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『夜の言葉 ― ファンタジー・SF論』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

ファンタジーの名作『ゲド戦記』シリーズの作者として有名な、アーシュラ・K. ル=グウィン氏による、ファンタジー・SFを論じたエッセイ集です。

本のタイトルである「夜の言葉」とは、ル=グウィン氏がある雑誌に書いた、次のような文章がもとになっています。

 竜の物語に耳を傾けない人々はおそらく、政治家の悪夢を実践して人生を送るよう運命づけられていると言っていいでしょう。わたしたちは、人間は昼の光のなかで生きていると思いがちなものですが、世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです。


ファンタジーをこよなく愛する人なら、彼女のこの力強い言葉に勇気づけられるに違いありません。

しかし、日本でもそうですが、アメリカにおいても(少しずつ変化が見られるとはいえ)、ファンタジーやSFを楽しむことは、ビジネスや政治のことで頭がいっぱいの人たちからは、「現実逃避」であるとして非難される傾向にあるようです。

また、作家や批評家からも、「シリアスな」純文学等に比べれば格下であるという差別を受けています。

ル=グウィン氏は本書の中で、そうした偏見に対しては断固として反論しつつ、同時に、ファンタジーやSFの本質と可能性について、あるいは自らの創作のプロセスについて、明快に語っています。

 すぐれたファンタジーや神話や昔話は実際夢に似ています。それは無意識から無意識に向かって、無意識の言語――象徴と元型によって語られます。言葉そのものは使われても、その働きは音楽のようなものです。つまり字義を追い、論理的に組みたてて意味をとらえる過程をすっとばし、あまり深くに潜んでいるので言葉にされることのないような考えに一足とびに到達するのです。こうした物語は理性の言語に翻訳し尽くすことはできませんが、論理的実証主義者でベートーヴェンの第九交響曲を無意味だと思うような人でもなければ、だからこの物語には意味がないと言いはしないでしょう。こうした物語は深い意味に満ちていますし、利用価値も高い――実用的とさえ言えるのです。倫理という点で、洞察という点で、人間的成長という点で。

(「子供と影と」より)


人間がふだん認識しているのは、意識の光に照らされた昼の世界、すなわち言語と論理の世界ということになりますが、実はそれは、現実のごく一部にすぎません。認めようと認めまいと、その外には、無意識という夜の世界が存在しています。

「夜の言葉」とは、自らの内面を通じ、無意識の領域へと分け入った芸術家が見出した「無意識世界の知覚や直観」が、「言語領域のイメージと論理的な叙述形式に翻訳」されたものであると言うことができます。

それは、言語、一貫性、時間的展開といった昼の世界の形式に変換されながらも、同時に、夜の世界の強い香りを漂わせています。

こうした、ファンタジーは人間の無意識を描いている、というル=グウィン氏の考え方は、ユング心理学とも重なり合うものがあります。

 ファンタジーは旅です。精神分析学とまったく同様の、識域下の世界への旅。精神分析学と同じように、ファンタジーもまた危険をはらんでいます。ファンタジーはあなたを変えてしまうかもしれないのです。

(「エルフランドからポキープシへ」より)


ファンタジーが無意識への旅であるならば、その創作過程は、作家の意識的な自我が、登場人物やストーリーをあらかじめプランするようなものにはなり得ません。それは、未知の世界への探険と同様、作家自らが危険を冒し、自らの内面を探索して、語るに値するものを少しずつ発見していく、身を削るような苦しいプロセスです。

そしてそこには、芸術家が「真実」を探求し続けていくということについての本質が語られているように思います。

ただ、ル=グウィン氏は、ファンタジーやSFの世界すべてを手放しで賞讃しているわけではありません。

この分野の作家たちの中には、無理解な世間との間に壁をつくって自ら狭い世界に閉じこもる「自己ゲットー化」の傾向が見られたり、退行的でナルシシスティックな作品を作り続けたり、売れるかどうかという「市場による検閲」に屈してしまう者も多いとして、そうした風潮を厳しく批判しています。

とにかく読んでいると、こうしてブログに拙い文章を書き散らしている私のような人間にとっては痛いことばかりで、深く反省させられます。

このように、内容的には非常に深く、ジャンルを越えて幅広く読まれてもいい本だと思うのですが、本書を手に取るのは、実際のところ、もともとファンタジーやSFに興味のある人に限られてしまうのかもしれません。

私個人としては、『ゲド戦記』シリーズの創作プロセスと、作者自身による作品へのコメントが興味深い「夢は自らを語る」と、ファンタジーの本質について語られる「子供と影と」という2つのエッセイが特に印象に残りました。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

at 19:05, 浪人, 本の旅〜ことばの世界

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『サムライ・マインド―日本人の生き方を問う』


サムライ・マインド―日本人の生き方を問う
森本 哲郎

 

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

最近、確か数年前だったと思うのですが、新渡戸稲造氏の『武士道』とその関連書がちょっとしたブームになったことがあります。

森本氏の『サムライ・マインド』は1991年の出版なので、そのブームのかなり前に世に出ているのですが、内容的には、新渡戸氏の『武士道』と共通する流れに属しているといえるでしょう。

森本氏は当時バブルの絶頂にあった世相を前に、転機を迎えた日本社会の今後に思いを馳せます。そして、これからの日本を支えていくべきものは何かと考えるとき、それは歴史をきりひらく人間の精神であり、意志の力であり、行動を裏づける倫理的な信念であるといいます。

そしてそれは「長い歳月が培った伝統とけっして無縁ではあり得ない」のです。氏は今日までの日本の繁栄の歴史を支えてきた倫理的な力(エートス)として「武士道」に着目します。

 

 たしかにサムライは明治維新とともに姿を消した。しかし、長い歴史のなかで形成されてきた「侍精神」は形を変え、日本の近代化、資本主義化を推進する精神的な基盤として、何より大きな力を発揮してきた、と私は思う。それを私は、あらためて「サムライ・マインド」と呼ぶ。


森本氏が着目するのはエートスとしての「サムライ・マインド」であり、それは階級としての武士、あるいは社会の上層部だけに限られたものではありません。

 

私が「サムライ・マインド」と呼ぶのは、儒教と結びついた徳川時代のサムライ精神であり、その精神は武士階級を越えて一般の民衆にも通じる道徳的原理へと普遍化されたのだった。


それがどのように普遍的な道徳的原理となっていったのか、彼は江戸時代から明治時代にかけての代表的な思想家や宗教家の言葉を引きながら検証していきます。

『葉隠』の山本常朝、宮本武蔵、西郷隆盛、山岡鉄舟、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、正岡子規ら、私たちにもなじみのある人物から、江戸時代の重要人物であるにもかかわらず、ほとんど名前しか聞いたことのないような、山鹿素行、太宰春台、大原幽学、貝原益軒、沢庵宗彭、鈴木正三といった人物まで、非常に多くの人々とその言葉が取り上げられています。

ただ、森本氏も述べているように、「武士道については、定まった犒佚記瓩あるわけではなく、多くのサムライたちは、言葉というより行動によって、すなわち「身をもって」その精神を築いてきた」のであり、実際には文献の中の言葉以上に日常の行動の積み重ねが大きな意味を持っていたともいえます。

そう考えると、江戸期からの文献を手がかりに「サムライ・マインド」の大きな流れを跡づけていくのも重要な仕事ですが、私個人としては「サムライ」の身のこなしというか、言葉として文献に残らないような、日常の行住坐臥のレベルで表現されていた彼らの精神性の方に、より興味を覚えます。

例えば、それは以前に紹介した高岡英夫氏の『意識のかたち』の中で取り上げられていた、江戸時代の人々の「身体意識」のようなものです。

また、『サムライ・マインド』で取り上げられている人物は、当時の社会の中で特に意識が高い、優れた人物だったことは間違いなく、それは決して江戸時代のごく普通の人物ではなかったことにも注意する必要があります。

これはつまり、江戸時代は本でしか知り得ないため、注意していないと頭の中で間違ったイメージを膨らませてしまう可能性があるということです。大多数を占めていたであろう、ごく普通の人物が頭から消えてしまって、文献のような理想的な人物ばかりが闊歩していたような錯覚に陥りがちだということで、本に影響されやすい自分自身に対する自戒でもあります。

森本氏のいう「生き方において何か宗教と深く結びついた求道者としての武士」像というのも、そういう意味で、ごく一部の例外的人物を除いては、江戸時代でも一種の理想像にすぎなかったと思います。

しかし、近代化や資本主義化を全力で推し進める時代には一区切りついたように感じられる現在、先進国に暮らす人々が、これからの新しい生き方を見い出していく上で、私個人としては、この「内面的な求道者としてのサムライ像」が、ひとつの方向を示してくれているような気がします。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

 

 

at 21:55, 浪人, 本の旅〜ことばの世界

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『ことばへの旅』

ことばへの旅〈上〉
ことばへの旅〈上〉
森本 哲郎

 

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評価 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です

この本に出会ったのは高校生の頃です。当時本の世界に惹かれて、やたらに本を読んではいましたが、いわゆる読書家のカンのようなものがまだ身についていなかったので、無駄な回り道が多く、一体自分はどんな知識を求めているのか、そのためにどんな本を読んだらいいのか、自分でもよくわかっていませんでした。

いわば、旅に出てはみたものの、適切なガイドブックもない状態でウロウロしているような感じだったのです。

そんな中、当時角川文庫で出ていたこの本を読んですぐに気に入り、全巻読んでも飽き足らず、森本氏の文庫本は全部揃え、単行本は図書館で借りて読みました。

この本は一見、教科書的な名言集に見えますが、実際に読んでみると、古典の名句を入り口にして、その言葉が生まれた背景や状況、その言葉が指し示そうとしている本質(イデア)へと、著者が深く迫っていく探索の旅に同行しているような感じがします。

そこにあるのは、他人の言葉のコピーではなく、著者が思索という「ことばへの旅」を通して自ら体験してきたものの記録であり、膨大なことばと格闘してきた旅の先達として後輩に示す旅のガイドでもありました。

著者は世界各地を実際に旅していて、他の本では美しい旅の写真も見ることができるのですが、今思えば、森本氏のたくさんの本を読むことを通じて、自分は何を知りたいのか、そのためにどうすればいいのか、その方向が少しずつ固まっていったのではないかと思います。

文章は平易ですが、非常に奥の深い本です。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

at 20:25, 浪人, 本の旅〜ことばの世界

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