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旅の名言 「義理で配らなければいけないみやげ物を……」

 義理で配らなければいけないみやげ物を、旅行中のかなりの時間とかなりのカネを使って買い集め、しかしもらってもちっともうれしくないという日本の習慣は、早くなくなってしまえばいいと思う。
「そうはいかないのよ」という声が、全国各地から聞こえてきそうだ。みやげ物は、私に関係のない世界のことだから、どうでもいいけど。


『アジア・旅の五十音』 前川健一 講談社文庫 より
この本の紹介記事

アジアの旅にまつわる短いエッセイを集めた、前川健一氏の『アジア・旅の五十音』の、「みやげ物」の項からの名言です。

本当にその通り! としか言いようがありません(笑)。

他の国では、みやげ物に関してどのような習慣があるのか、私はよく知りませんが、(旅行が人生の大イベントだった昔ならともかく)今の日本で、みやげ物を配り歩く習慣が果たして必要なのか、大いに疑問です。

でもまあ、こういうことは結局、旅人それぞれの個人的なポリシーの問題なので、やめる・やめないは各人が決めればいいことです。

それに、私も偉そうなことを言いつつ、みやげ物をきっぱりと全廃したわけではありません。帰国後に会う身近な人に対して、全く手ぶらというわけにもいかず、ほんの気持ち程度のものを買ってきたりすることはあります。

もっとも、この「ほんの気持ち」というやつこそ、いちばんのクセモノで、それこそまさに義理であり、日本的習慣なのだと言われてしまいそうですが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:16, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「自分はどこでも生きていくことができるという思いは……」

 地続きでアジアからヨーロッパに向かったことで、地球の大きさを体感できるようになった。あるいは、こう言い換えてもよい。ひとつの街からもうひとつの街まで、どのくらいで行くことができるかという距離感を手に入れることができた、と。行ったのは香港からロンドンまでだったが、体の中にできた距離計に訊ねれば、それ以外の地域でも、地図上の一点から他の一点までどのくらいの時間で行けるかわかるようになった。
 あるいは、私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていくことができるという自信を持つことができた。
 しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまったのだ。
 私は日本に帰ってしばらくは池上の父母の家にいたが、すぐに経堂でひとり暮らしを始めた。
 夜、その部屋の窓から暗い外の闇を眺めていると、ふと、自分がどこにいるのかわからなくなる、ということが長く続いた。そこが自分の部屋であり、家なのに、旅先で泊まったホテルの部屋より実在感がないような気がしてならなかった。


『旅する力 ― 深夜特急ノート』 沢木 耕太郎 新潮社 より
この本の紹介記事

旅行記の名作『深夜特急』の著者である沢木耕太郎氏が、自らの半生を旅という切り口で振り返るエッセイ、『旅する力』からの引用です。

沢木氏は、ここで、『深夜特急』として描かれることになった20代のユーラシア大陸の長い旅で得たもの、そして失ったものについて深く思いをめぐらしています。

そして、その最後の部分、旅を終えて日本に帰ったとき、家であるはずの自分の部屋さえもが「仮の場所」に思えてしまった、つまり、自分にとってそこがホームだと言えるような、特別に親密な場所を失ってしまったという思いに、私は強く共感を覚えます。

私も、アジアを旅して日本に戻ったとき、同じような違和感がありました。旅を終えて、再びスタート地点に戻ってきたはずなのに、その場所は、かつてのような特別な重みを失ってしまっていて、まるで、次の旅までの一時的な中継点にすぎないように感じられて仕方がありませんでした。

もちろん、旅の途上で泊まり歩いた安宿にくらべれば、日本の住まいははるかに快適だし、日本語がどこでも通じるし、勝手知ったるおなじみの世界で生活する安心感というのは他の国では味わえないものです。

それに私の場合は、旅によって「自分はどこでも生きていけるという自信」を得たという沢木氏のような境地にまでは至っていません。

それでも、日本での住まいがあくまで「仮の場所」に見えてしまうという感覚は、否定しようもないほどはっきりしていたし、それは今なお消えることがありません。そしてまた、自分の中には常に、いずれはきっとここを出て、どこか別の場所に向かうだろうという予感があるのです。

どこにいても、そこが「仮の場所」であると思えてしまうこと、それは、裏を返せば、日本に戻ってからも、自分の内面ではずっと旅が続いているということです。

きっと、旅を続けているうちに、いつの間にか、日々の生活と旅が融け合ってしまい、どこからどこまでが旅で、どこからどこまでが日常生活かという区別がつかなくなってしまったのでしょう。それに、私は旅を通じて、一つの場所に縛られない自由の喜びに目覚めてしまったのだと思います。

ただ、それは同時に、深い帰属感をどこにも感じることのできない寂しさをもたらしました。もしかすると、ある場所が自分にとって何よりも特別だという感覚は、生きているかぎり、もう二度と味わえなくなってしまったのかもしれません。

もっとも、これは、長い旅だけが原因ではないという気もします。そこには、私自身の生い立ちや性格も、多少は影響しているのでしょう。

親の転勤で、子ども時代に何度か引っ越しをしたし、その後も、学校や仕事に合わせて何度も住所を変えました。だから私には、もともと自分の故郷と呼べるような場所がないし、多くの人にとっての故郷のように、特別な場所を深く思う気持ちも、それを失うことへの怖れも、本当の意味で感じたことがない気がします。

旅は、そうした、私自身の以前からの傾向を、よりはっきりとさせただけなのかもしれません。

ただ、アジアの国々を旅したことで、日本という島国全体に対する愛着みたいなものは非常に増した気がします。例えば、日本にしかない美しく繊細な風土や文化、そこに暮らす人々の真面目さや誠実さなど、日本を離れることで初めてその貴重さに気づいたものが多々ありました。

また、愛着というほどではないですが、これまで旅をしたアジアのさまざまな土地と、そこに生きる人々に対して、緩やかなつながりのようなものも感じるようになりました。

もしかすると、実家とか、自分の部屋とか、あるいは近所の見慣れた土地に対する特別な思いは、旅によって私自身の視野が多少なりとも広がったことで、日本やアジアの各地と、そこに暮らす人々に対する、緩やかな愛着のようなものに形を変えたのかもしれません。

もっとも、それによって失われた「大切なもの」のことを思うと、それが果たして自分にとってよかったのかどうか、よく分かりませんが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:56, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「どこかやっていけそうな気になって……」

 死ぬつもりでカオサンに流れ着いたという日本人は、タイという国とタイ人に幻惑され、しだいに元気をとり戻していく。しかしそれは、タイという国が演出してくれる舞台で踊っているのにすぎない。どこかやっていけそうな気になって日本に帰ったとしても、待ち構えているのは、自分自身の心の均衡を狂わせ、弾き出そうとした不寛容な日本社会なのだ。
 彼らはまたタイにやってくるのだろうか。やがてその回数は増えていくのかもしれない。そのうちに、日本とタイのバランスが決まっていくのだろうか。ベースを日本におき、あくまでも旅行者にこだわる人もいるだろう。人によっては外こもりに近づいていってしまうのかもしれないが、それが心のバランスを保つ支点なのだろう。その点がみつかればなんとかやっていける気もする。
 日本で生きていくことはつらいのかもしれないが、日本人であることを捨てることもまたできないからだ。

『日本を降りる若者たち』 下川 裕治 講談社現代新書 より
この本の紹介記事

旅行作家の下川裕治氏の著作、『日本を降りる若者たち』からの一節です。

この本には、日本人の間に増えているといわれる「外こもり」(派遣やアルバイトで集中的に金を稼ぎ、東南アジアなど物価の安い国で金がなくなるまでのんびりと生活するライフスタイル)の実態が描かれています。

タイでの外こもりの場合、彼らの多くは、バックパッカーの溜まり場であるバンコクのカオサン通り周辺のゲストハウスや、市内のアパートにこもって、毎日ぶらぶらと過ごしています。忙しい日本人の目からすれば、それはほとんど非生産的な暮らしにも見えます。

しかし、下川氏は、自らもかつて仕事を辞めて世界を放浪したり、バンコクに長期滞在した経験もあるだけに、彼らを突き放した目で見たり、彼らの生き方を単純に批判したりはしません。

ただ、だからといって、一方的に彼らの肩をもつわけではないし、外こもりという生き方に将来への明るい見通しがあるとも思ってはいないようです。

それは、外こもり、あるいはその予備軍である人々が、どうやってその生活を維持しているのか、この本によってその実態を知れば、おのずと見えてくることでもあります。

日本の社会で追い詰められた人間がタイにやって来て、日本の息苦しさから解放され、一時的に癒された気分になっても、いずれ手持ちの金はなくなるわけで、そうなればタイで仕事につくか、日本に帰るしかありません。タイで日本人がつけるような仕事といえば、結局その多くは日本の企業社会と深い関わりをもたざるを得ないし、もちろん日本に帰れば、以前と同じ問題が待っています。

それに加えて、タイでの暮らしが長くなって、タイの流儀に染まりすぎてしまえば、日本で働くことの心理的なハードルが、さらに高くなりかねません。

タイに逃れてきた人々がそこで生きる元気を取り戻すのだとしても、下川氏の言うように、それは「タイという国が演出してくれる舞台で踊っているのにすぎない」のであって、彼らの誰もが遅かれ早かれ、「自分自身の心の均衡を狂わせ、弾き出そうとした不寛容な日本社会」と、再び対決することを迫られるのです。

しかし、私は思うのですが、日本から逃げるという選択肢を思いつかず、あるいはプライドのために選ぶことができず、「不寛容な日本社会」にそのまま押しつぶされてしまうことにくらべれば、タイや他のアジアの国々にとりあえず逃げるというのも、実は考えるに値するまっとうな選択肢の一つだと思うし、少なくともそれによってある程度の時間稼ぎをし、再び問題と対決するための元気を取り戻すことはできるわけです。

また、一度海外での暮らしを体験することによって、いざとなったら日本と他の国を往復しながらでも生きていけばいいのだと開き直ることができれば、たとえ問題はそのまま残るとしても、今までよりは楽な気持ちで生きていけるようになるのではないでしょうか。

自分の居場所を一つの国、一つの場所だけに求めるのではなく、自分の心の状態に応じて、居場所を地球上のあちこちに見出し、日本と海外を振り子のように行ったり来たりすることも、私は立派な生き方の一つだと思います。

そして、そうした前提で考え、行動するなら、どのような形で、どのくらいの比率で居場所を組み合わせるか、それぞれの人が自分なりのパターンや、「心のバランスを保つ支点」を見出していけるのではないかと思います。

そこに行きつくまでの間、必死になって居場所を探したり、生活のバランスをなんとか維持しようとするプロセスは、面倒で苦痛を伴うかもしれませんが、今の日本社会に不適応を感じている人にとっては、もしかするとそれが、もっとも現実的な生き方の選択肢の一つであるのかもしれません。

日本で生まれ育ち、日本語を母語として生きる私たちのほとんどは、最後まで日本人であることを捨てられないし、一方で、どこか他の国の人間に完全になり切るという覚悟も持てないと思うので……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:54, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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