関係にある日本語の特殊性について、これまでの有名な日本人論も踏まえつつ、さまざまな具体例を交えて説明されています。

「辺境」という言葉には、どこかネガティブな響きがあるので、日本人は辺境人だと言い切られると、多くの人はあまりいい気持ちがしないでしょう。ただ、一方で、それはそうかもしれない、確かに何となく納得できる気がする、という方もけっこう多いのではないでしょうか。

日本人としての私たちの歴史は、強大な中華文明の東の辺境に位置する小国として始まり、以来、自分たちは世界の中心から遠く離れ、また、時間的に遅れてもいるという世界観を受け入れ、それを強く内面化してきました。

それは、価値あるものはすべて自分の外にあると信じ、「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める(丸山眞男氏)」態度や、「そのつど、その場において自分より強大なものに対して、屈託なく親密かつ無防備になってみようとする傾向」を形作ってきました。

そして、私たちは「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」ために、外部の文明のエッセンスを吸収し、それにひととおり追いついてしまうと、次に何をすればいいか分からなくなって、途方に暮れてしまうのです。

しかし一方で、自分たちは常に遅れているという辺境人の意識が、「師弟関係」や「道」にみられるような、効率的に学ぶための民族的なシステムを進化させてきました。また、「私を絶対的に超越した外部」に対するおのれの無知と未熟を痛感する感受性は、深い宗教性への出発点にもなります。

むしろ私たちは、辺境人であることのおかげで、自分たちこそ世界の中心だと思い込むような傲慢さから無縁でいられるのかもしれません。それに私たちは、文明の中心を自ら任じている人々の眼が届かないのをいいことに、彼らに面従腹背し、狡猾に立ち回るしたたかさも身につけています。

内田氏も認めているように、日本人や日本文化について語るのは大風呂敷を広げるようなもので、その内容は厳密に検証できるものではないし、語り手次第、材料次第でどのような結論にでも導けるという面があります。彼の日本人論にいろいろとツッコミを入れたい人もいるでしょうが、個人的には、「辺境性」という切り口から整理された日本人論はとても面白く、興味深いものでした。

ただ、ここで辺境人の特性として挙げられているものは、実際のところ、空間的な辺境とか、歴史的に見た後進地域だけに当てはまるものというよりは、もっと一般的なもので、時間・空間的な位置にかかわらず、内面に深い劣等感を抱える人間のパーソナリティとして、世界のほとんどどこにでも見出せるような気がしなくもありません。

むしろ、日本人のユニークさは、日本語の構造がそうであるように、単に辺境性を内面化しているだけでなく、世界の中心を演じる人々の思考と行動のパターンや、その力の源泉となっている文明のエッセンスもすばやく感知し吸収してしまうことで、中心と辺境の二極のどちらの性質も使い分けることができること、そして、そのことがもたらす内的な矛盾や二重性を、そのまま抱え込んでいられる力にあるのではないかという気がします。

ところで、私たちが辺境人としての特性を宿命的に身につけてしまっているのだとしたら、現在の激動の世界で、どのようにふるまうのがふさわしいのでしょうか?

内田氏は、こうなったらとことん辺境で行こうではないか、こんな国は歴史上、他に類例を見ないし、それが現在まで生き延びてきた以上、そこには何か固有の召命があると考えることもできる、それに、こんな変わった国の人間にしかできないことを考える方が楽しいし、他の国の人々にとっても有意義だろうと言っています。

たしかに、それは何か楽しそうです。しかし、インターネットの爆発的な普及によって、少なくともネット経由で手に入る情報に関しては、空間的・時間的な格差というものはなくなりつつあります。そこでは、自分を辺境人として位置づける思考と行動の枠組み自体が、もはや有効ではなくなってしまうのではないでしょうか。

だとすれば、これまで辺境人という立場に安住してきたともいえる日本人は、今後どう生きていけばいいのでしょう?

まあ、そうやって、世界のどこかにいいお手本でもないものかと、ついキョロキョロしてしまう私の思考と行動自体が、実に日本人的なのでしょうが……。

それにしても、私はこれまで辺境的なものにあこがれを抱き、そこに何か面白いものが見つかるような気がして、アジアの片田舎をふらふら旅してみたりしたのですが、実は日本こそ辺境性の権化だったことに、この本を読んで今さらのように気がつきました。

私は今まで、辺境的なものを求めているつもりが、それと気づかずに、実は日本的なるモノ、自らの似姿を、ここではない外部のどこかにひたすら求め続けていたのかもしれません……。


本の評価基準

 


 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

 

at 19:01, 浪人, 本の旅〜人間と社会

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