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『21世紀のインド人 ― カーストvs世界経済』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

1991年の経済改革を機に自由化へと大きく舵を切って十数年、インドは今、新興のIT大国として世界の注目を浴び、将来の超巨大市場への思惑から、外資も競うようにインド市場へと参入しつつあります。

一方で、インドに赴任してインド人の部下や使用人を抱えたり、海千山千のインド商人を相手にビジネス交渉をすることが、実は激烈なカルチャー・ショックを伴う苛酷な体験であることは、実際にそれを経験した本人と、その周囲のごく少数の人にしか知られていなかったりします。

著者の山田和氏は、これまで数十年にわたって何度もインドを旅し、インド人との付き合いも長く、インドの見せる「裏」の姿も身をもって体験してきた人物です。

山田氏はこの本の中で、豊富な実例を挙げながら、表面的なインドブームの影で苦闘を続ける外国人ビジネスマンの姿を伝えるとともに、私たちとは全く異質なインドの社会やインド人について、その「負」の面をも含めた実像を描き出し、異質な文化がぶつかり合うとはどういうものなのか、その一端を私たちに教えてくれます。

欧米や日本を基準に考えれば、ハード面・ソフト面でのインフラの未整備など、インドのビジネス環境が発展途上にあることは言うまでもありません。しかしそれ以前の問題として、インドは1ドルで仕入れたものを100ドルで売るような「シルクロード商法」がいまだにまかり通る世界であり、そこでビジネスをするということは、儲けのためには手段を選ばない、一癖も二癖もあるタフな商売人たちと日々交渉しなければならないことを意味します。    

そして、それに加えて、社会の上から下まで蔓延したリベート(賄賂)文化、強固な一族郎党主義、今でも厳然と存在するカーストに基づいた社員の差別的な採用・処遇、やる気はなく融通もきかないのに権利意識だけは旺盛なインド人社員たち……。

こうした問題は、いわゆる開発途上国でのビジネスにはつきものなのかもしれませんが、インドの場合はその深刻度がケタ外れのようです。

インドは準英語圏の国ということもあって、そこでは一見英米流の発想が通用するように見えるし、インド人も表面的には国際人として振る舞おうとします。しかし実際には、カースト制を始めとするインド社会の論理にどっぷりと浸かった彼らの行動基準は非常に「ドメスティック」で、その表と裏の大きな矛盾の皺寄せは、インドに駐在し、そこで日々彼らと接する外国人ビジネスマンたちの上に耐えがたいストレスとなって降りかかってくるのです。

特に、この本の第四章、「インド駐在員の日常……インド人社員、使用人とどうつき合うか」には、インドに単身赴任した日本人商社マンがインド人の使用人たちと繰り広げた波瀾万丈のバトルとその結末が詳しく描かれていますが、この部分だけでも一読の価値があると思います。

その生々しい体験談は、日本的な感覚からすればあまりにも現実離れしていて、どこかコミカルにすら感じられるほどですが、現実にそうした状況に巻き込まれた人間の方はたまったものではないでしょう。駐在員は、油断も隙もない昼間のビジネスで疲弊するだけでなく、リラックスできるはずの我が家に帰ってもインドの現実から逃れることができず、休暇で別の国にでも脱出しないかぎり心休まることがないのです。

この本には、インドの実状について非常に辛辣なことが書かれているし、実例の方も唖然・仰天するようなものばかりで、読んでいるだけでもため息が出てきます。しかし、山田氏はインドが憎くてこんな本を書いたわけではなく、もちろん、インドのいいところもそれなりにフォローはしています。

何だかんだと言ってみても、やはり山田氏も、インドとインド人を深く愛しているのです。「まず忌憚なく欠点を指摘し、そのあと褒めたり勇気づけたりするのは、困難な論理の国に関わっている立場の人間に必ず見られる愛と苦悩の表現」なのです。

そして、こうした本を書いた理由について、山田氏は次のように述べています。

 インドで苦労し、「負」の実像を知った者こそがインドと真につき合うことができることは自明のことであるのに、インドを知る多くの者は魅力の部分しか語らず、「負」の情報を排除する。日本のマスコミはインドの魅力ばかりを書き立て、どのような文化的差異や困難があるかを語らない。またそれらの分析も載せない。これでは広告紙面と同じで、実際多くのインド特集記事は、インドIT産業の明るい未来とともにインド首相や副首相や商業相や工業相の宣伝的コメントを併載し、あたかもこのような紙面作りが日印の明るい未来を築くと言わんばかりなのには呆れる。新聞は幸福のお手伝いをしているつもりかもしれないが、それは相手の美点ばかりを挙げ、問題点を一切伝えずに縁談を進める仲人の無責任さと同じである。相互にインターナショナルをめざすとすれば、互いに「負」の情報を蓄積し分析し、それがたんなる「負」ではなく異文化であることを知ることが重要であり、今の私たちにはそれが最も必要なことである。


インドを旅した経験があるなど、ある程度インドのことを知る人なら、自分の体験に照らしつつこの本を読めば、いろいろと腑に落ちることがあるだろうし、あるいは今まで知らなかったインドの別の一面に気づかされることもあるのではないでしょうか。

この本が出版されてからすでに数年が経ちました。その間に、インドをめぐる状況も刻々と変化しているはずですが、インド人に限らず、人間の思考パターンや生活習慣というものが一朝一夕には変わらないことを考えれば、この本に書かれている基本的なポイントは、今でもそのまま当てはまるのではないかと思います。

ビジネス等を通じてインドに深く関わる立場にある方、特にこれから駐在員としてインドに赴任する方なら、大いに読む価値があると思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


JUGEMテーマ:読書 

at 19:11, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『黄泉の犬』

文庫版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります


年明け早々、ヘビーな本を読んでしまいました。

『黄泉の犬』という本のタイトルや、おどろおどろしい表紙の雰囲気にたがわず、内容もかなり強烈です。

1995年、日本を揺るがした地下鉄サリン事件とその後の騒動が続いていた頃、藤原氏はオウム真理教の麻原彰光こと松本智津夫の生い立ちを知るべく、彼の生まれ故郷である熊本県八代へ向かいます。

そこで彼は、松本智津夫の目の疾病が水俣の水銀毒によるものだったのではないかという奇妙な想念にとらわれ、東京に戻ってから、それを検証しようと試みます。そんなとき、藤原氏は麻原の実兄を知るという人物と偶然に出会い、その紹介で、ついに大阪のある街に身を潜めていた実兄との会見を果たします。

藤原氏はその場で、実兄から驚くべき証言を得ることになるのですが、さまざまな事情から、記事を連載していた週刊誌上でそれを公表することを断念せざるを得ませんでした。

「第一章 メビウスの海」では、1995年当時、公にできなかったその証言の内容が初めて明かされています。この本を手にとる人の多くは、きっとこの部分に最も関心があるのではないでしょうか。麻原彰光の生い立ちの秘密というセンセーショナルなテーマに触れているからです。それに加えて、藤原氏が麻原の実兄と打ち解けていく場面は迫真の描写で、読みごたえもあります。

しかしこれは、あくまで重要な当事者による一つの証言に過ぎず、多くの規制やタブーに阻まれたこともあってか、この本ではそれ以上の検証が進まないままに終わっています。これまでの歴史的な事件がそうであるように、オウム真理教の事件に関しても、もう少しはっきりとした事実が明らかになるためには、さらなる時間が必要なのかもしれません。

第二章以降は、藤原氏が当初、雑誌連載にあたって構想していた展開に戻り、オウム事件をきっかけに藤原氏の心に甦った、若い頃のインドの旅が語られています。

ガンジス河岸の街パトナで、火葬をひたすら見続けた日々。アラハバードで、人の死体を喰らう野犬を撮影しているとき、襲いかかる野犬の群れと決死の睨み合いになった体験。そして、その極限状況で彼の意識に現れた奇妙な感覚(第二章 黄泉の犬)。

プシュカルで、年老いたヨギから理由も告げられずに聖衣を渡され、後になって、その聖衣のもつ意味をめぐってその後の身の振り方を迷い抜いた体験(第三章 ある聖衣の漂泊)。

マナリで、空中浮遊をするといって弟子を集めていた怪しげな若いフランス人「グル」と対決した話。そしてリシケシュのアシュラムで見た、欲にまみれた「聖者」たちと、それに群がるインド人や欧米人の金持ち連中(第四章 ヒマラヤのハリウッド)。

ラダックで、地獄の幻覚にさいなまれ、錯乱状態になって荒野にさまよい出てしまった日本人青年を呼び戻そうと後を追った話(第五章 地獄基調音)。

ここで回顧されているのは、今から何十年も前の1960年代後半や70年代に藤原氏がインドで体験した出来事や、そこで出会った奇妙な旅人たちのことなのですが、それが90年代にマスメディアをにぎわした、オウム真理教をめぐる異様な光景と、気味の悪いほどにオーバーラップしてきます。

90年代に多くの人が知るところとなった若者たちの逸脱の萌芽は、70年代にインドを旅する人々の間に、すでに現れていたのです。

生と死に関わる生々しいリアリティの隠蔽や管理社会化の進行しつつある、日本や欧米のいわゆる「先進国」で、自分の存在が希薄になっていくような危機感を抱き、何かを求めて、インドのようなリアルに満ちた世界に足を踏み入れていく若者たちに、藤原氏は共感を覚えながらも、その一方で、心の弱さのためにインドの厳しいリアリティに向き合うことができず、個人的な妄想に逃げ込んだり、さまざまな既成宗教の枠組みにはまり込んでしまったりする「もろい旅行者」の姿に、彼は若者の旅の脆弱化や危険を見ているのです。

もっとも、現代日本の消費社会の豊かさを謳歌する多数派の人々は、インドを放浪したりはしないわけで、彼らからすれば、インドというのは、(ビジネスを除けば)自分とは関係のない、遠い世界にしか見えないのかもしれないし、藤原氏がインドで経験したようなことも、ただ目を背けたくなるような、特殊でおどろおどろしい別世界の出来事に過ぎないのかもしれません。

しかし、バックパッカーとしてインドを旅したことのある人や、放浪の長い旅をした経験のある人なら、藤原氏ほど強烈でなくても、多かれ少なかれ同じようなことを体験しているはずだし、この本を読み進めていくほどに、改めて自らの旅と重ね合わせて、大いに身につまされるものがあるはずです。

藤原氏の言葉は、例によってあまりにも直截的で容赦がないので、きっとあらぬ誤解も受けやすいだろうし、彼のメッセージが今の日本社会においてどれだけの人々の心に届くかのは分かりません。それに私自身も、藤原氏の放つ強烈なフレーズや独特のロジックにすべて共感できるわけではありません。

ただ、この本を読んで、少なくとも彼は、オウム真理教の事件やそれを生み出した社会的な背景について、何かを語るのに最もふさわしい人物の一人であると改めて感じました。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 19:12, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『インドの大道商人』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本の「大道商人」とは、店舗を持たず、わずかな商品や素朴な技術だけを売り物に、人通りの多い路上に座り込んで、ささやかな商売をしつつ日々を暮らす庶民のことです。

野菜売り、果物売り、揚げ物屋、お茶売り、ジュース売り、水売り、薬売り、装身具売り、笛売り、仕立屋、洗濯屋、床屋、耳掻き、靴磨き、歯医者、両替商、代書屋、辻写真師、占い師、曲芸師、蛇つかい、力車夫、工事人夫……。

どこにでも見られるようなポピュラーな商売に始まって、各種のサービス、エンターテインメントや医療行為まで、庶民の日常生活に関わるあらゆるニーズが、路上の超零細商人・職人たちによって担われています。

インドを旅する人なら、彼らの姿を毎日飽きるほど目にするはずですが、大道商人たちの姿に注目し、ここまで徹底して取材した本は、これまで存在しなかったのではないでしょうか。

著者の山田和氏は、インド北西部のラジャスタン州や首都デリーを中心に、十年以上にわたって約300人の大道商人に取材をしたといいます。この本では、その中から100あまりの商人の姿が、美しい写真とともに紹介されています。

めずらしいところでは、体重計一つで商売する体重測定屋とか、歯ブラシになる木の枝を売る商人、ゴムぞうりの鼻緒だけを売っている鼻緒売り、持ち運び式の子供用観覧車を人力で回す遊覧車屋、なんていうものまであります。

写真を見ていると、インドの街の喧騒と混沌を生み出している人々が、一人ひとりスポットライトを当てられ、クローズアップされていくような感じがします。そして、現地を歩く旅人でさえつい見逃してしまうような彼らの姿を改めて眺めていると、一人ひとりの大道商人がつくり上げ、支えているささやかな小宇宙の数々が見えてくるような気がします。

写真の中の大道商人たちは、もちろん、埃や汚れにまみれています。豊かで潔癖になった日本人の中には、彼らの姿に、みすぼらしさや不潔さしか見出せない人もいるかもしれません。

しかし、最初のそうした表面的な感覚をやり過ごし、黙って写真を眺めているうちに、彼らの中にある、したたかな逞しさ、素朴で力強い美しさのようなものが伝わってくるのではないでしょうか。

大道商人たちと真剣に向き合い、丁寧な取材を続けた山田氏の姿勢には、「大地の民」である彼らの存在に対する深い敬意が感じられます。

ちなみに、山田氏の取材にあたってのポリシーや取材方法、旅の装備などについては、「第三章 インタヴュー事始」で詳しく触れられています。また、大道商人たちの心を体験的に理解するために、自ら路上に座り、日本から持参したある商品を売ってみたという、楽しいエピソードも描かれています。

ところで、この本のための取材は今から20〜30年前のことで、本文中に書かれているインドの物価水準やルピーの対円レートは、現在では大きく異なっています。また、インドの社会自体も、世界全体を巻き込むグローバリゼーションの中で激しく変化しつつあります。

近代化と経済発展をなしとげた日本において、大道商人が激減してしまったように、山田氏が写し取った人々の姿も、近い将来、もしかすると、インドに関する歴史的な資料になってしまう日がくるのかもしれません。

もちろん、少なくとも当分の間は、インドの街角に満ちている喧騒と混沌のパワーは健在のはずだし、人なつっこいというより、しつこいインドの商売人たちと旅人との激しいバトルも、当面なくなることはないのでしょうが……。

ただ、この本の中に写し取られている、ウソのない自然そのもののような、ありのままのインドの人々の姿を目に焼きつけておきたいという人は、できるだけ早いうちにインドを旅しておいたほうがいいのかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 18:35, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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