このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
            
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM

犬が恐い!

数年前にチベット(中国の西蔵自治区)を旅したとき、私の念頭にあったのは、万が一のアクシデントが起きた場合でも、助けを求められないかもしれない、ということでした。

ラサやシガツェなどの都会ならともかく、辺境の村で病気になったとしても、ちゃんとした医者や医療設備を期待することはできません。病気やケガで動けなくなったりしたら、本当に悲惨なことになるでしょう。

また、標高5000メートル以上ある峠をいくつも越えていかなければならないのですが、たとえ高山病の症状が出ても、充分な設備がないので、酸素ボンベや薬によって症状を和らげることもできません。

以前このブログに、「香港で注射器を探した話」という記事を書きましたが、そういう変な努力をしたのも、何でもいいから、こちらで可能な備えをしておくことで、旅の不安を少しでも減らしたい、という切実な思いがあったからです。もっとも注射器をいくら用意していても、医者も薬もない環境ではどうすることもできないのですが……。

話を戻します。

旅の病気に関しては、薬を用意するなど可能な限りの備えをし、歯医者に行って虫歯も治して、後は日々の体調管理をするくらいしかできませんが、そこまでやっておけば、「何か起きてもその時はその時だ!」と開き直ることもできるでしょう。

問題は突発的な事故です。交通事故やがけ崩れ、場合によっては強盗に襲われることもあるかもしれませんが、確率的には非常に低いし、そんなことをいちいち心配するくらいなら、旅に出ること自体不可能です。

それよりもはるかに確率が高そうで、日常的な危険として、私がいちばん恐れていたのは「犬に噛みつかれる」ことでした。

ご存知の方も多いかもしれませんが、辺境のチベット人は遊牧民です。ヤクなどの群れを率いてあちこちを放牧する生活を送っているのですが、番犬として非常に獰猛な犬を飼っています。トレッキングで歩いている時など、遊牧民のキャンプを横切らなければならないことがあるのですが、番犬は、遠くから人間が近づいてくるのを目ざとく見つけると、狂ったように吠え立てながらこちらに走ってくるのです。

こちらには悪気など全くないのに、今にも喰いつかんばかりの激しさです。そんな時、私は足がすくんでしまい、キャンプのテントから主人が出てきて犬をなだめてくれるまで、そこから一歩も動けないのでした。

遊牧民のキャンプばかりではありません。寺や民家でも獰猛な番犬を飼っていることが多いので、うかつに建物に近づいたりしてウロウロするのは危険です。また、チベットでは、巡礼者が寺の周囲を時計回りに周回する(コルラする)習慣があるのですが、彼らにならって私もコルラしていると、巡礼者のくれるエサを目当てに、飢えた野犬がゾロゾロと集まってくるのです。

チベット人は犬に慣れているので、全く気にする様子もなく、ツァンパ(大麦を炒った粉、チベット人の主食)を所々に供えながら足早にコルラを続けます。しかし、私はいつも犬の動きが気になって、巡礼気分に浸ることもできません。見るからに挙動の怪しい犬を見かけたりすると、噛まれたら間違いなく狂犬病になりそうな気がして、「どうか私にだけは噛みつきませんように!」と思わず必死に祈ってしまうのでした。

これを読まれる方は、私のことをずいぶん臆病だと笑われるかもしれませんが、私が旅行していた当時、チベットで犬に噛まれたという日本人旅行者に2人も会ったのです。それほど沢山の日本人に会ったわけでもないので、これはかなりの確率だと思います。

1人は、チベットの旅を終えて、シルクロードを旅している最中でしたが、狂犬病のワクチンを何本も持ち歩いていました。何日かおきに、旅先で医者を見つけて、ワクチンを一本ずつ打ってもらわなければならないんだと言っていました。

彼の場合は、噛まれた場所が都会に近かったので、すぐに医者に行ってワクチンをもらえたのですが、それができない辺境だったらと思うと、なかなか恐ろしいものがあります。もちろん、犬に噛まれても、狂犬病でなければ、致命傷になる可能性は低いのですが。

それに、先日の記事「チベットのトイレ事情」に書いたように、犬たちがふだん喰っているもののことを思うと、あの口でガブリとやられるのだけは勘弁願いたいと思うのです……。

しかし、そんな思いをしてでも、チベットは旅するだけの価値があります。その魅力について、私にはひと言でうまく表現できる自信がありません。チベットに興味を持たれた方は、長田幸康氏のウェブサイト「I Love TIBET!」をご覧ください。

at 20:50, 浪人, 地上の旅〜チベット

comments(0), trackbacks(0)

チベットのトイレ事情

チベットといえば、ひと昔前までは秘境の代名詞でした。

私が学生時代に読んだ旅行記では、中国政府の許可を得て学術調査隊などの大キャラバンに参加しなければ、足を踏み入れることもかなわない神秘の世界という扱いでした。ラサのポタラ宮の描写などを読みながら、私がこんな秘境を訪れることは一生ないだろうな、と漠然と考えていたことを思い出します。

それからしばらくして、中国の西蔵自治区は外国人旅行者に解放され、一定の条件つきではありますが、バックパッカーが自由に旅することも可能になりました。今ではチベットを個人で旅するための詳細なガイドブックが日本語で出版されるまでになっています。

数年前、旅先で会った日本人からチベットの話を聞いているうちに私も行ってみたくなり、香港で半年のビザを取ってチベットを目指しました。その旅についてはいずれ書く機会もあると思いますが、今回はチベットのトイレ事情についてだけ書いてみることにします。

ただし、チベットといっても、私が旅したのは青海省などのチベット文化圏や西蔵自治区のごく一部です。トイレ事情と一口に言っても、町や村の大きさや環境によってトイレの状態は劇的に変わるので、以下はあくまでも私の経験の範囲内での話です。

また、ラサやシガツェのような都会になると、外国人が宿泊できるホテルのシステムなどは、中国の他の地方と基本的には同じなので、そういう場所のトイレについては、以前に書いた記事「中国のトイレ事情」から想像してみてください。

大きな町を離れ、地方を旅していると、トイレの設備はだんだんと粗末になっていきます。それなりの大きさの町ならば、招待所のビルの中に中国式トイレがあるのがふつうですが、私が泊まった西チベットのある町では、宿のビルの中にシャワーはおろかトイレさえなく、道路を渡った反対側にある公衆トイレを使うように言われました。

その公衆トイレは、地面に掘った穴の上に、中国式の低い仕切りが並んでいるだけというシロモノでしたが、屋根がついており、足場もコンクリートでしっかり固めてあるので、一応安心して用を足すことができます。ただし、夜になると電灯の類いは一切なく、月明りも入ってこないので真っ暗闇になります。

夜中にそんなトイレに行きたくはないのですが、止むを得ず行かねばならないこともあります。そんな時は懐中電灯を用意して足元を照らし、懐中電灯を絶対に落とさないようにしっかりと確保した上で用を足さないと、暗い「穴」の中に足を踏み外したり、懐中電灯を落として身動きがとれなくなるという最悪の事態にもなりかねません。

しかし、それでもそこには足場や壁があるという安心感があります。

知り合いになった若いチベット僧に招待されて訪れた青海省のある僧院では、敷地の一角に数メートル四方の大きな穴が掘られていて、そこに細長い板がさしかけてありましたが、それがトイレのようでした。幸いなことに、そこを使う必要に迫られることはありませんでしたが、あの細い板の上で落ちないようにバランスを取りながら、穴に向かって用を足すというのは、かなり熟練を要するかもしれません。

さすがにこういう「穴」だけというケースは少ないのですが、小さな村の、旅人向けの安宿みたいなところになると、広い敷地の一角に壁が立っていて、その陰に掘られた穴の上で用を足すことになります。トイレに屋根はありません。

ここまで読んでこられた方は、チベットはずいぶん不潔なところだと思われるかもしれませんが、実感としてはそれほどでもないのです。

チベット高原は非常に乾燥しているため、屋根のないトイレでも雨や雪に悩まされることはほとんどないし、排出されたモノはすぐに干からびて風化してしまうせいか、臭いも思ったほどひどくはありません。天井や壁が少ないと風が通り抜けるので、粗末なトイレであればあるほど、臭いがこもらずに済んでいるという可能性もあります。

ところで、問題は用を足した後です。欧米や日本からの旅行者は (もちろん私も含めて)、トイレットペーパーを使って後始末をします。しかし、地元の人しか使わないようなトイレでは、トイレットペーパーを使った形跡が見られません。

そもそも、へき地に住んでいるチベット人が、工業製品であるトイレットペーパーを高い金を払って買うとも思えないし、かといってインド人や東南アジアの人々のように水を使って処理しているようにも見えません。

紙も水も使わないとすると……。これ以上はあまり考えないほうがいいかもしれません。

話を戻しますが、田舎の粗末なトイレを使おうとしても、場合によってはちょっと汚くて入る気になれないことがあります。それにさらに辺境に行くと、トイレ自体が見当たらないこともあります。

そんな時は、広いチベットの大地がどこでもトイレになるのです。チベットのいいところは、人が少ないことです。人の住んでいる集落でも、ちょっと歩けば、小高い丘の上や大きな岩の陰など、誰の目にもつかないような、野グソにうってつけの場所が見つかります。

そして、これが実は非常に爽快なのです。

目の前に果てしなく広がる荒涼とした大地を眺めたり、遠く雪の山脈を望んだり、目の前に迫る断崖を見上げたり、美しい湖を見下ろしたりしながらゆっくり用を足すというのは、ある意味では最高の贅沢かもしれません。もちろんこれは夏の話で、身を切るような寒風の吹きすさぶ冬のチベットでも同じように楽しめるかどうかはわかりませんが……。

それに実は、野グソの爽快さに水を差す、ちょっとやっかいな問題があるのです。人の住まないような場所でなら何の問題もないのですが、人の住む集落のそばの物陰でしゃがみこんでいると、どこからともなく野良犬がやって来るのです。中には音もなく背後から忍び寄って、ふと振り向くと自分の尻のすぐ後ろにいたりするので油断できません。

彼らが狙っているのは、我々のウンコそのものです。エサの豊富な日本の犬たちならそんなことはしないでしょうが、荒涼としたチベットの大地で生き抜いていくためには、犬が人間の排泄物を喰うというのはめずらしいことではないようです。彼らは排出されたばかりのホカホカのモノを他の犬たちに横取りされまいと、人間の尻のすぐ横で待ち構えようとするのです。

しかし、いくら何でも、見知らぬ野犬が口を開けて後ろで控えているという状態で、ゆっくり用便を楽しめる人はいないでしょう。私も集落の近くでは、後ろから忍び寄られないよう、できるだけ背後に壁があるような場所を選び、周囲に目を光らせ、ちょうど身動きがとれない大事な瞬間に犬が走り寄ってくるという最悪の事態を防ぐため、できるだけ素早く用を足すように心がけていました。

皆様もチベットで野グソを楽しむ機会があれば、背後から迫ってくる犬にくれぐれもご用心ください。


旅の名言 「便所で手が……」
旅の名言 「自分の中で何かが壊れ……」
記事 「中国のトイレ事情」
内沢旬子・斉藤政喜著 『東方見便録』 の紹介記事

at 20:45, 浪人, 地上の旅〜チベット

comments(0), trackbacks(0)

中国のチベット旅行ブーム

中国では、今チベット旅行がブームのようです。

3日付の中国新聞社によると、06年7月に青海省を訪れた観光客は前年比34%増の延べ163万人、観光収入は同30%増の8億1800万元に達した。7月1日に全線開通した青蔵鉄道の効果がはっきりと現れた格好だ。
(サーチナ・中国情報局 8月3日)


TVでも何度か報じられたのでご存知の方も多いと思いますが、7月1日に青海省のゴルムドとチベット自治区のラサを結ぶ路線が開通したことで、北京からラサまで鉄道で移動できるようになりました。

北京 → ラサは特別快速で48時間ということですから、比較的短時間で「大陸縦断の汽車の旅」を楽しむことができ、旅好きにはなかなか「おいしい」路線であることは確かです。しかも最高で海抜5072メートルの高地を走るため、「世界一の高所を走る鉄道」でもあり、話題性は抜群です。

世界中の旅行者の注目を浴びているこの路線を、豊かな中国人が見逃すはずもなく、冒頭の記事のように観光客が激増し、その傾向は今後も続くと思われます。8月8日の読売新聞朝刊によれば、ラサではホテルが軒並み高騰し、ポタラ宮の入場制限がされるほどだそうです。

そして北京からの鉄道路線は、ラサを越えてさらに南へ延伸される計画があります。

 華僑向け通信社の中国新聞社がチベット自治区政府関係者の話として伝えたところよると、青蔵鉄道の支線として建設が検討されているのは、東西に伸びる2路線。ラサから東に向かってインドのアッサム州に近いニャンティ(林芝)に至る約350キロと、西に向かってシガツェ(日喀則)を経由し、さらに南に向かってシッキム州の国境に近いドモ(亜東)に至る約500キロの計画だ。
 2016年までの建設をめざし、建設費用は数百億元とされている。(中略)
 大陸国家の中国は、安全保障上の観点から外洋に通じる新たなルート開拓に乗り出しており、チベット経由でインドに通じ、インド洋に出る今回の計画もその一環と考えられる。
(フジサンケイ ビジネスアイ 7月20日)

私は何年か前にチベット自治区を旅したことがありますが、「秘境」のイメージとは裏腹に、そこで中国政府による大規模な植民と開発が進められているのを目の当たりにしました。

世界中の多くの地点が鉄道によって結ばれることは、旅行者にとっては楽しみが増えることでもあり、一概にそれを否定するつもりはありませんが、国の事業として非常なコストをかけて鉄道が敷かれるという事実を考えるとき、その第一の目的が観光客への便宜だけであるとはとても思えません。

青蔵鉄道をめぐっては、日本ではどちらかというとその経済効果の点から報じられることが多いようですが、チベット人難民や、現在チベット自治区に住むチベット人が鉄道建設をどう見ているのかはあまり伝わってきません。

個人的には、私は故郷の地を追われたチベット人に同情的です。また、チベット自治区においてチベット固有の文化が失われ、政治的・経済的な大きな流れの中に飲み込まれていく現状に、何ともいえない寂しさを感じています。

もちろん様々な事情によって、青蔵鉄道を歓迎しているチベット人もいるはずで、物事を単純に白黒で割り切ることはできませんが、私としては、これからチベットがどう変わっていくのか、それがそこに生きる人達にとって幸せな生活につながるのか、注意深く見続けていきたいと思います。

at 18:25, 浪人, 地上の旅〜チベット

comments(0), trackbacks(0)