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旅の名言 「とことん醜態を……」

「とことん醜態を演じることのできる能力、それこそ旅人に欠かせない大切な要素である」とジャーナリストのジョン・フリンも言っている。人はそのようにしてみずからの過ちを笑い、それを大事な糧にして成長を遂げていく。

『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事

いつか放浪の旅に出てみたいと憧れる人のために、放浪(ヴァガボンディング)の心構えと実際を説いた入門書、『旅に出ろ!』からの一節です。

旅先での醜態といえば、「旅の恥はかき捨て」という有名なフレーズを思い出しますが、ここで「とことん醜態を演じる」というのは、そういう、自分のコミュニティでは許されない蛮行を、見知らぬ土地なら平気でやってしまえる、という意味合いではありません。

むしろ、言葉の通じない異国の地で、互いのコミュニケーションが行き違い、思わぬドタバタ劇を演じてしまったり、慣れない異文化の中で、現地の人には滑稽に映るふるまいを、それと気づかずにしてしまうような体験を指しているのだと思います。

例えていえば、それは、テーブルマナーをろくに身につけないまま、高級レストランのようなフォーマルな場に出て大失敗をやらかし、周囲の視線を集めてオロオロする感じと似ているかもしれません。

私も旅をしているときには、何度もそういう経験をしました。また、旅をしている時点では何も感じなかったものの、後でいろいろ事情が分かった時点で当時の自分を振り返り、知らず知らずに相当恥ずかしいことをしていたのだと気づいて、今さらながら赤面することもしばしばです。

旅人として未知の文化圏に入っていくと、現地の言葉もしゃべれず、そのコミュニティの慣習や価値観を何も知らない自分は、まるで無力な子供になってしまったような気がします。まあ、よそ者というのは、どこでも、いつの時代でもそういうものですが……。

現地の人たちも、そういう事情を理解した上で、旅人の醜態を大目に見てくれることが多いのですが、一方で、その道化のような失敗ぶりをおおいに笑い、恰好のエンターテインメントとして楽しんでいるのも確かです。

旅人としては、見知らぬ人からとはいえ、笑い物にされるというのはあまりいい気分ではないし、自分が旅先でスマートに振る舞えなかったことに、悔しい思いをする人もいるでしょう。

ただ、そういう恥ずかしい体験を恐れず、たとえハプニングに巻き込まれても、自分でそれを笑いとばせるくらいのメンタリティが、旅を続けていくうえでは欠かせないのかもしれません。

少しおおげさかもしれませんが、ロルフ・ポッツ氏の言うように、旅先でとことん醜態を演じ、その経験を一つひとつ乗り越えることで、私たちは旅人として、少しずつ「成長」していくことができるのでしょう。

もっとも、私の場合は、何度恥ずかしい経験を重ねても、正直なところ、自分が成長したという実感はないのですが……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 18:44, 浪人, 旅の名言〜旅人

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旅の名言 「ひとり旅が不便だとつくづく思うのは……」

 自由気ままなひとり旅に慣れてしまうと、誰かと行動をともにすることが難しくなる。ひとり旅ができる人といっしょなら、互いを頼りにしないから気分的に楽で、ウマが合う相手ならひとり旅より楽しいが、物事を深く考えるにはひとり旅のほうがいい。
 ひとり旅だから困るということはあまりない。病気になったときは同行者がいれば心細くはないが、自分の病気のせいで同行者に迷惑をかけて申し訳ないという気持ちもあるから、良し悪しである。
 ひとり旅で困ることはたいしてないが、不便なことはいくつかある。宿代、タクシー代が高くつく。食費が割高になり、料理のバラエティーが乏しい。数人で食事をすれば、つねにいくつかの料理が食べられるが、ひとりでは一品しか食べられない。食文化に興味がある者にとって、これは大きな欠点ではあるのだが、もし同行者が菜食主義者であったり好き嫌いが激しかったり、日本料理以外食べたがらないという人であったらかえって迷惑なので、これも良し悪しである。
 ひとり旅が不便だとつくづく思うのは、駅や空港や列車内でトイレに行くときだ。とくに駅や空港では大きな荷物を持っていて、そういう荷物を持ってトイレの個室に入り、床は荷物を置けるような状態にないとき、「ふー」とため息をつく。荷物を両肩と首にぶらさげてしゃがみ込むときは、「誰かが荷物を見てくれたらなあ」とつくづく思う。長い旅のなかで、ひとり旅を不便だと思うのはそんな数分間だ。

『アジア・旅の五十音』 前川健一 講談社文庫 より
この本の紹介記事

アジアの旅にまつわる短い文章をアイウエオ順に並べたユニークな作品、前川健一氏の『アジア・旅の五十音』の、「ひとり旅」の項からの引用です。

旅に出かけるとき、誰かと一緒に行くか、一人で行くか、あるいは旅の途中でほかの旅人と行動をともにするかというのは、各人の好みのほかに、状況や相手次第という面もあるので、どれが最も面白いと一概に言えるものではありません。

それでも、あくまで個人的な趣味を言わせてもらえるなら、私も前川氏のように、好きなタイミングで、好きなところへ、自由気ままに動ける一人旅が好きだし、実際に旅に出るときはほとんど一人です。

ただし、その大きな自由には、それなりの代償があります。

冒頭に引用した短い文章の中で、前川氏がほとんど言いつくしているように、それは一人当たりの旅費が余計にかかることであったり、食事が単調で少々わびしくなることであったり、旅先で病気やアクシデントに見舞われたときのサポートがないなどといった不便です。

そして、移動中のトイレでの不便。これは、実際にそれを経験したことのある人なら大いに共感できるのではないでしょうか。

一人旅では、誰かに荷物を見張ってもらうことができないので、基本的にはどんな状況でも荷物から目を離すわけにはいきません。鉄道駅や空港なら、いざとなればカウンターに手荷物を預けることもできますが、アジアの田舎のバスターミナルやドライブインにはそのようなものはありません。

そういう場所で汚いトイレに入る時など、万が一、床や便器に荷物が落ちたりすれば大惨事は免れません。そんなとき、たった数分間でいいから、誰かが外で荷物を見ていてくれたらと切実に思うのです。

もっとも、寝台車や長距離バスに乗っているときなど、周囲の状況次第では、荷物を座席に残してトイレに行くこともあります。ただしそのときには、戻って来たら荷物が消えている可能性もゼロではないので、そのリスクと数分間の快適さとを天秤にかけ、それなりの覚悟をした上でそうするわけです。

あと、似たような状況ですが、私自身の経験からもうひとつ不便だと思うのは、ビーチで一人で泳ぐときでしょうか。

セキュリティの甘いバックパッカー向けコテージに泊まっているときなどは、泳いでいる間、部屋に貴重品などをすべて残していくのには不安が残ります。かといって、現金やパスポート、トラベラーズ・チェックなどを身につけて泳ぐわけにもいきません。

このブログにもかつて書いたことがあるのですが、私は一度、ビーチで泳ぐときにツアーガイドについ貴重品を預けてしまい、目を離しているスキに現金を抜き取られた苦い経験があります。ビーチでの貴重品の管理について、過剰なまでに慎重になってしまうのは、そのせいもあるのでしょう。
記事 「お金を盗られた話」

仕方がないので、私はいつも、貴重品をバックパックや部屋の中に分散して隠し、万が一どれかを盗られてもその時点で無一文になってしまわないよう、涙ぐましい工夫をしています。まあ、そこまで頑張ったところで気休め程度の効果しかないと思いますが……。

もちろん、そういう心配が頭の片隅に残っているようでは、やはり時間を忘れて、心ゆくまで海でのんびり遊ぶ境地にはなれません。そして、そんなときはさすがに、誰か信頼できる旅仲間がいたら楽なのに……と、つくづく思うのです。

最後に、これは蛇足だとは思いますが、一人旅特有の危険について少し触れておきたいと思います。

たとえば、英語のガイドブックなどを読んでいると、旅先には悪意をもって旅人に近づいてくる人物がいて、彼らに一人旅だと悟られると、何らかの被害に遭う可能性が高まるので、(女性の場合は特に)そうならないよう、仮に一人旅をしていても、常に同行者がいるフリをしていた方がいい、なんて書いてあったりします。

私自身はこれまで、旅をしていて真剣に身の危険を感じた経験がないので、そういう警告はちょっと大げさだという気がするのですが、旅人が犠牲者となる事件が皆無ではない以上、そうした警告を全く無視することもできないのかもしれません。

たしかに一人旅の場合、重大なアクシデントに巻き込まれた場合のバックアップがないわけで、理屈としては、それが何らかの悲劇の潜在的なリスクを高めるということは考えられます。

ただ、そういうケースは非常にまれなことだし、旅人の心がけと行動次第で、意識的に危険を避けることもできます。それに、そもそもリスクのない旅など存在しない以上、安心と安全ばかりを追求していけば、旅に出られなくなってしまいます。

月並みな結論ではありますが、旅人は、旅に伴うリスクと、安全確保のために失われる自由や面白さを天秤にかけたうえで、結局のところ、それぞれが自分に最もふさわしい旅のスタイルを選ぶことになるのでしょう……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:05, 浪人, 旅の名言〜旅人

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旅の名言 「旅先であんなにおもしろかった人が……」

 旅先で出会った日本人旅行者とは、日本で再会しない方がいい。その人が帰国数日後で、気分的にはまだ旅行中というなら旅の話で盛り上がることもあるが、帰国後だいぶたって完全に日本の生活に戻っている人に、旅先で抱いたイメージそのままで接するとガッカリすることがある。その人と別れてからの旅の話をしようと待ちかまえていると、就職や家族の話をされてしまい、気まずい雰囲気になることもある。
 旅先であんなにおもしろかった人が、あんなにいきいきしていた人が、日本でぬけ殻となって生きている姿を見たくない。
 しかし、ぬけ殻はじつは私自身だろう。風が吹くとコロコロ転がるぬけ殻が私で、日本で再会した人たちは大木にしっかりしがみつき、せいいっぱい鳴いているセミなのだ。

『アジア・旅の五十音』 前川健一 講談社文庫 より
この本の紹介記事

アジアの旅にまつわる文章を、「あ」から「ん」まで50音順に配列したユニークな作品、前川健一氏の『アジア・旅の五十音』の、「ぬけ殻」の項からの引用です。

「ぬけ殻」とまでは言えないにしても、「旅先であんなにおもしろかった人が、あんなにいきいきしていた人が」、日本で会ったらすっかり別人に見えたという話は、海外を何度も旅した人なら、自分でも一度か二度は体験したことがあるのではないでしょうか。

旅人同士が旅先で知り合い、意気投合して、安宿のロビーや屋台で夜遅くまで話し込んだり、気の合う仲間同士でグループをつくって遊び歩いたり、しばらく一緒に旅をしたりということは、バックパッカーの旅ならよくあることです。

ただ、せっかく仲良くなっても、そこは旅人の宿命、お互いに旅の途上ということもあって、いずれは別々の目的地をめざすことになります。

そんなとき、旅の無事を祈り合い、「また世界のどこかで会いましょう!」とさわやかに(?)別れ、それでもう再び会うこともない、というパターンが大半なのですが、メールアドレスや住所を交換した場合には、しばらく互いに近況を知らせ合うこともあるだろうし、ときには日本に帰ってからも、一度どこかで会って積もる話でもしようという展開になることもあります。

しかし、私の経験からしても、実際に日本で会ってみると、お互いにどこか微妙な違和感を感じてしまうことが多いような気がします。

筋金入りのバックパッカーで、旅に人生を賭けているような人は別にして、学校や会社の休暇を利用して旅をしているような人は、やはり生活のメインは日本にあるので、帰国すればすぐに気持ちを切り替え、日本での生活に再びリズムを合わせていかなければなりません。

旅をしているときには、日常生活のさまざまな「現実」から解放され、目先の旅のことだけ考えていればよかったし、国籍も年齢も職業も地位も関係なく、目の前にいるさまざまな人々とオープンな気持ちでつき合うこともできたでしょうが、再び味わう日常の現実は、そういう気分で居続けることを許してはくれないでしょう。

そんな状況で、旅人同士が日本で顔を合わせても、忙しい中、時間に追われてあわただしく会うような感じになりがちだし、周囲から押し寄せてくる現実の重圧の中、旅先で感じていたあのオープンな気持ちを再現しようとしても難しいのです。

結果として、「あのときとは何か違うな……」と、お互いに微妙な違和感を感じつつ、モヤモヤとした気分で別れることも多いのではないでしょうか。

逆に考えると、やはり、旅をしているときの旅人というのは、その解放感や高揚感のなかで、どんな人でも多少は別人のようになっているのでしょう。

そして、旅好きな人というのは、旅をしている瞬間こそ、自分がもっとも自分らしく、「いきいき」としているように感じるのだろうし、だからこそ、何度も旅に出ることによって、その自分らしさを取り戻そうとするのかもしれません。

まあ、だからといって、旅人が日本では「抜け殻」なのだと言ってしまうと、多少語弊があるかもしれません。前川氏も先ほどの文章の最後では、実は自分の方こそ「抜け殻」なのだというオチにしています。

よほど条件に恵まれた人でもないかぎり、永遠に旅を楽しみながら生き続けるなんてことは不可能です。日本でしっかりと現実の生活と結びつくことによって、初めて次の旅への資金やエネルギーを蓄えることが可能になるのです。セミが地上に出てくる前に、土の中で何年も力を蓄えるように……。

人は、旅をしている間、地上で与えられたわずかな生を謳歌するセミのように、限られた旅の時間を精一杯楽しみ、輝いているのかもしれません。一方で、旅人同士が日本で会うというのは、土の中でじっとガマンしているその舞台裏を見せ合うようなもので、それは現実の重さという一種の幻滅を、お互いに改めて深く感じさせてしまうのかもしれません。

やはり、旅人同士というのは、互いにもっとも「いきいき」している旅先で会うに越したことはないのでしょう……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:31, 浪人, 旅の名言〜旅人

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