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ネットカフェ難民5

2月1日の日本テレビ「NNNドキュメント’09 派遣切り ネットカフェ難民5」を見ました。

この「ネットカフェ難民」シリーズが最初に放映されたのは、2007年の1月。以来、「ネットカフェ難民」という言葉は広く知られるようになりました。

日雇い派遣で辛うじて食いつなぎ、アパートを借りることもできずにネットカフェのイスの上で眠る人々の姿を2年前にテレビで初めて見た時には、私もかなりの衝撃を受けましたが、アメリカの金融危機を発端とする世界的な不況の波が押し寄せてきたことで、今や、それがごく一部の人だけの話だとは言い切れなくなりつつあるようです。

今回、番組で取り上げられていたのは、自動車メーカーの製造ラインで働いていた20代の派遣社員です。彼はネットカフェ難民ではありませんが、昨年末の「派遣切り」によって派遣会社を契約期間の途中で解雇され、同時に、住んでいた会社の寮からの退去を求められました。

取材カメラは、解雇の撤回を求めて組合を結成したり、日比谷公園の「年越し派遣村」をスタッフとして手伝う彼の姿を追っています。

内容的には、年末年始にマスコミをにぎわせた「派遣切り」や「年越し派遣村」の報道と重なる部分が多く、映像にも、すでにニュース番組などで見たものが含まれていました。

このシリーズも回を重ねるにつれ、取材の焦点がネットカフェ難民の暮らしそのものからは離れ、非正規雇用と貧困という、もっと大きなテーマへとシフトしていくのは自然な流れなのだろうと思います。ただ、テレビ番組としては最も早くからこうした問題に取り組んできたこのドキュメンタリー・シリーズが、今回は、他局を含めた最近のニュース報道と変わらない内容になってしまっているのは少し残念です。

「派遣切り」に遭った人の立場からすれば、とにかくこの不況の中で、何としてでも今の仕事を守りたいと思うのは当然で、不誠実なやり方で彼らを突然解雇し、寮からの退去を求める派遣会社に対し、組合という交渉力を使ってその撤回を求めるのは正当だと思います。

ただ、番組のナレーションではさらに一歩進んで、こうした状況をもたらした責任が労働者派遣法を改正した政府にあるとして、規制強化を求める労働組合の立場を代弁しているのですが、私個人としては、果たして問題はそう簡単に割り切れるものなのだろうかと疑問を感じるのです。

前回の「ネットカフェ難民4」を見たときにも感じたことですが、グローバリゼーションによって経済活動が国境という枠をどんどん超えていく中で、ただ国内の規制強化によって現在の体制を守ろうとしても、それは問題の根本的な解決にはつながらないばかりか、かえってグローバル企業の海外逃避を促進してしまうだろうし、また、そうした規制のおかげで従来どおりの雇用を守られる人とそうでない人との不公平感を強めるだけだと思います。

ただ一方で、だからといって、世界的な大競争時代の到来をそのまま受け入れる覚悟があるのかと問われれば、私も返答に窮してしまいます。それが将来の私たちの社会にどのようなインパクトをもたらすのか、ちょっと想像を絶するものがあるからです。

たぶん世界の大多数の人は、身の丈にあった普通の暮らしを、ささやかに続けていければいいと思っているだけだと思うのですが、そうした人々にとっては、経済的な大競争がもたらすイノベーションや効率化というプラスの側面よりも、吹き荒れる「創造的破壊」の嵐や、経済的な浮き沈みの激しさへの恐怖の方にどうしても目が行ってしまうのではないでしょうか。

いずれにしても、世界的な不況が到来したことで、番組としてネットカフェ難民の存在をあえて声高に訴える必要性は薄れつつあるように思います。「派遣切り」や解雇をめぐるニュース報道があふれ、路頭に迷う人々の映像に、多くの人が「明日は我が身」と感じるようになりつつある今、この「ネットカフェ難民」シリーズも、今回で一通りの役目を終えたような気がしました。


記事 「ネットカフェ難民」
記事 「ネットカフェ難民2」
記事 「ネットカフェ難民3」
記事 「ネットカフェ難民4」


JUGEMテーマ:今日見たテレビの話 

at 18:52, 浪人, テレビの旅

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ネットカフェ難民4

11月23日の日本テレビ「NNNドキュメント’08 日雇いハケン ネットカフェ難民 4」を見ました。

この番組は、「ネットカフェ難民」という言葉が広く知られるきっかけとなったドキュメンタリー・シリーズの第4作目にあたります。

今回は、心の病を抱えながら日雇い派遣の仕事に通う20代の女性と、子供を施設に預け、共働きで日雇い派遣の仕事をする夫婦を取材しているのですが、彼らはネットカフェで寝泊まりしているわけではありません。

このシリーズも、回を重ねるにつれて、ネットカフェ難民の暮らしそのものを追うというよりも、不安定な雇用と貧困の問題をめぐる、もっと大きなテーマへと取材の焦点がシフトしているのでしょう。

派遣会社による度重なる違法行為や秋葉原での事件を機に、政府は日雇い派遣を原則禁止とする方向に動き始めたようですが、現時点では、日雇い派遣の人々の不安定な生活はそのままだし、派遣会社の高いマージンに手がつけられる見通しもないようです。

現在、日雇い派遣で辛うじて生活を支えている人々が、90年代に加速した雇用流動化の犠牲者であるのは明らかです。そして、この番組の中で示されているように、物質的・精神的に、毎日の生活を維持することさえ困難になっている人がいる以上、何らかの政策が緊急に求められているのも確かだと思います。

ただ、番組を見ていて思ったのですが、仮に日雇い派遣そのものが禁止されたとしても、果たして雇用の不安定化や貧困の問題がそれによって解決に向かうのだろうかという気がします。

グローバリゼーションの加速によって、工場での生産労働はおろか、ホワイトカラーの仕事まで海外に流出しつつあるという状況は、決して日本だけの現象ではありません。

世界全体で大きな構造変化が進行しつつあり、これまで先進国の人々が独占していた仕事を、世界中で奪い合うような状況が生じつつあるのだとしたら、日本国内で日雇い派遣だけを禁止してみても、かつての高度成長期のような安定した雇用が復活することは期待できないのではないでしょうか。

下手をすれば、そうした規制によって、逆に多くの人が雇用から締め出されてしまい、人によっては失業状態が慢性化する危険さえあるのではないかという気がします。

問題は、グローバル化によって日本のおかれた経済環境が大きく変化する中で、雇用や賃金水準に関して、何らかの規制や慣行によって変化から守られている人々と、セーフティーネットもないままに国際的な競争にダイレクトにさらされる人々とに分裂しつつあり、その結果、労働の成果の分配に関して、著しい不公平感が広がっているということなのだと思います。

そして、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』の中で城繁幸氏が指摘しているように、そうした分裂は、年功序列をベースに組み立てられた日本の経済・社会システムによって増幅され、世代間の深刻な利害対立を生み出しつつあるのではないでしょうか。

しかし、マスコミも官庁も政党も、みな「変化から守られている人々」の側にいて、すでに時代に対応できなくなった古い体制をただ維持し続けるだけで精一杯のように見えます。

彼らは、現在のグローバリゼーションの負の影響をまともにかぶっている若い世代、あるいはセーフティネットからこぼれた多くの人々の声を代弁することも、有効な対策をとることもできないでいるのではないでしょうか。

つい、身の程もわきまえずに偉そうなことを書いてしまいましたが、こういうことは今さら私が書くまでもないことで、きっと多くの日本人、特に若い世代は同じようなことを考えたり、言葉にはならなくても無意識のうちに強く感じていることなのではないかと思います。

社会全体がものすごい勢いで変化し、その衝撃が自分たちの生活にまさに押し寄せつつあるのに、大手メディアはそれをうまく説明してはくれないし、国として何か充分な対策がとられているようにも見えないし、現在起きている事態を理解するためのわかりやすい思考の枠組みも示されないために、多くの人が不安や閉塞感を感じているのではないでしょうか。

しかし、だからといって、グローバリゼーションの動き自体を止めて、昔の時代に戻ることも不可能でしょう。これは日本だけの問題ではないし、この大きな社会変動の底流には、私たち自身の思考パターンにもしっかりと埋め込まれている、つねに自分の側の利潤を最大化しようとする資本主義的な欲望があるからです。

私個人としては、こういう時代を生き延びていくために、大きな流れに真っ向から抵抗するよりも、むしろ何とか流れに沿いつつ、自分なりのスジを通していくしかないだろうと思うし、これまでの生活水準とか慣習にはこだわらず、あらゆる知恵をしぼって、真剣にサバイバルの道を見つけるしかないと思っています。

それはともかく、こうしたドキュメンタリーは、ゴールデンタイムではなかなか放映されることのない、現在の日本社会の一面を伝えてくれているという意味で、貴重な存在だと思います。


記事 「ネットカフェ難民」
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記事 「ネットカフェ難民5」


JUGEMテーマ:今日見たテレビの話

at 19:11, 浪人, テレビの旅

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ネタを生み出す人、紹介する人、コメントする人

これは、もうすでに多くの人が指摘していることですが、最近の日本のテレビは、どのチャンネルでもバラエティ番組の割合が非常に高くなっています。

番組スタッフが取材したVTRや、視聴者からの投稿などをネタにして、スタジオに集まった何人ものタレントがそれにコメントしたり、軽妙なやりとりをしたりするのですが、ヒマな時間を何となく楽しい気分で過ごせるという点では、どの番組もとてもよくできていて、私の場合、気がつくとそんな番組を何時間も見ていたりします。

ただ、番組を見ながら時々ぼんやりと思うのは、これだけの番組を制作するスタッフは、やっぱりいろいろと大変なんだろうな、ということです。

あちこちで資料を探してネタの下調べをしたり、海外や国内各地に足を運んで取材・撮影をしたり、スタジオに多数のゲストを呼んで手際よく収録を行ったり、さらにそれを編集してうまく番組としてまとめたりと、限られた時間と予算の中で、さまざまな専門家が途方もない手間をかけて、最終的に一つの番組という形に仕上げているのだろうと思います。

しかし、また一方で思うのは、番組制作を縁の下で支えているそうした多くの専門スタッフよりも、スタジオでネタを紹介するフリーの司会者や、それに気の利いたコメントをして周囲を笑わせるタレントの方が、きっと、ずっと高い収入を得ているんだろうな、ということです。

まあ、彼らそれぞれの収入がいくらなのか私は知らないので、あくまで、そういう気がするというだけなのですが……。

もちろん、司会者やタレントが、ただ楽をしてそこにいるわけではないことは重々承知しています。「スタジオ入りするタレント」という資格を得るのは、並大抵のことではないでしょう。

みな、他の分野で優れた業績をあげて国民的な知名度を得たり、エンターテイナーとしての長い下積みの苦労をするなど、「選ばれし者」になるための難関を乗り越えてきた人たちばかりなのです。

ただ、そうした事情を考慮したとしても、やはり、番組制作全体の構造としては、ネタそのものを生み出したり、面白いものを発掘してくるスタッフよりも、それをスタジオで紹介したりコメントを発する人たちに、つまり、ネタとしての情報と、テレビの前で番組を見ている人との間を「仲介」する役割の人たちに、スポットライトが当たっているのは確かです。

私は、これは今の世の中の縮図であるような気がします。

ただし、私はそれに不満だというわけではありません。むしろ、世の中とはそういうものなんだな、としみじみと思うだけです。

テレビを見ている多くの人にとって、バラエティ番組で紹介されるようなネタ(情報)は、ネタそのものに意味があるというよりは、それがスタジオでうまく料理され、楽しさや笑いと結びつけられるというプロセスを経ることで、初めて意味をもってくるのかもしれません。

遠い世界の話や、目新しすぎてよく分からない話題も、とりあえず身近な知人や友人からの話なら、ちょっと聞いてみようかという気持ちになるだろうし、日常会話のようなくだけた雰囲気で伝わる情報なら、本や新聞を読むよりもずっと抵抗がなく、理解もしやすいのではないでしょうか。

スタジオの司会者やタレントたちは、まさにプロフェッショナルとして、そうした情報加工の役割を果たしているわけで、ネタとしての新奇な情報を、大勢の視聴者の日常レベルの現実に結びつけるという、非常に重要な仕事をしているのだと思います。

テレビのように、情報を数百万、数千万の人々に一度に伝えていくためには、それはどうしても必要なプロセスなのでしょう。

それは、テレビを放映する側にとっても、それを見る側にとっても、非常に重要で、しかも目立つ仕事なので、そのプロセスを受け持つ人にはどうしても人々の注意や関心が集まるし、当然それなりの待遇を受けるということなのだと思います。

そして、ここ数年で爆発的に普及しつつあるブログも、同じような情報加工・仲介のプロセスを、テレビとは違う形で果たしているのかな、という気がします。

現代の世界では、何か面白いことが見つかったり、驚くような事件が起きると、それがまずニュースという形で紹介されますが、ブログはその次の役割、つまり、新奇なネタを周囲の身近な人びとに仲介する機能を果たしているように思えるのです。

もちろん、ブログといってもさまざまで、実際にはネタそのものを生み出す創造的なブログもあれば、そうしたネタを探し出し、真っ先に世界に向けて発信するニュース的なブログもあるはずです。それでも、やはり圧倒的に多いのは、すでに発信されたニュースやネタを紹介し、それに自分なりのささやかなコメントを付け加える仲介的なブログなのではないでしょうか。

それは、考えてみれば当然のことなのかもしれません。自分のことを棚に上げて言うなら、やはり苦労して貴重なネタを生み出したり、それを真っ先に正確な形で伝えるよりも、誰かがすでに書いたことを紹介したり、世間で注目を集めているニュースについて自分なりのコメントを書く方が、ずっと楽だからです。

ただ、だからといって、そうしたブログに情報の流通上、全く意味がないかというとむしろ逆で、そうした多数の仲介的・コメント的ブログは、バラエティ番組の司会者やタレントの気のきいたコメントと同じように、非常に重要な役割を果たしているのではないでしょうか。

だとしたら、ブログの生み出す世界にも、テレビのバラエティ番組のように、大いに人々の興味や関心が向けられてもよさそうなものですが、残念ながら今のところ、ブログの書き手が、テレビ出演者のような「選ばれし者」としての栄光を味わうことはほとんどないようです。

それはきっと、ごく少数の超人気ブロガー(兼テレビタレント)を除けば、ブログ界に当たるスポットライトが、数え切れないほどのブロガーの間で拡散してしまい、一人一人の書き手には、ごくごく微弱な光しか届かないからなのでしょう……。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 19:13, 浪人, テレビの旅

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