このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
            
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM

旅の名言 「自分の経験則からするなら……」

 以前マルコポーロの『東方見聞録』についてある編集者と話し合っているとき、私はちょっとした冗談を言ったことがある。
「だいたいあのように何年もかけて旅する男というのは女好きに違いない」
 これはジョークではあるが、まったく根も葉もない口から出任せの言葉とも言えない。自分の経験則からするなら自らのことも含めて、長い旅のできる男は色好みである。言葉を換えれば、生物としての生命力が豊かという言い方にもなる。理に適っているのである。

『ショットガンと女』 藤原 新也 集英社インターナショナル より
この本の紹介記事

写真家の藤原新也氏の旅のエッセイ集、『ショットガンと女』からの引用です。

まあ、半分はジョークとはいえ、「何年もかけて旅する男というのは女好き」という彼の「経験則」に対して、旅の好きな人はどのように反応するでしょうか。

「少なくとも自分はちがう!」と真っ向から否定するのか、それとも、「やっぱりそうだったのか」と妙に納得してしまうのか……。

とりあえず自分のことは棚に上げたうえで、私がこれまで旅の中で出会ったバックパッカーたちの生態を思い出す限りでは、別にみんながそんなにギラギラしていたような印象はありません。長旅をしていた彼らが果たして「色好み」かと問われても、正直なところ、あんまりそういう感じはしないのです。

この感じは、藤原氏の「経験則」とは合わないのですが、そのあたりについては、旅人たちを取り巻く時代や旅のスタイルの違いが、多少は関係しているのかもしれないという気がします。

マルコポーロの時代はもちろん、つい数十年くらい前まで、世界を旅するというのは、よほど恵まれた地位にいる人間でもないかぎり、困難と危険と苦痛の伴う冒険でした。その当時の旅は、ちょっとした思いつきで始められるほど生易しくはなかっただろうし、旅人も、危険や困難をあらかじめ覚悟した上で、あえて旅に出たわけです。

そういう厳しい環境で、実際に何年も旅を続けられる人間は、いろいろな意味で確かに生命力が強かったのだろうし、その生命力の一つの表れが、「色好み」という形になっていたのかもしれません。

今でも、例えば戦場カメラマンとか、冒険的な登山家みたいな人たちは、昔の旅と同じか、それ以上に危険な命がけの旅をしているわけで、少なくとも彼らについては、生命力が強いと言えそうな気がします。もっとも、彼らが「色好み」なのかどうかについては、私には分かりませんが……。

しかし、そうした例外的な旅人を除けば、今や、ごく普通の人間が、その気になれば格安航空券で世界をまわり、安全な安宿に泊まって、見知らぬ街をガイドブック片手に気軽に歩きまわれる時代です。そこでは、旅人として特殊な能力とか、強靭な生命力みたいなものは、特に必要とされません。

それに、別に波乱万丈の旅をしなくても、いわゆる「外こもり」や「沈没系」旅行者のように、ゆったりまったりと旅を続けていれば、数カ月、数年という時間はあっという間に経ってしまうものです。長いあいだ旅をしたからといって、それが、何か常人とは違う特性みたいなものを証明するわけでもないでしょう。

たぶん、1960年代から70年代にかけて世界を放浪し、ワイルドな旅に明け暮れた筋金入りのヒッピーみたいな人々と、最近のまったり系のバックパッカーたちとでは、同じように旅をしていても、そもそも人間のタイプみたいなものが違うのだと思います。

それでもまあ、現代のお気楽な旅行者であっても、やはりみんな、もともとの動機として、好奇心というか、外の世界を見てみたいという気持ちは多少はあるわけです。そして、そのために実際に自分で旅を手配し、自分の足で歩き、見たいものは自分の目で確かめるという、行動主義的な傾向も共通して持っているはずで、そういう前向きの行動力みたいなものは、あるいは、生命力の豊かさみたいなものと、多少の関係はあるのかもしれません。

ただし、ひとくちに生命力といっても、その発現の仕方にはいろいろあるはずで、必ずしもそれがすべて「色好み」という方向に向かうわけでもないのでしょうが……。

何だか、だんだん言い訳がましくなってきました。

「そういうお前は、結局のところどうなんだ? お前も助平なのか?」とツッコミが入りそうですが、う〜ん、正直なところ、その辺は自分でもよく分かりません。

まあ、自分では、たぶん人並みくらいだと思うんですけど……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:19, 浪人, 旅の名言〜旅人

comments(0), trackbacks(0)

旅の名言 「旅路における作法というものが……」

 旅路における作法というものがある。あけすけな質問や立ち入った質問は禁物なのだ。単純かつ気持ちのいいマナーだし、世界じゅうどこでも通用する。
 彼は私の名前を尋ねず、私も同様だった。

『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家のスタインベック氏によるアメリカ一周旅行記、『チャーリーとの旅』からの引用です。

「旅路における作法」なんていうと、ちょっと仰々しく聞こえますが、別に難しいことを言っているわけでもなく、旅先で知らない誰かと会ったときには、お互いのプライバシーにはあまり踏み込まないでおこうという、ただそれだけのことです。

もっとも、私の知る限りでは、旅のガイドブックにこういうことが書いてあるのは見たことがないし、旅をしているあいだに、こういうマナーに関して他の人から注意された経験もないのですが、言われてみればたしかに、そういう暗黙のルールみたいなものはあるかもしれないな、という気はします。

旅がどうして楽しいのか、その大きな理由として、旅人が窮屈な日常から一時的に離れて、自由な気分を満喫できるということがあると思います。

旅先では、仕事とか家庭のゴタゴタや人生の悩みをとりあえず棚上げにし、一人の無名の旅人として、自由にふるまい、つかの間の解放感を味わうことができるのです。

そんな自由を楽しんでいるさなかに、本人の過去とか、現在の社会的な立場とか、背負っている人生の重荷について、赤の他人からあれこれ詮索され、そのことをいちいち思い出させられるというのは、決して気分のよいものではありません。

まあ、個人的なことをいろいろ聞かれても、別に不愉快にはならないという旅人もいるだろうとは思いますが、旅を楽しもうという各人の立場を尊重して、互いに余計なおせっかいはしないのが旅人としてのマナーなのでしょう。

ただ、こういうマナーは別に旅先に限った話ではなく、都会で暮らしていれば、仕事でも日々の暮らしでも、基本的には同じことがあてはまります。

この本が書かれたのは、もう50年近く前のことなので、当時はあえてこういうことを書く意味もあったのかもしれませんが、都市化の進んだ現在の日本では、むしろふだんの日常生活においても、そういうマナーがすっかり身についている人の方が多いかもしれません。

ただし、旅先で出会った者同士が、いつでもあたりさわりのない会話をするだけで、互いに無名のまま別れてしまう、というわけではないでしょう。何かのきっかけで意気投合することもあるし、泊まっている宿などで何度か顔を合わせてそれなりに親しくなり、互いの名前を聞いたり、メールアドレスや住所を交換することもあります。

それに、いま目の前で話している相手とは、きっともう二度と会うこともないだろうと思うからこそ、むしろ、自分の身近な人にも話せないような深い胸の内を語れるという場合もあるのです。

結局のところ、「旅路における作法」を尊重してクールにふるまうか、互いのプライバシーにもう少し踏み込むかという判断は、状況次第、相手次第というところがあるのでしょう。そしてその辺りの感覚というのは、人それぞれの性格とか経験によって多少の差はあれど、誰もが、特に意識することもなく身につけているものなのだと思います。

ちなみに、これはいわゆる「先進国」の旅人たちについて言えることで、インドみたいな国に行くと、こういう作法はもはや通用しなくなります。道を歩いていても、バスや列車に乗っていても、茶店でチャイやラッシーを飲んでいても、通りすがりの人々が集まってきて、彼らに「あけすけな質問や立ち入った質問」をされまくります。

まあ、彼らのほとんどは旅人ではないので、ここで「旅路における作法」を振りかざしてみても仕方ないのかもしれません。それに、我々の内面にズカズカと踏み込んでくるといっても、多くの場合、彼らに悪気があるわけではありません。

彼らに、「単純かつ気持ちのいいマナー」の必要性を訴えても、徒労に終わるだけです。旅人としては、彼らの土地を旅させてもらっている以上、ここはそういうところなのだと納得して耐えるしかないのでしょう……。

 
JUGEMテーマ:旅行

at 18:48, 浪人, 旅の名言〜旅人

comments(1), trackbacks(0)

旅の名言 「インドに初めて行ったとき……」

 インドに初めて行ったとき、有名人とはこういうものかと感じた。路地裏を歩いていて振り向くと、二〇人くらいの子供が私のあとをつきまとい、店員は私に手を振る。乞食が手を出してくる。
 それで思い出したのだが、ある有名芸能人の話だ。時と場所をわきまえず騒がれたり、サインを求められたり、写真を撮られたりすると頭にくるが、無視されると淋しくなり、「有名人がここにいるんだぞ」と周りの人に叫びたくなるのだそうだ。このあたりの感情は、アジアやアフリカを旅行する者にもいくらか通じるような気がする。


『アジア・旅の五十音』 前川健一 講談社文庫 より
この本の紹介記事

アジアの旅にまつわる前川健一氏のエッセイ、『アジア・旅の五十音』の「無視」の項からの引用です。

インドやバングラデシュのような国を旅した人ならきっと、前川氏と同じような体験をしているはずです。外を歩けば大勢の人間に取り巻かれ、後をつけられ、お茶を飲んでいれば周囲の熱い視線にさらされ、話しかけられ、同じような質問を何度も浴びせられた経験があるのではないでしょうか。

旅人にしてみれば、どこへ行っても現地の人々に監視されているみたいで、鬱陶しいことこの上ないし、彼らのワンパターンな質問につき合っていると、何とも言えない徒労感を感じます。疲れているときなどは、お願いだからそっとしておいてくれと大声で叫びたくなります。

しかし、そんな状況を避けるうまい方法があるわけでもないので、現地にいる間は、とにかくそれに慣れるしかありません。

そんなとき、有名人というのはきっと、こういう経験を毎日繰り返しているんだろうな、と思うのです。

それでも、インドのような国をしばらく旅しているうちに、気がつけば、いつのまにか現地の人たちと、漫才のようなしょうもないやりとりを繰り返すのが日課になっていたりします。それに、街に出れば必ず誰かが相手をしてくれるので、少なくとも時間をつぶすのに困ることはありません。

そして、そんな生活にすっかり慣れてから日本に帰ると、街を歩いていても誰も話しかけてこないことや、何のハプニングも起こらない日常に、むしろ淋しさを覚えてしまったりするのです。

どこへ行っても注目され、ちょっかいをかけられるというのは、鬱陶しくて仕方がないけれど、かと言って、誰にもかまってもらえないのもやっぱり淋しい……。インドに行くと、芸能人のその複雑な気持ちがちょっとは分かるような気がします。

ただ、旅人の場合は、現地での鬱陶しさに嫌気がさしたらいつでも日本に帰れますが、芸能人の場合、そういう選択の余地はないわけで、同じような体験を、日本にいる限り、たぶん一生し続けなければならないのだと思うと、同情を禁じえません。たしかに、みんなに無視されれば淋しいかもしれませんが、やはり四六時中追っかけまわされ、必要以上の注目を浴び続けるのは、彼らとしても苦痛だろうと思います。

海外で、彼らの気持ちを少しだけ疑似体験した旅人としては、だから、街で芸能人を見かけても、無礼なことは決してしないようにしよう、そして、できれば彼らをそっとしておいてあげたいと思うのです……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:01, 浪人, 旅の名言〜旅人

comments(0), trackbacks(0)